聖書に見るアルコール依存についての記述

仏典にあるアルコール依存の諸症状の記述を見たあとは、やはり聖書の中にある飲酒問題とその戒めの記述についても記載しておきます。
これは、日本聖書協会のホームページから「酒」という単語で全文検索をかけた中から、酒害・禁酒に関する記述のあるところを拾い上げて列挙したものです。(これも注は心炎がほどこしたものです。)


【旧約聖書】
(以下【】内書名・引用はすべて「新共同訳/日本聖書協会」による)


『箴言』20章01節
「酒は不遜、強い酒は騒ぎ。酔う者が知恵を得ることはない。」


『箴言』21章17節
「快楽を愛する者は欠乏に陥り、酒と香油を愛する者は富むことがない。」


『箴言』23章 20~21節
「大酒を飲むな、身を持ち崩すな。
大酒を飲み、身を持ち崩す者は貧乏になり
惰眠をむさぼる者はぼろをまとう。」


『箴言』23章 29~35節
「不幸な者は誰か、嘆かわしい者は誰か 
いさかいの絶えぬ者は誰か、愚痴を言う者は誰か
理由なく傷だらけになっているのは誰か
濁った目をしているのは誰か。
それは、酒を飲んで夜更かしする者。
混ぜ合わせた酒に深入りする者。


酒を見つめるな。酒は赤く杯の中で輝き、滑らかに喉を下るが
後になると、それは蛇のようにかみ
蝮(まむし)の毒のように広がる。
目は異様なものを見
心に暴言をはき始める。
海の真ん中に横たわっているかのように
綱の端にぶら下がっているかのようになる。
『打たれたが痛くもない。たたかれたが感じもしない。
酔いが醒めたらまたもっと酒を求めよう』」


『箴言』31章 04節
「王たるものにふさわしくない。
酒を飲むことは、王たるものにふさわしくない。
強い酒を求めることは君たるものにふさわしくない。」


『イザヤ書』05章 11節
「災いだ、朝早くから濃い酒をあおり
夜更けまで酒に身を焼かれる者は。」


『イザヤ書』05章 22節
「災いだ、酒を飲むことにかけては勇者
強い酒を調合することにかけては豪傑である者は」


『イザヤ書』56章 12節(神を畏れぬ者の言葉)
「さあ、酒を手に入れよう。強い酒を浴びるように飲もう。
明日も今日と同じこと。いや、もっとすばらしいにちがいない。」


【新約聖書】


『ローマの信徒への手紙』13章 13節
「日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。
酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、」


『ローマの信徒への手紙』 14章 21節
「肉も食べなければぶどう酒も飲まず、
そのほか兄弟を罪に誘うようなことをしないのが望ましい。」


『コリントの信徒への手紙一』 05章 11節
「わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、
みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、
人を悪く言う者、酒におぼれる者、
人の物を奪う者がいれば、つきあうな、
そのような人とは一緒に食事もするな、
ということだったのです。」


『コリントの信徒への手紙一』06章 10節
「泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、
決して神の国を受け継ぐことができません。」


『ガラテヤの信徒への手紙』05章 21節
「ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。
以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、
このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。」


『エフェソの信徒への手紙』05章 18節
「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。」


『テモテへの手紙一』03章 03節
「また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、」


『テモテへの手紙一』 03章 08節
「同じように、奉仕者たちも品位のある人でなければなりません。
二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、」


『テトスへの手紙』01章 07節
「監督は神から任命された管理者であるので、
非難される点があってはならないのです。
わがままでなく、すぐに怒らず、酒におぼれず、乱暴でなく、恥ずべき利益をむさぼらず、」


『テトスへの手紙』02章 03節
「同じように、年老いた女には、聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、
中傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教える者となるように勧めなさい。」


『ペトロの手紙一』04章 03節
「かつてあなたがたは、異邦人が好むようなことを行い、
好色、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、
律法で禁じられている偶像礼拝などにふけっていたのですが、
もうそれで十分です。」


【聖書外典(聖書続編)】


『トビト記』04章 15節
「自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない。
ぶどう酒を酔うまで飲んではならない。
また、酔うことが習慣となってはならない。」


『シラ書〔集会の書〕』19章 01~02節
「酒におぼれる労働者は、金持ちにはならない。
小さな事を軽んじる者は、次第に落ちぶれる。
酒と女※は、聡明な人の思慮を奪い、
娼婦におぼれる者は、ますます向こう見ずな人間となる。」
※女性差別ではなく「異性・性的な魅力を感じる相手」の意味


『シラ書〔集会の書〕』26章 08節
「大酒を飲む妻は夫の激しい怒りを招き、
その恥知らずな行為をさらけ出す。」


『シラ書〔集会の書〕』31章 25節
「酒を飲んで男っぷりを見せようとするな。酒で身を滅ぼした者は多い。」


『シラ書〔集会の書〕』31章 29~30節
「過度の飲酒は気分を損ない、
いらだちや、間違いのもととなる。
深酒は愚か者の気を高ぶらせて足をふらつかせ、
力を弱めて、傷を負わせる。」


『エズラ記(ギリシア語)』03章 17節
「皆さん、酒こそいちばん強いものではないでしょうか。
酒は、これを飲むすべての者の精神を混乱させ、」


『エズラ記(ギリシア語)』03章 21節
「また、酒を飲めば、友人や兄弟たちに対する友情を忘れ、
突然剣を抜くことさえあります。」


『エズラ記(ギリシア語)』03章 23節
「『皆さん、酒とはこれほどの力を持っているのですから、
これこそいちばん強いものではないでしょうか。』
彼はこう語ると、口をつぐんだ。」

旧新約聖書・聖書外典(聖書続編)より引用終わり。

仏教もユダヤ教もキリスト教も、アルコール依存症を、ずっと昔から問題視して、社会的・道徳的に重大だととらえていたのがよくわかりますね。




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# by ecdysis | 2017-04-20 12:17 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

仏教の経典で釈迦が指摘している驚くべきアルコール依存の諸症状

 最近は座禅をきっかけに仏教関連の書籍も読み漁っています。

 それで、意外なところに意外な記述があったりするので、ご紹介します。以下は、仏教の禁酒の戒律が定められた理由としてお釈迦様が説法されたことの記述です。

 お釈迦様は今から2500年ほど前の方です。古代よりアルコール依存の問題には深刻なものがあったようです。
(以下の引用につきましては読み仮名・現代語訳・※の注記ともに心炎によります。もしお気づきの点がありましたら、心炎のメアドまでどうぞ)

引用元「仏教経典を中心とした釈迦の医学」
(服部敏良/黎明書房/昭和57年11月第一刷)73~77ページより

『大智度論(だいちどろん)※』(※出典の経典名)
原文1
「酒は覚知の相を失ふ。身心濁って悪しく、智心動じて乱る。慚愧(ざんき)已(すで)に劫(うご)かされ、念を失して瞋心(しんしん)を増し、観を失して宗族(そうぞく)を毀(やぶ)る。是(かく)の如きを飲と名づくと雖(いえど)も、実に飲は死毒たり。瞋(いか)るぺからずして瞋り、笑ふべからずして笑ひ、哭(こく)すべからずして哭し、打つべからずして打ち、語るべからずして語り、狂人と異なる無く諸(もろもろ)の善功徳(ぜんくどく)を奪ふ。愧(はじ)を知るものは飲まず」

現代語訳1
「酒は認知認識能力を失わせます。身も心も濁って働きが悪くなり、知性も判断力もどこかへいって乱れてしまいます。恥も外聞もどこかへとんで、自制心もなくなって怒りの心が増し、まわりを見て判断することも忘れて家族親族を傷つけます。こういう状態を飲酒と名付けていますが、実に飲酒というのは死をもたらす毒です。怒るべきでないのに怒り、笑うべきでないのに笑い、泣き叫ぶべきでないのに泣き叫び、殴るべきでないのに殴り、語るべきでないのに語り、気の狂った人とちがうところがなく、それまで積んできた様々な善行の功徳も奪われます。恥を知る人は飲酒しないものです」

原文2
「酒は身を益すること甚(はなは)だ少なくして、損する所甚だ多し。是(こ)の故に飲むべからず」

現代語訳2
「酒は自身にとって利益になることが非常に少なく、損失になることが非常に多いのです。そういうわけなので、飲酒してはなりません」

原文3(心炎注:以下は箇条書きの項目多数ですので、それぞれの箇条の下の【 】内に現代語訳を付します)

「一には現在世に財物虚しく竭(つ)く。何んとなれば人酒飲んで酔へば心に節限なく、用を費やすこと度なきを以てなり」

【(酒害のリストとして、)一には現世での財産を浪費して枯渇してしまいます。どうしてかといえば、酒を飲んで酔っ払ってしまえば節度も自制心もなくなり、浪費に歯止めがかからなくなるからです】

二には衆病の門なり。【二つには万病のもとです】

三には闘諍(とうじょう)の本なり。【三つには喧嘩口論暴力沙汰のもとです】

四には裸露わにして恥なし。【四つには裸をあらわにして恥じることがありません】

五には醜名悪声にして人の敬はざる所なり。
【五つには、みっともない人として名を覚えられ悪評が立つので尊敬されません】

六には智慧を覆ひ没す。【六つには知恵の働きが覆われて埋もれてしまいます】

七には応(まさ)に得らるべき物を得ず、已(すで)に得る所の物は散佚(さんいつ)す。
【七つには、酔っていなければ当然得られるはずのものが得られず、すでに得ていた物まで散って無くなります】

八には伏匿(ふくとく)の事を、尽(ことごと)く人に向って説く。
【八つには内密の話や内緒ごとも、ぜんぶ人にばらしてしまいます】

九には種々の事業廃して成弁(せいべん)せず。【九つには様々な事業も放棄するので成功しません】

十には酔は愁(うれい)の本と為(な)る。何となれほ酔の中には失すること多く、醒め已(おわ)って慚愧(ざんき)憂愁すればなり。
【十には酔いは憂鬱の原因となります。なぜかといえば、酔っ払っている最中は失敗が多いので、酒がさめてから恥じ入って憂鬱になるからです】

十-には身力(しんりき)転(うた)た少なし。【十一には体力が非常に弱くなります】

十二には身色壌(みだ)る。【十二には体も外見もだらしなくなります】

十三には父を敬ふことを知らず。【十三には父を敬いません】

十四には母を敬ふことを知らず。【十四には母を敬いません】


十五には沙門(さもん)を敬はず。【十五には修行者を敬いません】

十六には婆羅門(ばらもん)を敬はず。【十六にはバラモン※を敬いません】
※ヒンズーのカーストで最高位の宗教指導階級

十七には伯叔(はくしゅく)及び尊長を敬はず、何となれば酔悶恍惚(すいもんこうこつ)として別(わか)つ所なきを以てなり。
【十七には、父母の兄弟姉妹や親族の年長者を敬いません。なぜならば、酔って正気をなくして溺れており、目の前にあるものや人を区別することができないからです。】

十八には仏を尊敬せず。【十八には仏を敬いません】

十九には法を敬はず。【十九には法※を敬いません】
※ダルマともいう。仏教における「真理」「道理」「森羅万象を貫く大原理」のこと

二十には僧を敬はず。【二十には僧侶を敬いません】

二十一には悪人と朋党す。【二十一には悪人と仲間になって徒党を組みます】

二十二には賢善を疎遠す。【二十二には賢者や善人を疎んじ遠ざけます】

二十三には破戒の人と作(な)る。【二十三には僧侶が守るべき戒めを破る人となります】

二十四には無慚無愧(むざんむき)なり。【二十四には恥知らずになり人から咎められても意に介しません】

二十五には六情を守らず。【二十五には喜・怒・哀・楽・愛・悪※の六つの感情を適切に表現することができなくなります】
※にくみきらうこと

二十六には色を縦(ほしいまま)にして放逸(ほういつ)なり。
【二十六には色欲に節度がなくやりたい放題になります】

二十七には人の憎悪する所にして、之(これ)を見ることを喜ばず。
【二十七には人に憎み嫌われ、だれもがその姿を見て喜びません】

二十八には貴重の親属及び諸の知識の共に擯棄(ひんき)する所なり。
【二十八には一族から重んじられている親族も、さまざまな知り合いたちも、ともに斥けて見捨てます】

二十九には不善の法を行ず。【二十九には悪い行動を基本とするようになります】

三十には善法を棄捨(きしゃ)す。【三十には善なる行動に従うことを捨ててしまいます】

三十一には明人智士(めいじんちし)の信用せざる所なり、何となれば酒は放逸なるを以てなり。
【三十一には道理をわきまえた人、賢い立派な人は、酔う者を信用しません。なぜなら、酔っている者はやりたいほうだいだからです。】

三十二には涅槃(ねはん)を遠離す。【三十二には悟りから離れ遠ざかります】

三十三には狂癡(きょうち)の因縁を種(う)う。【三十三には狂人愚者となる因縁をつくります】

三十四には身破れ、命終りて悪名泥犂(でいり)の中に堕(お)つ。
【三十四には破産し健康をそこなったあげく、死後も悪名が残って泥まみれになってしまう】

三十五には若(も)し人と為(な)ることを得ては、所生の処常に当(まさ)に狂シ(シ=馬偏に矣[イ])なるべし。
【三十五には、もし来世に人として生まれることができても、どんな生まれであろうと常に狂気や愚かさを免れない人になります】

 是(かく)の如き等の種々(しゅじゅ)の過失あり。是の故に飲まず
【このような種々の過失があります。それゆえに飲酒をしません】」


『四分律※』(※律とは戒律のこと)
原文4
「凡(およ)そ洒を飲む者に十の過失あり、何等(いずれ)か十なる。
【おおむね酒を飲む者には十の過失があります。それはどういった十であろうか。】

一には顔色悪し【一つには顔の色が不健康です】

二にはカ少なし【二つには体力がありません】

三には眼視明かならず【三つには、ものをはっきり視認できません】

四には瞋恚(しんい)の相を現す【四つには怒りをむき出しにします】

五には因業資生(いんごうしせい)の法を壊す
【五つには善い因縁を重ねて人生を良くしていく生き方を破壊します】

六には疾病を増発す【六つには持病は悪化し新しい病気が増えます】

七には闘訟を益す【七つにはもめごとやいざこざが増えます】

八には名称なくして悪名流布す【八つにはいいことでは知られず、悪名ばかり広まります】

九には智恵減少す【九つには賢さが減少します】

十には身壌命終(しんじょうめいしゅう)して三悪道に堕す
【十には体が墓に埋められて命が終わったあと、魂が地獄道、餓鬼道、畜生道の三つの悪しき世界に落ちます。】

阿難(あなん)、是(こ)れを酒を飲むものに十過失ありと謂(い)ふ
【アーナンダよ※、以上を酒を飲む者の十の過失があるといいます】」
(※釈迦の高弟にして従兄弟)


以上が、仏典に書かれている酒害の数々です。
『大智度論』の内容といい、『四分律』の説法といい、ほとんどが現代のアルコールの依存問題に当てはまっています。
2500年前に説法されたことですから、驚きを覚えずにはいられません。




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# by ecdysis | 2017-04-20 10:36 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

絶対的な規範を求めてきたけれど

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私はアルコール依存と発達障害の父親とキッチンドリンカーになってしまった母親と、自己愛性人格障害の粗暴で猜疑心・嫉妬・憎悪の固まりだった祖母といつも酔って悪態暴言をわめいていた祖父たちの間に育った。母方は祖父母はじめ皆いたって正常な人々だったが、父方の祖父母の実家は、酒と男女関係に依存の問題のあった家柄だ。数代前までの家系親族の系図を各人の問題といっしょに書き出すジェノグラムをつくれば、父方には悲惨な世代連鎖の軌跡が明白にたどれるだろう。 

 私と血のつながった五親等内には、アルコール、セックス、薬物、ギャンブルの依存をもっている人たちがいるし、不倫や女癖の悪い人もあったし、三十歳台で飲酒や薬物が原因で死んだり廃人になった人もいる。またギャンブルのあげくホームレスになり行方知れずの人もいる。全員が父方の血筋である。

 そんな家庭環境の中で育った私は、家族の狂気の影響を受け続け、それを苦痛に感じ恐れながらも、当たり前のこととして日常の情景として馴らされてきた。その狂気の磁場ともいうべき環境で磁化された心を持ったまま健康な社会に適応することは不可能である。私が、16歳の時にフラッシュバックを起こして、「こんなひどい家庭環境で育った自分はろくな人生を送れない」と絶望したのも当然だ。狂った教育という異常なプログラムを施されたのだから。大人たちの病んだ精神と日常的に接触していれば、元は健康で正常な人でも、やがては病んでしまうのだ。

 私は、こうした病んだ大人たちの憤怒と憎悪、恨みと妬みの風に吹かれ、不安と不満、絶望と恐慌の空気を呼吸して育った。どうして、長じてから狂わずにいられたであろうか。私は、彼らの無知と迷妄、愛欲と我欲をもおのれのものとして成長した。そこから抜け出すには自力ではまず不可能だった。

 私の心に吹いた無秩序で理不尽な家族の病の風は、そのままでは自殺か破滅しかもたらさないはずだった。それゆえに、私自身が生き延びて回復するために強烈に秩序と正義を欲した。変わらぬ秩序と不壊の正義のありかを探した。はじめは、結婚して家庭を営むという世間の常識に、次はカルト宗教や性格改造セミナーに、やがて新約聖書のキリストの言葉と旧約聖書に、神道に、自助団体のプログラムに、今は仏教にと探索の手は休んでいない。カルト宗教と性格改造セミナー以外は、みな日常的な学びの対象として折々気づきをいただいている。それらの和洋の伝統ある教えは、いま少しずつ私の中で融合を開始しており、普遍的な中心部が見え出しているような気さえする。

 はじめは秩序と正義の依存対象だった実母はキッチンドリンカーになって、その座から滑り落ちた。私には、新しい確かな規範が必要だった。それが、世間の常識からはじまる「規範探し」の流浪の旅の開始だった。想えば、これさえ信じていれば大丈夫という絶対的に依存しうる規範を三十年以上も探してきた。しかし、それさえ信じれば人生すべてがうまくいくなどという万能の特効薬のような教えは、正統でまっとうな宗教や神の道にはありえないことが、やっとわかった。もし、これさえ信じれば万事うまくいくと喧伝する宗教があるとすれば、それは宗教の看板を掲げた詐欺だといって差し支えないと考える。

 座禅をしてみて、諸行無常をわずかでも観じられるような気がする。生まれたものは現れ、現れたものは消え去る。森羅万象、万有万物、万人生きとし生けるものすべてが、生まれては現れ、現れてはやがてこの世から消えてゆく。絶対的な規範があるとすれば、この諸行無常と生滅の法則でないかと思う。

 

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# by ecdysis | 2017-03-31 03:07 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

当たり前のことが当たり前に認知できないACの認知障害

 三十年も前に、あるカルト教団に入信したのをきっかけに、その教団とは関係のない一般の学者の書いた般若心経の解説本を読んだことがある。その中で、著者の知り合いがうつ病になったとき、一人の友人が「水面に映った月は波に揺れるが水の底にさす月の光は変わらない」というような歌をあげて、それだけを2~3か月ずっと考えさせたら、うつ病が治ってしまったという記事があった。

 当時は、なぜそんなことで治るのかまったくわからなかった。
 とりたてて何の変哲もない光景を詠んだ歌が、なぜ心を癒すのかまったく理解できず、何かの知的遊戯・観念の遊びとしか思えなかった。あるいは非常に高度な深遠な哲理があるのだろうかとも首をひねるばかりだった。

 今、二度目を読了する「修証義講義」の中にも、やはり道元禅師の言葉で「眼横鼻直(がんのうびちょく)」というのがあって、これも最初はよくわからなかった。これは、道元禅師が宋の国に仏法を学びにいって帰国したあと寺を建てるとき、「自分が宋の国で学んだのは、眼が二つ横についていて鼻が顔の真ん中にまっすぐ縦についているのがわかるようになりました。だから他の僧侶のようにいかにも仏法というような経典類は持ってきませんでした」とおっしゃったという禅語のひとつ。

 座禅してみて、いささかでもこの言葉のすごさが感じられるようになったし、それがACの回復にも重要な要素になるだろうと思っている。

 座禅するときは、まず神仏に保護と導きをお願いする合掌一礼をしてから、おきまりの脚の組み方で姿勢を定め、座禅を開始する。最初は雑念が起こるけれどほったらかして、自分の呼吸や下腹部の前で重ねた両手の間に意識をもっていって、視線を90センチほど先に落としてとにかく、座り続ける。そしていまここにいない人のことは考えない。いまここにないものごとについても考えない。過去も未来も考えない。今この瞬間の座っている自分にだけ意識を集中する。それだけを心がける。
 そうしていると、今まであったのに意識していなかったストーブの音や風や外の物音が、いやにはっきりと鮮やかに聞こえてくる。耳に入ってはいたのに、音としてまったく認識せず、聞こえていなかった音たちだ。

 それに気付いたとき、私は自分がいかに日常生活で、ものごとを「あるがままに認識していない」かを思い知らされた。
 いつも心は不安や恐れや心配事や怒りや後悔や恥や、何かの構想や欲や願望の念で回転していて、見ていても見ず、聞いていても聞こえず、さわっていてもさわっていないのだ。

 ACは、特に過去のトラウマへのとらわれと未来への恐れで、「現在がない」「自分がない」人種なので、ことに生き方に支障を来すほど、「あるがまま」からかけ離れている。

 あるがままに見るというのは、当たり前のことが当たり前に認識できるということだ。だから、当たり前のことを当たり前として認識できないのがACなのだ。当たり前のことを当たり前に認識している普通の人たちの中で、トラウマによる認知障害のあるACは、生きづらさを感じて社会不適応を起こしてしまう。

 なによりも痛ましいのは、自分をあるがままに見るということと、自分を痛めつけることの区別がつかないACの人が多いことだ。肉体的精神的に虐待されて育ったので、「生きること=痛めつけられること」と体が覚えている。やることなすことすべて「自分で自分を虐待する行為」になってしまう。

「あるがまま」とは良いところも悪いところも、病的なところも健康なところも同時に認識するということであって「まず自罰と自己虐待ありき」では、とても自己の振り返りなどできるわけがない。

 あるがままに見る訓練をすれば、恐れていたことも恐れるほどのことはなかったとわかってくるし、心配事のほとんどもトラウマからくる妄想だと納得できるようになる。
 私もそうなったが、ACはトラウマによる一種の認知障害を持っていると思ったほうがよい。
 五感のレベルでも、トラウマからくるひっきりなしの妄想で頭は常に多忙で、現実に起こっている現象に適切に対処することが困難になる。

 あるがままの自分、あるがままの世界、あるがままの人間関係・・・その認識こそ、真の自由と個性と主体性に不可欠のものだ。



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# by ecdysis | 2017-03-23 01:20 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

座禅をはじめて気づいたこと

 春の彼岸を迎えているが、私は今月から、「修証義(しゅしょうぎ)」とともに、さる高名な曹洞宗の禅師が昭和13年(1938年)に出された書籍の復刻版を読んでいる。そこに座禅の仕方が親切に書いてあったこともあり、自分で座禅の真似事を初めている。アルコール依存の自助団体の回復プログラムにも、瞑想と祈りが依存症からの回復に不可欠であると書かれていることを気にし続けてきたが、瞑想の仕方を教わる機会がなかったので、思い切って独習をはじめた。 

 本当は、近所の禅寺の座禅会にでも行けばよいのだろうけれど、そこまで時間と労力を費やせない。また、本に書いてある座禅の仕方が初心者でもすぐにできるような詳細で懇切な手引書なので、自分でもできそうに思えたから、やってみることにした。禅師の書かれた文章には「座禅を好きになることが肝要」とあり、その勧めの言葉に心が動かされた。

 座禅の結果、何が起こったかは、ここですべてを書くことはとてもできないが、予想しない良い内面の変化があったことは確かだ。仕事や日常生活で起こるいらいらや、人を責めたり他人のささいな言動を苦にして気に病む頻度が減ってきた。
 座禅中は静かな気持ちになれる。いやな記憶がよみがえるとか、別の自分が爆発するとか、そういうことはまったくない。いろんな感情が渦巻き反応している日常生活の雑念や精神的な騒音が消えるか、かなり低いレベルに下がる。自分がひとりで静かに座っているだけという事実を淡々と感じて受け入れるだけだ。いわば、いつも他人や物事や過去の記憶にとらわれ支配されひとときも休まない心が休止モードに入る感じだ。たかだか10分から20分程度の座禅でも、欲や恐れや不安や快苦の感情に、高速で回りっぱなしの心のモーターが静かな低速回転になっていくようだ。

 ACとしての自己の認識にもこれまでより深いレベルでの視座が生まれつつあるのを感じる。

 そのひとつが「アディクションは、本人が言葉にしたくてもできなかったことや、言葉にすることを恐れている感情の表現手段のひとつである」ということだ。家庭での悲惨な体験の記憶にともない、怒り、恐怖、不安、パニック、絶望、だれか助けてと叫びたかった強迫的な感情など、自分でも忘れているインナーチャイルドの感情を、いわばアディクションで狂っている自分の姿を通して、だれかに伝えたいしわかってほしいというメッセージを発しているのだ。

 健康な家庭では、ネガティブでもポジティブでも自分が感じた感情を、家族に話して共感や受容を与えてもらえる。しかし、AC家庭では、そんなことはまずありえない、当たり前のことを願っても虐待され拒絶され圧殺される。不当ででたらめなことを嫌だと思っても強制され従わせられ強迫される。

 私もそうだが、「こんなのいやだ」「あんたらまちがってる」「こわすぎる」「みじめすぎる」「痛い苦しいこわい」「やめてやめてやめて」「ふざけるな」「おまえなんか父親じゃない」などなど、自分でも忘れているトラウマ原体験のときに感じた感情のすべてが自分の中にそっくり残っている。忘れていることと消え去ることはまったく別のものである。忘れていてもあるものはあるのだ。

 どんなに押し込めてもあるものはある。そして、あるからには外へ出ようとするし、表現への欲求が生じる。だれかに伝えずにはいられず、だれかにわかってもらいたいと欲せずにはいられない。それがインナーチャイルドの本心であり、本音なのだ。だからこそ、医者やカウンセラーや自助団体などで、自分の過去にあったことや過去に感じた感情を話したり書いたりして表現することが必要なのだ。ACの回復には「自分の過去現在の心と感情を表現すること」は不可欠の最重要項目といってもいい。飽きるまで表現していくことで変わっていける。

 そして、もうひとつ気づいたのは、アディクションは原家族の中に蔓延し習慣化していた不条理や過ちや罪悪や非常識さの象徴行為ということだ。私のようにアルコール依存と人格障害の大人たちの狂った感情を、日常的に生活の一部にしてきた子供は、大人になってもその「狂気」「異常性」を、無自覚のうちに生活の一部にし続ける。いわば、親や家族からの負の遺産というか負の目に見えない家財道具を持ち運びして生きるようなものだ。

 だから、健康な人たちからは、狂っていたり異常であると思われるような事柄でも、AC本人にとっては、それが「原家族では当たり前だった習慣であり生活の一部だった」ために、本人には本当には自覚できないし、それのない生活も想像ができない。直せといわれても病気だと指摘されても、自分では「あたりまえのこと」「それのない日常など考えたこともない」ので否認や無視をするしかない。飲めば泥酔が当たり前の家庭で育った私が、酒を飲むということはイコール泥酔することだと信じて疑わなかったのもその一例だ。

 そして、それが問題だと気づいても、当たり前の習慣となっていたことを苦痛なしに手放すのはきわめて困難だ、
 良くない習慣や狂気じみた言動でも、いざ手放してやめたときに襲ってくる孤独感や惨めさや寂しさは耐えがたい。やめたときのよるべなさや抑うつには、筆舌に尽くしがたいものがある。

 それらの問題を「よごれたもの」とすれば、それらから開放された生活は「清らかなもの」といえるだろう。
 汚れたものがあって当たり前だった生活から、よごれたもののない清らかな生活に移るのは、AC本人にとってはそう簡単なことではない。きれいな部屋の方が気持ちいいはずだと普通は思う。しかし、ゴミだらけで掃除などろくにしない部屋で育ってそれが当たり前だと信じて大人になった人は、ゴミを片付けてしまったら非常に居心地の悪い寒々とした感覚になってしまうだろう。

 少なくとも、清らかなものよりも、よごれたものの方に親しみを感じ、あって当たり前と思ってきた。だから、清らかなものは、それの価値を頭では理解するけれど、慣れた感覚がついていけない。よごれたものがないと寂しいし物足りないし、あるべきものがない感じがして、強い違和感や居心地の悪ささえ感じるのだ。

 だからこそ、瞑想などを通じて、よごれたもののない精神状態を感じることを習慣づけて、清らかな健康な生活に慣れていくことが必要だと思えてならない。



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# by ecdysis | 2017-03-22 02:05 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

封じられた叫びの子3(小学校3年生編2)~虐待によって男性性が傷つけられた結果~

 小学校一年時の母からの虐待直後と同様、性的な妄想と行動が、小学校三年生時も発生した。やはり、ここにも「去勢のストーリーが成立する」現象が起こったとわかる。

 こうして見ていくと、虐待後に性的な行動が起こったということは、傷つけられ去勢された男性性を、取り戻そうとする補償行為を無意識的にとったのだと思う。

 平たくいえば、虐待で打ちのめされて生じた男性としての深刻な無力感をなんとかしたかった。男としての有力感を得るために、不自然なほど性的な妄想や自慰行為を行ったということになる。

 二度の親の暴力により、自分が男であることに無力感や絶望感や敗北感をもつようになったことを、今になってはっきり自覚する。

 初めての性的自慰行為の引き金になった「ひとり怪獣ごっこ」の想定自体が、自分が巨大な怪獣になって町を破壊するという、「破壊行為を通じて有力感を得る」ための遊びだった。私は幸いにして家庭内暴力をふるうことはなかったが、この「他者への破壊行為を通じた有力感の獲得」という心理は、親や配偶者や子供へのドメスティック・バイオレンスの根源にあるものだと実感されてならない。

 いずれにせよ、虐待によって傷つけられた男性性は、肉体的な性機能ではなく、心理的な能動性や対社会性な積極性などの精神機能の不全感として、これまで現れてきたとわかる。それは、健康な意味での闘争心や競争心まで忌避する「男性的行動の回避」を起こし、ふつうの少年たちが夢中になる野球やサッカーやそのほかスポーツが苦手になるという現象も引き起こしたのだろうと思う。

 このような「虐待による去勢=男性性の毀損」は、大人になったときには「生活力」すなわち「生活のために収入を得る能力」をも毀損し、夫らしくとか父親らしくという現実的な要求に対し、不安や恐怖を覚えて萎縮や逃避に走ってしまうことにもなった。

 つまり、私が結婚に希望と期待を強くもちながら、いざ実現しようとすると原因不明の恐怖に襲われてしりごみしてしまった理由の一つがここにある。

 すなわち「去勢された男性性をとりもどしたい」という有力感への渇望がまずあって、その手段として「夫や父になって男性性をとりもどす」という願望をもった。

 しかし、現実に健全な結婚のできる男は「健康な男性性を持っている」ことが前提である。結婚生活は、夫・父たる男の未熟な男性性を育てるための場ではないし、生い立ちで傷ついたそれが癒されるための場でもない。また、自分の男性性が健康になったことを証明し確認するための場でもない。

 結婚願望の真意としては健康な男性性を取り戻したいということだったが、そんな自分の願望の本質がこれまでわからなかった。ただ、なんとなく恋愛して結婚すれば自分が一人前の男であることが証明できるとしか思えなかった。

 しかし、去勢された男性性を取り戻したいというのが、願望の正体だとわかった以上、その願望を満たす手段として恋愛や結婚を想定することは、今となっては大きなあやまりであったとわかる。

 だいいち、恋愛や結婚が一人前の男性・女性であることを、必ずしも証明しないことぐらいは、私でもわかるようになった。もし、心身ともに健康な成熟した性を持つものどうしだけが結婚できているとしたら、これほど多くの離婚件数、アダルトチャイルドの誕生はなかったはずである。

 たとえ健全な結婚をした男女がいて家庭を営んでいても、彼らもまた夫や妻になっていく過程や、子育てを通じて親になっていく過程の試行錯誤で手いっぱいのはずである。その上、自分の生い立ちのトラウマがあったとしても、そこまで癒して補うことは困難だろう。

 独身の私がいうのもなんだが、自覚無自覚を問わず、ACでありながら結婚して子育てをする男女は、健全な家庭で育った男女の結婚よりも、著しく大変だろうと思う。つぎ込む労力も痛苦も試行錯誤の度合いも大きく、その上、背負わなければならないものが過重であろうと嘆息する。

 私は、結果的にこの男性性の不全感が原因で婚姻に至らなかったのだとわかったが、わかったからといってただちに男性性が健全になるというものではもちろんない。

 事実、今こうして「男性としての無力感」と書いただけで、息苦しさやめまいのような感覚が起こるのがわかる。「無力である」という事実が問題なのではなく、「無力感を覚えて何もできない男と思いこむ」のが問題なのだ。

 もともと臆病で恐れの強い子供だったのかもしれないが、そんな子がアルコール依存と人格障害と共依存で激しく荒廃した実家に育ち、親の虐待の暴力にさらされたことにより、より萎縮した怯えた子供になって男性性が表現できなくなった。そのような構図の中で病んでしまった自分の男性性を、私はどのように獲得しおおせるだろうか。

 そのための試行錯誤は、これからも続くだろう。

 それにしても、二回の虐待でもこれだけのことが私に生じた。私よりももっと激しく悲惨な虐待を繰り返し受けて生き延びた人たちは、その後の人生を、どれだけの精神的障害に苦しむことだろうか。しかも、それらは医療につながらなければ、ほとんど無自覚でただ苦しんで自他を巻き込んで悲惨さを広げることが多い。本当にその苦しみを思うだけで息づまってくる。
 虐待されて殺されてしまう子も悲惨だが、生き延びてもその後の人生を健康に生きられず、私のように、あるいはもっとひどい体験を重ね、苦しみもがき続けることになってしまう。

 同じ苦しみを持った子供として、ACとして親の虐待にさらされた人たちに、心から痛みをともなう共感を抱かずにはいられない。



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# by ecdysis | 2016-09-10 00:53 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

封じられた叫びの子2(小学校3年生編1)

 私が親から激しい虐待を受けたのは、小学校一年のときだけでなく、小学校3年のときにもあった。そのときの体験については、幾度かすでにブログ上に投稿しているが、それについて再度ふりかえろう。

 すでに書いた精神科医の虐待についての診断「去勢のストーリーが成立する」はもちろん、その後の私に生じた異変である「性的自慰行為の発現」「抜毛症」にもつながってくることに気づいたので、その経過を記しておくことにする。

 虐待そのものは、小学校3年生の夏に起こった。今から50年近く前だ。当時、私は学校の成績がずいぶんとよくなっていたが、通信簿を見せても親はほめてもくれず、ミニカーが大流行していて、学校に同級生たちが持ってきて遊んでいるのが、ものすごく羨ましかった。しかし、両親はこづかいをちょっとしかくれないのはわかっていたし、毎日10円かそこらのこづかいがやっとなのに、一台150円とか200円のミニカーを買ってくれといっても応じてくれないのはわかりきっていた。

 とにかく泣きたいほどにミニカーが欲しかった。なにがなんでも欲しかった。その欲望の強さをはっきり覚えている。
 そんなある日、当時、東京暮らしから戻って実家に寄宿していた父方の叔父の財布が、まだ田舎では珍しかった彼のベッドの上に置き忘れてあった。それを広げてみると、お札がいっぱいつまっていた。五百円札でも目の玉が飛び出る金額だったのに、千円札と一万円札がつまった財布をみて、私は「このお金があればミニカーが買える」と思ってしまった。衝動的に、四千円をぬきとった。しかし、「もっとあればもっと欲しいものが手に入る」という欲望が膨らんで、私は叔父の財布の中にあった一万円札をも抜き取った。一万円という金額はどれぐらいの価値があるのか、まったくわからなかったし、実感がなかったが、とにかく手に入れてしまえと思ったのだ。

 そして、その金で私はおもちゃ屋でミニカーを買い好きなプラモデルを買い、ブラックチョコレートやスナック菓子を買った。盗んだ金を使っていた期間は一週間ぐらいだったと記憶する。
 よくあるパターンで、近所の友人にもおもちゃやプラモデルをおごり、結局はそこから足がついた。友人の祖父が、「こんなにおもちゃを買ってもらういわれはない」と返しに来たのだ。
 当時、私には盗み癖が出たらしく、そんなに大金を盗んだのに、それとは別に親が親戚用に用意したご祝儀袋からも500円を抜き取った。そのことがばれたのも重なり、親は大慌てしたのかもしれない。

 盗みがばれてからの、父と母からの虐待のものすごさはすでに書いたのでくどくは繰り返さないが、とにかく殴る蹴るはもちろん、全身の数十カ所にたばこの火を押しつけられて火膨れだらけになり、新聞紙の束を燃え上がらせてその上で火あぶりにされたりした。
 とどめは母親から「おまえのようなものは息子でもなんでもない、どこへでもいってしまえ」と絶叫されて、手足の肉が打撲で裂けてはぜ、鉈の刃で腕の皮膚を切られて血まみれになったまま、泣きながら家から逃げた。もちろん、後から母親が追いかけてきて連れ戻してくれたし、翌日には外科に連れていかれて手足の傷の治療をしてもらったが、心についた傷は、その後の人生を左右した後遺症をともない、とてつもなく深いものだった。

 実は、そんな親の暴力を受ける前に、叔父から盗んだ金を使いはじめてから、すでに私は罰を受けていた。良心の咎めや罪悪感という罰だ。好きなものが買えても、友人に大盤振る舞いしても、心から楽しいと思えることはまったくなかった。自分は悪いことをしているという嫌な自覚と、世界がどんよりと曇っているような感覚が気持ち悪かった。晴れ晴れとした気持ちがまったく失われ、どこにいても自責の念と、いつばれるかという恐怖でおどおどし暗い気持ちで過ごしていたのだ。

 盗みは悪いことで繰り返してはならないことだったが、両親の暴力はあきらかに不当で、特に父親の方は完全に行き過ぎたものだった。父親に対する親密さや親愛の情は、あの日をもって終わり、私は情緒的に父親を失った。それは母親に対しても同じで、少なくとも甘えていい対象ではまったくなくなった。両親は私にとって人間の皮をかぶった裁きの鬼の本性を持つ生き物として認識された。根底的な人間不信がそこで強く刻まれて、人情や愛情や寛容さや慈しみを信じない心が育った。 

 虐待を受けて数日後、私は今でもはっきり覚えているが、それまでになかった凶暴な衝動に駆られた。家の前の畑に、背の高い雑草が生い茂っており、そのただ中に分け入って、竹の棒を振り回して手当たり次第に雑草をたたき折り、薙ぎ倒した。こんことをしては草が痛いだろう、かわいそうだろうという気持ちもあったが、わき出る凶暴な衝動を抑えられなかった。

 さらに一、二週間のうちに、私は今度は自分でも訳がわからない奇行に及んだ。安全カミソリで叔父のベッドや家の座布団や枕の表面を十センチくらいずつ切り裂いていったのだ。ずたずたにするのではなく、ひとつの物にひとつだけというように、ちょっとずつ切り傷をつけていった。母親が、あちこちにできた裂け目をみて不思議がっていたのを思い出す。

 それから数ヶ月後、自分の部屋で一人遊びをしている最中に異変が起こった。学校の教材や本などを使って床の上に町をつくり、自分が怪獣になってそれを壊すという破壊の遊びの直後だった。
 そのときに、まだ小学校3年だったのに、突然に性衝動が起こった。当時、クラスメートに好きな女の子がいて、授業中、偶然にその子のスカートの中が見えたことがあり、それを思い出して欲望が起こった。
 そして、その場で下半身をうつぶせにこすりつけるようにして、生まれて初めての自慰行為をした。

 それから、思春期になるまで半年に一度くらいのペースでそんなことをしていた記憶がある。もちろん、精通以前なので射精はなく快感だけだったが、いま思えばすでに好きなものや酔わせるものへのコントロールができない病的依存がはじまっていたのだとわかる。
(小学校一年生時に続き、この虐待後に、再び性的行動が起こった事実には、非常に重要な男性性にまつわる気づきがあったので、次投稿で取り上げる)

 以上のような虐待直後からまもなくの現象以外にも、それから二年後、小学校五年の春先ぐらいに、アルコール依存の祖父と同級生の友人といっしょに郷里の北上川の河川敷に行った時に体験したことが記憶に残っている。

 そのころは、今とちがって消防法が厳しくなく、河川敷に火を放って葦の原を焼くことが許可なく可能だった。
 それで祖父が自分の畑の前の河川敷の枯れた葦原を焼こうと火をつけたのだが、私はめらめらと燃え上がるその炎に、なぜか大変なことになってしまうと深刻な恐慌を覚え、同級生にも手伝わせて、燃え上がろうとする炎を必死で踏み消した。
 祖父は笑っていたが、私は自分でも驚くほどのパニッック状態に陥ってしまった。
 そのとき、必死で燃える葦を踏み消す自分の姿と、足の下の白い枯れ葦の葉と黒い灰に、私は名状しがたい既視感を覚えた。この火と恐慌には見覚えがあると感じていた。

 あとで、それは小学校三年の虐待時に、父親に火あぶりにされたときに、燃え上がる新聞紙を足で必死に踏み消した体験の再現であると気づいた。

 つまり、二年経っても父親に火あぶりにされた悲惨な体験が、生々しい記憶として留まっていたのだ。それが、祖父のつけた河川敷の葦原の炎で無意識のうちに思い出されて恐慌というフラッシュバックを起こしたのだ。

 そのフラッシュバックが起こったのと、ほぼ同時期に私は自宅で、大切にしてくれた教諭から読書感想文の課題を受けて苦しみ、その読書中に眉毛を抜いて顔をのっぺらぼうにしたことに気付き、鏡の前で恐ろしい思いをした。初めての抜毛症(トリコチロマニア)の発症だった。それから中学、高校にかけて、受験や家庭内のいざこざのストレスで抜毛症はさらに激しくなっていった。

 こうした虐待という親の暴力に踏みにじられた心理外傷のフラッシュバックが、高校二年のとき最大最悪のフラッシュバックで病的状態になる前に、もう一度あった。中学二年の終わりのことだ。
 当時、まったく自信も覚悟もないまま生徒会長になってしまった私は、仙台で全県の生徒会の生徒たちを集めた宿泊研修オリエンテーションに参加させられた。

 そのプログラムで、研修中に組まされたグループごとに寸劇をやることになった。そこで私は乞食の役を振られた。衣装や姿づくりは、即席にやればよかったが、私は模造紙や新聞紙やダンボールを使い、リーダー役のボランティアの大学生に「そこまでやらなくていい」といわれるほどボロボロの格好をした。

 自分が惨めで落ちぶれきった乞食の格好をしているのを自覚したとき、不思議な感情に支配された。自分の内側から、理由のわからない安堵と悲しみと痛みのまじった感情がわき起こり、涙が出そうになった。乞食役のボロボロで傷だらけの見捨てられた姿は、内奥の虐待された子供の姿そのものだと感じたからだ。

 私は、だれかに自分がどんなにひどい虐待を受けて、どれほど無惨に傷ついたかを伝えたかったのだ。こんなに自分は傷ついて苦しんでいる人間なのだと表現し訴えたかった。その叫びを、乞食役を演じることで、はからずも一部なりとも表現できた。それによって、予期しない機会ながらも自分の本当の姿を表し、伝え得た安堵と悲しみと不思議な涙ぐましい喜びの情動に打たれたのだ。



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# by ecdysis | 2016-09-10 00:44 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

機能不全家庭の親たちの子供を不幸にする暗黙の強迫メッセージ

 お盆休みに、毎年恒例の年に一度の墓参りに帰省した。

 78歳の父親は元気で、片足をややひきずりながら車の運転もするし買い物もする。
 母が亡くなったあと、いっしょに暮していた「おばちゃん」は昨年の11月末、弟の命日に父親に愛想をつかして出て行ったという。
「おばちゃん」もこれで3度か4度目の愛想づかしの別離だが、今度こそ、もう戻ってこないかもしれない。

 この9か月近く、ずっと一人暮らしだったのを、私にも妹にも近くの叔父にも知らせないでいたという。相変わらず理解に苦しむ行動をしている。電話も故障しており、これではいざというとき大変なので、おおあわてで年寄り向けのシンプルな安いのを買って送った。

 そして、この父親に関して、やはり共依存の病的な心配性が、私の心に恐れと苛立ちを運び、日帰りにもかかわらず、ひどく疲労した。

 すでに3年前に、父親を妹夫婦がひきとって老後の面倒を見てもいいと、叔父たちとも相談した上で決めたのに、最初は承諾したのにもかかわらず、しまいには手のひら返して「ここにいる」といいはり、以来、妹は激しく怒りあきれている。だから、どんなに父の一人暮らしが寂しいかろうと、もう「ひとりでは暮らせない。助けてくれ」と白旗をあげるまで妹は手助けしないと宣言しているし、私もそれを支持している。

 父親は、土建業の職歴を生かして土台から屋根まで独力でつくった倉庫のような住まいが気に入っているし、そこに愛着があるのだという。トイレも水道もない不便きわまる家屋で、土地も農地扱いで宅地申請もしていない。井戸も掘ったが鉄分過剰なすぐに錆びる水で飲用には適さない。飲料水は小型トラックで20分ほどの山の神社の湧水をポリタンクで何本も汲んできたり、知り合いに水道水を汲んでもらって確保している。
 そんな生活を10年近くも続けている。

 私や妹や叔父夫婦や役所の福祉課のワーカーやヘルパーのひとたちなど、まわりの心配や危惧をよそに本人はいたって気に入った風なのだ。

 どうも私の父親は、若い頃からのエピソードをつなげてみても発達障害があるようで、人と暮らしたりいろんな義務を課せられるのがきわめて苦手のようだ。ふつうの人間なら我慢がならない不便さも気にならず、逆にふつうの人がふつうに求める快適さや適度の社交や楽しみやいろどりや精神的豊かさという、いわば生活上の良識に属することを避けて抵抗する傾向が強いと、改めて気づいた。

 自分のつくった場所で思った通りの農作業や簡単な土建作業などをおこない、自給自足にいそしみ、願った通りに生きられれば、ひとりでも平気という結論になる。むしろ、ふつうの人たちが求めるいい家やいい車や衣服や、社交上の儀礼や装飾などや、生活上の便利さやうるおいやいろどりを与えるようなものは、いっさい無用のわずらわしいものとしか感じられないようだ。

 だから、私の母もふくめて、ふつうに生活上の便利さやうるおいやいろどりを求める女性と結婚して暮らすのは、そもそも無理な男だったのだと、やっとわかった。彼にとって女性たちの化粧も衣装も女性らしい買い物の数々も、ムダで余分なカネのかかる理解に苦しむ行動だろう。衣食住すべてに対してそうなのだ。

 こうした父親のありようを見て、いらだちを感じる自分をふりかえって、私は今日、大きな気づきを得た。

 それは、私が強迫的に父親のことを心配するのは、母との共依存がスライドしているということだ。この尻尾をすっかり切らないと精神の安定に問題が生じる。

 その共依存の核心がわかったような気がするのだ。何が核心かというと、その強迫観念の持つ暗黙のメッセージを言葉にすると「親を一番に大事にしないおまえは息子ではない」というものだ。
 ここで、大事なのは「だれよりも親を大事にしなければならない」というところだ。これを親側からいえば「私をだれよりも一番、大事にしなさい」ということになる。この暗黙のメッセージに従うことに強迫的になっていた私は、思春期以降どうなったか。
 恋人や結婚したい人が現れても、親に何かあれば親の方に心がいってしまい、自分にとって本当に大事にしなければならない人やものごとがおろそかになってしまう。そんな今思えば由々しい弊害があったのだ。
 これでは、たとえ結婚して子供ができても、自分の家族よりも実親にとらわれて、自分たちはちっとも幸せになれないということになったにちがいない。

 自分の幸せを求めるエネルギーよりも、親の幸せを求めさせられるエネルギーの方が強かった。
 子供自身である自分の幸せよりも、「親の幸福」を優先するのが「よいこ」であると強迫的に信じ込まされてきた。また、そう思わずにはいられないほど、親たちの「だれかわたしを幸福にしてくれ、安楽にしてくれ」という「悲鳴」がひどかったということにもなる。
 思えば、父方の祖父も祖母も父も母も、言葉にならない次元で「わたしだけを一番大事にしろ。わたしだけは幸せになるようにしろ」というエゴ丸出しのメッセージを日夜わめき続けていたのだ。

 私はその毒電波のような原家族メッセージに支配され従わされてきた結果、こんな年になり、もはや家庭を持つことなど考えられないようになった。

「子供の幸せが自分の幸せ」という、健康な親の幸福観とは、なんとかけはなれた機能不全家庭のありようよ。

 本当は「自分らしい自分の幸せ」が、「親の幸せ」であり、本当の「親孝行」なのだと想う。親のエゴに支配され犠牲になるのは、むしろ親不孝である。親が自分のエゴで子供を犠牲にしたら、それは親の親、さらにはその親世代に対しても親不孝、いな先祖不孝となる。

 自分たちの病んだ親たちだけでなく、父方・母方とみていけば、祖先には健康でまともな機能正常な親たちもいたはずだ。
 その健康な祖先たちに対しても不孝となる。

 お盆の墓参りをしたせいか、そんな風に感じられてならない。

 


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# by ecdysis | 2016-08-20 02:27 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

封じられた叫びの子(小学1年編)

 インターネットで「言葉で表現できないことによって体が病気になる」という記事があった。要するに、心身症や無感情言語障害の理由の説明のような記事だが、これはACやアディクションの重要な一因をも示している。

 人は子供の頃に、健康な感情表現を言葉でも表情でも行動によっても行うことが必要だ。それは、喜怒哀楽だけでなく好き嫌いや受け入れる受け入れない、許す許さないの表現をも含む。それによって、自分が安全であること、守られていることに安心し、親たち保護者にケアしてもらいたいということを主張し、認めてもらうことで「この家は自分の居場所だ」と安心を感じることができるのだ。そうしてこそ、初めて健康な子供時代を過ごすことができる。

 しかし、私のようなACは、親や家族に対し、子供として表現すべき、ごくふつうで当たり前の感情や欲求さえ、表すことはおろか感じることさえ許されない環境に置かれて育った。

 怒りや悲しみや不平や不満、あれがほしい、これはいやだ、好きだ、嫌いだ、こうしてほしい、それはしないでほしい・・・などなど、なんと多くの人間に当然あるべき感情を封殺されて生きてしまったことか。

 その封殺の仕方も、多くは虐待やネグレクトや脅迫など、理不尽さと暴力をともなう著しく不当な手段によるものだった。
 しかし、それらが理不尽で不当だといえるのは今や大人になったからであって、子供の時分にはそういう批判心を持つことなどできなしなかった。

 しかし、理性や批判心は乏しくとも、子供には子供の良心があり、人間らしく扱ってほしいという願いがある。言葉にすることはできなくとも、親に愛されたい守ってほしい、甘えたいという感情は確かに存在していたし、それは決して消滅しない子供の心そのものとして今も存在し続けているのだ。

 その表現されなかった子供の心の中で、私の内なる子供は二つの「叫び」を特に強く持っている。そのひとつは、非常な虐待を受けたトラウマを持つ子供の叫びで「だれか助けて」というきわめて切迫した恐怖と強迫のパニックにおちいっている。 もうひとつは「いやだ、やりたくない、やめてくれ、こんなのいやだ」という拒否・拒絶の叫びだ。

 この二つが表現すべきときに表せずに封殺されたため、私がまず発症したのが歪んだ性の妄想と自慰行為と自傷行為だった。
 小学校一年のときに母親から虐待を受けたあと、私は絶望に陥り、学校や外で起こったことや、自分の欲求を母親にまったく伝えない子供になった。母親に助けを求めることも甘えることも全くしなくなった。

 それ以降、悪くない乳歯を自分で口じゅう血まみれにしながら抜歯したり、尿意をむやみと我慢して激痛をともなう血尿がでるまでやめなかったり、奇妙で痛ましい行動が増えた。たぶん、母親も私が変だというのは、ある程度はわかっていたと思うが、それが自分の虐待のせいだとはわからなかっただろう。

 その当時、私は夜、布団にもぐって寝る前に、誰か女神のような女性が現れて、自分に限りなく優しくしてくれる妄想を抱くようになっていた。私は、その空想上の優しい女性の慈悲深いイメージに毎晩のように逃避することで心が壊れることを防いでいたのだと思う。

 そんなある日の晩、私の空想にそれまでになかった淫猥なイメージが初めて現れて驚いた。突然、こんな妄念が起こってぎょっとした。それは、小学校一年生の同級生の色白の女の子が好きだったのだが、その子を土管の陰に連れ込んで下着を脱がして性的な悪さを加えるというものだった。

 自分でも予期しなかった生まれて初めてのよこしまな妄想に、私は魅入られたようになった。こんな妄想は、いけないことだと思ったが、後ろ暗い快感があって、こんな空想はもうすまいとは思わなかった。

 もちろん、その妄想が実行に移されることはありえなかった。第一、その子と二人きりになるどころか、現実には教室の中で口をきくことさえできなかったのだから。

 そんなねじくれたゆがんだ欲望があの晩、突如として現れた理由が、これまでわからなかった。しかし、母からの虐待というファクターを通して、初めて見えてきたことがある。

 その陰湿な性的加虐の妄想の源を求めていくと、私の被虐待児童の「圧殺された叫び」が見えてくる。私は自分の生存を委ねる母から、暴力によるによる拒絶と敵意と絶望を与えられ、この世界で助けを求めるべき大人を失った。

 当時、父と母はひどい祖父母のいる家からよその町に引っ越し、私と妹をつれて親子四人の生活をしていた。しかし、父親は東京へ出稼ぎにいっていて不在で、実際は母子三人の母子家庭のような状態だった。

 そんな密室性の高いなかで起こった虐待劇だったので、私には救いというものが全くなかった。母からは日常的に体罰・折檻を受けていたし、妹が幼かったこともあり、とにかく「手のかからない完璧ないい子」であることを要求され強制された。当時、空想に逃げテレビアニメや特撮ものに逃げ、虫や動物など好奇心の対象に夢中になる時間がなければ、とうてい生きてはいけなかった。

 今、やっとわかるのは、私は本当は母に助けて欲しかったのだ。彼女以外に私を助けてくれる人は、当時のあの環境では誰もいなかった。
 それなのに、私は世界で唯一の依存しきっていた存在から暴力をともなう拒絶を受け、全くの孤立無援となってしまった。
「だれか、助けて!」と叫びたかったが、その叫びを真っ先にきいて助けてくれるはずの母なる人が、私に過酷な虐待を加えたのだから、どこにも救いはなかったのだ。

 それはあたかも、犯罪から市民を守るはずの警察官から不当な暴力行為を受け、だれにも助けを求めることができなくなるのと似ている。

 宗教的表現でいうなら、それまで「神」「ハイヤーパワー」だった母が、一夜にして「悪魔」「理不尽な力」と化した。
 そのとき、私の中で「正義」と「神」への信頼が損なわれた。神は悪魔になり、私は以後、悪魔の庇護のもとで暮らすという言葉以前のイメージにとらわれていくことになる。

 成人して、カルト宗教を盲信して以来、理由もなく自分を「サタンの息子」と卑下する感情にとらわれてきたが、それはこの小学校一年生の私の叫びが形を変えて現れたのだ。 サタンとは母のことであった。

 神が助けてくれないならば、悪魔に媚びて身を売るしかないという、最悪の妄想にとらわれてきた。

 そして、その後、さまざまな場面で「正義」ということにひどくこだわり、正しいことが通らないと我慢がならなくなる衝動性が現れたのも、悪魔になってしまった母への恨みだったのかもしれない。

 こうした「叫び」が私をアルコールと女性への依存へと導いた。「だれも助けてくれない。でも助けてほしい」という絶望的な救いを求める心が、母以外の女性である幼いクラスメートに向かったのだろう。それが、一見、変質的な妄想となったのは、単なる嗜虐心というよりは、本当は泣きじゃくってすがりつきたい気持ちが、表現のしようを失って極端に歪んだ形で現れたのだとわかる。

 さらに、助けてほしかったが、あらかじめ「よい子」の縛りのある子供である私には、それを素直に叫ぶこともできなかった。
 私は母に肉体的にも精神的にも身動きできない、逃げられない状況で虐待されたのであり、その後遺症がこの年になるまで、まだ尾をひいている。

 私のこの体験をACに詳しい医師に話したところ、「去勢のストーリーが成立する」という診断だった。
 つまり、健康な成人男性になるのに必要な精神的な男性性というか「オス」の部分が奪われたというコメントだ。

 それは、親への反抗や不従順を許さないように、あらかじめ去勢してしまったということだ。

 このようなセクシャリティに踏み込んだ問題まで起こしていたとわかれば、去勢された男子の性欲が同級生の女の子への変質的妄想に発展してもおかしくない。

 確かに、今から50年前に、千円札を持たされて夕方に買い物に出されてそれをなくしたことを責め咎められたのが虐待のきっかけだ。当時の千円は今の一万円といっていい価値をもっていたので、母親が青ざめたのはわかる。
 しかし、今でいうなら6歳や7歳の子に一万円札を預けて、細かいものを買ってくずしてこいという方が、よっぽど無茶である。それは、むしろ母が最初から無意識的にでも、私を虐待して憂さ晴らしする機会をつくったのではないかという陰湿な推測さえ可能だ。

 思春期以降に、私の内に霧のように不透明でつかみ所のない自己不信が生まれ、異性への建設的な積極性を持ちえなかった理由に、この虐待体験が影を落としている。

 小学校一年時の虐待は、まず私に根底的な男性としての自己不信を刻み、オスとして配偶者を得て現実的に家庭を営み建設してゆく力を奪ったのではないか。

 それなのに、この数年後に、今度は「代理夫」の役割を押しつけ、「早く結婚して孫の顔を見せろ」と要求するようになった。息子を去勢しておきながら、今度は繁殖しろという。なんと身勝手な母親であろうか。

 これまで、狂った姑に日常的に虐待される母がかわいそうだという感情に曇らされてきたが、こうしてみると、母が私にしたことも相当にひどい支配欲の発現とみるほかはない。去勢であれその逆であれ、どちらも母が息子を自分の思うとおりにしようとした事実に変わりはない。

 すでに死去して十年になるが、母よ、あなたはいったい私になんということをしてくれたのかと、今更ながら憤りを覚える。人格障害の姑と問題飲酒者の夫との日常に、母も病んでゆきアルコール依存に陥った気の毒さはあるが、息子に対する支配という点では強烈だったのだ。


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# by ecdysis | 2016-08-05 02:26 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

ギャンブル依存は自傷行為の一種で他のアディクションにも共通する不幸さをもつ

 ギャンブル依存とアルコール依存に理解のある友人が今日、興味深いことをいっていた。

 彼がいうには「ギャンブラーは大当たりしたときのハッピーさよりも、大負けして今月の生活費どうしようというピンチの感情を覚えることで精神が安定するんだ」

 要するに、勝って利益が出て安心するのではなく、負けて生活がピンチになるというスリルを味わうことで心が落ち着くというのだ。
 これは、これまで推測もしなかった情報で、要するにギャンブル依存は「負けてピンチになって脳内快楽物質が分泌される」ことへの依存だという。

 言い方を変えれば、その話をきいていた別の知人が指摘したように「自傷行為の一種」であり、スリルと達成感を求めて万引きを繰り返すクレプトマニアと共通する。

 いずれにせよ、「平安」から隔たったアディクションの世界だ。酔いや自傷の苦痛や闘争や共依存の世話焼きだけでなく、個人的なスリルや生活上のピンチにまで嗜癖しているというのは驚くべきことだ。

 そうしなければ生きてこられなかったという悲痛な世界であることはいうまでもない。

「平安」を「平安」として受け入れ、「安らぎ」を「安らぎ」として味わえるようにならないと回復ではないのだろう。

 ケンカや虐待やピンチや自傷のハラハラドキドキと、そのあとの虚脱、小刻みに体を震わせながら味わうつかのまの「静けさ」。

 そんな家庭環境で育ったすべての子供たち、そして私をはじめアディクションを抱えた大人たちが、みな真の平和と安心に包まれて永続しますようにと祈る。



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# by ecdysis | 2016-05-29 02:14 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com または ecdysis@excite.co.jp 


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