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ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com


by 心炎

56歳の私が4歳のときのトラウマに支配されて生き続けてきたということ

理不尽でいかれた行動をとる人たちや、不正を恥じない人間たちに感じる激しい怒りの正体がわかった気がする。

 きっかけは今朝起き抜けに、私の心の奧から、小さいけれどはっきりした子供の意識の声が聞こえたことだ。
 それは、こう訴えていた。
「殺さないで、殺さないで、殺さないで」
 自分を殺さないでと、だれかに哀願している。
 いったいこの声は私の何歳頃の意識の声かと考えた。はじめは自分が胎児の頃に、もしかしたら父母が中絶しようとしたのだろうかとも思ったがどうもしっくりこない。

 とりあえず、朝の日課の神棚と仏壇へのお祈りをしたあと、朝食の準備をしている最中に、ふいに「殺さないで」という声の意味がわかった。

 それは私が幼稚園時代に、毎日、いじめっこ三人組にいじめられていたときの言葉にできなかった深奥の思いだったのだ。下駄箱の靴を隠されたり、砂場でとりかこまれて幼稚園服の背中に砂を入れられたり、頭に砂をかけられたり、帰宅の途中でとおせんぼされて帰れなかったりと、かなり悪質ないじめにあっていたので、その恐ろしさはたとえようもなかった。

 幼稚園が休みになるのが待ち遠しくて、土曜日に「さよなら、さよなら、また、あさっての朝まで」というさよならの歌を歌うたびに「また明後日にはいじめられて恐ろしい目に会うのか」と、暗鬱で泣きそうな予期不安の日々を、すでに4歳で経験していた。

 いじめっこたちにとおせんぼされる前に帰宅したいので、さよならの歌が早く終わらないかと毎日焦っていた。
 焦るあまり、歌っているまわりの園児たちの間をぬけがけして帰ろうとしたが、先生に見つけられてしまったことがある。引き戻されてみんなの前で叱られて、目の前が真っ暗になった。その時のだれもわかってくれないという絶望と、暗澹たる気持ちはたとえようがなかった。

 当時、いじめられっこに毎日やられて死ぬほど怖い思いをしているということを、私は父にも母にも相談したり告白した記憶がない。ただ、精神に異常をきたしていながらも、祖母だけが私から話をききだして、いじめっこの親に抗議してくれたような記憶はある。

 幼稚園でいじめられている最中に、真昼に祖母の友人のやはり変人の近所のおばあさんが通りかかったときも、あまりに頼りなくて助けを求める気にならなかった。それでも、とりあえずいじめっこたちをたしなめてはくれたように記憶する。
 私はもう四歳にして、自分が死ぬほどこわくてどうしようもないときでも、だれも助けてはくれないと信じていた。父にも母にも助けを求めるなど考えもしなかった。助けを求めても父母は父母で忙しく、相手にしてもらえないか、あるいは自分の本心を表に出してはいけないと教わってしまったのかもしれない。

 とにかく「ばあちゃんを怒らせるようなことはいっさい表現するな」としつけられたので、それは家庭でも幼稚園でもどこでも適用されると信じた。時と場合によって使い分けたり例外をもうけるなどという発想はもちろん無い。闇雲に母の言いつけを万事に適用する以外になかった。

 だから、4歳の私は、園児から何かされても、怒りは禁じられており、ましてや反抗や抵抗もできず、自縄自縛に陥った。それをいいことにいじめっこたちが、格好の標的に選んだと考えれば理解できる。そして、いくらいじめても無抵抗なままなので、いじめが短時日でエスカレートしたのも容易に推察がつく。それは、私がいじめっこたちに殺されると本気で恐怖するほどの強迫的なものだった。

 すでに私は56歳だから、半世紀以上前の幼時のトラウマが、いまだに大きく感情生活に影響を与えていることが、今回の考察によってやっとわかった。
 これこそが、私の制御困難な憤怒のとらわれの本源だったのだ。


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by ecdysis | 2017-05-07 02:54 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)