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虚空に絶望のためいきを 太陽に希望の叫びを(AC-アダルトチルドレンのブログ)

当たり前のことが当たり前に認知できないACの認知障害

 三十年も前に、あるカルト教団に入信したのをきっかけに、その教団とは関係のない一般の学者の書いた般若心経の解説本を読んだことがある。その中で、著者の知り合いがうつ病になったとき、一人の友人が「水面に映った月は波に揺れるが水の底にさす月の光は変わらない」というような歌をあげて、それだけを2~3か月ずっと考えさせたら、うつ病が治ってしまったという記事があった。

 当時は、なぜそんなことで治るのかまったくわからなかった。
 とりたてて何の変哲もない光景を詠んだ歌が、なぜ心を癒すのかまったく理解できず、何かの知的遊戯・観念の遊びとしか思えなかった。あるいは非常に高度な深遠な哲理があるのだろうかとも首をひねるばかりだった。

 今、二度目を読了する「修証義講義」の中にも、やはり道元禅師の言葉で「眼横鼻直(がんのうびちょく)」というのがあって、これも最初はよくわからなかった。これは、道元禅師が宋の国に仏法を学びにいって帰国したあと寺を建てるとき、「自分が宋の国で学んだのは、眼が二つ横についていて鼻が顔の真ん中にまっすぐ縦についているのがわかるようになりました。だから他の僧侶のようにいかにも仏法というような経典類は持ってきませんでした」とおっしゃったという禅語のひとつ。

 座禅してみて、いささかでもこの言葉のすごさが感じられるようになったし、それがACの回復にも重要な要素になるだろうと思っている。

 座禅するときは、まず神仏に保護と導きをお願いする合掌一礼をしてから、おきまりの脚の組み方で姿勢を定め、座禅を開始する。最初は雑念が起こるけれどほったらかして、自分の呼吸や下腹部の前で重ねた両手の間に意識をもっていって、視線を90センチほど先に落としてとにかく、座り続ける。そしていまここにいない人のことは考えない。いまここにないものごとについても考えない。過去も未来も考えない。今この瞬間の座っている自分にだけ意識を集中する。それだけを心がける。
 そうしていると、今まであったのに意識していなかったストーブの音や風や外の物音が、いやにはっきりと鮮やかに聞こえてくる。耳に入ってはいたのに、音としてまったく認識せず、聞こえていなかった音たちだ。

 それに気付いたとき、私は自分がいかに日常生活で、ものごとを「あるがままに認識していない」かを思い知らされた。
 いつも心は不安や恐れや心配事や怒りや後悔や恥や、何かの構想や欲や願望の念で回転していて、見ていても見ず、聞いていても聞こえず、さわっていてもさわっていないのだ。

 ACは、特に過去のトラウマへのとらわれと未来への恐れで、「現在がない」「自分がない」人種なので、ことに生き方に支障を来すほど、「あるがまま」からかけ離れている。

 あるがままに見るというのは、当たり前のことが当たり前に認識できるということだ。だから、当たり前のことを当たり前として認識できないのがACなのだ。当たり前のことを当たり前に認識している普通の人たちの中で、トラウマによる認知障害のあるACは、生きづらさを感じて社会不適応を起こしてしまう。

 なによりも痛ましいのは、自分をあるがままに見るということと、自分を痛めつけることの区別がつかないACの人が多いことだ。肉体的精神的に虐待されて育ったので、「生きること=痛めつけられること」と体が覚えている。やることなすことすべて「自分で自分を虐待する行為」になってしまう。

「あるがまま」とは良いところも悪いところも、病的なところも健康なところも同時に認識するということであって「まず自罰と自己虐待ありき」では、とても自己の振り返りなどできるわけがない。

 あるがままに見る訓練をすれば、恐れていたことも恐れるほどのことはなかったとわかってくるし、心配事のほとんどもトラウマからくる妄想だと納得できるようになる。
 私もそうなったが、ACはトラウマによる一種の認知障害を持っていると思ったほうがよい。
 五感のレベルでも、トラウマからくるひっきりなしの妄想で頭は常に多忙で、現実に起こっている現象に適切に対処することが困難になる。

 あるがままの自分、あるがままの世界、あるがままの人間関係・・・その認識こそ、真の自由と個性と主体性に不可欠のものだ。



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# by ecdysis | 2017-03-23 01:20 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

座禅をはじめて気づいたこと

 春の彼岸を迎えているが、私は今月から、「修証義(しゅしょうぎ)」とともに、さる高名な曹洞宗の禅師が昭和13年(1938年)に出された書籍の復刻版を読んでいる。そこに座禅の仕方が親切に書いてあったこともあり、自分で座禅の真似事を初めている。アルコール依存の自助団体の回復プログラムにも、瞑想と祈りが依存症からの回復に不可欠であると書かれていることを気にし続けてきたが、瞑想の仕方を教わる機会がなかったので、思い切って独習をはじめた。 

 本当は、近所の禅寺の座禅会にでも行けばよいのだろうけれど、そこまで時間と労力を費やせない。また、本に書いてある座禅の仕方が初心者でもすぐにできるような詳細で懇切な手引書なので、自分でもできそうに思えたから、やってみることにした。禅師の書かれた文章には「座禅を好きになることが肝要」とあり、その勧めの言葉に心が動かされた。

 座禅の結果、何が起こったかは、ここですべてを書くことはとてもできないが、予想しない良い内面の変化があったことは確かだ。仕事や日常生活で起こるいらいらや、人を責めたり他人のささいな言動を苦にして気に病む頻度が減ってきた。
 座禅中は静かな気持ちになれる。いやな記憶がよみがえるとか、別の自分が爆発するとか、そういうことはまったくない。いろんな感情が渦巻き反応している日常生活の雑念や精神的な騒音が消えるか、かなり低いレベルに下がる。自分がひとりで静かに座っているだけという事実を淡々と感じて受け入れるだけだ。いわば、いつも他人や物事や過去の記憶にとらわれ支配されひとときも休まない心が休止モードに入る感じだ。たかだか10分から20分程度の座禅でも、欲や恐れや不安や快苦の感情に、高速で回りっぱなしの心のモーターが静かな低速回転になっていくようだ。

 ACとしての自己の認識にもこれまでより深いレベルでの視座が生まれつつあるのを感じる。

 そのひとつが「アディクションは、本人が言葉にしたくてもできなかったことや、言葉にすることを恐れている感情の表現手段のひとつである」ということだ。家庭での悲惨な体験の記憶にともない、怒り、恐怖、不安、パニック、絶望、だれか助けてと叫びたかった強迫的な感情など、自分でも忘れているインナーチャイルドの感情を、いわばアディクションで狂っている自分の姿を通して、だれかに伝えたいしわかってほしいというメッセージを発しているのだ。

 健康な家庭では、ネガティブでもポジティブでも自分が感じた感情を、家族に話して共感や受容を与えてもらえる。しかし、AC家庭では、そんなことはまずありえない、当たり前のことを願っても虐待され拒絶され圧殺される。不当ででたらめなことを嫌だと思っても強制され従わせられ強迫される。

 私もそうだが、「こんなのいやだ」「あんたらまちがってる」「こわすぎる」「みじめすぎる」「痛い苦しいこわい」「やめてやめてやめて」「ふざけるな」「おまえなんか父親じゃない」などなど、自分でも忘れているトラウマ原体験のときに感じた感情のすべてが自分の中にそっくり残っている。忘れていることと消え去ることはまったく別のものである。忘れていてもあるものはあるのだ。

 どんなに押し込めてもあるものはある。そして、あるからには外へ出ようとするし、表現への欲求が生じる。だれかに伝えずにはいられず、だれかにわかってもらいたいと欲せずにはいられない。それがインナーチャイルドの本心であり、本音なのだ。だからこそ、医者やカウンセラーや自助団体などで、自分の過去にあったことや過去に感じた感情を話したり書いたりして表現することが必要なのだ。ACの回復には「自分の過去現在の心と感情を表現すること」は不可欠の最重要項目といってもいい。飽きるまで表現していくことで変わっていける。

 そして、もうひとつ気づいたのは、アディクションは原家族の中に蔓延し習慣化していた不条理や過ちや罪悪や非常識さの象徴行為ということだ。私のようにアルコール依存と人格障害の大人たちの狂った感情を、日常的に生活の一部にしてきた子供は、大人になってもその「狂気」「異常性」を、無自覚のうちに生活の一部にし続ける。いわば、親や家族からの負の遺産というか負の目に見えない家財道具を持ち運びして生きるようなものだ。

 だから、健康な人たちからは、狂っていたり異常であると思われるような事柄でも、AC本人にとっては、それが「原家族では当たり前だった習慣であり生活の一部だった」ために、本人には本当には自覚できないし、それのない生活も想像ができない。直せといわれても病気だと指摘されても、自分では「あたりまえのこと」「それのない日常など考えたこともない」ので否認や無視をするしかない。飲めば泥酔が当たり前の家庭で育った私が、酒を飲むということはイコール泥酔することだと信じて疑わなかったのもその一例だ。

 そして、それが問題だと気づいても、当たり前の習慣となっていたことを苦痛なしに手放すのはきわめて困難だ、
 良くない習慣や狂気じみた言動でも、いざ手放してやめたときに襲ってくる孤独感や惨めさや寂しさは耐えがたい。やめたときのよるべなさや抑うつには、筆舌に尽くしがたいものがある。

 それらの問題を「よごれたもの」とすれば、それらから開放された生活は「清らかなもの」といえるだろう。
 汚れたものがあって当たり前だった生活から、よごれたもののない清らかな生活に移るのは、AC本人にとってはそう簡単なことではない。きれいな部屋の方が気持ちいいはずだと普通は思う。しかし、ゴミだらけで掃除などろくにしない部屋で育ってそれが当たり前だと信じて大人になった人は、ゴミを片付けてしまったら非常に居心地の悪い寒々とした感覚になってしまうだろう。

 少なくとも、清らかなものよりも、よごれたものの方に親しみを感じ、あって当たり前と思ってきた。だから、清らかなものは、それの価値を頭では理解するけれど、慣れた感覚がついていけない。よごれたものがないと寂しいし物足りないし、あるべきものがない感じがして、強い違和感や居心地の悪ささえ感じるのだ。

 だからこそ、瞑想などを通じて、よごれたもののない精神状態を感じることを習慣づけて、清らかな健康な生活に慣れていくことが必要だと思えてならない。



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# by ecdysis | 2017-03-22 02:05 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

封じられた叫びの子3(小学校3年生編2)~虐待によって男性性が傷つけられた結果~

 小学校一年時の母からの虐待直後と同様、性的な妄想と行動が、小学校三年生時も発生した。やはり、ここにも「去勢のストーリーが成立する」現象が起こったとわかる。

 こうして見ていくと、虐待後に性的な行動が起こったということは、傷つけられ去勢された男性性を、取り戻そうとする補償行為を無意識的にとったのだと思う。

 平たくいえば、虐待で打ちのめされて生じた男性としての深刻な無力感をなんとかしたかった。男としての有力感を得るために、不自然なほど性的な妄想や自慰行為を行ったということになる。

 二度の親の暴力により、自分が男であることに無力感や絶望感や敗北感をもつようになったことを、今になってはっきり自覚する。

 初めての性的自慰行為の引き金になった「ひとり怪獣ごっこ」の想定自体が、自分が巨大な怪獣になって町を破壊するという、「破壊行為を通じて有力感を得る」ための遊びだった。私は幸いにして家庭内暴力をふるうことはなかったが、この「他者への破壊行為を通じた有力感の獲得」という心理は、親や配偶者や子供へのドメスティック・バイオレンスの根源にあるものだと実感されてならない。

 いずれにせよ、虐待によって傷つけられた男性性は、肉体的な性機能ではなく、心理的な能動性や対社会性な積極性などの精神機能の不全感として、これまで現れてきたとわかる。それは、健康な意味での闘争心や競争心まで忌避する「男性的行動の回避」を起こし、ふつうの少年たちが夢中になる野球やサッカーやそのほかスポーツが苦手になるという現象も引き起こしたのだろうと思う。

 このような「虐待による去勢=男性性の毀損」は、大人になったときには「生活力」すなわち「生活のために収入を得る能力」をも毀損し、夫らしくとか父親らしくという現実的な要求に対し、不安や恐怖を覚えて萎縮や逃避に走ってしまうことにもなった。

 つまり、私が結婚に希望と期待を強くもちながら、いざ実現しようとすると原因不明の恐怖に襲われてしりごみしてしまった理由の一つがここにある。

 すなわち「去勢された男性性をとりもどしたい」という有力感への渇望がまずあって、その手段として「夫や父になって男性性をとりもどす」という願望をもった。

 しかし、現実に健全な結婚のできる男は「健康な男性性を持っている」ことが前提である。結婚生活は、夫・父たる男の未熟な男性性を育てるための場ではないし、生い立ちで傷ついたそれが癒されるための場でもない。また、自分の男性性が健康になったことを証明し確認するための場でもない。

 結婚願望の真意としては健康な男性性を取り戻したいということだったが、そんな自分の願望の本質がこれまでわからなかった。ただ、なんとなく恋愛して結婚すれば自分が一人前の男であることが証明できるとしか思えなかった。

 しかし、去勢された男性性を取り戻したいというのが、願望の正体だとわかった以上、その願望を満たす手段として恋愛や結婚を想定することは、今となっては大きなあやまりであったとわかる。

 だいいち、恋愛や結婚が一人前の男性・女性であることを、必ずしも証明しないことぐらいは、私でもわかるようになった。もし、心身ともに健康な成熟した性を持つものどうしだけが結婚できているとしたら、これほど多くの離婚件数、アダルトチャイルドの誕生はなかったはずである。

 たとえ健全な結婚をした男女がいて家庭を営んでいても、彼らもまた夫や妻になっていく過程や、子育てを通じて親になっていく過程の試行錯誤で手いっぱいのはずである。その上、自分の生い立ちのトラウマがあったとしても、そこまで癒して補うことは困難だろう。

 独身の私がいうのもなんだが、自覚無自覚を問わず、ACでありながら結婚して子育てをする男女は、健全な家庭で育った男女の結婚よりも、著しく大変だろうと思う。つぎ込む労力も痛苦も試行錯誤の度合いも大きく、その上、背負わなければならないものが過重であろうと嘆息する。

 私は、結果的にこの男性性の不全感が原因で婚姻に至らなかったのだとわかったが、わかったからといってただちに男性性が健全になるというものではもちろんない。

 事実、今こうして「男性としての無力感」と書いただけで、息苦しさやめまいのような感覚が起こるのがわかる。「無力である」という事実が問題なのではなく、「無力感を覚えて何もできない男と思いこむ」のが問題なのだ。

 もともと臆病で恐れの強い子供だったのかもしれないが、そんな子がアルコール依存と人格障害と共依存で激しく荒廃した実家に育ち、親の虐待の暴力にさらされたことにより、より萎縮した怯えた子供になって男性性が表現できなくなった。そのような構図の中で病んでしまった自分の男性性を、私はどのように獲得しおおせるだろうか。

 そのための試行錯誤は、これからも続くだろう。

 それにしても、二回の虐待でもこれだけのことが私に生じた。私よりももっと激しく悲惨な虐待を繰り返し受けて生き延びた人たちは、その後の人生を、どれだけの精神的障害に苦しむことだろうか。しかも、それらは医療につながらなければ、ほとんど無自覚でただ苦しんで自他を巻き込んで悲惨さを広げることが多い。本当にその苦しみを思うだけで息づまってくる。
 虐待されて殺されてしまう子も悲惨だが、生き延びてもその後の人生を健康に生きられず、私のように、あるいはもっとひどい体験を重ね、苦しみもがき続けることになってしまう。

 同じ苦しみを持った子供として、ACとして親の虐待にさらされた人たちに、心から痛みをともなう共感を抱かずにはいられない。



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# by ecdysis | 2016-09-10 00:53 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

封じられた叫びの子2(小学校3年生編1)

 私が親から激しい虐待を受けたのは、小学校一年のときだけでなく、小学校3年のときにもあった。そのときの体験については、幾度かすでにブログ上に投稿しているが、それについて再度ふりかえろう。

 すでに書いた精神科医の虐待についての診断「去勢のストーリーが成立する」はもちろん、その後の私に生じた異変である「性的自慰行為の発現」「抜毛症」にもつながってくることに気づいたので、その経過を記しておくことにする。

 虐待そのものは、小学校3年生の夏に起こった。今から50年近く前だ。当時、私は学校の成績がずいぶんとよくなっていたが、通信簿を見せても親はほめてもくれず、ミニカーが大流行していて、学校に同級生たちが持ってきて遊んでいるのが、ものすごく羨ましかった。しかし、両親はこづかいをちょっとしかくれないのはわかっていたし、毎日10円かそこらのこづかいがやっとなのに、一台150円とか200円のミニカーを買ってくれといっても応じてくれないのはわかりきっていた。

 とにかく泣きたいほどにミニカーが欲しかった。なにがなんでも欲しかった。その欲望の強さをはっきり覚えている。
 そんなある日、当時、東京暮らしから戻って実家に寄宿していた父方の叔父の財布が、まだ田舎では珍しかった彼のベッドの上に置き忘れてあった。それを広げてみると、お札がいっぱいつまっていた。五百円札でも目の玉が飛び出る金額だったのに、千円札と一万円札がつまった財布をみて、私は「このお金があればミニカーが買える」と思ってしまった。衝動的に、四千円をぬきとった。しかし、「もっとあればもっと欲しいものが手に入る」という欲望が膨らんで、私は叔父の財布の中にあった一万円札をも抜き取った。一万円という金額はどれぐらいの価値があるのか、まったくわからなかったし、実感がなかったが、とにかく手に入れてしまえと思ったのだ。

 そして、その金で私はおもちゃ屋でミニカーを買い好きなプラモデルを買い、ブラックチョコレートやスナック菓子を買った。盗んだ金を使っていた期間は一週間ぐらいだったと記憶する。
 よくあるパターンで、近所の友人にもおもちゃやプラモデルをおごり、結局はそこから足がついた。友人の祖父が、「こんなにおもちゃを買ってもらういわれはない」と返しに来たのだ。
 当時、私には盗み癖が出たらしく、そんなに大金を盗んだのに、それとは別に親が親戚用に用意したご祝儀袋からも500円を抜き取った。そのことがばれたのも重なり、親は大慌てしたのかもしれない。

 盗みがばれてからの、父と母からの虐待のものすごさはすでに書いたのでくどくは繰り返さないが、とにかく殴る蹴るはもちろん、全身の数十カ所にたばこの火を押しつけられて火膨れだらけになり、新聞紙の束を燃え上がらせてその上で火あぶりにされたりした。
 とどめは母親から「おまえのようなものは息子でもなんでもない、どこへでもいってしまえ」と絶叫されて、手足の肉が打撲で裂けてはぜ、鉈の刃で腕の皮膚を切られて血まみれになったまま、泣きながら家から逃げた。もちろん、後から母親が追いかけてきて連れ戻してくれたし、翌日には外科に連れていかれて手足の傷の治療をしてもらったが、心についた傷は、その後の人生を左右した後遺症をともない、とてつもなく深いものだった。

 実は、そんな親の暴力を受ける前に、叔父から盗んだ金を使いはじめてから、すでに私は罰を受けていた。良心の咎めや罪悪感という罰だ。好きなものが買えても、友人に大盤振る舞いしても、心から楽しいと思えることはまったくなかった。自分は悪いことをしているという嫌な自覚と、世界がどんよりと曇っているような感覚が気持ち悪かった。晴れ晴れとした気持ちがまったく失われ、どこにいても自責の念と、いつばれるかという恐怖でおどおどし暗い気持ちで過ごしていたのだ。

 盗みは悪いことで繰り返してはならないことだったが、両親の暴力はあきらかに不当で、特に父親の方は完全に行き過ぎたものだった。父親に対する親密さや親愛の情は、あの日をもって終わり、私は情緒的に父親を失った。それは母親に対しても同じで、少なくとも甘えていい対象ではまったくなくなった。両親は私にとって人間の皮をかぶった裁きの鬼の本性を持つ生き物として認識された。根底的な人間不信がそこで強く刻まれて、人情や愛情や寛容さや慈しみを信じない心が育った。 

 虐待を受けて数日後、私は今でもはっきり覚えているが、それまでになかった凶暴な衝動に駆られた。家の前の畑に、背の高い雑草が生い茂っており、そのただ中に分け入って、竹の棒を振り回して手当たり次第に雑草をたたき折り、薙ぎ倒した。こんことをしては草が痛いだろう、かわいそうだろうという気持ちもあったが、わき出る凶暴な衝動を抑えられなかった。

 さらに一、二週間のうちに、私は今度は自分でも訳がわからない奇行に及んだ。安全カミソリで叔父のベッドや家の座布団や枕の表面を十センチくらいずつ切り裂いていったのだ。ずたずたにするのではなく、ひとつの物にひとつだけというように、ちょっとずつ切り傷をつけていった。母親が、あちこちにできた裂け目をみて不思議がっていたのを思い出す。

 それから数ヶ月後、自分の部屋で一人遊びをしている最中に異変が起こった。学校の教材や本などを使って床の上に町をつくり、自分が怪獣になってそれを壊すという破壊の遊びの直後だった。
 そのときに、まだ小学校3年だったのに、突然に性衝動が起こった。当時、クラスメートに好きな女の子がいて、授業中、偶然にその子のスカートの中が見えたことがあり、それを思い出して欲望が起こった。
 そして、その場で下半身をうつぶせにこすりつけるようにして、生まれて初めての自慰行為をした。

 それから、思春期になるまで半年に一度くらいのペースでそんなことをしていた記憶がある。もちろん、精通以前なので射精はなく快感だけだったが、いま思えばすでに好きなものや酔わせるものへのコントロールができない病的依存がはじまっていたのだとわかる。
(小学校一年生時に続き、この虐待後に、再び性的行動が起こった事実には、非常に重要な男性性にまつわる気づきがあったので、次投稿で取り上げる)

 以上のような虐待直後からまもなくの現象以外にも、それから二年後、小学校五年の春先ぐらいに、アルコール依存の祖父と同級生の友人といっしょに郷里の北上川の河川敷に行った時に体験したことが記憶に残っている。

 そのころは、今とちがって消防法が厳しくなく、河川敷に火を放って葦の原を焼くことが許可なく可能だった。
 それで祖父が自分の畑の前の河川敷の枯れた葦原を焼こうと火をつけたのだが、私はめらめらと燃え上がるその炎に、なぜか大変なことになってしまうと深刻な恐慌を覚え、同級生にも手伝わせて、燃え上がろうとする炎を必死で踏み消した。
 祖父は笑っていたが、私は自分でも驚くほどのパニッック状態に陥ってしまった。
 そのとき、必死で燃える葦を踏み消す自分の姿と、足の下の白い枯れ葦の葉と黒い灰に、私は名状しがたい既視感を覚えた。この火と恐慌には見覚えがあると感じていた。

 あとで、それは小学校三年の虐待時に、父親に火あぶりにされたときに、燃え上がる新聞紙を足で必死に踏み消した体験の再現であると気づいた。

 つまり、二年経っても父親に火あぶりにされた悲惨な体験が、生々しい記憶として留まっていたのだ。それが、祖父のつけた河川敷の葦原の炎で無意識のうちに思い出されて恐慌というフラッシュバックを起こしたのだ。

 そのフラッシュバックが起こったのと、ほぼ同時期に私は自宅で、大切にしてくれた教諭から読書感想文の課題を受けて苦しみ、その読書中に眉毛を抜いて顔をのっぺらぼうにしたことに気付き、鏡の前で恐ろしい思いをした。初めての抜毛症(トリコチロマニア)の発症だった。それから中学、高校にかけて、受験や家庭内のいざこざのストレスで抜毛症はさらに激しくなっていった。

 こうした虐待という親の暴力に踏みにじられた心理外傷のフラッシュバックが、高校二年のとき最大最悪のフラッシュバックで病的状態になる前に、もう一度あった。中学二年の終わりのことだ。
 当時、まったく自信も覚悟もないまま生徒会長になってしまった私は、仙台で全県の生徒会の生徒たちを集めた宿泊研修オリエンテーションに参加させられた。

 そのプログラムで、研修中に組まされたグループごとに寸劇をやることになった。そこで私は乞食の役を振られた。衣装や姿づくりは、即席にやればよかったが、私は模造紙や新聞紙やダンボールを使い、リーダー役のボランティアの大学生に「そこまでやらなくていい」といわれるほどボロボロの格好をした。

 自分が惨めで落ちぶれきった乞食の格好をしているのを自覚したとき、不思議な感情に支配された。自分の内側から、理由のわからない安堵と悲しみと痛みのまじった感情がわき起こり、涙が出そうになった。乞食役のボロボロで傷だらけの見捨てられた姿は、内奥の虐待された子供の姿そのものだと感じたからだ。

 私は、だれかに自分がどんなにひどい虐待を受けて、どれほど無惨に傷ついたかを伝えたかったのだ。こんなに自分は傷ついて苦しんでいる人間なのだと表現し訴えたかった。その叫びを、乞食役を演じることで、はからずも一部なりとも表現できた。それによって、予期しない機会ながらも自分の本当の姿を表し、伝え得た安堵と悲しみと不思議な涙ぐましい喜びの情動に打たれたのだ。



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# by ecdysis | 2016-09-10 00:44 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

機能不全家庭の親たちの子供を不幸にする暗黙の強迫メッセージ

 お盆休みに、毎年恒例の年に一度の墓参りに帰省した。

 78歳の父親は元気で、片足をややひきずりながら車の運転もするし買い物もする。
 母が亡くなったあと、いっしょに暮していた「おばちゃん」は昨年の11月末、弟の命日に父親に愛想をつかして出て行ったという。
「おばちゃん」もこれで3度か4度目の愛想づかしの別離だが、今度こそ、もう戻ってこないかもしれない。

 この9か月近く、ずっと一人暮らしだったのを、私にも妹にも近くの叔父にも知らせないでいたという。相変わらず理解に苦しむ行動をしている。電話も故障しており、これではいざというとき大変なので、おおあわてで年寄り向けのシンプルな安いのを買って送った。

 そして、この父親に関して、やはり共依存の病的な心配性が、私の心に恐れと苛立ちを運び、日帰りにもかかわらず、ひどく疲労した。

 すでに3年前に、父親を妹夫婦がひきとって老後の面倒を見てもいいと、叔父たちとも相談した上で決めたのに、最初は承諾したのにもかかわらず、しまいには手のひら返して「ここにいる」といいはり、以来、妹は激しく怒りあきれている。だから、どんなに父の一人暮らしが寂しいかろうと、もう「ひとりでは暮らせない。助けてくれ」と白旗をあげるまで妹は手助けしないと宣言しているし、私もそれを支持している。

 父親は、土建業の職歴を生かして土台から屋根まで独力でつくった倉庫のような住まいが気に入っているし、そこに愛着があるのだという。トイレも水道もない不便きわまる家屋で、土地も農地扱いで宅地申請もしていない。井戸も掘ったが鉄分過剰なすぐに錆びる水で飲用には適さない。飲料水は小型トラックで20分ほどの山の神社の湧水をポリタンクで何本も汲んできたり、知り合いに水道水を汲んでもらって確保している。
 そんな生活を10年近くも続けている。

 私や妹や叔父夫婦や役所の福祉課のワーカーやヘルパーのひとたちなど、まわりの心配や危惧をよそに本人はいたって気に入った風なのだ。

 どうも私の父親は、若い頃からのエピソードをつなげてみても発達障害があるようで、人と暮らしたりいろんな義務を課せられるのがきわめて苦手のようだ。ふつうの人間なら我慢がならない不便さも気にならず、逆にふつうの人がふつうに求める快適さや適度の社交や楽しみやいろどりや精神的豊かさという、いわば生活上の良識に属することを避けて抵抗する傾向が強いと、改めて気づいた。

 自分のつくった場所で思った通りの農作業や簡単な土建作業などをおこない、自給自足にいそしみ、願った通りに生きられれば、ひとりでも平気という結論になる。むしろ、ふつうの人たちが求めるいい家やいい車や衣服や、社交上の儀礼や装飾などや、生活上の便利さやうるおいやいろどりを与えるようなものは、いっさい無用のわずらわしいものとしか感じられないようだ。

 だから、私の母もふくめて、ふつうに生活上の便利さやうるおいやいろどりを求める女性と結婚して暮らすのは、そもそも無理な男だったのだと、やっとわかった。彼にとって女性たちの化粧も衣装も女性らしい買い物の数々も、ムダで余分なカネのかかる理解に苦しむ行動だろう。衣食住すべてに対してそうなのだ。

 こうした父親のありようを見て、いらだちを感じる自分をふりかえって、私は今日、大きな気づきを得た。

 それは、私が強迫的に父親のことを心配するのは、母との共依存がスライドしているということだ。この尻尾をすっかり切らないと精神の安定に問題が生じる。

 その共依存の核心がわかったような気がするのだ。何が核心かというと、その強迫観念の持つ暗黙のメッセージを言葉にすると「親を一番に大事にしないおまえは息子ではない」というものだ。
 ここで、大事なのは「だれよりも親を大事にしなければならない」というところだ。これを親側からいえば「私をだれよりも一番、大事にしなさい」ということになる。この暗黙のメッセージに従うことに強迫的になっていた私は、思春期以降どうなったか。
 恋人や結婚したい人が現れても、親に何かあれば親の方に心がいってしまい、自分にとって本当に大事にしなければならない人やものごとがおろそかになってしまう。そんな今思えば由々しい弊害があったのだ。
 これでは、たとえ結婚して子供ができても、自分の家族よりも実親にとらわれて、自分たちはちっとも幸せになれないということになったにちがいない。

 自分の幸せを求めるエネルギーよりも、親の幸せを求めさせられるエネルギーの方が強かった。
 子供自身である自分の幸せよりも、「親の幸福」を優先するのが「よいこ」であると強迫的に信じ込まされてきた。また、そう思わずにはいられないほど、親たちの「だれかわたしを幸福にしてくれ、安楽にしてくれ」という「悲鳴」がひどかったということにもなる。
 思えば、父方の祖父も祖母も父も母も、言葉にならない次元で「わたしだけを一番大事にしろ。わたしだけは幸せになるようにしろ」というエゴ丸出しのメッセージを日夜わめき続けていたのだ。

 私はその毒電波のような原家族メッセージに支配され従わされてきた結果、こんな年になり、もはや家庭を持つことなど考えられないようになった。

「子供の幸せが自分の幸せ」という、健康な親の幸福観とは、なんとかけはなれた機能不全家庭のありようよ。

 本当は「自分らしい自分の幸せ」が、「親の幸せ」であり、本当の「親孝行」なのだと想う。親のエゴに支配され犠牲になるのは、むしろ親不孝である。親が自分のエゴで子供を犠牲にしたら、それは親の親、さらにはその親世代に対しても親不孝、いな先祖不孝となる。

 自分たちの病んだ親たちだけでなく、父方・母方とみていけば、祖先には健康でまともな機能正常な親たちもいたはずだ。
 その健康な祖先たちに対しても不孝となる。

 お盆の墓参りをしたせいか、そんな風に感じられてならない。

 


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# by ecdysis | 2016-08-20 02:27 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

封じられた叫びの子(小学1年編)

 インターネットで「言葉で表現できないことによって体が病気になる」という記事があった。要するに、心身症や無感情言語障害の理由の説明のような記事だが、これはACやアディクションの重要な一因をも示している。

 人は子供の頃に、健康な感情表現を言葉でも表情でも行動によっても行うことが必要だ。それは、喜怒哀楽だけでなく好き嫌いや受け入れる受け入れない、許す許さないの表現をも含む。それによって、自分が安全であること、守られていることに安心し、親たち保護者にケアしてもらいたいということを主張し、認めてもらうことで「この家は自分の居場所だ」と安心を感じることができるのだ。そうしてこそ、初めて健康な子供時代を過ごすことができる。

 しかし、私のようなACは、親や家族に対し、子供として表現すべき、ごくふつうで当たり前の感情や欲求さえ、表すことはおろか感じることさえ許されない環境に置かれて育った。

 怒りや悲しみや不平や不満、あれがほしい、これはいやだ、好きだ、嫌いだ、こうしてほしい、それはしないでほしい・・・などなど、なんと多くの人間に当然あるべき感情を封殺されて生きてしまったことか。

 その封殺の仕方も、多くは虐待やネグレクトや脅迫など、理不尽さと暴力をともなう著しく不当な手段によるものだった。
 しかし、それらが理不尽で不当だといえるのは今や大人になったからであって、子供の時分にはそういう批判心を持つことなどできなしなかった。

 しかし、理性や批判心は乏しくとも、子供には子供の良心があり、人間らしく扱ってほしいという願いがある。言葉にすることはできなくとも、親に愛されたい守ってほしい、甘えたいという感情は確かに存在していたし、それは決して消滅しない子供の心そのものとして今も存在し続けているのだ。

 その表現されなかった子供の心の中で、私の内なる子供は二つの「叫び」を特に強く持っている。そのひとつは、非常な虐待を受けたトラウマを持つ子供の叫びで「だれか助けて」というきわめて切迫した恐怖と強迫のパニックにおちいっている。 もうひとつは「いやだ、やりたくない、やめてくれ、こんなのいやだ」という拒否・拒絶の叫びだ。

 この二つが表現すべきときに表せずに封殺されたため、私がまず発症したのが歪んだ性の妄想と自慰行為と自傷行為だった。
 小学校一年のときに母親から虐待を受けたあと、私は絶望に陥り、学校や外で起こったことや、自分の欲求を母親にまったく伝えない子供になった。母親に助けを求めることも甘えることも全くしなくなった。

 それ以降、悪くない乳歯を自分で口じゅう血まみれにしながら抜歯したり、尿意をむやみと我慢して激痛をともなう血尿がでるまでやめなかったり、奇妙で痛ましい行動が増えた。たぶん、母親も私が変だというのは、ある程度はわかっていたと思うが、それが自分の虐待のせいだとはわからなかっただろう。

 その当時、私は夜、布団にもぐって寝る前に、誰か女神のような女性が現れて、自分に限りなく優しくしてくれる妄想を抱くようになっていた。私は、その空想上の優しい女性の慈悲深いイメージに毎晩のように逃避することで心が壊れることを防いでいたのだと思う。

 そんなある日の晩、私の空想にそれまでになかった淫猥なイメージが初めて現れて驚いた。突然、こんな妄念が起こってぎょっとした。それは、小学校一年生の同級生の色白の女の子が好きだったのだが、その子を土管の陰に連れ込んで下着を脱がして性的な悪さを加えるというものだった。

 自分でも予期しなかった生まれて初めてのよこしまな妄想に、私は魅入られたようになった。こんな妄想は、いけないことだと思ったが、後ろ暗い快感があって、こんな空想はもうすまいとは思わなかった。

 もちろん、その妄想が実行に移されることはありえなかった。第一、その子と二人きりになるどころか、現実には教室の中で口をきくことさえできなかったのだから。

 そんなねじくれたゆがんだ欲望があの晩、突如として現れた理由が、これまでわからなかった。しかし、母からの虐待というファクターを通して、初めて見えてきたことがある。

 その陰湿な性的加虐の妄想の源を求めていくと、私の被虐待児童の「圧殺された叫び」が見えてくる。私は自分の生存を委ねる母から、暴力によるによる拒絶と敵意と絶望を与えられ、この世界で助けを求めるべき大人を失った。

 当時、父と母はひどい祖父母のいる家からよその町に引っ越し、私と妹をつれて親子四人の生活をしていた。しかし、父親は東京へ出稼ぎにいっていて不在で、実際は母子三人の母子家庭のような状態だった。

 そんな密室性の高いなかで起こった虐待劇だったので、私には救いというものが全くなかった。母からは日常的に体罰・折檻を受けていたし、妹が幼かったこともあり、とにかく「手のかからない完璧ないい子」であることを要求され強制された。当時、空想に逃げテレビアニメや特撮ものに逃げ、虫や動物など好奇心の対象に夢中になる時間がなければ、とうてい生きてはいけなかった。

 今、やっとわかるのは、私は本当は母に助けて欲しかったのだ。彼女以外に私を助けてくれる人は、当時のあの環境では誰もいなかった。
 それなのに、私は世界で唯一の依存しきっていた存在から暴力をともなう拒絶を受け、全くの孤立無援となってしまった。
「だれか、助けて!」と叫びたかったが、その叫びを真っ先にきいて助けてくれるはずの母なる人が、私に過酷な虐待を加えたのだから、どこにも救いはなかったのだ。

 それはあたかも、犯罪から市民を守るはずの警察官から不当な暴力行為を受け、だれにも助けを求めることができなくなるのと似ている。

 宗教的表現でいうなら、それまで「神」「ハイヤーパワー」だった母が、一夜にして「悪魔」「理不尽な力」と化した。
 そのとき、私の中で「正義」と「神」への信頼が損なわれた。神は悪魔になり、私は以後、悪魔の庇護のもとで暮らすという言葉以前のイメージにとらわれていくことになる。

 成人して、カルト宗教を盲信して以来、理由もなく自分を「サタンの息子」と卑下する感情にとらわれてきたが、それはこの小学校一年生の私の叫びが形を変えて現れたのだ。 サタンとは母のことであった。

 神が助けてくれないならば、悪魔に媚びて身を売るしかないという、最悪の妄想にとらわれてきた。

 そして、その後、さまざまな場面で「正義」ということにひどくこだわり、正しいことが通らないと我慢がならなくなる衝動性が現れたのも、悪魔になってしまった母への恨みだったのかもしれない。

 こうした「叫び」が私をアルコールと女性への依存へと導いた。「だれも助けてくれない。でも助けてほしい」という絶望的な救いを求める心が、母以外の女性である幼いクラスメートに向かったのだろう。それが、一見、変質的な妄想となったのは、単なる嗜虐心というよりは、本当は泣きじゃくってすがりつきたい気持ちが、表現のしようを失って極端に歪んだ形で現れたのだとわかる。

 さらに、助けてほしかったが、あらかじめ「よい子」の縛りのある子供である私には、それを素直に叫ぶこともできなかった。
 私は母に肉体的にも精神的にも身動きできない、逃げられない状況で虐待されたのであり、その後遺症がこの年になるまで、まだ尾をひいている。

 私のこの体験をACに詳しい医師に話したところ、「去勢のストーリーが成立する」という診断だった。
 つまり、健康な成人男性になるのに必要な精神的な男性性というか「オス」の部分が奪われたというコメントだ。

 それは、親への反抗や不従順を許さないように、あらかじめ去勢してしまったということだ。

 このようなセクシャリティに踏み込んだ問題まで起こしていたとわかれば、去勢された男子の性欲が同級生の女の子への変質的妄想に発展してもおかしくない。

 確かに、今から50年前に、千円札を持たされて夕方に買い物に出されてそれをなくしたことを責め咎められたのが虐待のきっかけだ。当時の千円は今の一万円といっていい価値をもっていたので、母親が青ざめたのはわかる。
 しかし、今でいうなら6歳や7歳の子に一万円札を預けて、細かいものを買ってくずしてこいという方が、よっぽど無茶である。それは、むしろ母が最初から無意識的にでも、私を虐待して憂さ晴らしする機会をつくったのではないかという陰湿な推測さえ可能だ。

 思春期以降に、私の内に霧のように不透明でつかみ所のない自己不信が生まれ、異性への建設的な積極性を持ちえなかった理由に、この虐待体験が影を落としている。

 小学校一年時の虐待は、まず私に根底的な男性としての自己不信を刻み、オスとして配偶者を得て現実的に家庭を営み建設してゆく力を奪ったのではないか。

 それなのに、この数年後に、今度は「代理夫」の役割を押しつけ、「早く結婚して孫の顔を見せろ」と要求するようになった。息子を去勢しておきながら、今度は繁殖しろという。なんと身勝手な母親であろうか。

 これまで、狂った姑に日常的に虐待される母がかわいそうだという感情に曇らされてきたが、こうしてみると、母が私にしたことも相当にひどい支配欲の発現とみるほかはない。去勢であれその逆であれ、どちらも母が息子を自分の思うとおりにしようとした事実に変わりはない。

 すでに死去して十年になるが、母よ、あなたはいったい私になんということをしてくれたのかと、今更ながら憤りを覚える。人格障害の姑と問題飲酒者の夫との日常に、母も病んでゆきアルコール依存に陥った気の毒さはあるが、息子に対する支配という点では強烈だったのだ。


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# by ecdysis | 2016-08-05 02:26 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

ギャンブル依存は自傷行為の一種で他のアディクションにも共通する不幸さをもつ

 ギャンブル依存とアルコール依存に理解のある友人が今日、興味深いことをいっていた。

 彼がいうには「ギャンブラーは大当たりしたときのハッピーさよりも、大負けして今月の生活費どうしようというピンチの感情を覚えることで精神が安定するんだ」

 要するに、勝って利益が出て安心するのではなく、負けて生活がピンチになるというスリルを味わうことで心が落ち着くというのだ。
 これは、これまで推測もしなかった情報で、要するにギャンブル依存は「負けてピンチになって脳内快楽物質が分泌される」ことへの依存だという。

 言い方を変えれば、その話をきいていた別の知人が指摘したように「自傷行為の一種」であり、スリルと達成感を求めて万引きを繰り返すクレプトマニアと共通する。

 いずれにせよ、「平安」から隔たったアディクションの世界だ。酔いや自傷の苦痛や闘争や共依存の世話焼きだけでなく、個人的なスリルや生活上のピンチにまで嗜癖しているというのは驚くべきことだ。

 そうしなければ生きてこられなかったという悲痛な世界であることはいうまでもない。

「平安」を「平安」として受け入れ、「安らぎ」を「安らぎ」として味わえるようにならないと回復ではないのだろう。

 ケンカや虐待やピンチや自傷のハラハラドキドキと、そのあとの虚脱、小刻みに体を震わせながら味わうつかのまの「静けさ」。

 そんな家庭環境で育ったすべての子供たち、そして私をはじめアディクションを抱えた大人たちが、みな真の平和と安心に包まれて永続しますようにと祈る。



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# by ecdysis | 2016-05-29 02:14 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

アディクションの症状は100%無くすことはできないのだということ。

 私の場合はアディクションがアルコールへの依存なので、どの程度、自分の心が「酔っている」か「しらふでいる」かで回復の度合いがわかる。

 先日、そのことに関して我ながら今さらのように実感したことがある。

 それは私の欠点である短気や性急さというものが、依存の原因や結果ではなく「いまだ酔っている状態」が続いている証拠だということに気づかされたのだ。

 酒をやめる前はネット上で喧嘩や言い争いや罵倒や攻撃にあけくれていて、頭が狂っていると批判されたり、訴訟すると宣告されたりした。そのころの攻撃性がシラフになってからずっと少なくなっているが、自覚できる欠点としていまだあることは困りながらもわかってはいた。

 疲れたりショックなことがあるとイライラや怒りっぽさが生じて人やものごとの悪いところばかり見えて責めたり裁いたりしかできなくなる。しまいには一人で癇癪を起こして、うなったり愚痴ったりだまりこんでストレスにあえいでとらわれたりしてきた。

 それらが自分の問題だと認識できてはいたが、「酔い」の問題とは思えないできた。

 ところが自分と同じアディクションの持ち主たちが、相当に断酒期間が長いのにもかかわらず、癇癪を爆発させ怒る姿を見て「これは酔っぱらってるのと同じだ」と感じる瞬間があった。

 つまり「幼稚な怒りは酔っぱらいの感情である」と思い知らされ、自分の怒りも同一の現象とわかって愕然としたのだ。すなわちアルコホーリク(飲酒に問題のある人たち)とは、断酒して飲まない生き方をしていても「シラフ」の意識と「酔っている」意識とが同時に一つの体に住む「二重人格者」なのである。

 外見は「シラフ」に見えても、そこにはアルコホーリクでない人々のもつ「シラフ」とは内面性において決定的な一大相違点がある。

 それがいま書いた「酔っぱらった意識の同時存在」なのだ。

 アルコホーリクにとっての「シラフ」とは「シラフの意識の方が酔った意識より強く現れており、酔いが再発しないようにコントロールできている状態」にすぎない。もちろん、それだけでも回復していることにちがいはない。しかし、アルコホーリクでない人々と同じ意味で「100%のシラフ」になることはできないのだと思い知らされた。


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# by ecdysis | 2016-05-14 01:10 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(3)

私には、「良心の機能不全」がある

 ACである私は「機能不全家庭」に育って、自己管理や対人関係や社会性など、心理的・精神的にさまざまな場面でも「機能不全」を起こして、苦しみ続けてきた。

 それらは、すぐに修正できたり学習しなおせることもあれば、そうではない時間のかかることもある。 

 そして、私はAC性の発現によるアディクションには、本人の「良心の機能不全」という症状があるということに思い至った。
 病的飲酒や薬物摂取などの物質依存も、ギャンブルや買い物やクレプトマニアなどのプロセス依存も、呈する病態は健康な羞恥心と良心の麻痺である。
 それらの「麻痺した良心」は、家庭環境によるものなのだろうか、それとも先天的なものなのだろうか。
 どちらであるか、私は自分をふりかえってみても、わからない。
 わからないというのは、家庭環境のみに原因を求めきれるのだろうかという疑問があるからだ。

 もしかしたら、私の内奥の魂は、すでに生まれる前から「良心の機能不全」の部分をもっていて、それを発現させて修正の契機となすために、わざと生家のような家庭環境に生まれたのではないかと感じるからだ。
 ふつうに考えれば、これは耐えがたい発想だ。あたかも、ACになるほかない家庭に生まれたことは、魂の欠点に対する罰であり裁きであるかのようにも見えるからだ。

 しかし、それは「罰」でも「裁き」でもない。ひとつの「結果」、仏教的にいえば「因縁因果」の致すところだが、基本的な動機は「人格的な成長」にある。
 神でも仏でもハイヤーパワーでも呼び方はいかようでもいいが、とにかく私をこの世に生ましめた大いなる存在は、「現世の実体験を通して成長せよ」というご命令を私にお与えになられたのではないかと思わざるをえない。
 そのための苦しい経験、みじめでぶざまで痛ましい目にあうことにもなった。
 そうした経験によって自分の本当の姿を自覚し、ようやく麻痺していた良心の目覚めと改心がもたらされるというプロセスが期待されているのではないだろうか。
。 
 いま読んでいる曹洞宗の「修証義(しゅしょうぎ)講話」という在家信者向けの経本の解説書では、著者の大洞良雲さんが「赤裸々な自分に直面する」ことを述べておられる。
 あたかもアディクションの回復プログラム「12のステップ」のステップ4と10のようである。

 「修証義」は、実は実家の墓のある檀那寺の一隅に「ご自由にお持ちください」と積んであったものを、自殺した祖母の法要の折りに30年前に1部いただいたままだった。
 それをここ数年、開いて見ていたが、意味が難解なので「修証義講話」を古書店で見つけて勉強しはじめた。

「修証義」は、曹洞宗開祖の道元禅師による「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」はじめさまざまな著書から抜粋したものを集成したものである。
 少なくとも、実家が檀家である寺の住職は、親戚の葬儀の折りに威儀を正して故人に引導を渡す際、この「修証義」の一節を唱えていたから、重要な経本なのはまちがいない。

 ただし、住職が唱えていたところだけ見ても、そもそも葬儀向けの経本ではないと思う。
 けだるげな読誦で住職が唱えている修証義を、遺族親戚は寺堂の中でかしこまって聴いていた。
 今にしてみれば、「ご住職、それは故人が生きてるうちに説いてきかせなければいけないことで、現世の生を終えた霊魂がいまさら言われても、供養には役立たないでしょう」といいたくなるが、それはおいておく。


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# by ecdysis | 2016-03-26 03:00 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(2)

私の目に見えない何かを求める旅は、死後世界への恐怖からはじまった

 掲示板の方にも書いたが、このところ仏教書を読み漁っている。

 どうも私は、この世の世俗のことがうまくいかないので、目に見えない聖なる世界へ逃避しようとしているのだろうか。
 あるいは弟や母や友人たちの不幸な死に何度も遭遇して、死後の世界や生まれる前の世界などのスピリチュアルなことへの関心がよりいっそう強くなったということなのだろうか。

 理由はともかく、数年前から「死への恐怖」というものが「苦痛への恐怖」とならんで、自分の苦しみの根源に横たわっていると感じてきた。
 すなわち、盲目的な「死への恐怖」が私の中にあり、それが極めて強い磁力源となって、精神的な苦悩を引き寄せていると感じてきたのだ。 

 盲目的なので論理的ではないし感覚的・感情的なものであって、死とはコールタールのようなどろどろの暗黒の底なし沼に沈むイメージがある。

 少なくとも、私は若い頃から人が死んだら無になるという「信仰」は持ち合わせておらず、死んだら魂になって別の世界で生きるという「信仰」を持っている。
 厳密にいえば「死そのものへの恐怖」というよりは「自分の死後には恐ろしい永遠に窒息し続ける苦悶の世界が待っている」という根拠不明な一種の強迫観念がある。

 これはAC性が強烈に発現し、ACである自覚もなく、その症状だけをなんとかしようとあがきはじめた19歳のときから続いている。

 私のカルト宗教をはじめとした宗教的な彷徨と遍歴は、実にその19歳以来の強迫観念との闘いであり、それをなんとかしようとする道程でもあった。

 これは宗教に依存するタイプの人間の典型的心理の一種だが、「死後に天国に行けるように現世を生きる」というのがテーマになっていたとわかる。

 それは、逆にいえば「堕地獄恐怖症」でもあり、「このままの生き方では死んだあとに暗黒の地獄にまっさかさまに落ちて二度と良い世界へは昇れない」という強迫観念がある。

 20歳ごろには、その理由のわからない強迫観念を信じ切っていた。

 ちょうどそのころ、親鸞の「歎異抄」の中に「とても地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし」という一文があって、それが「なんといってもこんな自分は、地獄行き以外に道がない人間である」という意味なのを知って驚いた。
 だからといって、浄土宗や浄土真宗に惹かれたわけでもない。

 それは、新約聖書のキリストの言葉を読んで自殺を思いとどまった位、人生で強い影響を受けているのに、教会とはほとんど関わりを持たず、一度も洗礼を受ける気にならなかったのと同じだ。

 きれいな言葉でいえば書斎派なのかもしれないが、その一方で「釈迦の生まれ変わり」を広言するカルト教祖にはまったりしたのだから情けない限り。

 カルトにはたちまち引き込まれたくせに、既存の寺院・教会に、どうしてそんなに無関心だったのか、あまりにも無知過ぎたせいかもしれないが、以下のようなことぐらいしかわからない。
 それもAC性の発現かもしれないが、私は自分の生まれた家庭と同様、既存の世界に絶望し、そんな絶望の世界に対して教会や寺院は無力で無能な存在だと思い込んでいたのかもしれない。
 もし、既存の宗教寺院や教会が、人間の苦しみに有効ならば、なぜ自分はこんなに苦しいのか。なぜ自分の生まれた家庭は不幸続きなのか。なぜ世界にはこんなにも争いや苦しみや傷つけあう醜悪な出来事が絶えないのか。
 そんなような叫びが、心の中にあったと思う。もし、既存の宗教が信じるに値するなら、世界はこんな風にはならなかったはずだと。
 
 だから、私は「既存の宗教は腐敗してでたらめで有害である。私の唱える教義こそ真実の世界救済をなす」というカルト教祖のよこしまな教説につけこまれたのだ。

 だが、今は思う。救済は個人単位でしか実現されない。大勢の人間を集団単位で救済することはできない。
 もっというなら、目に見えない善なる存在を意識しなければ、人間は人間自身を精神的・道徳的に救う力を持たない。

 目に見えない普遍の存在を意識しない限り、人間は人間を精神的・道徳的に救済することはできない。
 人間は、精神的・道徳的・良心に関して、自分の苦しみを自力で救うことはできないのだ。

 精神も道徳も良心も、世俗的な欲望と不安と恐怖によって絶えず脅かされ傷つけられている。
 私は、そのような恐怖と不安から解放されたいと数年前から思い続けてきた。

 そして、いつしか「永遠に生き続ける自分」というものがあるのではないかと、うっすらと感じるようになってきた。
 わかりやすい言葉でいえば「死への恐怖は妄想であり恐れることなど何もない」という境地になりたいと願うようになった。

 それは今でもずっと続いている。


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# by ecdysis | 2016-03-25 02:02 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com または ecdysis@excite.co.jp