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ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com


by 心炎

「自由」は未経験と恐怖の領域

 父親が飲酒による家庭へのダメージを日常的に与え続け、そのため母親から代理夫・父(家長)の替わりの役目を余儀なくされた。私は「子供なのに大人の役割をせねばならない」典型的な「いい子」のアダルト・チルドレンになっていった。

 昨日、あるアルコール依存症関係のサイトで、アルコール依存症の子供は、酔ったり混乱したりした親に対して、それをなだめたり励ましたり慰めたりする「親」の役目をも負わされるとあった。両親や家族の大人の状況によって、子供をやったり親をやったり配偶者をやったりと、家庭内の立場が安定しないために、きわめて不安定な自我を形成すると書いてあった。

 あまりにも正鵠をついていた記事なので、啓発の喜びと動揺を感じながら、今日は不安定な気分で過ごした。

 私は「チルドレン」というタームにとらわれすぎて、常に「子供として親からどう扱われたかに、これまで焦点をあててきた。しかし、親が子供をやってしまったがために、自分が親の親をしなければならなかった事実には、いままで否認が働いていたことに気づいた。

 子供なのに、親の親をするという「逆転の関係」「愛の逆流現象」は、たしかにその通りのことを経験してきた。母が泥酔するようになってからは、私自身が母の「親」をやるときが中学時代から多くなった。

 本当に、親が親の役割を、したりしなかったり(というか、できたりできなかったり)の家庭になっては、「自分がいい子になってしっかりしなければ」と思うほかはない。

 私は、育った家庭の中で与えられ、また押し付けられた「役割」を身に付けすぎてきた。そして縛られてきた。家庭を家族を家を「なんとかしなければいけない」という、切迫した強迫観念にかられ、しまいには強迫観念そのものに依存し、それによって自分を駆り立てるというACそのものの生き方しかできなくなってしまった。

 家とか親とか、「なんとかしなければならない」対象は、もうないというのに、過去に獲得した「なんとかしなければ」という強迫観念と呪縛だけはまだ残っている。私は、私を縛るものに依存することによって生き延びてきた。自分の好きなことややりたいことや気持ちのいいことに反して生きる姿勢こそ、「もっとも良い子」の道だという思い込みとともに。

「自由」など必要なかった。自分が自由にふるまえば、家が両親が家族が、どうにかなってしまう。自分が自由に生きたら、家が崩壊してしまう。私を支配し縛っていたのは、その強迫観念だった。

 働かない父親のせいで、家の電気代も払えなくなって、電気がとめられてしまうから、カネを至急送ってくれ、というような電話が、二十歳代から何度あったことか。社会人になって初めての冬のボーナスの大半を、親に泣きつかれて借金の穴埋めに差し出さねばならなかったことは、今でも痛恨の思いがする。

 私は、私の生まれた家にとって、なんだったんだろう。

 大学に入る学費を出してもらったことは恩かもしれないが、その親の「投資」に対して、私はせいいっぱいやってきたではないか。子供をやらせたもらえなかった私という人間。長男だからという理由で、なにもかもしなけrばならなかった。あげくにうつ病になって、「自由」に恐怖しかおぼえない男になってしまった。

 私は、親に対してさえ「親」をしなければならなかった。
 もうたくさんだ。「親の親」をやらされたという事実は、あまりにもむごい。
 なさけない。あまりにもなさけない。私の呪縛は、結局「自分が親の面倒をみなければ、親が親をしてくれない」という、ひどい逆説というか自家撞着からきていたのに、それさえ今まで言葉にできずにきたのだ。

 中学時代から、母親から「早く結婚して孫の顔を見せてくれ」「老後は面倒をみてくれ」と何度いわれたことか。

 悔しく情けなく、うらめしく、泣きたい気持ちになってくる。

 私は、親にとって、いったいなんだったのだ。家庭の諸問題のバンドエイドか、裂けた家庭という布地に当てるパッチか。自分たちが苦しいときに物心ともに依存し、よりどころにする「なんでもや」だったのではないか。

 いずれにせよ、そういう私の親たちは、私の本当の気持ちなど本気でわかろうともしなかったのは事実だ。苦しいときの息子頼みで、頼まれた私がどんなに苦しみもがいたか、決して理解することはない。

 なぜなら、彼らは彼らの問題で手いっぱいだったのだから。酔って息子に必死でしがみつくことしかできなかったのだから。私は、あたかも一定の養育費という先行投資を条件に、あとからいろんな無茶を押し付けられたようなものだ。

 なさけない。悔しい。憤ろしい。

 まだ生きている父にはもちろん、亡き母にも訴えたい。
 わが親よ、私の子供時代、少年時代、青春を返してくれ。
 私から奪った「自由」を返してくれ。


 
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by ecdysis | 2008-05-30 02:15 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)