ACは不幸せな子供時代を送った人が、大人になっても、その不幸せの中で身に着けた不健康な習慣や考え方や生き方を気づかないで続けているパターンをいう。
 では、健康でそこそこ幸せな子供時代を送った人達は、健全な大人になるらしいが、あいにく私もACなので実感をもってその人たちのことをコメントはできない。

 ただ、プロスポーツに夢中になったりディズニーランドやユニバーサルスタジオや各種イベントやコンサートの群衆を見る限り、「大人とはしょせん図体ばかり大きくなった子供」と定義しても、あながちまちがいではないと思う。

 仕事や職業においては常識と規則と世間体に従って「大人」を演じていても、プライベートは子供であろうと思う。もちろん、父母という立場上、「本物の子供」を養わねばならない私生活でも、子供中心の考え方をやめて、自分自身に立ち返れば、結局、子供の自分がよみがえってくるのだろうと思う。

 私が見る限り、私生活で子供っぽい趣味や口癖やコレクションなどをもっているACの人は、回復している人が多いようだ。ぬいぐるみを集めたりプラモデルやフィギュアを集めたり、アニメや特撮ヒーローに夢中になってみたり、アイドルの追っかけをやってみたり、とにかく「病的なアディクション以外の自分の好きなこと」をもっている人は回復している率が高い。(ただし、アスペルガー症候群や発達障害の人は、この限りではありません)

 たとえば、私はブートンはじめ、かわいい豚グッズを飾るのが趣味だし、ニックネームが豚を連想させる名前なので、友人からもそう呼ばれるし、一人でいるときは「ぶうぶう」とか「ぶひぶひ」「ぶーひ」とかしょっちゅうブタ語をつぶやくし、ちょっと驚くようなことがあったときには「ぶき~っ、なんじゃこりゃ~!」とか騒ぐし、ブタ語の通じる友人とは、電話で「もしもし」のかわりに「ぶひぶーひ」といいあうし、お互いあんまり調子がよくないときは、「なんか最近、ぶひだね~」とためいきまじりに挨拶するし、ちょっと閉口するようなことがあったときには「まったく、ぶひだねぇ~」とため息をつくことも多い。『はれときどきぶた』は座右のアニメになっている。

 小学校五年生のときに、祖母から気まぐれにだが、大きな熊のぬいぐるみを買ってもらって、ものすごくうれしかったのを覚えている。自分は男の子なのに、どうしてこんなにうれしいのだろうと自分でいぶかしんだほどだった。
 それだけ子供らしさを抑圧していたのだろうと、今は理解できる。
 だから、あと3年で還暦を迎えるのに、ブタ語をしゃべるような大人になってしまったのだ。別に恥ずかしいとも幼いとも思わない。
 十分に子供ができなかったのだから、これで丁度いいと思っている。

c0032696_01163898.jpg


# by ecdysis | 2018-10-04 01:17 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(2)

 御多分にもれず、私もアニメ世代なので、大好きなアニメはいくつもあるが、特定のアニメやアニメソングの一節に、どうしても内なる子供が反応して涙ぐんだり、胸が熱くなったり、しまいにはトラウマを刺激する要素が強すぎるせいで再視聴ができない回があったりする。

 筆頭は「アルプスの少女ハイジ」。フランクフルト編が再視聴できない。アルムの山でのびのび育ったハイジが、叔母の画策で都会のフランクフルトのクララの家に連れていかれる。それからの生活は、ハイジがどんどん明るさを失い、精神が崩壊してゆき、しまいにはうつ病になるさまを毎回克明に放映していた。その過程は、私たち兄妹が母の実家で祖父母と安全な暮らしができていたのに、生家に戻って酒乱とケンカと精神障碍者と暮らす地獄にいた中学時代の私にとっては、まさにリアルな現実だった。見ていて、自分のことのようにものすごく辛かった。

 今は、こうして言葉にできるが、当時はそこまで因果関係がわかっていたわけではない。ただ、ハイジがアルムの山に帰ることが決まり、列車の窓からアルプスの山が見えてきたとき、身を乗り出して腕を振り笑っているハイジの姿を見たとき、中学2年の私は思わず号泣した。
 高校時代に再放送があり、同じ回をみたが、やはり号泣した。何回みても、たぶん泣くだろう。思い出しただけで胸がつまる。
 子供がわけもわからず理不尽で不幸な目にあうアニメが、とにかく見られない。実はアニメの「フランダースの犬」もまともに見たことがない。
 私の中の子供が、ハイジやネロの姿に自分の姿を重ね合わせているので、同一化しすぎて情緒的に耐えられない。彼らの苦しむ姿は、子供の私がトラウマを追体験することにほかならない。

 だから、アニメの「赤毛のアン」も弟から勧められて、三十歳を過ぎてから見始めたが、マシューとマリラが、私の母方の祖父母と重なり、孤児院にいたアンが、マリラのもとでしつけられていくプロセスが、小学校五年のころの私自身と重なり、毎回のように涙が浮かんだ。
 あまりに共感したので、ルイス・モンゴメリの原作も松本侑子さんの素晴らしい翻訳で読んだが、原作を文字で読んでも、やはり泣いてしまう。
 それぐらい、私の児童生徒時代は、きわめて辛く苦しく、深い心の傷を刻み続けた日々だったということなのだ。
 それで、高校になってフラッシュバックを起こし、対人恐怖とパニック障害を発症し、アルコール依存症になってしまったのも無理はない。

 その高校時代の恐ろしい苦しみは、いまでも特定のアニメソングの一節を聞くと、胸苦しく刺激されて涙腺がゆるむ。
 たとえば、ガンダム世代で富野ファンでもある私は、「重戦機エルガイム」のはじめのころの主題歌の歌詞に、いたく心がゆさぶられた。
「たしかなものが、なんにもないね、どうしてぼくはここに」というくだりにくると胸がつまって歌えない。高校・浪人時代の私の苦しみを、そのままずばりと現した言葉だからだ。

 同じことは、「風の谷のナウシカ」の安田成美さんが歌っていた主題歌にもいえて「なぜ ひとは傷つけあうの」の一節にくると、胸からつきあげてくるものがある。生家では、ケンカと罵りあいと暴力ばかりだったので、「なぜ ひとは傷つけあうの」の歌詞は、子供の私の心の声そのものだった。

 あとはアニメ「南国少年パプワくん」を四十歳を過ぎてから見始めたが、その主題歌にも、ぶわ~っと涙が出る歌詞がある。
「もう なんにも しんぱい いらないよ」が、まるで私専用のアファメーションのように響いてくる。

 子供の私は、どんなにか「もうなんにも心配いらないよ」とだれかにいって欲しかったことか。そうして、大人たちからの保護と配慮が、いかになかったかをパプワくんの歌が教えてくれた。

「もうなんにも心配いらないよ」という意味の言葉は、実は般若心経にもある。
「度一切苦厄(どいっさいくやく=一切の苦しみや災いから救う)」「無有恐怖(むうくふ=恐怖はもうない)」
 苦しみと恐怖に満ちた私の原家族の体験によって、まさにこの二つの単語を実現することが、青年期から私の人生の心からの願いとなった。

c0032696_00311694.jpg


# by ecdysis | 2018-10-01 00:35 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(2)

 あまりよく知らない人たちの間にいると、心のどこかがいつも緊張して落ち着かなくなる。外見はそうは見えないかもしれないが、小学校1年生ぐらいの自分が顔を出す。その子は、まわりの人たちに「ぼくって、いいこ? だいじょうぶな子?」と、何度も何度も繰り返し聞きたがる。

 小学校一年生の初めての授業参観の日に、後ろに立っている母親が気になって気になってたまらず何度も何度も後ろを振り返ってみた記憶がある、。そのときの情動がよみがえる。母親がちゃんと自分を見てくれているかどうか、とても気になって仕方なく、何回も後ろを振り返った。その衝動をおさえられなかった。
 後から、母親が「あのとき、おまえは何度も何度も後ろをふりかえっていたよね」と述べていたから事実なのはまちがない。

 そのときの自分を振り返ってみる。とにかく、母が自分をちゃんと見守ってくれているか気になって仕方なかった。不安とかいなくなるかもとか思ったわけではない。そうではなくて、「かあちゃん、ぼく、これでいい? これでいい?」って尋ねたかったのだとわかる。

 当時は、父母が、陰険なアル中と人格障害者の祖父母から逃れて、塩釜のアパートに引っ越しており、なおかつ父が東京に出稼ぎにいっていたので、母と私と妹の三人ぐらしだった。
 その中で、母から虐待を受けていたことは、すでにこのブログで記した通り。

 今やっとわかったが、私が母に「これでいい?」と何度も振り返ったのは、激しくも切実な「承認欲求」であったとわかる。
 では、その承認とは何についての承認だったのか。
 それは「叱らないよね? ぼくをぶたないよね?」という母への恐怖からくる「安全保障」を求める承認欲求だったのだ。

 母を振り返らずにはいられなかった衝動の激しさは、母への恐怖の激しさでもあったとわかる。「こういうぼくを、たたかない? 叱らない?」と母親に確認したくて振り返っていたのだ。母が自分を叱ってひっぱたきたくなるような気持ちに、またなったらどうしようかと恐れ、そうなっていないか、必死で知りたかったのだ。教室ではなにくわぬよそ行きの顔をしてる母でも、家に帰ったらあの密室で、またののしられぶたれたりけられたりするかもしれないのだ。

 母への甘えよりも、そちらの方がはるかに強い動機だった。

 それは、同時に、なんとかして母にたたかれず叱られないためには、どうしたらいいかという子供心に生き延びるための算段を必死で探す作業のはじまりだった。
 虐待されないためには、母の気に入るような自分にならねばならなかった。母の気に入るような子供にならねばならなかった。成績のいい、従順な、母の気に障るようなことを一切しない、反抗も抵抗もしない羊のような子供にならねばならなかった。

 これは教育ではなく「調教」だ。母も自分の父母から厳しい折檻を受けたというから、そのやりかたを踏襲したのかもしれないが、虐待という暴力で自分の子供を想う通りにしようとした支配の事実は消えない。

 むろん、母自身も当時の私への態度がひどかったことを認め「かわいそうなことをした」と涙ぐんではいたが、そのことをもって私に謝罪の言葉があったわけではない。彼女にとっては「過ぎた過去への後悔」であって、そのとき受けたトラウマに私がどんなに苦しみ後遺症を負っていたかは、私も言わなかったので、それを知ることなく彼女は物故した。

 暴力であれ心理的圧力であれ、「子供をその意志を確認することなく一方的に自分の思う通りにする」行為は「支配・調教」である。「人間への教育」ではない。なかば「奴隷・家畜」への扱いだ。

 だから、子供は無意識のうちに、自我の長じる思春期に、自分が一個の人格をもった相応の待遇を受けるべき「人間」に立ち戻ろうとする。しかし、暴力や心理的圧力によって反抗期を封じられた私のような子供は、AC性が発現し、各種の依存症・嗜癖の発現という形でしか「私は人間だ!」と叫べなくなったのだ。

「私は奴隷でも家畜でもない。人間だ。これ以上、言葉や暴力で意に反する支配を加えられたくない」
と、ACは嗜癖行動を通じて訴え続けているのだ。

 しかし、その嗜癖で死ぬのは防止しなければならない。
 だから、このブログを書き続けている。

 母の気分と顔色を必死でうかがう子供の私は、母の気に入る「正解」を常に提示できる子供になることを自らに課した。
 母にほめられ認められることを欲したのは、母に喜んでもらうという子供の愛着からではなく、少なくとも母に叱られないですむから、ほめられたかったに過ぎない。

 つまり、この時点で自然な「おかあさんの喜ぶ顔がみたいから」「おかあさんが笑うと、ぼくもうれしくなるから」といった自然な「喜び」「共感」がまったくスポイルされていたことがわかる。
 だから、虐待を受けた子供というのは、親子の間のスキンシップだけでなく、人間どうしの自然な愛着や善意や共感をも感じることができずに大人になってしまうのだ。
 これがどれほど、大きな情緒的傷害であり、対人コミュニケーション能力の損失か、はかりしれないものがある。

 結局、私は弟が死んだときまで、母が困ったり嘆いたりしないために、できるかぎりの援助もし、彼女を喜ばそうと孫を抱かせてあげようとまでしたが、それはみな「調教」の結果としての「共依存」であった。
 母を喜ばそうと孫を・・・と書いたが、いま思えば、母のために結婚しようと思うことがおかしいだけでなく、すでに私の思う「母の喜び」はイコール「叱られないために母を喜ばそうとする打算」だったわけだから、二重にゆがんだ願望だったのだ。

 母が苦しみ嘆き辛い想いをするのをなんとかしようと、必死に自分のことのように共依存行動してきたが、根底には「母に虐待されないために」という「暴力」への子供の恐怖があった。母が苦しむことへの恐怖は、結局、母のそういう状態をなんとかしないと虐待されるという恐怖が動機だったと深層心理がわかる。

 そんな感情をベースに構築された親子の情愛とは、いったいどんな愛だというのだろうか。母のためにやってきたと思っていたが、実はそれは「母に虐待されないために」というきわめてネガティブな「母のため」だったのだ。これは健全な親子の情というものではない。

 お彼岸で、父母祖父母先祖代々、有縁無縁の諸霊にご供養をささげるが、母もあの世で、息子の本当の心を知って、なにがしかの自省をしてもらえればと思う。

c0032696_04571736.jpg



# by ecdysis | 2018-09-23 04:57 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(2)

 今、東京から四百キロ離れた郷里にいる父親の、本人は満足しているが、はたからは惨めとしか思えない暮らしをしている建物やその内部の光景を思い出すたびにとらわれ、こちらも惨めな沈んだ気持ちになる。みっともなく恥ずかしいのだ。父が誇りとすることを私はとうてい誇りにはできず強い恥を感じる。

 この惨めさと恥の感覚・記憶こそ、私が16歳のときに起こしたフラッシュバックの内容である。ものごころついた頃から16歳までに経験した、家庭や学校での惨めさ、屈辱、恥辱の場面が次々と浮かんで絶望に変わった。

 その内容のおもなものは次のようなものだった。私の体験した激しい虐待。気の狂った祖母の日毎の母への暴言・罵倒の絶叫・暴力。酔った父の酒乱の暴力と器物の破壊。酔ってケンカする祖父と父。いさかいの絶えない祖母の頭に、怒り狂ってポットの熱湯をざぶりと丸ごとかける父と、苦痛に絶叫する祖母。酔った父の振りかざす包丁が、もみあううちに祖父の側頭部を切り、床が血の海になる。それを背中を丸めて床にひざをつくようにしてぞうきんでふく母の姿。警察がきて父が逮捕され地方紙とローカル局で報道される。そのことで級友にさげすみの罵りを浴びせられる・・・等々、数々の無惨で悲惨な記憶の数々が、連続して現れて、私はすっかり精神のバランスを崩した。その結果、世界と祖母と神を激しく恨み憎悪するようになった。

 この経験が「フラッシュバック」という症状であることさえ、四十二歳で精神科医の診察で指摘されるまでまるで知らなかった。
 実感としては、このときから病気になったと感じるが、実際はすでに病んでおり、その発症としてフラッシュバックが起こったというのが正確なようだ。原因ではなく結果だったのだ。

 フラッシュバックと名前にすれば簡単な用語だが、その現実は非常に重くつらい。泣きたくなる恥ずかしさに打ちひしがれた記憶の数々が思い出され、身の縮む悲嘆と辱めに心が真っ黒に塗りつぶされるのだ。生まれてこなければよかった、存在をやめてしまいたい、この記憶を持っている自分自身に堪えられないと声をたてずに号泣せずにはいられなかった。

 私はフラッシュバックを起こしてからというもの、その恥と惨めさの記憶に囚われ、そこから逃れるために、酒を飲んでブラックアウトするようになった。これが、酒ではなく薬物やギャンブルでもまったくおかしくはなかった。トラウマ記憶という、ひとつの囚われから逃れるために、依存という別の囚われに逃げるという嗜癖の構図をそのまま経験したのだ。

 さらに、私の心に低い自己評価と劣等感と深刻な無力感という真っ黒な地層が形成された。それから、私が欲した世俗的な事柄は、振り返れば、みなその自分の惨めさを埋め合わせ有力感を得るためのものだった。

 たとえば、すてきな恋人やすばらしい妻や富や名声を欲望したが、それらがみな、自分の惨めさを補償してくれるように思えたからだ。
 その欲望が果たされなかったのは幸運であった。なぜなら、愛するから恋人にしたいのではない。この人ならいっしょに苦労してもいいと思ったから婚意を抱いたのではない。もし、一時の感情で一緒になって、結婚生活の途中でこの事実に気づいたとしたら、ふたりの間に、あるいは子供との間で悲劇が起こるだけだったはずだ。

 あたかも金持ちになった貧民あがりの男が、自分の妻に上流階級出身の女性を求めるようなものである。自分の惨めさを打ち消し、人に見せても恥ずかしくない名誉や富で飾り、もうだれにも恥じなくていい自分になったことを証明したかったのだ。そこに生まれるのは、相手への愛ではなく、相手を利用することであり、そのような結婚は、子供をACにせずにはおかない冷たい結婚となるはずだった。

 それらは結局、人に見せるための私の自我の欲望だ。根本的に、自分で自分の惨めさを癒す方法ではない。
 
 大事なのは、惨めさにとらわれている自分を自覚し、その惨めさと自分が同じと信じ込んでいる状態をやめることにある。

 祖父母の惨めさ、父母の惨めさ、自分の惨めさは、みな事実であった。確かに、そのときはそうだった。

 この「惨めさ」は「恥」と言い換えてもよい。恥ずかしい消え入りたい惨めさとみっともなさがトラウマとなった。

 私は、その惨めさゆえに、死を願い、消えてしまいたいと念じた。世界を憎み、神をも呪った。

 だが、かつてはそういう状態で生きている自分を残酷な生と恨んだが、今は「それでも生きのびてきた」という感慨の方が強い。

 大学時代に、親友に自分はこんなひどい環境で育ってつらいめにあってきたと告げたら、こう答えてくれた。

「でもよ、おまえ、いま生きてるじゃねーか」

 まさか、そんなことばが返ってくるとは思わなかったので、はっと、と胸をつかれた。ついで、不思議な感動に襲われて涙が出そうになった。

 言い換えれば、「いま生きていて、ここでこうして話ができてるじゃねーか」ということだった。
 感謝しろとか考えろというのではなく、たとえ過去がどんなにつらくて惨めだったとしても、今は惨めでない状態で、こうして人と会って話をして生きているじゃないか、という指摘だった。

 だから、私も自分自身に、そして過去のトラウマにとらわれているすべての人に、親愛をこめてこう言おう。

「でもよ、おまえ、いま生きてるじゃねーか」

 いま生きて、こうしてこのブログを閲覧している人たちに、「生きていてくれてありがとう」と申し上げたい。

「あんなにつらい経験をしたのに、よくいままで生きてきたね」と肩をたたきあいたい。

 私たちは、惨めさという戦場を生き延びてきたサヴァイバーなのだ。それだけは、まちがいない。

c0032696_01443972.jpg



# by ecdysis | 2018-09-02 01:45 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

 各種の依存症は、そのありようが「嗜癖(アディクション)」と呼ばれるが、私の経験からいっても、その本源は、内なる過去の傷ついた子供たちの「表現すべきときに表現できなかった子供」のトラウマ感情にあるといえる。普通なら、泣いたりわめいたり叫んだり拒んだりすべき場面で、それができなかった子供の感情だ。そのため、大人になってから、傷ついた子供の心が表に現れることを求めて、身体言語として、あるいは習慣化した現実逃避行動として、またはトラウマ記憶の回避行動として、嗜癖の形をとる。

 抑圧され忘却された内なる子供の感情が、表現しようともがいてあがいて、大人の自分を突き動かす。それが依存症の根源だというのが、私の実感だ。これはすでに精神医学の領域でも知られていて、トラウマは内なる子供の感情を繰り返し表現することで改善するし、私もそうしてきた。

もちろん、トラウマ体験を思いだし直面することが目的ではなく、そのときの感情を表現することが重要だ。
思い出すだけでは、トラウマの追体験になるだけで治療にはならない。私は16歳のときに、フラッシュバックという形でトラウマ記憶と感情が爆発的に現れはしたが、治癒できる表現までにはいたらず、酒の力を借りないと表現できない段階にとどまった。中途半端なトラウマ表現がこじれて、ひきこもりと対人恐怖・世界憎悪・被害妄想などの新しい病的状態に移行しただけだった。治癒するには、トラウマ時に出したくても出せなかった感情、泣いたりわめいたり恐怖したり怒ったりと、シラフの状態で徹底的または繰り返しておこなう表現が必要になる。

そして、それをおこなえば、孤独感からも次第に解放される。長い間、自分の胸にしまって誰にも話せないと秘密にしてきた孤独感から、表現することで解放されるのだ。実にトラウマに関する秘密ほど、人を病ませるものもない。

 私は二十歳代終わりごろから四十歳代はじめにかけて、自己の子供のころの感情を解放することを、間歇的にだがおこなってきた。自分の中で泣いている子供がいることを感じていたので、「男は泣くべからず」という世間の掟はさっさと捨ててしまった。飲酒すると泣き上戸になる自分なのは知っていたので、もともと泣きたい人間なんだから、シラフで泣いても当然だと思った。我慢したって泣きたいものは泣きたいのだから泣いてしまおうと決めた。人前で泣くのは恥ずかしいから、トラウマ記憶と感情がよみがえるときは、夜、布団をかぶって思い切り泣くことを繰り返した。また、自動車の免許をとってからは、一人でドライブしてトラウマ感情が突き上げるときは、路肩や駐車場に一時停車して、車の座席に座ったまま、号泣することも何回かあった。ただし、泣くときは、ひとつだけ「自己憐憫に陥らないようにする」ことだけ気をつけた。泣くことが自分の心の治療なのはわかっていたので、自己憐憫はその目的に反することも体験的に知っていたからだ。

しかし、私のように自己流でやるのは、今更ながらおすすめしかねる。ちゃんとした専門家に相談しないと、フラッシュバックを起こしてトラウマ再発と自己憐愍など病的状態に悪化するし、私もそうだったが、進行性のうつ病を発症することにもなる。カルト宗教や性格改造セミナーはもちろん、依存症の中間施設の職員の中にもいるようだが、きちんとした専門教育の勉強もせずに、他者のトラウマ表現をさせたりするのは非常に危険だ。自殺など命にかかわることもあるので、トラウマ表現は専門家に見てもらいながら進めるのがよい。
 繰り返すが、私のように医療の助けなしに自己流でやるのは、かなりのハードランディングでおすすめしかねる。

自己流だと、飛行機にたとえると不時着の胴体着陸でかなりあらっほい危険がともなう。専門家に頼れば空港にスムーズに着陸できる。
 私の場合は、胴体着陸をしたあげく、命からがら断酒に入り、うつ病が顕在化して、最初の1年は精神科によって、次には自助団体によって安定した治癒のプロセスに入ることができた。

 弟が死んだときは、まだアルコール問題者の自助団体に入ってまもなくだったが、初めて人前でわあわあ泣いた。恥ずかしさよりも、表現せずにはいられなかったからだ。そういう気持ちに正直になりたかった。

 自助団体の参加者でも、男性の場合、やはり人前で何度も泣いている人の方が回復率は高い。女性はおそらく「怒る」ことを人前でやる人が回復するのだろうと思う。なぜなら、私を診てくれた精神科医が「男性は泣くことを、女性は怒ることを自分に許せば回復する」といっていたからだ。男性である私は「泣く」ことで回復するのは自分で確かめられた。ゆえに、女性の場合も、その医師の言葉は正しいだろうと思うのだ。

 もちろん、「泣く」ことも「怒る」こともシラフで表現というのが大前提である。飲酒や薬物(処方薬ふくむ)や食べ吐きに「酔った」状態では治療にならない。トラウマを形成した年齢時には、飲酒も薬物も食べ吐きもしていなかったのだから、その状態にもどってからでないと治癒にはならないのである。

c0032696_05394405.jpg


# by ecdysis | 2018-08-31 16:14 | Trackback | Comments(0)

 仏教を学びはじめてから、「まとも」であるとは、どういうことかと、父母や親戚や世間一般の価値観で当然としてきた基準が大きく揺らいでいる。
 
「まとも」とは、常識的であるということか。常識という共通イメージに沿って、家庭や学校や職場や団体の規則・しきたり・世間の相場に従うことか。道徳を守るということか。協調性を大事にし、倫理的に他者に害をなさないということか。

 私は、自分のAC性による疎外感と孤独感とトラウマの中で、「ふつうになりさえすれば幸福になれる」と信じた。
 そこで思った「ふつう」とは、正確には「まとも」ということだった。
 だから「まともになれば幸福になれる」と信じたのだ。

 そして、私が願った「幸福」とは「苦痛がない」ということだった。耐えがたいほどの苦しみが一切ない状態を、私は「幸福」だと思い込んでいた。18歳のとき、「人は生まれてきたからには、幸せにならねばならない。こんな理不尽な苦しみを味わうのは本当じゃない」と思った日があったが、そこであった幸福のイメージは「苦痛というものから解放された恒常的な状態」であったことが思い起こされる。

 しかし、還暦にあと三年で達しようという今頃になって、仏教を学び、私の求めた「幸福」はどこにもだれにもなかったのだと気づかされた。釈迦は、人の自我は苦しみしか生まず、苦しみの原因であり結果であるとして「一切は皆、苦である」と教えている。

 そして、悟りをもとめる指標のひとつとして四法印を教えた。
 それは、「諸行無常」「諸法無我(自分のものである、自分だと思っているものは、実はなにもない)」「涅槃寂静(悟りの永遠の静けさの境地)」、いまあげた「一切皆苦(自我によるすべては苦を生み苦をつくり苦しみとなる)」の四つだ。

 この「一切皆苦」は、私の願った「幸福」とまっこうから衝突し、最初に目にしたとき、認められずうなずけなかった。
 人生、楽しいことも、快楽なこともあるじゃないかと思った。

 しかし、その楽しさは永続しない。宴のあとの寂しさは来る。打ち上げ花火大会の後の寂寥は苦しみではなかろうか。いつまでも続いてほしいと思っても終わりはくる。楽しい花火デートでも、混雑の中、だれかに足を踏まれたり、肘鉄をくらったりすれば、たちまち怒りと苛立ちを発して、ただちに心は我慢と忍耐の苦しみに満たされる。

 その楽しさは、自分たちだけが享楽して、近隣に迷惑をかけたりすれば、その報いは苦情や悪い噂話という苦しみとなって返ってくる。楽しさや快楽の多くは、それを体験する時と所において、だれかが場所を用意し、職業的にあるいはボランティア的に舞台を準備してくれているからこそ体験できる。遊園地でもホテルでもレストランでも居酒屋のコンパでもそうだ。

 恋愛もそうだ。楽しいデートを繰り返して結婚し子供ができれば、もはやラブラブではいられない。子供が無事に成長するか、いじめにあわないか、相手の不倫や浮気があれば苦しむし、離婚の危機も何度か訪れるし、離婚することもいまや珍しくない。
 一見、まともそうな家庭も、ふたをあければ問題だらけだ。隣の芝生は青く見え、遠くのものはきれいに見えるが近づいてみると思ったほど美しくない(遠美近醜)。

 きれいな場所は、だれかが必ず人知れないように、きれいにしてくれている。快適さは、だれかがそのために苦心して努力して陰で働いてくれているからこそ保てる。どんな家庭も、家族がいれば、妻や母やほかの家族が、毎日掃除洗濯炊事をしてくれているから、きれいに快適にさっぱりしていられる。もし、それがなかったらどんな家でもたちまちゴミ屋敷になる。そうならずに済んでいるのは、だれかが絶え間なく掃除とゴミ出しをしてくれているからだ。

 だが、そのことに気づいて感謝する人は少ない。もらったらもらいっぱなし。養ってるんだから当然だろう、カネを払っているんだから当然だろうとしか思わない。そういう心根でいると、いつか快適さやきれいさを享受する側から、提供し奉仕する側にまわされることになる。立小便の快楽を味わって申し訳ないともすまなかったとも思わなければ、いずれ自分が人の立小便の始末をさせられることになる。

 そう考えると、なにごとも楽しさの背景に苦が控えていて、快適さもあやういバランスの上に成り立っている。

 楽しい経験の最中でも、楽しめない心配事やほかの気がかりがあると楽しさ半減だし、相手やすれちがう人たちや自動車に「気にくわない」「目ざわりだ」「なんだこいつ」「ふざけんな」「じゃまなんだよ」と感じる、目障り耳障り気に障ることが絶無ということもありえない。

 100%の快適さと幸福感を求めているのに、それらは五感のどれかが不快を感じれば、たちまち苦痛になる。
 それらのどれもが、私の求めた幸福ではない。求めたものが得られない苦痛(求不得苦)から、解放されることがないという意味だけでも「一切皆苦」を認めざるを得ない。

c0032696_01480640.png

# by ecdysis | 2018-08-23 01:48 | Trackback | Comments(0)

 私が中学時代に、母がアルコール依存症になってしまい、私も弟もともに同じ問題を抱えていくのだが、そこに横たわっていたのは、母との深刻な共依存の問題だった。

 アルコールをやめてうつ病になり自助会に通いはじめるまで、私は自分の共依存の問題が、どれほど深刻か、自覚がなかった。
 けれども、色々なACや依存症関係の本を読んだり知人たちの話をきいているうちに、私はだんだんと自分のもって生まれた見方ではなく、母の見方ですべてを見て判断していたと気づいた。

 恋愛の相手でも、自分が好きでつきあっても、心の半分では「母ならこのひとをどう思うだろうか」と、余計な忖度をしてしまうことがたびたびあった。意識してもしなくても、いつも「母ならどう思うか、母ならどう感じるか」という推察が、どこかにあったような気がする。

 少なくとも「母がどう思おうが関係ない」という健康な自立心をもって考えたりしたことが、どれだけあったか心もとない。

 ふりかえれば、「母の価値観を意識しておこなったこと」すなわち「母のためと信じて行ったこと」のほとんどは挫折と失敗に終わっている。私の獲得醸成した自前の価値観ではないからだ。へたでも突飛でも、「自分のために」自分で意識的に選んだ価値観で生きることが、とても大事なことだということが、40歳代に入ってからわかるようになった。

 そうして、純粋に「自分のため」と意識した最初の行動が「酒をやめること」だった。

 本気で「自分のため」と思えてやめるなら、嗜癖はやめられる。これが「家族のため」とか、「世間体のため」とか、自分以外の人たちの評価や視線を意識してやめようとするうちは、まずやめられずスリップする。

 なぜなら、他者を意識してやめようとするのは、自分が得ている嗜癖によるメリットを手放していないからだ。

 頭ではよくないとわかっていても、心の奥の傷ついた子供の意識が、その嗜癖によって一時的にでも現実逃避できたり、安堵をえられたりするメリットを求めているからだ。

 嗜癖は、他者にはどう見えようとも、本人にはそれをおこなうことでなんらかのメリットがあるから、繰り返し行う。自分にとって100%有害無益であると心底わかっていることを人間はやらない。酒でも薬でも万引きでも買い物でもギャンブルでも自傷行為でも、それをやることで自分がなんかのメリットや快感を覚えるからこそ依存なのだ。

 だから、家族のためには迷惑をかけてよくないと思っても、自分にとってはメリットがあるのだから、家族のために嗜癖をやめ続けることは不可能だ。自分に利益があるとわかっている嗜癖・依存を、家族のためにやめることはできない。やめたいと思っても、やめられはしない。なぜなら自分にとってはメリットがあるし、そのおかげで生き延びてきたのだから。

 唯一、やめるとすれば、「これには、もうメリットがない。自分のために役立たなくなった」という自覚が生じて、それを内なる子供も受け入れたときである。

 たとえていえば、小さなころから大事にしていたぬいぐるみがあって、それを手放さないでいつも抱いて一緒にいることに依存して大人になった人がいるとする。学校でも家庭でも結婚しても、そのぬいぐるみは手放さない。もちろん、洗わないので、垢とよだれと涙とで何十年も汚れ放題で不潔で悪臭を放っており、まわりの人々は大いに迷惑して、本人にそれを捨てるように叱責して強制するが、本人は絶対に手放さない。

 ぬいぐるみの悪臭も、その人にはなつかしい安心の臭いである、べとべとどろどろの表面もほっとする手触りなのだ。

 やがて、そのぬいぐるみの不潔さが原因で、その人は皮膚病になったり、しょっちゅう何かの病気になったりするが、それでもそのぬいぐるみのせいだとは信じず、肌身離さず抱き続ける。

 しかし、そういうことを繰り返すうちに、その人にもついに、ぬいぐるみを「きたなくなった」と感じる瞬間が来る。

 いかなるシチュエーションでそういう瞬間を迎えるかは、その人と神様次第だが、「こんなにきたなくなってくさくなっちゃった・・・」と気づいて、古すぎて傷みがひどくもう洗っても糸や繊維がばらけて原型をとどめないことも思い知る。

 その人は、激しく泣くだろう。あんなに愛して執着したぬいぐるみは、もう自分を助けてくれず、それどころか有害なものとなってしまった。その人は悲嘆と落胆のあまりうつ病になるだろう。しかし、手放すことを自分で決断する。自分のためだからである。

 家族やまわりのためではない。自分のために自分で手放すことを選んでこそ、嗜癖はやめることができる。

 逆に、どんなにきたなくてもみっともなくても異様でも、自分になんらかのメリットがあると感じているうちは、嗜癖をやめないし、やめることはできない。

c0032696_01172264.jpg

# by ecdysis | 2018-08-20 02:09 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

 現在、毎日、座禅をしながら性欲の克服に挑戦している。

 ACの特徴のひとつである「好色さ」という性依存の傾向を修正し、その奥にある古くからの感情と対面するためだ。
 古くからの感情。それは「怒り」だ。理不尽なアルコール依存症者と精神障害者の家族のふるまいに対する子供の怒りだ。問題飲酒者の家族としての激しい怒りだ。

 その怒りは激越だ。誰に対しても八つ当たりしたくなる衝動に駆られる。もちろん、性欲の抑圧には、だれでも苛立ち怒りっぽくなるのが普通だろう。しかし、単なる我慢と抑圧が目的ではない。この小学校の頃からの怒りの苦しみを乗り越えたいのだ。

 すでにタバコと飲酒については、克服し続けている。どんなに頭にくるときでも、悲しい時でも、落胆するときでも、私は禁煙と断酒を続けてきた。タバコは自力で30年、酒も依存して逃げることを自助グループに通いながら、繰り返さないで15年が過ぎようとしている。

 恋愛感情や自慰行為への依存傾向の自覚があるので、それをきっぱりやめたいという禁欲への志向は、もう二十歳代半ばから始まっている。

 いつか、これをやめたいと思いながら30年以上が過ぎた。恋愛や結婚によって適切で健康な性生活を、継続的に送る機会がなかったため、私は多くの時間を自分の性依存の問題について意識し続けることになった。

 わかっている。仏教でも男性器を「魔羅(マラ)」と呼び、越えがたい敵のようにみなしている。これは「悪魔」を意味するサンスクリット語の音写だ。禅宗の寺の前に「不許葷酒入山門(葷酒、山門に入るを許さず)」という石柱が立っている。これは、強精剤にもなる「ニラ・ニンニク・ネギ」の類や酒は、寺に持ち込んではならないという掟である。性欲を刺激する要素を排除しているのだ。

 心と体の問題をあつかうとき、男女とも性欲の問題は避けては通れない。若いうちは恥ずかしがって隠すと思うが、私ぐらいの年になれば、なりふりかまわずそこを超えるためにあえて表現することもできるようになる。女性の性欲についても、仏典の戒律で、尼僧に対して自慰用の男性器を模した道具を造ることも所持することも禁じるという一文があるという。

 密教でも、煩悩を切り払い浄化する不動明王はじめ五大明王が昔から仏像に刻まれ拝まれているが、その中に愛欲を解脱へと昇華させる「愛染明王」という明王が配されている。そういった強力な崇拝対象を設定して頼らねばならないほど、愛と性は大変に重大な問題なのだとわかる。「愛染=愛欲貪染」ということで、愛情や情欲に関するむさぼりととらわれに染まった心を浄化する明王として尊崇されてきた。

 私は明王信仰をもたないので祈願したりはしないけれども、仏像にすがりつきたくなる気持はわかる。何百年も寺社に置かれ、何十世代、何万人にも拝まれてきた神仏の図や像やイコン・十字架には、みなその発祥と伝統に、深く重要な意味と理由があって存在している。それぞれが人の悩み苦しみと煩悩からの解放を願い、よりよい生き方と幸福への祈る心の現れであることを痛感させられる。

 かつて、カルト教団にいた若いころは、そうした祖先・先輩の人々の信仰心に思いいたらず、愚かの極みであった。自分の信じた教義以外、過去の宗教信仰は、すべてまちがいでもはや無用と盲信していた時期もある。まったく無知のいたりで恥じ入らざるをえない。

 このように、性欲というものと向き合うと、禁欲を旨とする寺や教会の僧団といっても、性の問題はつねにつきまとっているとわかる。欧米のキリスト教会でも一部の神父や牧師による同性・異性双方の児童・青少年への性虐待が問題になっているし、現代のアメリカの瞑想センターでも、参加者の男女関係のトラブルが絶えないそうである。ため息が出るが、それぐらい、性欲はとらわれの最大の筆頭株といっていいだろう。

 なにしろ、過労や強いストレスにさらされたときに、生理的快感や情緒的依存、酔いという嗜癖に逃げて紛らわすのがもっとも手っ取り早い。即効性があるから依存してしまう。しかし、それは、安らぎを求める心にとっては、じわじわと蝕む死の毒物である。酔いと麻痺をもたらす薬物もアルコールも、化学的には人体生理に対する「毒物」である。「酔っ払う」とは「毒に脳や臓器が侵されて起こす急性の病的状態」にほかならない。

 恐ろしいのは、人間は外からの毒物に反応するだけでなく、心身のストレスに反応して脳内に非常時用の脳内物質を分泌する仕組みがある。具体的にはアドレナリンやアセトンなどだが、それらもまたアルコール様・薬物様の化学物質で、「酔い」を与える。ギャンブルや買い物や食べ吐き依存は、いってみれば自分で脳内に酔わせる物質を作り出して酔う嗜癖をもっているということになる。

 しかし、私個人にとっては、依存を続けていてはせっかく「恋愛感情もとらわれである」という自覚にやっと達したのに、先へ進めない。

 キリスト教的な「愛」を「無償の愛」という規範とすれば、仏教的な「愛」はすこぶる意味がよろしくない。「愛着」とか「盲目の愛」とか「愛執」とか「渇愛」とか、親密さと盲目さと感情的にとらわれ溺れやすい状態がいっしょになっている言葉だ。「欲望すること・好むこと」を意味するといってもいい。仏教において「愛」とは「欲望」「むさぼり」「偏愛」をひとつにしたような語彙なのだ。

 だから、漢字で同じ「愛」だからといってキリスト教と仏教ではほとんど逆のような印象を与える。これは「神」といえば「唯一絶対の神」とイメージするか、「八百万の神」とイメージするかの違いにも似ている。

 今の私にとって、「愛」は、仏教の愛だ。とらわれの愛、愛執の愛、偏愛の愛、盲目の愛、愛欲の愛だ。その愛のありようを想うとき、そこに逃避し、溺れ、現実の苦痛と疲労を一時的にもせよ忘れさせてくれる依存・嗜癖(アディクト)の対象だ。

 アディクトは、たいてい自分の本当の感情を隠して見ないようにするための行為なので、それを強制的にでも中断すれば、そのアディクトを起こさせている過去の感情が、トラウマの記憶とともに表面化してくる。

 私の場合、それが「怒り」なのだ。

 今日も職場で、箸にも棒にもかからない泥酔のアルコール依存症者に電話でからまれて閉口し、怒りをおさえきれなかった。助けてほしいといいながら、こちらが提案することや質問にはすべて「いやだ」「こたえたくない」という、どうしようもない状態だ。私の祖父や父や弟も、酔うとそんな状態が常だった。

 祖母や母を悩ませ私を苦しめたアルコール依存症の家族へのトラウマを刺激されて怒りがこみあげ疲労した。その電話の主は、放置すれば死ぬかもしれない。「死んじゃだめだよ!」と私は訴えたが、本人は自分が電話したことも、私が語ったことも、ほとんど覚えていないだろう。3時間前にしゃべったことさえ覚えておらず、「そんなことはいってない」と逆切れする始末なのだ。救急車に助けを求めればいいかもしれないが、それが可能かどうかもわからない。とりあえず、他の回復したアルコール依存症者の人にバトンタッチして対応してもらった。

 アルコール依存症者の家族でもある私は、トラウマという意味で「アルコール依存傷者」とでも自称したいくらいだ。
 普通、これほどひどい状態の人には、家族は「死んでくれ」と思うのが普通だ。酔って家庭内暴力をふるう私の弟に対して、母がそういっていたのを思い出す。依存症者は、家族をどんなに苦しめたか、どんなにまわりを傷つけたか自覚がない。傷つけた記憶さえないのだ。たまに酒が抜けているときに、「おまえは酔っているときこうだから」と諭すと、弟は「いつもそんなことをいう」と唇をとがらせていたのを思い出す。

 そんな弟のことを思い出させる相手に遭遇し、私は自分の家族への怒りが解決していないのを思い知らされた。

c0032696_01170865.jpg



# by ecdysis | 2018-08-20 00:57 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

 神は超えられない試練を与え給わないと、よくいわれる。
 その意味は、ただそういうものであると思っていた。
 しかし、より深く考えれば、試練とはなんだろうか。
 それはテストと言い換えられる。
 つまり、乗り越えられるかどうか、自ら志願してこの世に生まれて試験を受けていることになる。

 試練となる逆境や事件事故は、いってみれば、それを乗り越えられれば、そのレベルまで人生学習が進んだということではなかろうか。
 まるで棒高跳び競技のようだ。そのバーの高さを超えられれば、そこまで実力がついたことになるし、超えられなければ、超えられるまで練習しなければならない。だから、同じ高さのバー、つまり同じ試練を超えられず、何度も失敗し挑戦を繰り返すのは当然のことだ。この高さは無理だとあきらめたら、成長とその先にある新しい予想もしなかった素晴らしい人生の景色を体験することはできなくなる。

 与えられた試練は、一度や二度の挑戦で超えられるようなものではない。むしろ、何度も失敗し、それでもあきらめすしつこく練習をかねて挑戦し続ければ、必ずいつか乗り越えられるからやりつづけなさいと、神様が監督コーチをなさっているのだと思う。

 だから、どんなアディクションも、何十回何百回とスリップしても、いつか必ずやめられると信じることが大事だ。
 まず、いつかかならずやめられると信じ、やめたいという意志を持ち続けること。
 そして、その意志を放棄さえしなければ、必ず何年後か何十年後か、いつになるかはともかく自然に肩に力を入れることもなく、やめられるタイミングが与えられる。

 つづめていうと、「やめたいという意志を持ち続ける」「やめられるタイミングが必ず与えられると信じる」という二つの教訓だ。

 私は、高校時代に覚えたタバコを、7年がかりのスリップの悪戦苦闘のあげく27歳でやめることができた。
 そのときに得たのが、この二つの教訓だった。だから、それから15年後に酒をやめるときも、うつ病になったりはしたものの、やめること自体は、タバコのときほど苦しみ悩まないで済んだ。

 何度スリップしても、再発しても、自己嫌悪に陥ることなく、自分を責めることなく、「いつかやめられるときが必ず来る」と信じ続けること。

 回復にとって、自己嫌悪も自己卑下も自責も、いずれも有害無益な感情だから、持つ必要はまったくない。
 持ったところで回復の足をひっぱることはあっても役立つことはない。まったくの時間の無駄である。これも、私が体験上、身をもってわかったことだ。

 やめられない自分を正当化したり、責めたり、恥じ入るのではなく、やめたいという願いを持ち続けることである。だいたい、自責も自己嫌悪も、根底には「人に責められる前に、あらかじめ自分で自分を責めておく」という無益な自己防衛がある。人に見せるために回復するのではないのだから、そんなことをする必要はないのだ。

 自分のための回復であると覚悟すれば、スリップしたとて誰にそれを恥じることがあろうか。責めるものには、責めさせておけばよい。やめる努力をあきらめなければよいのだ。

 試練は「超えられるから超えてみよ」という神のコーチであるし、「そこまで成長している」という人生学習の里程標でもある。

 アディクションは、私個人に現れているが、実は自分自身だけが原因の症状ではない。私個人と私の父方・母方・祖父母以前の各方を問わない、先祖代々の自我の弱点の集積した現れが、今のアディクションだとしか思えない。

 心理学者ユングは、現在の肉体をもった一個人は、それぞれの過去の祖先たちの一族の集合体の先端の一点であると説明している。民俗学的な言い方をすれば、祖先霊集団が全体で一本の鉛筆をなしているとすると、私はその鉛筆の芯の先端であるということのようだ。

 生身の本人はまったく自覚がないけれど、実は一個の肉体人の背後には、何百何千人もの血のつながった祖先の人々の存在と経験が、個人の肉体という形をとって現存し支え、あるいは足をひっぱっている。祖先の人々は遠い離れた場所のだれかではない。今現在も、私の遺伝子の一部を構成して、この肉体とともに生きているのだ。遺伝子には、肉体的に特定の病気になりやすいなどの傾向が記録されているだけではない。医学的に証明されたわけではないが、各祖先の人生経験の痕跡ともいうべき霊的・想念的なものも記録されているはずだと、私は信じている。

 ゆえにアディクションに陥って苦しんだ祖先たちの経験も、そこには現存している。

 家族や親戚や一族の問題行動や事件を過去数代にさかのぼって記録し、俯瞰して治療に役立てる「ジェノグラム」を作成してみても、そのことが感じられると思う。

 私は、それを超えて回復すべき試練を与えられたのだと、最近は思う。

 酒や異性やギャンブルやいろいろな依存を止められなかった先祖累代・親戚一統の業(ごう・カルマ)を、自分が敢えて引き受けて解消する役割をもって生まれてきたとしか思えない。先祖が、アディクションによって繰り返したであろう、自責、自己嫌悪、自己卑下、自己正当化、羞恥の感情の罠にとらわれなければ、必ず回復できる。

 もうすぐ新盆だが、それこそが、真の「先祖供養」というものだろうと思ったりする。

 キリストも次のようにいっている。

「マタイによる福音書」 7章 7節-12節

「求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。
魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
このように、あなたがたは悪い者※でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。
まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。
だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
これこそ律法と預言者である。」

※心炎注:「悪い者」とは、道徳的に悪い、まちがっている、というほどの意味。

c0032696_00564102.jpg

# by ecdysis | 2018-07-13 00:56 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(1)

 友人と電話でアディクション(嗜癖)と瞑想について語り合っているうちに気づいた。
 瞑想に対して理解も興味も持たなかった、かつての私のような人は、瞑想する人の姿に何も刺激を感じられず、効果のほども即効でみえるわけではないので、興味が持てなかったのだと。

 アルコールへの依存等、嗜癖を持っている人は、自分の記憶やトラウマや感情的な本音に向き合わないために、常に新しい刺激を求めている人種だから、刺激なしに生きていける時間を経験したことがない。
 それらの刺激の大方は、飲酒や薬物、ギャンブルや買い物・万引き、食べ吐きに自傷行為、異性依存や共依存などの対人依存、怒りや否認行動への依存などのどれかにふくまれる。
 だから、そういう刺激を与えてくれない瞑想に、興味がわかないのも当然だった。

 たとえ、平安や落ち着きが欲しいと思っても、「平安」も「落ち着き」も、そういう別の刺激があるのだと思い込んでいた。
 言葉を変えると、平安や安心も、どこか「刺激がないことは退屈なこと」と思い込んでいて、平安な状態が永続するとはまったく信じられなかった。平安と退屈の区別がつかなかった。だから、酒とか異性に依存したりカルト教祖を盲信したりもしたわけだ。

 刺激から離れないと平安は得られないということは、このブログの2017年10月2日の記事でも、自分が刺激に依存していたという気づきを書かせていただいた。
 最近、そこからさらに深い気づきがあった。

 刺激を離れる行動のひとつとして座禅を始めたが、いざ継続してみて、はっきり実感したのは「平安とは、刺激を離れたときに自分の心に初めて起こってくる」という事実だ。やはり平安は、嗜癖と刺激から離れたところにしかない。「落ち着き」も、刺激に逃げたり紛らわせることをやめ、あるがままを受け入れようと思えたときに生まれると実感できた。
 平安と落ち着きを得るには、刺激を求めるのをやめること。一分でも二分でもいいから、一日に一回は、座禅でも瞑想でもヨガでもやって、刺激を求める以外の自分と出会い続けること。

 そのような「刺激から離れて得る平安」をちょっとずつでも感じ続けた結果、自分が本当は何を求めていたのかを知った。まるで忘れていたことを思い出したかのようだ。今までの自分は、本当に求めていたことが見えなくなり、感覚が刺激で麻痺して、自分の本心にさえ盲目だったことに気づかされた。

 それは、一か月ほど前に座禅中に訪れた。
 その晩も、毎晩のように行う座禅を行った。
 そのとき、いつも公案がわりに心に繰り返す偈(げ=仏教で唱える教えの詩句)があるので、それを心に繰り返した。

雪山偈(せっせんげ)
「諸行無常」(しょぎょうむじょう)
「是生滅法」(ぜしょうめつほう)
「生滅滅已」(しょうめつめつい)
「寂滅為楽」(じゃくめついらく)

 意味は後述するが、この偈は仏典にある以下の挿話(心炎が適宜に要約)にもとづいている。
 雪山はヒマラヤ山脈のこと。そこで修行していた菩薩の名が雪山童子。童子は、お釈迦様の前世の一人物である。
 ちなみに「菩薩」とは、「ボーディー・サットゥーバー」の漢訳語で、「多くの人を救おうと誓って修行する者」というほどの意味。 自分さえ悟れればよいとする自我の残った小乗的な修行者よりも霊性の進んだ、無私無欲・利他・自己犠牲に徹した修行者のこと。
 その童子が、ヒマラヤ山中で悟りを求めて修行しているとき、山蔭で「諸行無常 是生滅法」と美しい声で歌っているものがいた。だれかと思ってたずねてみれば恐ろしい姿の鬼だった。
 雪山童子は「おまえがいまうたっていた偈は素晴らしい。だが、まだ続きがあるはずだ。どうか教えてほしい。悟りのために重要なことにちがいない。その続きがどうしても知りたい、教えてほしい」と懇願する。
 すると、鬼は「教えてもいいが、わしは腹が減ってたまらぬ。お前を食わせてくれるなら教えよう」と迫る。童子は覚悟を決めて、「わかった。教えてくれたら、誓って私の身をおまえに差しだそう。決して嘘はつかない。ただ、教えてくれる偈を私ひとりが聴きっぱなしでは勿体なさすぎる。後の者たちに書き残す時間を少しくれ」
 鬼は了承して、続きを「生滅滅已 寂滅為楽」と教える。
 童子は、これこそ悟りの言葉だと喜び、偈を書き残そうとするが墨も筆も書くものが何もない。そこで童子は自分の体を傷つけて血を出させ、血を指に塗りつけて、そこらじゅうの木や石や岩に、いくつもいくつも同じ偈を血書し、きっとだれかがこれらのうちのひとつでも他に伝えてくれることを願った。
「さあ、鬼よ、私はなすべきことをなした。これからお前に身をささげるために、この崖から身をなげる。わが肉体を食すがよい」というや、谷底へ身を躍らせた。
 次の瞬間、鬼は梵天(ブラフマー)に姿を変え、その正体を現して手のひらに童子の体を受け止め、童子の行いをほめたたえたという。

 この鬼を装った梵天の教えの偈の意味は、現代日本語では以下になる。

雪山童子の偈
(心炎の私訳)

諸々の行は常無きものにして
(あらゆる現象は常無く変化をとめることはない)
 
是れ生じ滅するは法なり
(このような現れては消え、消えては現れるように見える森羅万象の現象は仏の普遍の法則に従っている)

生じ滅するを滅し終われば
(生じた滅びた、現れた消えたという目に見える現象へのとらわれを、すっかりなくしてしまえば)

寂滅をもって楽と為さん
(永遠の静けさを楽しみと為す境地に達して、二度と元に戻ることはなく、この世に生まれかわることもない)

心炎注:「生滅」の「滅」は、「本当は変化するだけなのに消滅したかのように見えて心にとらわれとなる現象」をいう。
「滅已」と「寂滅」の「滅」は、煩悩を滅ぼして二度とかき乱されることがないという意味。「寂」は、そうして初めて味わえる永遠の静けさを意味し、「為楽」はそれを楽しめるようになるの意。「滅已」の「滅」も、逆行したり元に戻ったりしない、完全な止滅をいう)

「永遠の静けさ」という訳語が、座禅中に思い浮かんだ瞬間、それこそが私の求めてきたものだったと気づいた。
 本当に私が欲しかったのは、それだったのだと、座禅しながら感きわまり嗚咽してしまった。

「永遠の静けさ」とは「永遠の安らぎ」「永遠の喜び」をも意味し、それは「肉体は死んでも魂は不死である」という意味での「永遠の命」をも暗黙の前提として包含する。

 物質的刺激や自我の刺激を離れて、より霊的な平安の世界を求めている自分の深奥の心を発見し、そこに落ち着こうとすることが大事なのだと、改めて気づかせてもらった瞬間だった。

c0032696_22431749.jpg



# by ecdysis | 2018-07-11 22:43 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)