私の恐怖症は胎児段階からはじまっていた

 私の4歳のときの幼稚園でのいじめられ体験が、半世紀過ぎた今に至るまで、私の心を怒りと恐怖で支配し続け、その苦しみから逃避するためにアディクションを産んできたことを書いたが、その続きである。

 実は、姑である祖母が、嫁である母を虐待し過酷なモラハラ・パワハラを働くようになったきっかけは、私を出産した直後より母乳の出が悪くて人工ミルクを授乳したことからだという。もちろん、それが最初のいいがかりだったことはいうまでもない。

 では、そうなる前の1年あまりの新嫁生活では、祖母が母を大事にしてくれたのかといえばそうでもないらしい。生前の思い出話の中でいっていたが、母は私を妊娠している間じゅうも、姑のことを「恐ろしい人だ。こわい人だ」とずっと思っていたという。

 つまり、「姑への恐怖」が私の「胎教」だったことになる。人間はたいてい、恐怖を感じると心臓がどきどきしてくる。母が恐怖を感じてどきどきしていれば、胎児の私もどきどきにさらされる。だから、胎児の私は母の恐怖のどきどきをストレートに全身で感じて、非常に苦しかったのではないかと思う。

 だが、胎児はその受け身の恐怖やそれへの苦しみを表現するすべがない。胎児の私はそうだったはずで、これは感情表現を封殺された幼稚園児の私と一直線につながる。恐怖を感じても表現するすべのなかった胎児の私の情動が、恐怖を表現することが許されなかった幼稚園児の私の情動に、そのまま転嫁・反映されたとしても不思議はない。

 つまり、私の幼稚園時代の「殺されるかもしれない」という恐怖は、母の姑への恐怖を胎内で受け取って拒否できなかった胎児の私が感じた恐怖でもある。

 その証拠に、私はものごころついた頃から、今にいたるまで、自分の鼓動を聞くと恐怖感を覚える。寝るときに枕に耳を押し付けたり、水中にもぐったりすると、耳の奥に自分の心臓がどきどき鳴っているのが聞こえるが、その拍動の音にいつも恐れを感じできた。長らく、その理由がわからなかったが、母の胎内で聴いていた祖母への恐怖による心音の記憶によると考えれば説明がつく。

 この考察は、仕事上でかかわった自分の父親のような発達障害の人物へのとらわれと怒りと恐れの原因を探っている過程に生じた。恐怖するほどの相手でもないのに、自分の中の子供がひどくおびえているのがわかった。それは、私を半殺しにして火あぶりにした父親への恐怖と、発達障害の人間が見せる突発的で理不尽で予測不能な言動を連想させたからだ。

 しかし、そのインナーチャイルドの情動を言葉にしたら、「殺されるかもしれない」という被害妄想的な表現になった。

 それゆえに、これは父親からの虐待だけでなく、幼稚園時代に感じた恐怖、胎内で感じた恐怖とトリプルの恐怖の合併したものだと胸落ちした。精神を病んで、あるいは発達障害などのせいで、異常で理不尽で極端な言動をとる父や祖父母のような人間を、子供の私は恐れてきた。でも、彼らには私を殺す理由も力もないのだ。恐れる必要など、とっくになくなっていたのだ。その事実に、はっと気づいた瞬間、私の心と体がぶるぶるっと武者ぶるいのように震えた。そして、私の心のどこかから何か堅い殻のような重い塗った壁じみたものが、ばらりと外れたような気がした。

  だから、私はインナーチャイルドにいう。「ぼくは決して殺されたりしない。ぼくを殺す理由はどこにもだれにもない。もうつまらない相手から殺されるかもしれないなどと、おびえるのはやめようよ。くだらないことだから」

 そして、私の敬愛する聖人のひとり、イエス・キリストの言葉をもって、人を恐れる必要のないことをしっかりと自分の心に刻み付けよう。

「体を殺しても魂を殺せない者どもを恐れるな」(マタイによる福音書10章28節)




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# by ecdysis | 2017-05-14 02:36 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(2)

56歳の私が4歳のときのトラウマに支配されて生き続けてきたということ

理不尽でいかれた行動をとる人たちや、不正を恥じない人間たちに感じる激しい怒りの正体がわかった気がする。

 きっかけは今朝起き抜けに、私の心の奧から、小さいけれどはっきりした子供の意識の声が聞こえたことだ。
 それは、こう訴えていた。
「殺さないで、殺さないで、殺さないで」
 自分を殺さないでと、だれかに哀願している。
 いったいこの声は私の何歳頃の意識の声かと考えた。はじめは自分が胎児の頃に、もしかしたら父母が中絶しようとしたのだろうかとも思ったがどうもしっくりこない。

 とりあえず、朝の日課の神棚と仏壇へのお祈りをしたあと、朝食の準備をしている最中に、ふいに「殺さないで」という声の意味がわかった。

 それは私が幼稚園時代に、毎日、いじめっこ三人組にいじめられていたときの言葉にできなかった深奥の思いだったのだ。下駄箱の靴を隠されたり、砂場でとりかこまれて幼稚園服の背中に砂を入れられたり、頭に砂をかけられたり、帰宅の途中でとおせんぼされて帰れなかったりと、かなり悪質ないじめにあっていたので、その恐ろしさはたとえようもなかった。

 幼稚園が休みになるのが待ち遠しくて、土曜日に「さよなら、さよなら、また、あさっての朝まで」というさよならの歌を歌うたびに「また明後日にはいじめられて恐ろしい目に会うのか」と、暗鬱で泣きそうな予期不安の日々を、すでに4歳で経験していた。

 いじめっこたちにとおせんぼされる前に帰宅したいので、さよならの歌が早く終わらないかと毎日焦っていた。
 焦るあまり、歌っているまわりの園児たちの間をぬけがけして帰ろうとしたが、先生に見つけられてしまったことがある。引き戻されてみんなの前で叱られて、目の前が真っ暗になった。その時のだれもわかってくれないという絶望と、暗澹たる気持ちはたとえようがなかった。

 当時、いじめられっこに毎日やられて死ぬほど怖い思いをしているということを、私は父にも母にも相談したり告白した記憶がない。ただ、精神に異常をきたしていながらも、祖母だけが私から話をききだして、いじめっこの親に抗議してくれたような記憶はある。

 幼稚園でいじめられている最中に、真昼に祖母の友人のやはり変人の近所のおばあさんが通りかかったときも、あまりに頼りなくて助けを求める気にならなかった。それでも、とりあえずいじめっこたちをたしなめてはくれたように記憶する。
 私はもう四歳にして、自分が死ぬほどこわくてどうしようもないときでも、だれも助けてはくれないと信じていた。父にも母にも助けを求めるなど考えもしなかった。助けを求めても父母は父母で忙しく、相手にしてもらえないか、あるいは自分の本心を表に出してはいけないと教わってしまったのかもしれない。

 とにかく「ばあちゃんを怒らせるようなことはいっさい表現するな」としつけられたので、それは家庭でも幼稚園でもどこでも適用されると信じた。時と場合によって使い分けたり例外をもうけるなどという発想はもちろん無い。闇雲に母の言いつけを万事に適用する以外になかった。

 だから、4歳の私は、園児から何かされても、怒りは禁じられており、ましてや反抗や抵抗もできず、自縄自縛に陥った。それをいいことにいじめっこたちが、格好の標的に選んだと考えれば理解できる。そして、いくらいじめても無抵抗なままなので、いじめが短時日でエスカレートしたのも容易に推察がつく。それは、私がいじめっこたちに殺されると本気で恐怖するほどの強迫的なものだった。

 すでに私は56歳だから、半世紀以上前の幼時のトラウマが、いまだに大きく感情生活に影響を与えていることが、今回の考察によってやっとわかった。
 これこそが、私の制御困難な憤怒のとらわれの本源だったのだ。


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# by ecdysis | 2017-05-07 02:54 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

祖母についての棚卸し2(白い自傷行為と盗まれた母の愛)

 私の父方の祖母がどれほど気が狂っていたか、詳しく書けば相当な分量になるのでこの程度しか書けないが、1985年2月に、隣家の井戸に入って自殺するまで、祖母はずっと狂ったままだったし、いま思えば統合失調症も併発していたのではないかと思える。

 とにかく、50年ほど前の段階で、祖母は地元の精神病院に二回入院している。田舎でまだ精神科が珍しく脳病院や気○○い病院などと呼ばれて、入院は村落共同体からの落伍者とみなされ、噂になり指をさされる対象だった。
 そんな背景で当時二回入院して、二回とも同室の患者と喧嘩して強制退院を食らっている。つまり、病院でも手に余るほど重症だったと今はわかる。

 そんな祖母とともに祖父はアルコール中毒で、祖母とはちがった形で嫁である母にハラスメントを働いていた。私の父も、酔って暴れて祖父母を傷つけたが、妻を虐待する自分の親に、そんな形で復讐するしかなかったのだろう。発達障害である父にはそれ以外に方法がなかったのは想像に難くない。

 子供であり孫である私も、当然巻き込まれて生きた。大人の狂気と暴力の戦場で塹壕に身を隠す難民の子のようだった。
 とにかく祖母の機嫌をそこねないこと、怒らせないことが実家で生きる第一条件だった。そのため、私は感情的にふるまうことを幼時から自分で封じざるをえなかった。

 たとえば私が幼稚園時代に、祖母のご機嫌をとろうと、怒っている彼女に、彼女がファンだった三波春夫さんがテレビに出ているのを「ほら、ばあちゃん、三波春夫だよ」とさそって「それがどうした!」とむげにされてショックだった記憶がはっきり残っている。すでにこのとき、どちらが祖母でどちらが孫かわからない逆転状態になっている。
 
 こうした家族関係の中では、私は極限まで自分の感情を抑制せねばならなかった。学校では幸いに成績がよくて先生たちにかわいがられてありがたかったが、家では最悪な日々だった。

 自分の怒りは大敵だった。祖父と祖母と父が、そして後には母自身も加わり、大人たちが憤怒を爆発させるなか、だれかが冷静でなければならなかった。祖母を刺激しないためにも、私だけは怒ってはならなかった。言葉にはならなかったが、自分の感情爆発が、祖母の逆鱗に触れて母をよりいっそう苦しめる結果を誘発することだけは避けねばならなかった。

 つまり祖母は、母を人質にとって孫の私を支配しコントロールしていたのであり、その意味で卑怯卑劣であった。大人になってから、卑劣な行為を働く人間に冷酷なまでに厳しい制裁感情が働き、殺意に近い攻撃的な怒りがこみあげるのは、この頃の虐げられたインナーチャイルドの心が生きているからだ。

 私の実家の家族関係の力学(力動)の中で唯一のシラフの求心点であることを、私は無意識のうちに選んでいたのだ。ACの特徴である「自分をその場になくてはならない人にする」という傾向がすでに学童期からあったのだ。

 最近わかったのは、その家族の力動の中で、私が怒りを爆発させないためにとった発散行動がマスターベーションだったということだ。高校以降かなりの頻度でおこなってきた。高校と大学時代には一日に朝晩一~二回ずつおこなっていた。

 もちろん、そんな私でも、怒りを全く出さなかったわけではない。小学校四年のときには、祖母の名前を黒マジックで書いた木札を、夕方の物陰で五寸釘で棒杭に打ち付けて呪うまねをしたこともあるし、高校三年のときには、祖母と言い合いになって突き飛ばしたり、喧嘩して追いかけられて手の甲を引っかかれたりした。今でも、その傷跡が左手に残っている。祖母が母や私や妹にふるう暴力には、肥った体に似合わぬ素早さで、爪で深く引っかき血を流させるという野獣じみたやり方が普通だったのを思い出す。

 そのような激しいエピソードがたまにある位で、あとは自分で怒りと憎しみを抑圧する方が圧倒的に多かった。
 だから、私にとって怒りのコントロールは、マスターベーションによる自発的去勢に依存してきたといえる。

 それがよくない習慣であることはわかっていたから、社会人になってからそれこそ何十回と禁欲の試みをしてきた。私が女性との直接的な性依存にならなかったのは、この若いときからの禁欲指向があったためだろう。

 だが、この四十年間、すっかりやめたいと思いながら、願った通りにはやまなかった。数日から十日間程度がまんできることも多かったし、一ヶ月以上禁欲できたときも数回あった。だが、逆に頻度が増したこともあった。七~八年ほど前には、仕事上のストレスがひどくて回数が増え、初めて精液に血がまじる血精子症になったほどだ。そこまでひどくなったのはその一回だけだったが、私にそこまでのストレスを与えた女性上司というのが、顔も体型も性格も私の祖母そっくりの人物で毎日がトラウマとの戦いといってよかった。

 ストレス過多時のマスターベーションによる去勢衝動は非常に激しく、抵抗できないところはアディクションといってよい。

 しかし、これは性依存ではないと気づいた。性依存の自助団体にも行ってみたが、自分の依存のあり方とずいぶん違っていることがわかっただけだった。
 しかし、いまこうしてまともに人目にさらしてもよいと覚悟して告白してやっとわかった。
 これは、性への依存ではなく、性的な表現をとった自傷行為への依存なのだと。あたかもストレスによって手首や腕や脚や首をリストカットするように、私は血を流す替わりに精液を流して、自分の精力を去勢してきたのだと。あるいは摂食障害の
人が食べて吐く行為に依存するように、私も精液を溜めて吐き出す行為に依存してきたともいえるだろう。
 従来のリストカットを赤いそれとすれば、私のは、あまり上品なたとえではないが、白いリストカット、または白い自傷行為といえそうだ。

 そして、私はついに19歳のとき祖母に憎悪と殺意を抱いた理由の本源に気づいた。
 私の中のインナーチャイルドの怨恨(ルサンチマン)は、「母の愛を横取りされた怨み」だったのだ。
 先に書いたように、祖母は幼稚園児の私よりも幼児化していた。
 そんな祖母にふりまわされ支配され、妨害と圧迫を受け続け、私も妹も母に甘えることができなかった。
 母が本来、子供にかけるべき関心も配慮も、大半が祖母に持っていかれ、私たちは母が意図せずしてネグレlクトの状態に置かれた。孫が当然与えられるべき精神的な母乳を、祖母に横取りされ愛情の飢餓状態にさらされたのである。情緒的な栄養失調である。

 子供が親からもらうのは、肉体的な母乳だけではない。はぐくみ見守る愛情とこまやか配慮と受け止めと対話など、子供を肯定する言動や態度という精神的なミルクも不可欠なのだ。

 肉体的に飢餓状態の続いた幼児だった人は、成長してもさまざまな身体や脳の障害や不全という後遺症が残る。
 私は、精神的な意味でそれだった。母親の愛情と関心という栄養を祖母に盗まれ続けて、精神的・情緒的な後遺症が残った。それが思春期に熾烈な憎悪や殺意や復讐心になっても不思議はない。

 それが、私のアダルトチャイルドという状態であり、アルコールなどのアディクションということなのだ。

 もちろん、盗まれた母の愛は、もはや取り戻すことはまったく不可能だ。
 それを、祈りと瞑想によって、より大きな人間を超える存在に願って得られるだろうことを、私は信じている。

 自分に正直に、忍耐強く、あきらめずにいれば、回復の機会が与えられるときが必ず来る。そう信じていれば、時間はかかっても必ずよくなる。私はそう信じている。これまで、そのただひとつの「やめたいという意志を持ち続けていれば、何年かかっても止められるタイミングが必ず与えられる」という信念で、私はこの30年あまりで「タバコ」「酒」「占い」「抜毛」の依存をやめてきた。

 そのプロセスで、母の愛に飢えて育った私の心の奥底に、いつしか育っていたひとつの言葉がある。

「世界は愛に満ちている。まだそれに気づいていないだけだ」と。

 この言葉を、いつ本当のことだと実感できるようになれるか、私にはわからない。
 だが、そうなりたいと願うことをやめなければ、いつかはそうなれると信じよう。


 
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# by ecdysis | 2017-04-29 02:22 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

祖母についての棚卸し1

 仕事をしていて、密接な関係にある相手が、理不尽で非常識かつ横柄で押し付けるタイプだと、憤怒がわいて許せない気持ちになる。とらわれて相手を徹底的にたたきつぶして排除したい欲望にかられる。決して許さないという裁きの鬼になってしまう。文字通り鬼のような怒りにとりつかれ、夜寝ても明け方に早朝覚醒する。気づいたときには心臓バクバクで汗をかいて怒りとともに目覚めることになる。非常に不愉快な感情が猛り立ち、怒りと不安と粗暴な感情をしずめることが難しくなる。その原因が、19歳のときに許したはずの祖母への感情にあるとわかってきた。

 ほかにも、依存症やAC性で心を病んでいる人たちの理不尽で悪意と粗暴さのある言動にさらされると、非常にとらわれ怒りが生じてストレスがひどくなる。せっかく座禅しながら禁欲して性的自慰行為をやめる努力をしても、そのとらわれのために座禅をする前に破れる。この怒りとマスターベーションについては重大な関係があるけれど、それは後述したい。
 とにかく精神的・人格的に障害があって予測不能かつ非常識な悪意ある反応をする相手には恐れと怒りがまず起こる。これは、幼年期から思春期まで、重度の人格障害者だった祖母から、日常的に受けていた粗暴で悪質な言動への感情と同じだと気づいた。

 祖母そのものをすでに十九歳のときに許しているが、それまでにインナーチャイルドが受けた精神的虐待への恨みと怒りと復讐の叫びまで消えたわけではない。
 幼少期の私にとっては唯一の守り手で正しさの規範だった母を虐待し、私や妹にも毎日のように苦痛を味わわせた祖母への恨みは消えていない。子供だった当時の反応の仕方と抑圧された感情を振り返る必要がある。

 とにかく祖母は異常だった。すでに四十歳台からブルドッグのように肥っていて風呂に入らないので不潔でもあった。顔もふとっていて怒れるブルドッグのようだった。祖母の実家は古い家柄だったが貧しくて、彼女は尋常小学校3年までしか学校に通えなかったというし、実際にカタカナしか書けない読み書き不自由な人だった。

 しかし病気とは認識できなかった。ふつうではないが、ひどく極端な性格の欠点がある人というのが、私の祖母への見方だった。むろん、現在は人格障害など名前をつけられ、あきらかに心の病気なのだが、当時はそういう病名さえなかった。
 とにかく苦痛ないやな悪意の固まりの暴君というのが基本的な認識だった。母へのいじめ虐待は、まさに重度の嫁いびりというには犯罪的なまでの悪質さだったし、子供心に祖母は母をゆえなく激しく憎悪していることは認識していた。

 一例をあげれば、私が10歳ごろに、祖母が祖父の寝間着の内側に何か乾いた粘液のようなものがついていると訴え、明るい日の下で家族じゅうに見せつけた。そして、母が祖父とみだらなことをしたのだと、祖父と母を責めた。もちろん事実無根で、祖母が家族のあれこれをでっちあげ、怒号して責め立てるのが日常だったから、だれも本気にしなかった。
 あとできいたら、その粘液状のものは祖母が自分の鼻汁をなすりつけたものだという。母がその現場を偶然みかけていたので判明した。

 また、祖母は家族が自分の悪口をいっているという妄想をいつも持っていた。そのため家族の団欒や家庭の安息などまったくなかった。たとえば、父母と私たち兄妹の四人で居間にいてテレビをみながら雑談していると、祖母がこっそり障子の陰に立っていて、いきなりガラリとあけて鬼のような顔をして「おまえら、いま私の悪口をいっていただろうと!」怒り狂うことたびたびに及んだ。

 また、祖母が猫なで声で寄ってきて、お小遣いや食べ物を、私や妹にくれるときには、「これやるから、とうちゃんかあちゃんが、何か私のことをいってなかったか」と誘導することも何回かあった。

 祖母は、とにかくあの手この手で母を虐待するネタを見つけることに執念を燃やしていたようだ。

 母も私たちも、いつも家の中では祖母の視線や息づかいや奥の座敷にいるかどうかを気にしてびくびくしていた。文字通りの腫れ物にさわるような扱いだった。
 なにしろ、朝から晩までぶつぶつと、あるいは罵り声で、ほかの家族にはわからない理由で怒りと憎しみを母や家族にぶつけてくるのが毎日だった。おもに母が標的にされて罵倒と故ない憎悪の対象となった。それは祖母が同席するかぎり、居間でも台所でも座敷でも庭でも畑でもどこでも場所を選ばずに起きていた。

 また、母に言いがかりをつけて暴力をふるったり、唾を吐きかけたりもした。幼い妹をおんぶした母を台所の床に仰向けに押し倒し、その上にのしかかって、つぶされかけた妹が悲鳴をあげて泣いたことがある。妹はそのときのことも覚えていて、ほかにもひどい目にあわされたので、祖母にはいまだに恨みをもっているが当然だ。

 祖母がいれば家の中は常に獰猛な虎を放し飼いにして暮らしているような状態だった。そのため、祖母が入院したり温泉に湯治にいったり長期の不在のときには家族全員で喜んで安堵したものだ。


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# by ecdysis | 2017-04-29 02:18 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

悪念も邪心もわが心であるということ

 ダンマパダ(発句経)の釈迦の言葉を読んで気づかされた。
 どうも私は、自分の心というものを、よく把握してこなかったようだ。いろいろに感じて分析してきたつもりだが、自分の心に対する大きな否認と偏見があるのに気づかなかった。自分で自分を偏って見ていたのだ。

 それは、自分の醜い浅ましい欲望や暴力的な衝動や悪しき愚行を人に行使したい発作的な欲求などを、真正面から見てこなかった。もし、実行したら大変なことになること確実な感情等を、正直に自分の心の動きであると受け入れられないできたからだ。あまりにもみっともない意地悪で悪辣でひねくれた情動と衝動と欲望なので否認してきたのだ。

 それらの愚かさを、では私はなんだと思ってきたのか。ひとことでいうとこうなる。
「これは、何かのまちがいで、自分の心とはいえない。本当の自分はちがうのだ」
 しかし、否認してもあるものはある。自分の中で起こることなのだから、自分のものである。

 たとえば、混雑した電車からたくさんの乗客が長い列で降りてきて、なかなか乗り込めない時はいらいらする。疲れていれば、その乗客たちをいらだちにまかせて引きずりおろしたくなる。

 精神状態がすぐれない時には、見知らぬ飼い主が散歩させている通りすがりの小型犬に蹴りを入れたくなる。そんな暴力衝動が起きたりする。フラストレーションやストレスがたまると、見ず知らずでしかも体力的に自分より劣位の相手に暴力行動を働きたい衝動がよぎる。野蛮で幼稚で卑怯なのだ。もちろん、そんな欲望が起きるのはごく短い時間だし、実行に移すことはないが、実行に移せば犯罪で事件になる。

 もちろん、実行に移すのとそうでないのとでは大きな差があるけれど、通り魔事件を起こした加害者の動機感情と私の瞬間的な暴力衝動は、根っこの部分では同じだと思う。少なくとも凶暴かつ陰湿な残忍さが私の中にある。

 そういった悪意や破壊的な空想や妄想をも、私は自分の心であるとは認めてこなかった。私の心が、こんな悪意に満ちたいやな恥ずかしい粗暴なことを思うわけがないという、根拠のない思いこみがあって、受け入れることを拒んできたのだ。
 しかし、釈迦の説教に「心をおさめる」ということが非常に重要な修行方法として説かれている。

 それらは、心がいかに頼りなく浮き草で変幻するものであるか、つかみどころがなく変化しつづける不可解なものであるかを説く。そういう心をおさめないと苦しみから解放されないと明言されている。

 ところが、私の実感では自分の心が、それほどめちゃくちゃで変化し続けるものだという認識は、実はさほどなかった。色々と自分の内面に起こっているのを認識しているが、そこにはなんらかの理由があり、法則があり、分析すれば不可解ではなくなるはずだ。そんな根拠のない思い込みや甘さがあった。

 ゆえにめちゃくちゃな感情、相手や事態に反応した裁きの気持ち、犯罪行為の空想、悪意の妄想、暴力を振るいたい欲求、自我を通す衝動は私にとって心ではなかった。私がはっきりと「自分の心」と認識してきたのは、それらのめちゃくちゃな感情をなんとかしようとする気持ち、つまりよくない心を制御しようとする情動だけを「わが心」とみなしてきたのである。つまり「いい子の自分の心」「人に見せても恥ずかしくない心」だけを「自分の心」として認め、それ以外はあってはならない、じきに消し去るべきものとして認識してきた。

 しかし、それでは「自分の心」の認識は、半分以下でしかないとやっと思えるようになった。ちょうど月の表側だけを月とみなしているようなもので、裏側は月とはみなさないという、あやまった態度であると気づいた。
 表も裏も、善も悪も、認めやすいものも受け入れがたいものも、整然としたものもめちゃくちゃなものも、奇怪不思議であろうとなかろうと、みんな自分なのだ。

 その心の発生に理由や原因があろうとなかろうと、分析できようができるまいが、とにかく自分の内面に起こるすべてを「自分の心」とみなすのが当たり前のはずだった。
 そういう当たり前の前提で、もういちど自分の心について釈迦の説法を適用すると、目から鱗で、自分の心もまったくその通りだとあきらかになる。恐ろしいほど正確かつ詳細に、お釈迦様は心を観察していらっしゃることが垣間見えて、はっとさせられた。

 やはり、見てきたようで見ていないのだ。自分の心を縛っている既存の価値観は実に鞏固で把握困難な障害だと思う。
 そして、私は自分の大きな欠点である「激しい怒り」の自分をありのままに見つめ、その苦しみから解放されるために考察を開始しよう。



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# by ecdysis | 2017-04-29 01:47 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

聖書に見るアルコール依存についての記述

仏典にあるアルコール依存の諸症状の記述を見たあとは、やはり聖書の中にある飲酒問題とその戒めの記述についても記載しておきます。
これは、日本聖書協会のホームページから「酒」という単語で全文検索をかけた中から、酒害・禁酒に関する記述のあるところを拾い上げて列挙したものです。(これも注は心炎がほどこしたものです。)


【旧約聖書】
(以下【】内書名・引用はすべて「新共同訳/日本聖書協会」による)


『箴言』20章01節
「酒は不遜、強い酒は騒ぎ。酔う者が知恵を得ることはない。」


『箴言』21章17節
「快楽を愛する者は欠乏に陥り、酒と香油を愛する者は富むことがない。」


『箴言』23章 20~21節
「大酒を飲むな、身を持ち崩すな。
大酒を飲み、身を持ち崩す者は貧乏になり
惰眠をむさぼる者はぼろをまとう。」


『箴言』23章 29~35節
「不幸な者は誰か、嘆かわしい者は誰か 
いさかいの絶えぬ者は誰か、愚痴を言う者は誰か
理由なく傷だらけになっているのは誰か
濁った目をしているのは誰か。
それは、酒を飲んで夜更かしする者。
混ぜ合わせた酒に深入りする者。


酒を見つめるな。酒は赤く杯の中で輝き、滑らかに喉を下るが
後になると、それは蛇のようにかみ
蝮(まむし)の毒のように広がる。
目は異様なものを見
心に暴言をはき始める。
海の真ん中に横たわっているかのように
綱の端にぶら下がっているかのようになる。
『打たれたが痛くもない。たたかれたが感じもしない。
酔いが醒めたらまたもっと酒を求めよう』」


『箴言』31章 04節
「王たるものにふさわしくない。
酒を飲むことは、王たるものにふさわしくない。
強い酒を求めることは君たるものにふさわしくない。」


『イザヤ書』05章 11節
「災いだ、朝早くから濃い酒をあおり
夜更けまで酒に身を焼かれる者は。」


『イザヤ書』05章 22節
「災いだ、酒を飲むことにかけては勇者
強い酒を調合することにかけては豪傑である者は」


『イザヤ書』56章 12節(神を畏れぬ者の言葉)
「さあ、酒を手に入れよう。強い酒を浴びるように飲もう。
明日も今日と同じこと。いや、もっとすばらしいにちがいない。」


【新約聖書】


『ローマの信徒への手紙』13章 13節
「日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。
酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て、」


『ローマの信徒への手紙』 14章 21節
「肉も食べなければぶどう酒も飲まず、
そのほか兄弟を罪に誘うようなことをしないのが望ましい。」


『コリントの信徒への手紙一』 05章 11節
「わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、
みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、
人を悪く言う者、酒におぼれる者、
人の物を奪う者がいれば、つきあうな、
そのような人とは一緒に食事もするな、
ということだったのです。」


『コリントの信徒への手紙一』06章 10節
「泥棒、強欲な者、酒におぼれる者、人を悪く言う者、人の物を奪う者は、
決して神の国を受け継ぐことができません。」


『ガラテヤの信徒への手紙』05章 21節
「ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。
以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、
このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。」


『エフェソの信徒への手紙』05章 18節
「酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。」


『テモテへの手紙一』03章 03節
「また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、」


『テモテへの手紙一』 03章 08節
「同じように、奉仕者たちも品位のある人でなければなりません。
二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、」


『テトスへの手紙』01章 07節
「監督は神から任命された管理者であるので、
非難される点があってはならないのです。
わがままでなく、すぐに怒らず、酒におぼれず、乱暴でなく、恥ずべき利益をむさぼらず、」


『テトスへの手紙』02章 03節
「同じように、年老いた女には、聖なる務めを果たす者にふさわしくふるまい、
中傷せず、大酒のとりこにならず、善いことを教える者となるように勧めなさい。」


『ペトロの手紙一』04章 03節
「かつてあなたがたは、異邦人が好むようなことを行い、
好色、情欲、泥酔、酒宴、暴飲、
律法で禁じられている偶像礼拝などにふけっていたのですが、
もうそれで十分です。」


【聖書外典(聖書続編)】


『トビト記』04章 15節
「自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない。
ぶどう酒を酔うまで飲んではならない。
また、酔うことが習慣となってはならない。」


『シラ書〔集会の書〕』19章 01~02節
「酒におぼれる労働者は、金持ちにはならない。
小さな事を軽んじる者は、次第に落ちぶれる。
酒と女※は、聡明な人の思慮を奪い、
娼婦におぼれる者は、ますます向こう見ずな人間となる。」
※女性差別ではなく「異性・性的な魅力を感じる相手」の意味


『シラ書〔集会の書〕』26章 08節
「大酒を飲む妻は夫の激しい怒りを招き、
その恥知らずな行為をさらけ出す。」


『シラ書〔集会の書〕』31章 25節
「酒を飲んで男っぷりを見せようとするな。酒で身を滅ぼした者は多い。」


『シラ書〔集会の書〕』31章 29~30節
「過度の飲酒は気分を損ない、
いらだちや、間違いのもととなる。
深酒は愚か者の気を高ぶらせて足をふらつかせ、
力を弱めて、傷を負わせる。」


『エズラ記(ギリシア語)』03章 17節
「皆さん、酒こそいちばん強いものではないでしょうか。
酒は、これを飲むすべての者の精神を混乱させ、」


『エズラ記(ギリシア語)』03章 21節
「また、酒を飲めば、友人や兄弟たちに対する友情を忘れ、
突然剣を抜くことさえあります。」


『エズラ記(ギリシア語)』03章 23節
「『皆さん、酒とはこれほどの力を持っているのですから、
これこそいちばん強いものではないでしょうか。』
彼はこう語ると、口をつぐんだ。」

旧新約聖書・聖書外典(聖書続編)より引用終わり。

仏教もユダヤ教もキリスト教も、アルコール依存症を、ずっと昔から問題視して、社会的・道徳的に重大だととらえていたのがよくわかりますね。




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# by ecdysis | 2017-04-20 12:17 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

仏教の経典で釈迦が指摘している驚くべきアルコール依存の諸症状

 最近は座禅をきっかけに仏教関連の書籍も読み漁っています。

 それで、意外なところに意外な記述があったりするので、ご紹介します。以下は、仏教の禁酒の戒律が定められた理由としてお釈迦様が説法されたことの記述です。

 お釈迦様は今から2500年ほど前の方です。古代よりアルコール依存の問題には深刻なものがあったようです。
(以下の引用につきましては読み仮名・現代語訳・※の注記ともに心炎によります。もしお気づきの点がありましたら、心炎のメアドまでどうぞ)

引用元「仏教経典を中心とした釈迦の医学」
(服部敏良/黎明書房/昭和57年11月第一刷)73~77ページより

『大智度論(だいちどろん)※』(※出典の経典名)
原文1
「酒は覚知の相を失ふ。身心濁って悪しく、智心動じて乱る。慚愧(ざんき)已(すで)に劫(うご)かされ、念を失して瞋心(しんしん)を増し、観を失して宗族(そうぞく)を毀(やぶ)る。是(かく)の如きを飲と名づくと雖(いえど)も、実に飲は死毒たり。瞋(いか)るぺからずして瞋り、笑ふべからずして笑ひ、哭(こく)すべからずして哭し、打つべからずして打ち、語るべからずして語り、狂人と異なる無く諸(もろもろ)の善功徳(ぜんくどく)を奪ふ。愧(はじ)を知るものは飲まず」

現代語訳1
「酒は認知認識能力を失わせます。身も心も濁って働きが悪くなり、知性も判断力もどこかへいって乱れてしまいます。恥も外聞もどこかへとんで、自制心もなくなって怒りの心が増し、まわりを見て判断することも忘れて家族親族を傷つけます。こういう状態を飲酒と名付けていますが、実に飲酒というのは死をもたらす毒です。怒るべきでないのに怒り、笑うべきでないのに笑い、泣き叫ぶべきでないのに泣き叫び、殴るべきでないのに殴り、語るべきでないのに語り、気の狂った人とちがうところがなく、それまで積んできた様々な善行の功徳も奪われます。恥を知る人は飲酒しないものです」

原文2
「酒は身を益すること甚(はなは)だ少なくして、損する所甚だ多し。是(こ)の故に飲むべからず」

現代語訳2
「酒は自身にとって利益になることが非常に少なく、損失になることが非常に多いのです。そういうわけなので、飲酒してはなりません」

原文3(心炎注:以下は箇条書きの項目多数ですので、それぞれの箇条の下の【 】内に現代語訳を付します)

「一には現在世に財物虚しく竭(つ)く。何んとなれば人酒飲んで酔へば心に節限なく、用を費やすこと度なきを以てなり」

【(酒害のリストとして、)一には現世での財産を浪費して枯渇してしまいます。どうしてかといえば、酒を飲んで酔っ払ってしまえば節度も自制心もなくなり、浪費に歯止めがかからなくなるからです】

二には衆病の門なり。【二つには万病のもとです】

三には闘諍(とうじょう)の本なり。【三つには喧嘩口論暴力沙汰のもとです】

四には裸露わにして恥なし。【四つには裸をあらわにして恥じることがありません】

五には醜名悪声にして人の敬はざる所なり。
【五つには、みっともない人として名を覚えられ悪評が立つので尊敬されません】

六には智慧を覆ひ没す。【六つには知恵の働きが覆われて埋もれてしまいます】

七には応(まさ)に得らるべき物を得ず、已(すで)に得る所の物は散佚(さんいつ)す。
【七つには、酔っていなければ当然得られるはずのものが得られず、すでに得ていた物まで散って無くなります】

八には伏匿(ふくとく)の事を、尽(ことごと)く人に向って説く。
【八つには内密の話や内緒ごとも、ぜんぶ人にばらしてしまいます】

九には種々の事業廃して成弁(せいべん)せず。【九つには様々な事業も放棄するので成功しません】

十には酔は愁(うれい)の本と為(な)る。何となれほ酔の中には失すること多く、醒め已(おわ)って慚愧(ざんき)憂愁すればなり。
【十には酔いは憂鬱の原因となります。なぜかといえば、酔っ払っている最中は失敗が多いので、酒がさめてから恥じ入って憂鬱になるからです】

十-には身力(しんりき)転(うた)た少なし。【十一には体力が非常に弱くなります】

十二には身色壌(みだ)る。【十二には体も外見もだらしなくなります】

十三には父を敬ふことを知らず。【十三には父を敬いません】

十四には母を敬ふことを知らず。【十四には母を敬いません】


十五には沙門(さもん)を敬はず。【十五には修行者を敬いません】

十六には婆羅門(ばらもん)を敬はず。【十六にはバラモン※を敬いません】
※ヒンズーのカーストで最高位の宗教指導階級

十七には伯叔(はくしゅく)及び尊長を敬はず、何となれば酔悶恍惚(すいもんこうこつ)として別(わか)つ所なきを以てなり。
【十七には、父母の兄弟姉妹や親族の年長者を敬いません。なぜならば、酔って正気をなくして溺れており、目の前にあるものや人を区別することができないからです。】

十八には仏を尊敬せず。【十八には仏を敬いません】

十九には法を敬はず。【十九には法※を敬いません】
※ダルマともいう。仏教における「真理」「道理」「森羅万象を貫く大原理」のこと

二十には僧を敬はず。【二十には僧侶を敬いません】

二十一には悪人と朋党す。【二十一には悪人と仲間になって徒党を組みます】

二十二には賢善を疎遠す。【二十二には賢者や善人を疎んじ遠ざけます】

二十三には破戒の人と作(な)る。【二十三には僧侶が守るべき戒めを破る人となります】

二十四には無慚無愧(むざんむき)なり。【二十四には恥知らずになり人から咎められても意に介しません】

二十五には六情を守らず。【二十五には喜・怒・哀・楽・愛・悪※の六つの感情を適切に表現することができなくなります】
※にくみきらうこと

二十六には色を縦(ほしいまま)にして放逸(ほういつ)なり。
【二十六には色欲に節度がなくやりたい放題になります】

二十七には人の憎悪する所にして、之(これ)を見ることを喜ばず。
【二十七には人に憎み嫌われ、だれもがその姿を見て喜びません】

二十八には貴重の親属及び諸の知識の共に擯棄(ひんき)する所なり。
【二十八には一族から重んじられている親族も、さまざまな知り合いたちも、ともに斥けて見捨てます】

二十九には不善の法を行ず。【二十九には悪い行動を基本とするようになります】

三十には善法を棄捨(きしゃ)す。【三十には善なる行動に従うことを捨ててしまいます】

三十一には明人智士(めいじんちし)の信用せざる所なり、何となれば酒は放逸なるを以てなり。
【三十一には道理をわきまえた人、賢い立派な人は、酔う者を信用しません。なぜなら、酔っている者はやりたいほうだいだからです。】

三十二には涅槃(ねはん)を遠離す。【三十二には悟りから離れ遠ざかります】

三十三には狂癡(きょうち)の因縁を種(う)う。【三十三には狂人愚者となる因縁をつくります】

三十四には身破れ、命終りて悪名泥犂(でいり)の中に堕(お)つ。
【三十四には破産し健康をそこなったあげく、死後も悪名が残って泥まみれになってしまう】

三十五には若(も)し人と為(な)ることを得ては、所生の処常に当(まさ)に狂シ(シ=馬偏に矣[イ])なるべし。
【三十五には、もし来世に人として生まれることができても、どんな生まれであろうと常に狂気や愚かさを免れない人になります】

 是(かく)の如き等の種々(しゅじゅ)の過失あり。是の故に飲まず
【このような種々の過失があります。それゆえに飲酒をしません】」


『四分律※』(※律とは戒律のこと)
原文4
「凡(およ)そ洒を飲む者に十の過失あり、何等(いずれ)か十なる。
【おおむね酒を飲む者には十の過失があります。それはどういった十であろうか。】

一には顔色悪し【一つには顔の色が不健康です】

二にはカ少なし【二つには体力がありません】

三には眼視明かならず【三つには、ものをはっきり視認できません】

四には瞋恚(しんい)の相を現す【四つには怒りをむき出しにします】

五には因業資生(いんごうしせい)の法を壊す
【五つには善い因縁を重ねて人生を良くしていく生き方を破壊します】

六には疾病を増発す【六つには持病は悪化し新しい病気が増えます】

七には闘訟を益す【七つにはもめごとやいざこざが増えます】

八には名称なくして悪名流布す【八つにはいいことでは知られず、悪名ばかり広まります】

九には智恵減少す【九つには賢さが減少します】

十には身壌命終(しんじょうめいしゅう)して三悪道に堕す
【十には体が墓に埋められて命が終わったあと、魂が地獄道、餓鬼道、畜生道の三つの悪しき世界に落ちます。】

阿難(あなん)、是(こ)れを酒を飲むものに十過失ありと謂(い)ふ
【アーナンダよ※、以上を酒を飲む者の十の過失があるといいます】」
(※釈迦の高弟にして従兄弟)


以上が、仏典に書かれている酒害の数々です。
『大智度論』の内容といい、『四分律』の説法といい、ほとんどが現代のアルコールの依存問題に当てはまっています。
2500年前に説法されたことですから、驚きを覚えずにはいられません。




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# by ecdysis | 2017-04-20 10:36 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

絶対的な規範を求めてきたけれど

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私はアルコール依存と発達障害の父親とキッチンドリンカーになってしまった母親と、自己愛性人格障害の粗暴で猜疑心・嫉妬・憎悪の固まりだった祖母といつも酔って悪態暴言をわめいていた祖父たちの間に育った。母方は祖父母はじめ皆いたって正常な人々だったが、父方の祖父母の実家は、酒と男女関係に依存の問題のあった家柄だ。数代前までの家系親族の系図を各人の問題といっしょに書き出すジェノグラムをつくれば、父方には悲惨な世代連鎖の軌跡が明白にたどれるだろう。 

 私と血のつながった五親等内には、アルコール、セックス、薬物、ギャンブルの依存をもっている人たちがいるし、不倫や女癖の悪い人もあったし、三十歳台で飲酒や薬物が原因で死んだり廃人になった人もいる。またギャンブルのあげくホームレスになり行方知れずの人もいる。全員が父方の血筋である。

 そんな家庭環境の中で育った私は、家族の狂気の影響を受け続け、それを苦痛に感じ恐れながらも、当たり前のこととして日常の情景として馴らされてきた。その狂気の磁場ともいうべき環境で磁化された心を持ったまま健康な社会に適応することは不可能である。私が、16歳の時にフラッシュバックを起こして、「こんなひどい家庭環境で育った自分はろくな人生を送れない」と絶望したのも当然だ。狂った教育という異常なプログラムを施されたのだから。大人たちの病んだ精神と日常的に接触していれば、元は健康で正常な人でも、やがては病んでしまうのだ。

 私は、こうした病んだ大人たちの憤怒と憎悪、恨みと妬みの風に吹かれ、不安と不満、絶望と恐慌の空気を呼吸して育った。どうして、長じてから狂わずにいられたであろうか。私は、彼らの無知と迷妄、愛欲と我欲をもおのれのものとして成長した。そこから抜け出すには自力ではまず不可能だった。

 私の心に吹いた無秩序で理不尽な家族の病の風は、そのままでは自殺か破滅しかもたらさないはずだった。それゆえに、私自身が生き延びて回復するために強烈に秩序と正義を欲した。変わらぬ秩序と不壊の正義のありかを探した。はじめは、結婚して家庭を営むという世間の常識に、次はカルト宗教や性格改造セミナーに、やがて新約聖書のキリストの言葉と旧約聖書に、神道に、自助団体のプログラムに、今は仏教にと探索の手は休んでいない。カルト宗教と性格改造セミナー以外は、みな日常的な学びの対象として折々気づきをいただいている。それらの和洋の伝統ある教えは、いま少しずつ私の中で融合を開始しており、普遍的な中心部が見え出しているような気さえする。

 はじめは秩序と正義の依存対象だった実母はキッチンドリンカーになって、その座から滑り落ちた。私には、新しい確かな規範が必要だった。それが、世間の常識からはじまる「規範探し」の流浪の旅の開始だった。想えば、これさえ信じていれば大丈夫という絶対的に依存しうる規範を三十年以上も探してきた。しかし、それさえ信じれば人生すべてがうまくいくなどという万能の特効薬のような教えは、正統でまっとうな宗教や神の道にはありえないことが、やっとわかった。もし、これさえ信じれば万事うまくいくと喧伝する宗教があるとすれば、それは宗教の看板を掲げた詐欺だといって差し支えないと考える。

 座禅をしてみて、諸行無常をわずかでも観じられるような気がする。生まれたものは現れ、現れたものは消え去る。森羅万象、万有万物、万人生きとし生けるものすべてが、生まれては現れ、現れてはやがてこの世から消えてゆく。絶対的な規範があるとすれば、この諸行無常と生滅の法則でないかと思う。

 

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# by ecdysis | 2017-03-31 03:07 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

当たり前のことが当たり前に認知できないACの認知障害

 三十年も前に、あるカルト教団に入信したのをきっかけに、その教団とは関係のない一般の学者の書いた般若心経の解説本を読んだことがある。その中で、著者の知り合いがうつ病になったとき、一人の友人が「水面に映った月は波に揺れるが水の底にさす月の光は変わらない」というような歌をあげて、それだけを2~3か月ずっと考えさせたら、うつ病が治ってしまったという記事があった。

 当時は、なぜそんなことで治るのかまったくわからなかった。
 とりたてて何の変哲もない光景を詠んだ歌が、なぜ心を癒すのかまったく理解できず、何かの知的遊戯・観念の遊びとしか思えなかった。あるいは非常に高度な深遠な哲理があるのだろうかとも首をひねるばかりだった。

 今、二度目を読了する「修証義講義」の中にも、やはり道元禅師の言葉で「眼横鼻直(がんのうびちょく)」というのがあって、これも最初はよくわからなかった。これは、道元禅師が宋の国に仏法を学びにいって帰国したあと寺を建てるとき、「自分が宋の国で学んだのは、眼が二つ横についていて鼻が顔の真ん中にまっすぐ縦についているのがわかるようになりました。だから他の僧侶のようにいかにも仏法というような経典類は持ってきませんでした」とおっしゃったという禅語のひとつ。

 座禅してみて、いささかでもこの言葉のすごさが感じられるようになったし、それがACの回復にも重要な要素になるだろうと思っている。

 座禅するときは、まず神仏に保護と導きをお願いする合掌一礼をしてから、おきまりの脚の組み方で姿勢を定め、座禅を開始する。最初は雑念が起こるけれどほったらかして、自分の呼吸や下腹部の前で重ねた両手の間に意識をもっていって、視線を90センチほど先に落としてとにかく、座り続ける。そしていまここにいない人のことは考えない。いまここにないものごとについても考えない。過去も未来も考えない。今この瞬間の座っている自分にだけ意識を集中する。それだけを心がける。
 そうしていると、今まであったのに意識していなかったストーブの音や風や外の物音が、いやにはっきりと鮮やかに聞こえてくる。耳に入ってはいたのに、音としてまったく認識せず、聞こえていなかった音たちだ。

 それに気付いたとき、私は自分がいかに日常生活で、ものごとを「あるがままに認識していない」かを思い知らされた。
 いつも心は不安や恐れや心配事や怒りや後悔や恥や、何かの構想や欲や願望の念で回転していて、見ていても見ず、聞いていても聞こえず、さわっていてもさわっていないのだ。

 ACは、特に過去のトラウマへのとらわれと未来への恐れで、「現在がない」「自分がない」人種なので、ことに生き方に支障を来すほど、「あるがまま」からかけ離れている。

 あるがままに見るというのは、当たり前のことが当たり前に認識できるということだ。だから、当たり前のことを当たり前として認識できないのがACなのだ。当たり前のことを当たり前に認識している普通の人たちの中で、トラウマによる認知障害のあるACは、生きづらさを感じて社会不適応を起こしてしまう。

 なによりも痛ましいのは、自分をあるがままに見るということと、自分を痛めつけることの区別がつかないACの人が多いことだ。肉体的精神的に虐待されて育ったので、「生きること=痛めつけられること」と体が覚えている。やることなすことすべて「自分で自分を虐待する行為」になってしまう。

「あるがまま」とは良いところも悪いところも、病的なところも健康なところも同時に認識するということであって「まず自罰と自己虐待ありき」では、とても自己の振り返りなどできるわけがない。

 あるがままに見る訓練をすれば、恐れていたことも恐れるほどのことはなかったとわかってくるし、心配事のほとんどもトラウマからくる妄想だと納得できるようになる。
 私もそうなったが、ACはトラウマによる一種の認知障害を持っていると思ったほうがよい。
 五感のレベルでも、トラウマからくるひっきりなしの妄想で頭は常に多忙で、現実に起こっている現象に適切に対処することが困難になる。

 あるがままの自分、あるがままの世界、あるがままの人間関係・・・その認識こそ、真の自由と個性と主体性に不可欠のものだ。



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# by ecdysis | 2017-03-23 01:20 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

座禅をはじめて気づいたこと

 春の彼岸を迎えているが、私は今月から、「修証義(しゅしょうぎ)」とともに、さる高名な曹洞宗の禅師が昭和13年(1938年)に出された書籍の復刻版を読んでいる。そこに座禅の仕方が親切に書いてあったこともあり、自分で座禅の真似事を初めている。アルコール依存の自助団体の回復プログラムにも、瞑想と祈りが依存症からの回復に不可欠であると書かれていることを気にし続けてきたが、瞑想の仕方を教わる機会がなかったので、思い切って独習をはじめた。 

 本当は、近所の禅寺の座禅会にでも行けばよいのだろうけれど、そこまで時間と労力を費やせない。また、本に書いてある座禅の仕方が初心者でもすぐにできるような詳細で懇切な手引書なので、自分でもできそうに思えたから、やってみることにした。禅師の書かれた文章には「座禅を好きになることが肝要」とあり、その勧めの言葉に心が動かされた。

 座禅の結果、何が起こったかは、ここですべてを書くことはとてもできないが、予想しない良い内面の変化があったことは確かだ。仕事や日常生活で起こるいらいらや、人を責めたり他人のささいな言動を苦にして気に病む頻度が減ってきた。
 座禅中は静かな気持ちになれる。いやな記憶がよみがえるとか、別の自分が爆発するとか、そういうことはまったくない。いろんな感情が渦巻き反応している日常生活の雑念や精神的な騒音が消えるか、かなり低いレベルに下がる。自分がひとりで静かに座っているだけという事実を淡々と感じて受け入れるだけだ。いわば、いつも他人や物事や過去の記憶にとらわれ支配されひとときも休まない心が休止モードに入る感じだ。たかだか10分から20分程度の座禅でも、欲や恐れや不安や快苦の感情に、高速で回りっぱなしの心のモーターが静かな低速回転になっていくようだ。

 ACとしての自己の認識にもこれまでより深いレベルでの視座が生まれつつあるのを感じる。

 そのひとつが「アディクションは、本人が言葉にしたくてもできなかったことや、言葉にすることを恐れている感情の表現手段のひとつである」ということだ。家庭での悲惨な体験の記憶にともない、怒り、恐怖、不安、パニック、絶望、だれか助けてと叫びたかった強迫的な感情など、自分でも忘れているインナーチャイルドの感情を、いわばアディクションで狂っている自分の姿を通して、だれかに伝えたいしわかってほしいというメッセージを発しているのだ。

 健康な家庭では、ネガティブでもポジティブでも自分が感じた感情を、家族に話して共感や受容を与えてもらえる。しかし、AC家庭では、そんなことはまずありえない、当たり前のことを願っても虐待され拒絶され圧殺される。不当ででたらめなことを嫌だと思っても強制され従わせられ強迫される。

 私もそうだが、「こんなのいやだ」「あんたらまちがってる」「こわすぎる」「みじめすぎる」「痛い苦しいこわい」「やめてやめてやめて」「ふざけるな」「おまえなんか父親じゃない」などなど、自分でも忘れているトラウマ原体験のときに感じた感情のすべてが自分の中にそっくり残っている。忘れていることと消え去ることはまったく別のものである。忘れていてもあるものはあるのだ。

 どんなに押し込めてもあるものはある。そして、あるからには外へ出ようとするし、表現への欲求が生じる。だれかに伝えずにはいられず、だれかにわかってもらいたいと欲せずにはいられない。それがインナーチャイルドの本心であり、本音なのだ。だからこそ、医者やカウンセラーや自助団体などで、自分の過去にあったことや過去に感じた感情を話したり書いたりして表現することが必要なのだ。ACの回復には「自分の過去現在の心と感情を表現すること」は不可欠の最重要項目といってもいい。飽きるまで表現していくことで変わっていける。

 そして、もうひとつ気づいたのは、アディクションは原家族の中に蔓延し習慣化していた不条理や過ちや罪悪や非常識さの象徴行為ということだ。私のようにアルコール依存と人格障害の大人たちの狂った感情を、日常的に生活の一部にしてきた子供は、大人になってもその「狂気」「異常性」を、無自覚のうちに生活の一部にし続ける。いわば、親や家族からの負の遺産というか負の目に見えない家財道具を持ち運びして生きるようなものだ。

 だから、健康な人たちからは、狂っていたり異常であると思われるような事柄でも、AC本人にとっては、それが「原家族では当たり前だった習慣であり生活の一部だった」ために、本人には本当には自覚できないし、それのない生活も想像ができない。直せといわれても病気だと指摘されても、自分では「あたりまえのこと」「それのない日常など考えたこともない」ので否認や無視をするしかない。飲めば泥酔が当たり前の家庭で育った私が、酒を飲むということはイコール泥酔することだと信じて疑わなかったのもその一例だ。

 そして、それが問題だと気づいても、当たり前の習慣となっていたことを苦痛なしに手放すのはきわめて困難だ、
 良くない習慣や狂気じみた言動でも、いざ手放してやめたときに襲ってくる孤独感や惨めさや寂しさは耐えがたい。やめたときのよるべなさや抑うつには、筆舌に尽くしがたいものがある。

 それらの問題を「よごれたもの」とすれば、それらから開放された生活は「清らかなもの」といえるだろう。
 汚れたものがあって当たり前だった生活から、よごれたもののない清らかな生活に移るのは、AC本人にとってはそう簡単なことではない。きれいな部屋の方が気持ちいいはずだと普通は思う。しかし、ゴミだらけで掃除などろくにしない部屋で育ってそれが当たり前だと信じて大人になった人は、ゴミを片付けてしまったら非常に居心地の悪い寒々とした感覚になってしまうだろう。

 少なくとも、清らかなものよりも、よごれたものの方に親しみを感じ、あって当たり前と思ってきた。だから、清らかなものは、それの価値を頭では理解するけれど、慣れた感覚がついていけない。よごれたものがないと寂しいし物足りないし、あるべきものがない感じがして、強い違和感や居心地の悪ささえ感じるのだ。

 だからこそ、瞑想などを通じて、よごれたもののない精神状態を感じることを習慣づけて、清らかな健康な生活に慣れていくことが必要だと思えてならない。



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# by ecdysis | 2017-03-22 02:05 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com または ecdysis@excite.co.jp 


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