ギャンブル依存は自傷行為の一種で他のアディクションにも共通する不幸さをもつ
2016年 05月 29日
ギャンブル依存とアルコール依存に理解のある友人が今日、興味深いことをいっていた。
彼がいうには「ギャンブラーは大当たりしたときのハッピーさよりも、大負けして今月の生活費どうしようというピンチの感情を覚えることで精神が安定するんだ」
要するに、勝って利益が出て安心するのではなく、負けて生活がピンチになるというスリルを味わうことで心が落ち着くというのだ。
これは、これまで推測もしなかった情報で、要するにギャンブル依存は「負けてピンチになって脳内快楽物質が分泌される」ことへの依存だという。
言い方を変えれば、その話をきいていた別の知人が指摘したように「自傷行為の一種」であり、スリルと達成感を求めて万引きを繰り返すクレプトマニアと共通する。
いずれにせよ、「平安」から隔たったアディクションの世界だ。酔いや自傷の苦痛や闘争や共依存の世話焼きだけでなく、個人的なスリルや生活上のピンチにまで嗜癖しているというのは驚くべきことだ。
そうしなければ生きてこられなかったという悲痛な世界であることはいうまでもない。
「平安」を「平安」として受け入れ、「安らぎ」を「安らぎ」として味わえるようにならないと回復ではないのだろう。
ケンカや虐待やピンチや自傷のハラハラドキドキと、そのあとの虚脱、小刻みに体を震わせながら味わうつかのまの「静けさ」。
そんな家庭環境で育ったすべての子供たち、そして私をはじめアディクションを抱えた大人たちが、みな真の平和と安心に包まれて永続しますようにと祈る。