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 ここでいう「回復」とは、共依存を含む各種依存症・嗜癖などの不健康な行動を手放し、自分をとりもどし、健康な日常生活を送れるようになることを意味します。さらに、ここでいう「健康」とは、何か問題が起こったときに、健全で適切な対処法をとれる状態に、心身が日常的にあることを意味します。

 自助グループで用いる12ステッププログラムと並行して、いいならわされている、いわゆる「スローガン」の英語と日本語訳を列記しました。
「平安の祈り」とともに有名なものばかりで、12ステップにふれたことのある方なら、このうちのどれかは耳にし目にしていることでしょう。
 以下のスローガンは、依存症や嗜癖から解放されるための道しるべとなるものです。

スローガン
(各「意味」の解説は、心炎が体験したことや、各種自助グループの人たちや医師・精神医療の関係者に教わって気づいた所をもとに書かせていただきました)

1.気楽にやろう(でもやろう)/Easy does it.
意味:回復のプログラムは肩肘はることも、ことこまかにこだわることも無用です。ただ、実行すればいいのです。英語だと「つべこべいわずにやってみな」「とにかく、やればわかるよ」という感じだそうです。くよくよしたり恐れにとらわれる必要もありません。

2.シンプルにやろう/Keep it simple.
意味:難しく考えないで細部にこだわらないで単純にやりましょう。

3.手放して神に預ける(ゆだねる)/Let go and let God.
意味:自分を苦しめているこだわりは、自力でどうにもならないなら、解決の時期と方法を含めて目に見えない大いなる意志に預けてしまいましょう。手放しても大事にはなりません。むしろ、大いなる意志がよりよく取り計らってくださいます。

4.生きよ、そして、生かせ/Live and let live.
意味:人は一人では生きられません。生かされている自分を自覚して生きましょう。生かされているのだから自分も恩返しに人を助けましょう。

5.深刻に考えすぎないように/Don't take it too seriously.
意味:問題となるできごとは深刻に考えすぎても解決にはなりません。むしろ、肩の力をぬいて「なるようになる」と信じて行動する方がよくなります。深刻に考えすぎる最大の問題は「行動できなくなる」ことです。ミーティングに参加するなど、行動することで変化が起こります。その変化が回復につながってゆきます。変化を恐れないようにしましょう。望んだことの大部分が実現しないように、恐れたことの大部分も実現しないものです。

6.今日一日/One day at a time.
意味:忍耐や我慢も、今日一日だけだったらなんとかできるでしょう。昨日までのことは変えられません。明日のことはわかりません。ですから、今、生きているこの一日だけ、健康さを取り戻すことに気持を向けましょう。

7.あなたに与えられている恵み(祝福されているもの)を数えましょう/Count your blessings.
意味:自分について否定的な過去のトラウマや恨みや怒りの相手のことばかり考えては被害者意識が強くなって回復がさまたげられます。自分が持っていないものや欲しくても手に入らないものや失ったものばかりを見るのは回復にむすびつきません。今、自分が持っているものや、手に入れたものや、すでにあって当たり前と思っているものを、改めて認識しましょう。回復してくれば「当たり前のものごとなどない」ということがわかるようになってきます。

8.これもまた過ぎ去る/This too shall pass.
意味:どんなに大変な苦しい体験の渦中でも、時間の流れはとどまることはありません。諸行無常という仏教の教えがある通り、目の当たりにしている現実がいかに過酷でも、これもまた過ぎ去って過去になります。ですから、いつまでもこの状況が続くととらわれるのではなく、「なるようになってゆく」と信じて過ごしましょう。あらゆるできごとは、はじまりがある以上、かならず終わりがあります。この大変な状況も、かならず終わりを迎えるということを思い起こしましょう。

9.自分に正直に/To thineme.
意味:自分と向き合うことは回復に必須の行動です。「あってはならない自分」「いてはならない自分」という親や周囲から教え込まれた裁きによるのではなく、「こんな自分」も、「あんな自分」もいるということを正直に認めることが大切です。その際、自己嫌悪や羞恥心にとらわれないようにしましょう。驚くような自分でも、軽蔑したくなるような自分でも自分です。そして、そういう自分をもっているのは自分だけではなく、ほかの人もそうなのだとわかってきます。本当の自分に向き合うのがつらくて苦しいときは、理解してくれそうな人に助力を求めるのもいい方法です。他者に相談することのメリットは、答えを得られるかどうかよりも、人に向かって話しているうちに、自分の中で問題が整理され、気づきを得ることがとても多いということです。

10.どうやって回復するの?(HOW)
Honesty=正直さ 意味:自分に正直に
Open mindness=心を開く  意味:自分にも人にも恐れずに隠すことなく、素直になりましょう
Willingness=やる気  意味:変わりたい、回復したいと本気で思えば必ずよくなる。

11.3つのC/Three C's :cause,control,cure.
I didn't Cause it(私が原因ではない) 
意味:自分にとって、とらわれる人や物事があったら、その人がそういう人間になったのは、私のせいではないという事実を思いましょう。問題となるできごとがあったら、私が原因でこういう事態になったのではないという事実を想いましょう。自分が原因ではないことにまで過剰な責任を感じることは回復にむすびつきません。

I can't Control it(私にはコントロールできない)
意味:自分にとって、とらわれる人や物事があったら、その人の性格・欠点・ふるまいをよくも悪くも変えることは、私にはできないという事実を思いましょう。問題となるできごとがあったら、私の力ではこの事態を改善も悪化もさせられないという事実を想いましょう。自分にできないことは手放して無力を認めましょう。

I can't Cure it(私には治せない)
意味:自分にとって、とらわれる人や物事があったら、その人の欠点・病的なふるまいを治すことは、私にはできないという事実を思いましょう。問題となるできごとがあったら、私の力ではこの事態を治せないという事実を想いましょう。自分に治せない事実を認めて、自分の限界と境界線を守りましょう。

12.私の意志ではなくあなた(神)の意志が成りますように/Thy will be done.
意味:自分の力ではどうにもならない問題や人間関係にぶつかったとき、こう祈りましょう。
「この問題について、私の意志ではなく、神様の御意志が成りますように」「この人と私との間に、私の意志ではなく、神様の御意志が成りますように」。こうして祈った後は、どんな結果になろうとも、神様のご意志が決定されたこととして受け入れましょう。最悪の事態になることはありません。「なるようになる」とは「目に見えない御意志の配慮のままになる」という意味です。

13.一日24時間/24 hours a day.
意味:「今日一日」と同じ。

14.HALTに気を付けよう(意味:以下の四つの状態はスリップ(症状を再発)しやすくなるのでなるべく避けるよう注意)
※=病的な感情や悪習慣が再発・フラッシュバックすること
Hungry(空腹):とりあえす何か食べる
Angry(怒り):怒ってもいいですが、とらわれて長引かせないように。
Lonely(孤独):だれかに会ったり電話したりメールしたり、愚痴をきいてもらえる人に連絡しましょう。
Tired(疲れ):頑張りすぎは禁物です。適度な休息は必要です。過剰なストレス・強いストレス等も休んで早めに解消しましょう。

15.神の恵みがなかったら/But for the grace of God.
意味「あなたに与えられている恵みを数えましょう」と同じ

16.第一のことは第一に/First things first.
意味:アルコール依存症者にとって断酒の継続が最も大事であるように、「回復にもっとも大事なことは何か」を忘れないようにしましょう。それを忘れることは、スリップの原因となり、最悪、命とりになるからです。

17.あなたは一人ではない/You are not alone.
意味:すでに多くの人に生かされて自分があります。助けを求めれば答えてくれる人たちがいます。同じ苦しみをもって生きている人たちがいます。それらをひっくるめてハイヤーパワーが見守っています。その見守りからもれる人間はいません。背中を向けるのは常に人間の側です。

18.4つのA 意味:回復に必要な四つの態度
Acceptance(受け入れる):自分が病的状態であること、あるいは回復途上であることを受け入れる。受容・受諾のことですが「進んで認める」という意味です。
Awareness(気づく):自分の状態がどうであるか、あるいは自分の変化に気づく。自分の問題や状態を知っていること、自覚のあることを意味します。
Action(行動する):自分の状態を改善するために、ミーティングに参加するなど、行動することを続ける
Attitude(姿勢を決める):自分はどうなりたいのか、どうありたいのか、なにをしたいのか目標をもつこと

19.良いところを見よう/Look for good.
意味:悪いところばかりを見ると、怒りや恨みや被害者意識ばかりがつのって回復が遠のきます。
だれでも、いいところは必ずあるので、そこも見るようにすれば寛容さを養うことができます。何よりも、人を裁く目線は、自分自身を裁く目線でもあります。人のいいところを見る気持ちは、自分のいいところを認める気持ちにつながります。

20.私はみんな(人々)を必要とする/I need people.
人は、衣食住ひとつとってみても一人では生きられません。家族や友人知己、学友や職場の人たちがいなければ、生活することができません。病院に通っているなら、医師や看護師・薬剤師などのみなさんがいなければ身体を保つことができません。
自助会・自助グループもそこに集まる参加者がいなければミーティング(例会)を開くことはできません。このように多くの人々の仕事と助けと奉仕などがあってこそ、初めて自分が生きていられるという事実に目を向けましょう。

21.自分自身を知ること/Know thyself.
いちばんわかっているようでわかっていないのが自分という存在です。いちばん大事なのにいちばん粗末にしてるのが自分というものです。いちばん向き合わなければならないのにいちばん逃げ回っているのが自分自身からなのです。自分自身を知ることは、家族を知ることであり、友人を知ることであり、人間を知ることであり、ハイヤーパワーを知ることにつながります。自分という「人間のサンプルのひとつ」を知ることは、知れば知るほど、他の人を知ることになります。自分に向き合わないうちは、自分という人間のサンプルへの無知による苦しみから脱することはできません。

22.比べないこと(「人は人、自分」という言い方もあります)/Don't compere.
意味:他人のことが気になって、自分のことがおろそかになってしまうとき、「人は人、自分は自分」と言い聞かせます。個人個人のやるべきことや領分や境界線を見失わず、他者にとらわれないための言葉です。
人には人の事情があり自分には自分の事情があります。隣の芝生は青く見えます。たとえば、遠くから見てきれいに見えたものが間近で見ればそれほどでもないという「遠美近醜(おんびきんしゅう)」もありがちです。ものごとも人の姿も、実態を知れば、こだわるほどの大差はないとわかります。

23.私ひとりではできなくとも、「私たち」ならできる。/I can't we can.
ひとりでできることは限りがあります。一人では無理でも二人三人と集団でやれば実現できます。自力でなんでもやろうとして無理をしてスリップすることも多いのです。できないことや難しいことは素直に助けを求めていっしょにやれば、たいていの実行計画も無理なく実現できます。なによりも、良い目的のために、人と協働することは、楽しく明るく温かい気持ちにさせてくれます。孤独を癒し、健康な心を取り戻すためには、良い目的のためにほかの人たちと同じ働きをすることが有効です。

24.違いさがしではなく、同じところをさがす/Don't look for different, look for similarities.
意味:違うところばかりを見ると、優劣の感情や孤独感がつのって回復が遠のきます。
だれでも、同じところは必ずあるので、そこを見るようにすれば、対等につきあう安心感と、寛容さを養うことができます。自分は違うと思い続けると、孤独感と居場所のない感覚が強まり、スリップの原因となります。
そうした「ちがいさがし」は、たとえていえば同じ太陽を見ているのに、自分の見ている太陽だけはちがうといっているようなもので事実ではありません。ちがうと思い込んでいるのは自分だけで、まわりからみれば「同じ人たちのひとり」とみられており、またそれが妥当な見方であることの方が多いものです。

25.今日は明日から死ぬまでの間の最初の日/Today is the first day of the rest of my life.
昨日までの過去は変えられません。今日一日を生きる心構えとして、定められた寿命のつきる日を想い、一日一日を大事に心を新たにして生きましょう。たとえ、過去がどんなにひどくても、残りの日々を大事に過ごせば、新しい自分に生まれ変わることができます。

26.説教無用、実践すべし/Don't preach,practice.
意味:知識や用語をたくさん人に語って教えようとするより、自分で自助会に参加したり回復につながる行動をしつづけましょう。
回復にとって「知る」ということと「行う」ということが、同じであればあるほど健康になっていきます。言うこととやることが一致すればするほど回復の程度が進んでいます。「知る」ことと「しゃべる」ことが一致しても、「行い」が伴わない人は、「回復が進んでいない人のうわごと」にすぎません。

27.それはそれほど重要だろうか?/How important is it?
意味:ものごとを深刻に受け取りすぎることと同様、考えすぎて重大視しすぎることは、回復する上での罠のようなものです。とらわれて考えがまとまらないときや袋小路に追い込まれているような気持ちになったときはリセットしたほうがよいです。そのリセットの言葉が「これは、それほど重要なことだろうか。こんなに悩まねばならないほど重大なことなのだろうか」ということです。はっとして、自分がとらわれすぎていたことに気づいてバランスを取り戻せます。

28.弱さは力/ My vulnerability is may strength.(※vulnerabilityは「傷つきやすさ」「攻撃されやすさ」「弱み」)
意味:通常の感覚では「強さこそ力」ですが、回復にはその価値観では役立ちません。回復に逆行する強がりや虚勢や自己顕示欲を温存してしまうからです。回復には「正直さ(素直さ)」「謙虚さ(へりくだり)」が不可欠です。その二つが「回復の力」です。通常の価値観では「正直者がバカを見る」「謙虚では競争に勝てない」ということがあります。ところが、回復には、自分の弱さを正直に認める、自分の高慢さを打ち砕いて謙虚になることが、どうしても必要です。過去を振り返れば、「それだけはいわないでくれ」といいたくなる弱みや痛いところがあります。それを認めて、あえて責められることを避けない。そのような態度が、病的な自分から健康な自分になってゆく「力」となります。自分の弱さやあやまりを素直に認めて、等身大の自分になってゆくことが「力」となります。それは、同時にハイヤーパワーの「助力」という最大の「力」をいただける方法でもあります。あなたの弱さを弱さのままにしておかない。それがハイヤーパワーの御意志です。

29.秘密は命取り/Secrets kill.
法律に触れる行為や良心に反する不正行為や人目をはばかる関係を秘密として抱え持つことは、回復にとって重大な支障となります。隠し事や不正直さをもっている分だけストレスと良心の痛みが蓄積し、ミーティングにも参加しづらくなり、いつか最悪の事態につながるからです。

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# by ecdysis | 2019-05-07 16:56 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

 18歳の私は、道理も天地の理法も知らなかった。家族もそうだった。世間体や評判や噂ばかりを気にして、それを超える道理を知らなかった。
 自分がなにものでどうすべきかも、人として何が大切かも、国家や民族や祖先の歴史や業績や訓戒も知らなかった。
 人の心を豊かに幸せにする方法も原則も知らなかった。

 そして、いま「18歳の私は何も知らなかったのです」と叫ぶ。
 これが、釈迦のいう「無明」(普遍の真理や倫理道徳に関する無知)に生きたもののありようだ。「私は、それを知らなかったのです」と、無明の一端を自覚した者は叫ぶ。「それをあのとき知っていれば、教えてもらえていれば、理解できていれば、あんなことにはならなかったのに」と痛恨の念を起こす。
 だが、そのとき、それに無知で、それを理解できなかったのも因縁の道理のあることで、ほかに選択肢はなかった。私の場合はそうだった。

 無明は、生まれつき目の見えない人が、色や形を目で見ることができないように、真理が見えない状態をさす。生まれつき耳の聞こえない人が、まわりの音や声を聞くことができないように、真理を聞くことができない状態をいう。
 このように、無明は万人にとって、苦しみの原因として、必然で不可避である。

 永遠の命以外のものを求め続けるとどうなるかを、私はこの40年間でたっぷり体験させてもらった。
 おのれの無明を自覚せずに、自分の意志と力で、願いを実現しようとすることは、はじめはよくても永続せずに挫折する。幸運にめぐまれてうまくいっても、家庭や対人関係に大きな問題が生じて安心できなくなる。

 無明の第一は、自分が天地自然の日月大地とそれを司る神々と目に見えない世界によって生かされ支えられていて、それなくして一時も生存できないという事実を知ることがない。
 第二は、自分の執着する色欲やそのほかの欲が渇愛であることを知らない。
 第三は、自分が執着している分だけ、もともとある良心と内なる神仏による知覚と認識力が閉ざされていることを知らない。

 その執着を手放せば、これまで見たことも感じたことも予想もしなかった素晴らしい感覚と世界を広く認識する喜びが得られる。しかし、執着の対象にとらわれて、その対象にばかり喜びや快楽の感覚を集中させている間は、真実のあるがままの世界は閉ざされている。ほかに見るべき望ましい喜びの対象となる世界があるのに、それに気づかない。その状態のまま「これしかない」と握りしめて手放さないのが、無明の現れとしての執着のありようである。

 高校・浪人時代、私の救いは肉体の性の快楽だった。それ以外はなかったし探そうとも思わなかった。
 最高にかわいくて魅力的な恋人を得て睦まじくすれば、直ちに癒しと幸福が訪れるだろうと信じていた。
 しかし、それは妄想にすぎなかった。そのかわいい恋人を得て、自慢してみんなにうらやましがられれば、劣等感は補償され、無力感にひしがれた心は、有力感によって元気になると信じた。恋人ひとりを得るだけで、それが万能薬になると疑うことなく信じたのだ。当時の私には、それしか有効な薬に思えるものがなかった。
 私は彼女らのイメージをはげしくむさぼった。それは人身獣面のごとくであった。
 私は、ひどい孤独の状態にあり、それは親や祖先の人達の孤独をも受け継いだものだからだ。

 私が、魅力を感じて一緒になりたいと欲した女性の数はあれこれたくさんいるが、ひとりも伴侶にできなかったので完全な敗北である。
 このような私の愛欲妄想は、まさに「迷いの生存」の象徴だ。愚かなことに、性愛というものを真理真実への愛と混同して、性愛には人を高め魂を恒久的に救う力があると、私は若年時代から致命的な誤解を正しいと信じ込んできた。
 いまは、その幻想に気づいた。エロス(男女の愛)はエロスでしかない。アガペー(神・真理・善・徳への愛)になりかわるのは無理だ。フィリア(友愛)でもストルゲー(家族愛)でもだめだ。

 性愛に人を救う力があるという思い込みはまちがいだとわかった。もしそうなら、離婚はありえず、児童虐待もないはずだ。心を病んだ人間も、恋愛や結婚によって治るはずだ。だが、そのような事実が一般的に存在するとはきいたことがない。子供ができて落ち着いたという話はきくが、恋愛や結婚によって自分や配偶者や家族のもともと病んだ心が治ったという話はきいたことがない。

 そもそも私は、セックスに過大なものを求めてきた。セックスの興奮と快楽の効用は私が期待したような過大なものでは決してなかった。それは迷いの苦しみを与えるだけで救いも癒しもあたえなかった。快楽への興奮と刺激と期待が、それに似て非なる惑わしを起こしただけだった。恋や性交に期待したよいことは予想の十分の一でしかなく、恐れた悪いことは予想の十倍もあった。

 恋愛も結婚も、生き方の病を直す薬にはなりえない。恋愛という執着は苦しみと悩みの源であって、人を苦しみと痛みから救う甘美な薬ではない。肉体の一時的な性の快楽も人を救うものではない。相手への依存も救いにはならず、新たな悩みの原因になるだけだ。

 私は無益な実験を40年にわたって繰り返し、鉛が黄金になることはないという当然の結果を思い知っただけだった。錬金術師の愚かさを発揮しただけだった。恋が人を救うという妄想は完全にうちくだかれた。健康な家庭は、健康な男女が一緒になってできるのであって、病んだ男女がいっしょになっても、あるいはどちらかが病的であっても、専門家や自助団体などの第三者の手助けがなければ、病的な家庭ができるだけだ。だから、私が健康な家庭の幸福を得たいと願ったのも、まったくもって無知による迷いと妄想であった。それは夢という言葉で美化しても、迷いの夢でしかなかった。

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# by ecdysis | 2019-03-24 03:57 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 仙台で大学受験の浪人をしながら、あらゆるACの病理が爆発した18歳のとき。あの下宿の二階の四畳半で、夏の夜中に抱いた家庭願望そのものが、実は切実な願望の形をとった病気の現れだったと納得した。あれは、当時はそれしか思いつかない希望であり唯一の救いの目標だったが、実はその正体は妄想病だったと初めて胸落ちした。

 今まで何度か書いてきたように、神仏の教えや聖人賢者の智慧を満載した書物がたくさんあり、尊敬すべき学者や教師があまたいることもまったく知らない少年だった。釈尊の戒められる「貪・瞋・痴」の三毒が無自覚に放置された生き方だった。

 浪人時代は、性欲を貪り、酒を貪り、煙草を貪り、家族と世界を憎み、己の生存を恨んで生きるしかなかった。常識や世間体だけを基準にしている社会では、私の家庭も私も内面的にはすでに落伍者であった。世間の目が「神」だったので、私はその世間にとけ込めず被害妄想と自意識過剰に狂っていた。世間体は、その基準に満たない自分のようなものたちを裁き、罰し、排除するものと私の目には映った。

 私は世間であり世界であるものたちをも恨んだ。自分をこの世に生ましめた神をも恨んで憎んで呪った。自らを悪魔になぞらえたほどだ。
 そんな精神状態にあった当時は、ひどい家庭環境に痛めつけられて精神を病んでしまい、正しく導いてくれるものは何もなかったし有るとも信じられなかった。

 自分の存在理由が見つからなかった。生きていくための理由がわからなかった。何をすればいいのか、どこへ行けばいいのか、まるで見えなかったし、だれかに尋ねても教えてもらえるとは信じられなかった。私を理解してくれる人間、わかってくれる人間はいないと絶望していたからだ。

 ひきこもりと、対人恐怖とひどい被害妄想と家族への憎悪の中に生き、酒・タバコ・ロック音楽・自慰への依存と逃避しかなかった。
 そんな中で、今までの悲惨な家庭環境を改善し、幸福な家庭を造ろうという意志は、私には闇にともった明かりに思え、自分の中にわずかに残っている正常さと健康さの証であると信じた。少なくとも、その願望のなかには、憎しみも怒りも恨みも恐れもなかった。また、自分のもっとも欲しかったものがなんであるかも明白になり、自分の長男の役目も果たせて哀れな母の願望達成にも、見事に一致する結論だった。その願望さえ達成できれば、自分の悩み苦しみのほとんどが、僅かの間に雲散霧消する画期的な思いつきに思えた。
 ゆえに、その着想の正しさを、私は確信した。これこそ、自分のよりすがるべき人生の至高の目的であり、頼りにし、人生の灯台にして金科玉条とすべき理想以外のなにものでもなかった。

 だが、この強く固い期待の肥大した涙ぐましい目的意識も、当時の私の病んだ心の生んだ統合失調症じみた、あるいは躁病じみた空想妄想性の病でしかなかった。鬱状態から躁状態に移行しただけだったのかもしれない。
 だから、そののち結婚を意識した女性たちのほとんどが妄想病はじめ心を病んだ人たちになった。
 過去40年の彼女らとのかかわりが、その全体像をもって教えてくれた。いったい何が原因でそうなったのか、私の何が病んでいたのかを。
 40年前に、私の心に起こった輝かしい希望の目的意識そのものが、実は理想家庭の妄想病、普通回復の妄想病だった。繰り返しになるが、その願望自体が病気の現れであり、空想病の症状だったのだ。

 ふりかえれば、病的でない家庭や男女関係を、まったく知らない状態で、どうして健康で幸せな家庭がつくれようか。それを、作れると信じて、造らねばならぬと固く決意するのは、現実を無視して、思いこみのままに進む空想病にほかならない。
 たとえば、身一つで空を飛べると信じ込んで高い場所から飛び降りようとするものを、だれもまともとはいうまい。たとえ、彼がどれほど飛べると信じ、飛ばねばならぬと決意し、飛ぶことが人の理想の実現だと主張し、その正しさを決してゆずらないとしても、彼は飛べないのだ。それと同じことだ。

 18歳の浪人時代の切実な家庭改良の願望は、それが生き方の根本的な支えになったほどだったのに、想った通りにはまったくならず、結果は不毛で有害で空虚なものだった。たとえていえば、農地の豊穣な実りを目指したのに、植えても作物は次次に枯れて砂漠化したようなものだ。
 その願望は今にして想えば、確かに非現実的だった。自分がちゃんとして、ちゃんとした相手と結婚して、ちゃんとした家庭を作りたいという、空想が優先していた。だが、当時はそういう可能性の空想ができるということ自体が、私にとっては画期的であり救いを予感させるものだった。そこまで追い込まれ絶望しきっていたのだ。
 しかし、私の希望的夢想は、現実的には、次のような実現不可能な要素を持っていた。
 まず、自分がちゃんとしていない病的な人間であるという認識がなかった。また、ちゃんとした相手の女性を見分ける見識も方法もなかった。もっとも問題だったのは、生家が普通ではなく、普通にお嫁さんをめとれるような家ではなかった。そのアルコール依存を主軸にした心を病んだ人々から成る生家の事実をまったく認識できなかった。
 18歳の私にまったく認識できないレベルで、我が家はすでに嫡流が断絶する運命にあった。つまり、私も父母も弟も祖母も、みな病んでいる家族なのであり、それを改善して健全に復し、なかったことにする方法など、存在しないのに気づかなかった。

 母も私も健康な普通の家庭という妄想に生きる病にかかったのだ。
 だが、この妄想をいったいどれだけの人が笑えるだろうか。私の生家ほどひどくはなくとも、「これさえあれば」「この問題さえなければ」「これだけ実現すればすべてうまくいく」という願望や欲望を持つ限り、機能不全家庭になる可能性はどこの家にもあるのだ。
 なぜなら、たとえばあるひとつの問題が、今はその個人や単体に発現しているとしても、実はそれは家族や集団・組織という背景にある全体の病理を代表しているものだからだ。 

 18歳の私は、知らなかった。自分が解決したいと願った家庭の問題が、どれほど深刻で重大なことであったか。その事実を認識できなかった。その家庭の病は、すでに手遅れで、健康な家庭にはありえない、残酷な犠牲、命や財産の犠牲が不可避であったことを。その問題の解決を目指すには、私はまったく非力で役立たない少年でしかなかった。それなのに、私は自分が望んで念願したことの正しさを疑わず、必ず解決して見せると期待した。それが、どれほど無謀で現実ばなれした空想であるかも知らず、ただただ自分が本気で願いさえすれば、どんな夢でもかなうと、子供が信じるように信じた。幼い子が、クリスマスに本物のサンタクロースが自分にプレゼントをくれると信じるように。

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# by ecdysis | 2019-03-18 01:12 | Trackback | Comments(0)

自分の「心」に気づく時

 釈迦は、悟りも迷いも、「心」からくると詳しく解説している。
 それらの言葉は、座禅をはじめて仏教書を本格的に読みだして2年になるが、これまで字面で読むだけで、ほとんど実感には遠かった。

 最近まで、「自分の心を知っているつもりになっていただけで、実は未知の領域のまま蓋をして否認してきた」という事実にさえ気づかなかった.
では、私はこれまで、どのように自分の心を認識してきたか。
 もっとも中心にあるのは「あるべき自分の心」と「あってはならない自分の心」の二つの部屋を持っているということ。
 これは、「有ることを知っていて人にも話せて認めることのできる心・感情」と「有るのを知ることさえ否定し人にも話さず認めることのできない心・感情」とも言える。

 自分の心の否認は、言い換えれば「自己の欠点や問題点の否認と認知能力の凍結・麻痺」ということになる。
 あるがままの自分の心と感情は、私のひどい家庭の中では、現わすことも感じることも否定すべき「恐ろしい忌むべきもの」だった。

 けれども、そのように「有ってよい心」と「有ってはならない心」とわけても、有るものは有る。
 それは、たとえば部屋に有る物を「快適な物」と「不快な物」とにわけて、前者は日常的に必要なものとして使い、後者は「ないことにして部屋の隅に放置」という対処をしているのと同じだ。不快な物は、そもそも部屋の外に出すべきなのだが、まず「不快な物が室内に有って積まれている」という事実を認めることからはじめねばならない。「有るものを有ると認めること」がまず、最初に為すべきことなのだから、我ながら驚かざるをえない。
 道元禅師の「眼横鼻直(がんのうびちょく)」の教えの通り、「目が横にふたつ、鼻が縦にまっすぐについていること」さえ、ふだんは当たり前のこととして意識にもせず、気づくこともないように、改めて気づけば、その事実が驚きをもって受け止められるようになる。

 私の心にも同じことがいえて、有るがままに見ることをしてこなかったがために、否認し無いことにしてきた心を、ここにきて急に自覚せざるをえなくなってきた。

 私は、これまで見たくない自分の醜い感情、あってはならない悪い心を、「何かのまちがいで起こったが、もともと自分のものではないので、見なくてよい心」にして、不要な心の箱に入れて蓋をしたつもりだった。
 しかし、それらは、私の蓋をしたつもりが、ただの思いこみであることを証明するだけだった。実際は、蓋をされたわけではなく、常に私の中に起こって、隠したり見ないふりをするだけだった。見ないふりということは、外にも内にも現れ見えていたということだ。まったく見えなければ、見ないふりなどする必要がない。

 しかし、自分に不都合だからといって、心に有るものを無いとすることは、自分の心と人格全体に対する高慢であり冒涜でさえあった。そのことにようやく気づいた。自分の心の無視という、自分自身への高慢な姿勢に、これまで気づかなかったのだ。

 そもそも、酒を飲んで女性とつきあっていたころ、私には自分でも情けないと思う気持が心の奥にあって、それに苦しんでいた。
 それは、女性に依存して養ってもらいたいという、実に恥ずかしい依存欲求がうずくのを感じて、「これはあっちゃならない感情だ、なにかのまちがいだ。おれはこんなダメ男じゃないはずだ」と否定した。現実的にはダメ男だったのだが、そう自分でうめいていた。

 依存症と経済的不安と恐れとさまざまな気持が錯綜して、そういう精神状態になったのだと理解していたが、それはもっと根深いものであることがわかってきた。

 思い返せば、私は18歳のときに「よき父、よき夫になりたい」という願望をもち、それにふさわしい精神を持ちたいと思い続けてきた。それは、いまだ実現されないことであったが、あらかじめの矜持、プライドとなって、そのような女性への経済的依存をともなう依存を否認するのに役立っていた。よき家庭人たりえたいという願望によって、私は自分のおろかさや醜さや罪悪を否認することができた。私は私の心のうち、陰にまわしてしまった暗い幼稚な心を、立派な長男になるという願望によって否認し、あってはならない心として見ないことにした。

 その夢のおかげで、私は自分を支え有力感を持つことができた。「今はこうだけれど、いつかはきっと、ちゃんとした家庭をつくるんだ」という夢の前に、私は自分の心のうちで、人に見せていい心と、否認して隠すべき心を仕分けしてしまった。そして、自分の卑しい暗い心を「善き家庭人になるためには不要な邪魔者」としてすべて蓋をしたつもりだった。

 だが、そのプライドの原動力の夢はいつまでも実現されす、むしろ実現できない可能性が日々に増し、私は自分のいやな醜いみっともない心と、少しずつ向き合わざるをえなくなって、それでも蓋をしようと格闘し続けた。

 私の暗い醜い卑しい心は、それでもそのひとつひとつに正しく対面して、大半を受け入れてきたとはいいがたい
 以前、自分の激しい嫉妬心に気づいて苦しんだのは、その最初の対面といえたが、まだまだ対面すべき「自分の暗い心」がたくさんあると最近気づいてきた。

 釈迦の教えを学ぶまで、私には「見ていい心」と「見てはならない心」と分けていることも気づかず、「見てはならない心」は「あってはならない心」で「なかったことになった心」だった。

 しかし、繰り返すが、あるものはある。そのことを、釈尊が教えてくださった。

「立派な家庭人」になる夢に挫折したとき、私は鬱病を発症しはじめ、それまでの蓋をしていた感情をおさえつけていることができなくなった。すでに激越な憎悪の問題は、19歳のときに一応の解決をみたが、それ以外の嫉妬や怒りや貪りの問題は、「なかったことにした」ため、まったく手つかずであった。

 その結果、中年になってから酒の力を借りて人と論争し、ぶつかりあい、攻撃し罵倒し、怒り狂った。自分をだましたカルト教団へも怒りにまかせて訴訟問題寸前になるまで、徹底的な批判を繰り返した。それは、まるで酒を飲んで怒り狂う父や祖父のようだった。彼らは腕力による暴力をふるったが、私は筆の暴力、言葉の暴力をふるった。怒りをぶちまけたという点では、なんの違いもない。その結果、暴力的な人脈が、一時的にだが、できたこともあった。

 酒乱の父や祖父を見て、怒りはよくないから、怒らないようにしようと生きてきたつもりだった。だが、それは蓋をして我慢しただけだった。怒ることのない優しい穏やかなパパになりたかったはずなのに、現実は酒乱一族を証明するご乱行だった。

 そして、いま「女性に養われたい」という、みじめな弱い臆病に見える心の正体が、「貪り」の現れであることが、やっと自覚できた。
 これは、愛する女性を物質的・精神的に「むさぼる」行為なのだ。「怠惰」とか「寄生(パラサイト)」とかいわれるが、本質は「貪欲・貪り」にほかならない。貪りは「もっとくれ」「もっとよこせ」「もっと恵んでくれ」しかいわない心だ。お返しすることも知らず、他者に与えることも知らない。以下の旧約聖書の一節を思い出す。

旧約聖書 「箴言」30章15節
 蛭(ひる)の娘はふたり。その名は「与えよ」と「与えよ」

 私の生家の祖父母は、まさにそういう人たちだった。私は確かに彼らの孫だ。彼らの心を、わたしも生きている。彼らと同じか似たカルマの流れのただ中に生きている。

 なんと不健全で醜く悪意を帯びた異常な心を持ったまま生きてきてしまったことか。それでもこれが、私の心なのだ。

 低俗で幼稚で妄想的な病的に過敏な私の心よ、あらゆる苦しみと喜怒哀楽と目をそむけたい情けない感情ばかりをつくりだす私の心よ。

 しかしながら、怒らなければ怒りの恐ろしさはわからず、貪らなければ貪りの恐ろしさはわからず、愚かさを現わさなければ愚かさの恐ろしさはわからない。愛さなければ愛の尊さはわからず、奉仕しなければ奉仕の尊さはわからず、智慧を現わさなければ智慧の尊さはわからない。
 サン・テグジュペリは、『人間の土地』の中で、「人は、人間の働きをしてみて、はじめて人間の苦悩を知る」と書いている。
 これが自分なりの人間の働きの結果だとしても、自分の心を、自分のものだと全面的に認めて知るために、なんと多くのまわり道をしてきたことか。

 それでも、自分で自分を否認否定しなくてよくなった不思議な喜びと安堵がある。隠して背負っていた否認された心の頭陀袋をやっと背中から降ろした気分だ。

 その袋を開けて、その悪臭と不潔さに満ちた心をとりだし、洗ってゆかねばならない。

 本当に、私は自分の心を知らなかったのだ。否認という自分でつくった防壁をこわして、内にある心をとりもどす。
 それは、否認して、存在しないことになっていた、もう一人の私自身との再会である。
 私は、その自分の心に告げよう。
「お帰り、暗くて愚かな私よ。今まで無視してきて、本当にすまなかった。これからは、ともに生きていこう。きみがどんなありさまであっても、私はきみを愛している」

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# by ecdysis | 2019-02-28 17:08 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 二日ぶりにコーヒーを飲んで興奮状態になったためか、昼休みに不思議な感覚に包まれた。
 昨年からときどき起こる、通行人の高齢者や身体に障害のある人たちにとくに感じる「その人はその人をやっている」という感覚だ。もっと詳しくいえば「その人の内在する魂が、現世の今の姿をとり続けることを、自覚せずに本気で生涯かけて使命として遂行し続けている」という感覚である。そのとき、私は名状しがたい感動にとらわれ、なんともいえないありがたさに涙がこみあげてくる。 

 その人が、その人となるために、その人のうちなる魂・神・仏が、産声を上げたときから現在まで、ずっとそのひとの肉体の奥にあって、その人にしか体験できない人生を使命として、自我とともに丸ごと生き続けている。その内なる魂・神・仏の気高さと勇気とに、ただただ「あなたがたは尊い存在です」とありがたくて拝みたくなる。「その人が、その人をやっている」という感覚には、その人が「生きて存在していること自体が尊い」という想いしかわかない。

 むろん、通りすがりのその人の名前も年も住所も経歴も何も私は知らない。通常なら無関心に過ぎ去る赤の他人である。
 しかし、私はそういう感覚になると、もはやその人に無関心ではいられなくなる。その人が、その人であることが、かけがえのないありがたい尊いできごとに感じられてならない。それは「存在そのものへの尊さの感覚」としかいいようがない。

 その感覚を、もっとほかの人たちにも広げてみると、驚くべきことに、すべての通行人が、各人固有の比較できない「尊さ」をもった「気高い存在」に感じられて茫然としてしまう。そして、それが事実であり真実であることを、私は心の奥で知覚する。
 その「尊さ」の前には、その人の肉体的外見や性的魅力の有無は無意味となる。すべてのひとが、無条件に尊いという感覚になれば、外見の美醜や容姿にとらわれることは、むしろ邪魔になるとわかった。

 すべての人が尊いと感じるためには、外見の美醜容姿にとらわれないことが必要だとわかった。いな、外見の美醜容姿に囚われてきたからこそ、今まで一人一人の魂としての存在の尊さがわからなかったのだ。人々に囲まれ人々とともに暮らす私は、ほんとうは「無条件に尊いもの」たちばかりの中で暮らしていると気づかされた。

 私もあなたも彼ら彼女らも、みな一様に「もともと尊い存在」なのだ。その尊いものはダイヤモンドにたとえられる。ダイヤモンドに、もし心があったら、自分のことを価値のない石ころだとおもいこんでいたとしても、決してダイヤ以外のものになることはない。人の魂も同じだ。自我がどれほどの悪人でも善人でも変人でも凡人でも、そのうちにある魂はダイヤモンドだ。

 自我がどれほど汚れて惨めで醜くても、それが魂のダイヤを変質させることはない。今の私やあなたが、いかなる状態にあろうと、魂というダイヤモンドは傷つくことも汚れることもない。たとえ泥をかぶっても糞便だまりの中に落とし込まれても、ダイヤモンドがそれ以外のものになることはない。見つけだされて洗われれば、ダイヤモンドはただちに本来の無傷の美しさを取り戻す。

 私たちの自我・心は傷つき血を流し苦しみ穢れに満ちている。しかし、その奥には無傷の魂というダイヤモンドがあって、自我との出会いを待っているのだ。

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# by ecdysis | 2019-02-23 01:25 | スピリチュアル | Trackback | Comments(0)

 ACや心を病んだ人の生き方について、ひとつのたとえ話。

 私は、一隻の貨物船となるべく生まれた。造船所である生家は機能不全で、健康であるべき私の心という船体には、虐待や無視や配慮の無さや無秩序によって、大小のひびや穴が船底にあいた状態で、修繕もされず気づかれもせず、大人になり社会の大海へ出航することになった。
 航行するうちに、どうも浸水しているらしいと感づくが、どうすればいいのかわからない。このままではいつか沈没すると恐れるが、船底がどうなっているかわからないため、浸水の原因も場所もわからず、どれだけの被害かもわからない。ただ、船体が次第に重くなり喫水線も低くなって快適な航行とはいえなくなってくる。恐れと不安は、文字通りひたひたと忍び寄り、安心して航行できない。家庭や仕事の責任という荷物の積載量もどんどん減ってくる。
 そんなある日に、台風に遭遇し大波と大風に対処するため、必死に操船して、日ごろの浸水不安を考える暇がなかった。ほかの船と衝突して船体がどうにかなりそうなときも、日ごろの浸水の恐怖を考えずにすんだ。
 私という貨物船は、それで「台風や事故にあえば浸水恐怖を忘れられる」と知って、今度はみずから台風をもとめて航行し、ほかの船にわざとぶつかっていくようになった。その間にも浸水は進み、事態はどんどん悪くなった。
 そして、ある日、ほとんど沈没寸前の船体を自覚せざるを得なくなり、ほかの船から教えてもらい、航行しながら水を抜いて船底の修理をする方法を学ぶことができた。もちろん、長年の浸水で大量の水が船体内にあり、船の寿命のうちにすべてを排出できるかどうかわからない。それでも船体は徐々に軽くなっていき、一度はほとんどなくなった積載量も、完全な状態でのそれよりは少ないものの回復してゆく。
 だから、少なくなった積載量でも、自分は貨物船として役に立って、沈没の恐怖から逃れて航行が続けられる。毎日、水を排出し、新たに現れる穴やひびを、ひとつひとつ修繕しながら船は進む。

 私と機能不全の生家と、アルコールなどの依存症と自助会の回復のプログラムとの関係は、いま言ったようなたとえ話で説明することができる。

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# by ecdysis | 2019-02-16 02:16 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

回復には「喜び」が必須

 罰や非難や批判や悪評や恥辱を恐れて、その恐れを動機として、「まじめに」しているのは本当の「まじめさ」だろうか。
 もちろん、私も含めて多くの人たちは、大なり小なり、自分や家族や知人たちに罰や悪評や恥がくわえられることを「恐れ」て生活している。

 それは、しかし、恐れという鞭で駆り立てられる家畜みたいなものではないかと思える。
 そういう「恐れの鞭」を自分に加えて叱咤するのは、本当に良い生き方といえるのだろうか。
「恐れ」を動機にまじめにしてきた自分は、「恐れ」がなくなると、今度は虚脱して、だらけてふんばりがきかない。
 また、「恐れ」を動機に、完璧にしようと努力してきたが、完璧にはとてもできない事実を知り、逆に「恐れ」だけが宙に浮いて無意味になる。

 鞭打たれなくなった家畜は、好き勝手に散歩して草を食いに行ったり獲物を追いかけにいく生来の行動をとる。そうしないで元の場所に戻って首輪やくびきをつけられるのを待っている家畜は、馴らされきって、もはや自前の行動がとれない、一種、病的な状態となる。鞭打たれることに慣れきって鞭打たれないと働く気にも生きている気にもなれないという状態だ。

 権利とか義務とか責任とかいうのも、「それをやらねば恥」という「恐れ」を根底とした理念である。
 もし、本当に生活の心配や恐れを放棄して、自分自身の真実に純粋に忠実に生きようと思ったら、出家者になるか、さまざまな芸事のスペシャリストになるなど、自己実現の道を多くの人々が選ぶはずだ。

 よく自己実現を「夢を追いかける」という言葉で表現する。自己実現はすなわち何かといえば、「自己表現の喜び」という「喜び」に生きるということだ。だから、恐れに追われる生き方をしている人たちから見れば、「夢を実現した」人たちは、「自己実現」の「喜び」に生きている人たちだから、憧れと羨望の的ともなりファン心理ともなる。

 つまり、今自分がやっていることに、喜びや充実感や楽しみがなく、ただ恐れだけを動機として生き続けることは、人としてあるべき姿ではないといえるだろう。ACや依存症や心を病む人々は、そのことをもっとも深刻に残酷に体現している存在といえる。

 たとえば、薬物依存症者が薬を使い続けると、ひどい被害妄想に陥り、薬物をやめてもときどき強迫的フラッシュバックが起きるように、根底的な「恐れ」があると、いつまでも自分を鞭打つことになる。

 眼前の現実から、私も酒や恋愛で逃げてきたが、「逃げる」とかならず「追いかけられる妄想」が生じる。現実にだれかから何かから追われているわけではないのに、「追われている感覚」が生じて「さらに逃げなければ」という恐れが強化され、さらに依存症状が進行する。

 こうして見ていくと「恐れ」を打ち消すのは「喜び」だけなのだとわかる。まるで「不運」「不幸」を「幸運」「幸福」が打ち消すように、100%ではないにしろ「恐怖」は「喜び」によって打ち消される。

 その喜びを「歓喜」といってもいい。神社仏閣の祭礼・参詣・縁日や、遊園地や映画や、さまざまな芸能人のコンサートなどのイベントやプロスポーツの応援などで、私たちは「歓喜」する。それで生きるちからをもらって、恐れを動機とした日常生活の不健康さを補償している。

「よろこび」とはかくも重要で、健康に生きるために必須な魂の栄養素なのだとわかる。
「恐れ」のために生き続けてきた私のような人が、「喜び」のために生き方を変えられるように、神様、どうか私を励まし、どんな小さなことにも喜べる人間にしてください。恐れの生き方を続けさせようとする「敵(サタン)」の誘惑と悪だくみからお救いください。

 恐れは苦である。苦痛は恐れを産む。肉体の苦痛は恐怖を起こし、その恐怖は心に苦を産む。苦痛がとらわれを産む。とらわれは心に苦を産む。恐れは苦痛の原因であり結果である。恐れと苦痛は因果の関係にある。苦痛を与える家族とそれを恐れ苦しむ私は、苦痛を因とし家族と私を縁として恐れという果を形作った。その逆のパターンで「恐れ」を「喜び」に、「苦痛」を「快楽」に置き換えても同等の因果が導き出される。

 特記すべきは以下。ACの恐れは劇的な苦痛の体験によって生じた。それを打ち消すのは劇的な喜びとは限らない。むしろ、穏やかでささやかな喜びの集積によって癒され救われる。凍った心を溶かすのは溶岩や熱水ではない。春の日差しと温かい風にほかならない。

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# by ecdysis | 2019-02-12 04:30 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

引用元『コーラン』(責任編集:藤本勝次/中央公論社・「世界の名著」15/1970年9月30日)

牝牛の章(第2章)

219節 酒と賭矢について、人は汝に尋ねるであろう。答えてやれ。「それらは人々にとって大きな罪悪であるが、利益にもなるだが、罪悪の方が利益よりも大きい」

以下※は心炎の補注
※これは神アッラーが預言者ムハンマド(マホメット)に託宣した言葉。「汝」というのはアッラーがムハンマドをそう呼んでいる。
「賭矢」とは、当時7世紀のアラビアのギャンブルの一種。引用元の訳注にはこうある。
「十人で一頭のらくだを買って公平に肉を分配し、十本の矢をくじとして引き、空くじを引いた三名の者がらくだの値段を支払うという賭事」

食卓の章(第5章)
90~91節 信ずる人々よ、酒、賭矢、偶像、矢占いは、どれもいとうべきものであり、サタンのわざである。それゆえこれを避けよ。そうすれば、おまえたちはおそらく栄えるであろう。サタンは酒と賭矢などで、おまえたちの間に敵意と憎しみを投じ、おまえたちが神を念じ礼拝を守るのをさまたげようとしているのである。それゆえ、おまえたちはやめられるか。

※信者たちに向けた言葉なのがわかる。
現代風にいえば、飲酒、ギャンブル、偶像崇拝、職業的占術などのこと。偶像崇拝は、教祖と幹部によるカネと人集めが目的のカルト宗教と言い換えられるし、占い師も客の金品を目的に詐欺を働くので忌まれたと思われる。形あるものを拝むのが偶像崇拝なのではなく、拝む目的と対象が利己的で私利私欲の現れであることが偶像崇拝に当たる。職業的な占いも、占い師の私利私欲のために客が利用されることで被害が生じるので避けよと命じられている。
サタンとは悪魔であるが、もともとは「敵」という意味。慈愛深い神はサタンを「敵」とは思召さないが、サタンの方が「神を敵視している」のである。
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# by ecdysis | 2019-02-09 14:29 | スピリチュアル | Trackback | Comments(0)

 なぜ、いまさら祖母の狂気を思い返すかというと、実は若い頃から、ときおり狂気の小さな衝動が起きる。それはつねに妄想であって現実には起こさないが、自分で思い浮かべて自分でぞっとする加害妄想で原因がわからなかった。私は酒をやめて15年たったが、今でも以下のような妄想が瞬間的にわいてぞっとすることがある。
 もしそれらの妄想のひとつでも実行していたら、いまこうしていられるはずはない。実際に行使したことはまったくない。
 自分の中で時々起こる、こうした自分の意志に反する突発的な衝動性の小さな狂った妄想を列記する。

・電車のホームで人を突き落とす。あるいは自分が電車に飛び込む。
・冷たいものや熱いものを人の素肌に押しつける。
・幼児や乳児を逆さづりにして振り回す。
・通りすがりの異性に痴漢行為を働く。
・刃物で自分を傷つけるか他人を傷つける。
・マンションのベランダから通行人のいる地上へものを投げ落とす。
 
 いずれも犯罪で、狂った行動だ。なぜこのような自分でも忌まわしい妄想が起こるのか、身震いしながら長い間謎だった。
 しかし、この狂気は、一種のフラッシュバックではないかと思い当たる。気も狂いそうな恐怖と衝撃を私は幼少年期に幾度か味わった。そのトラウマは深刻だったし、いまだにすべてが癒えたとは言えない。気の狂った祖母と住んでいたのだから、狂った心があってもおかしくはないが、恐ろしすぎる。
 だからこそ、そのときの気も狂わんばかりの子供の意識が、私の心に作用して何事かを伝えようとしているのだと思える。

 おそらく、うわ~と泣いて言葉にならない恐れと苦痛と絶望と嘆きの叫びをあげているのだろう。
 私は、それを聞いて、そこにいるということを見つめる。否認は決してしないし、あってはいけないとも、いてはいけないとも決して想わない。
 私は気も狂いそうに怖かったときの自分を思い返し、その涙と苦痛と叫びをあるがままに受け入れる。おそらく、その必死な狂気の声が残って響き続けているのだと想うが、それも自分であると認めて生きていくのはもちろんだ。
 私と、その子供は同じ素材、たとえばひとつのお餅の上に生じた大小ふたつのふくらみのようなものだ。だから、両者が手をつないで歩いたとしても、それは親子でも兄弟姉妹でもない。私は、その幼子の分身であるし、その子は私の分身なのだ。私は、彼であり、彼は私なのだ。だから、自分の内なる子供に対して、今の自分が親になれないというのは当然のことで、親子以上の関係性を有しているというのが正しい。

 いまあげた私の狂気の妄想は、ひとつひとつが、祖母の母をひどい目に遭わせたいという虐待者の悪意が現れたものだとすると、関連性があることがわかる。自分か他者を傷つけるという妄想も、のちに祖母が自殺したことを考え合わせると、やはり祖母の影響があるのだと思える。

 これらは、「祖母への恐怖」という一語で総括されそうだ。幼児期の私が迫害者である祖母、虐待者である母の二重の攻勢を受けながら、だれにも助けを呼べずにいた苦しみと、「だれか助けて!」と叫びたかった心が、異常な狂気のような妄想の形で現わされているのだ。

 その「恐怖」の病は、祖父に虐待された祖母と、姑である祖母に虐待された母と、母から虐待され。また父からも直接間接に肉体的精神的な虐待を受けた私という世代連鎖をなしている。

「恐怖」を動機とする行動は、かえって悪い事態を招くという事実を学んではいるが、心をひりつかせるトラウマによる「恐怖」の火は、まだ私の中で消え去ってはいない。その「恐れの火」を吹き消さねばならないのだ。

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# by ecdysis | 2019-02-09 00:54 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 私のこの病というべき恐怖の根源の大きなひとつには、凶暴な精神障害者だった祖母とのかかわりにあったことは間違いない。
 妄想性の過敏さをともなう人格障害者だった祖母は、アル中の夫である祖父と嫁である母への憎悪と被害妄想に満ち溢れていた。日常的に粗暴で気の狂った言動で、私や弟妹や母を常に怯えさせてきた存在だった。

 しかし、私が成人するまで長年にわたって家族であった祖母から、自分の予想をはるかに超える深刻な悪影響があったのではないかと気づきはじめた。無自覚のうちに、彼女の「病的な心」を受け取ってしまったのではないかと、最近、とても気になっている。
 自分が恐れて憎み嫌った家族から、その家族のネガティブな言動を、知らずにとりこんでコピーしてしまう現象が起こっていたようだ。まるで病原性ウィルスのような「精神的感染」現象が起こるということに気づいた。

 親が依存症でACになり、やがて同じ依存症を発症した子供たちは、最初は「親のようにはなりたくない」とだれもが思っていたはずだ。ところが、そのように意志するものの、実際には親と同じような大人になってしまう。
 意志だけでは親と同じになることを避けることはできない。私もそれを思い知った。

 祖母の精神状態がいかであったかは、私自身が18歳のころにまったく同じ精神に異常をきたしたのでよくわかるし、それゆえに一時は殺害を決意するほど憎んだ祖母を許すこともできた。その経緯はすでに、このブログでも記した。
 しかし、許す許さないの次元とは別に、彼女と同じ屋根の下で暮らすことによって受け取ってしまった悪影響の吟味は、この三十年間してこなかった。それを分析し、しっかり表現する時期がきたのかもしれない。

 ふりかえれば、幼稚園時代にいじめられていた恐怖が、人生最初の恐怖体験として大きく映るが、実はすでに三~四歳のころ、かなり強いストレスを感じていたことが、想い起こされる。
 当時の一枚の写真がある。母の膝の上に抱かれてミルキーの箱を片手につかみ、父と三人で撮った写真があるが、母に抱かれた私は泣きべそをかくような顔をして、まったく幸せそうではない。
 おそらく妹が生まれてまもなくで、「ちゃんとしたおにいちゃんになりなさい」という、母の私への支配的子育てが開始されてまもなくだ。
 母の前に正座させられ、「これからは、かあちゃんのことを、かあちゃんではなく、おかあさんと呼びなさい」と一方的に慣れ親しんだ母の呼び名の廃止宣告されたころだ。困惑し母親に素直に甘えることができなくなったと感じたできごとだった。 
 その一方的な宣告には三歳時の私は大いに不満で怒りを覚えているし、手足をばたつかせて叫びだしたい気持ちになっている。ひとことでいうと「ふざけるな」という怒りだったと思う。

 また、被害妄想の強い人格障害だった祖母への恐れも、私に伝染していったようだ。祖母は、同居する若い息子夫婦の稼いだ金銭を搾取していて、どんなささやかな贅沢も楽しみも許さなかった。
そのため、母から以前、聞かされたが、2歳のころの私に、お菓子を買ってあげるのも、祖父母の目を盗むように気をつかって、私にこっそりとくれたのだという。祖母にそれを知られると無駄金を使ったと叱られるので、母は私に「いいかい、お菓子をもらったって、だれにもないしょにするんだよ」と、私に命じたのだという。
 しかし、子供の私には母のいうことが理解できなかったらしく、お菓子をもらってうれしかったのか、翌日、祖母のいる前で「かあちゃん、きのうお菓子をもらって食べなかったもんね~」とあどけなく告げて、母をあわてさせ祖母を怒らせたという。

 同じように、3歳ぐらいのとき、祖父に庭先のものかげに呼ばれ、「さあ、はやくこれを吸って食え」と卵の先端につまようじの先大の穴をあけた一個の鶏卵を差し出された。
 半世紀前の東北の片田舎では、卵は、牛乳・バナナなども同じだが、今では想像もつかないほど貴重な食品だった。なにしろ、農家が鶏を飼って生んだ卵を、一個単位で納入してその代金を農協の個人の預金通帳に積み立てる「たまご貯金」という名目の口座が当たり前だった時代のことだ。もちろん、私の生家でも鶏卵は現金収入の手段のひとつだったらしく、祖母が卵を自家消費することを嫌って目を光らせていた。当時は乳牛も飼っており、生乳の缶を集荷所に持っていく父たちの姿をおぼろげに覚えている。
 刺激すると面倒な祖母の目を盗んで、祖父が孫かわいさに、卵をこっそり一個失敬して、食べさせてくれたのだ。
 そのとき、祖父も私にこういって卵を渡した。
「早く食え、ばあちゃんにみつかんないようにな。卵もらったっていっちゃだめだぞ」と、また幼児に口止めである。
 家族として当然の愛情表現の食べ物をもらって、なぜ口止めされねばならないのか。なぜ、素直にありがとうといわせてくれなかったのかと、今の私なら抗議するところだ。

 この時点で、すでに両親も祖父も、祖母の人格障害に巻き込まれて、私もその病理に巻き込まれて、人からものをもらうことや、してもらうことに、素直に感謝できず、罪悪感や秘密のもどかしさをともなうようになっていたのだと思う。
 そのとき、祖父からもらった卵の黄身の甘さは、いまだに記憶に残っている。おいしい卵だった。
 このように、家族全員から恐れられた祖母を、私も妹も、のちには弟も恐れるようになった。その恐れは、恨みになり、憎しみにもなった。

 祖母には、以下のような病気の言動があった。
 まず猜疑心。たとえば身の回りものがなくなると、根拠もなく家族のだれかがとって隠したことを疑う。また、わざとなくしたふりをして、母にいいがかりをつけることもたびたびあった。
 罪のないもの、正しいものを、ひきずり落とし、無傷のものを傷つけたいサディズム。清らかなもの美しいものを、その清さと美しさのゆえに憎み呪う。自分が持てないと思ったものを持っていると感じた相手を激しく嫉妬して憎む。
 自分は不当に嫌われており、家族がいつも自分について陰口をいっているという妄想を持っていた。

 他人の悪意や反感には極度に敏感で、即座に暴言を吐いて罵り、ひどい場合は暴力をふるったり唾を吐きかけたりした。
 家族以外の赤の他人への外面だけは非常によかった。列車や旅館でゆきずりに出会う人たちには、家の中では想像もできないほどの快活な善人を演じる。その出会った人たちがみな、「こんなおばあさんなら、うちにもいてほしい」というほど、陽気で愉快で人のいいお婆さんに変身する。しかし、家に戻ったり、身内になったり、入院先で同室になったりした人たちには、気の狂った鬼婆である。

 おそらく本人も原因がわからなかったと思うが、いつも不機嫌でいつも怒りっぽく、手負いの獣のようだった。私たち家族は、本当に腫物にさわるように恐れながら暮らしていた。祖母が温泉に宿泊湯治にいったり旅行にいって家をあけるときは、本当にほっとしたものだ。
 もちろん、祖母が戻ると、彼女はすぐに自分がいない間に、家族が自分の悪口をいって自分をのけものにして楽しいことをしたのではと、疑惑の探索をはじめるので、祖母が帰宅すると家じゅうが緊張していた。

 うつ病も持っていたらしく、入浴することが少なく臭かった。母が嫁にくるずっと前に肋膜炎の大手術をしたが、それは夫である祖父が酔って自分を蹴飛ばしたからだと何度も被害者であることを訴えていた。私が高校生になって祖母に反抗して突き飛ばすと「孫にまでいじめられる」と自己憐憫の涙を流すこともあり、深刻な病的自己憐憫の持ち主だった。

 これらの祖母と同様の行為、もしくは精神態度や妄想を私も受け継いでいるのではないかと気になる。実際に小学校五年のときに、人を疑う私の悪い癖を、母方の祖母に指摘されていたほどだ。

 もちろん、そんな祖母を恐怖しながら冷や汗をかきながら仕えていた母の恐怖をも、私は受け取り、そんな母のストレスのはけ口のように、私自身が母から虐待された。だから、私は祖母と母の二世代の狂気とストレスをまともに受け取って育ったのだ。
 その逃げ場のない「恐怖の家」を、なんの心の麻痺も逃避も依存もなしに生き延びることは不可能だった。

 そういう環境で、まずアルコールが苦手だった母が、飲酒による快感への逃避を覚え、私が中学校2年のときには、キッチンドリンカーになっていた。私や弟が同様になることも不可避だった。
 こうした環境下で、アルコール依存症になり、引きこもり・うつ病・被害妄想・誇大妄想・パニック障害・対人恐怖・女性依存・抜毛症など、一通りの症状を経験してきた。

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# by ecdysis | 2019-02-09 00:47 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)