私にとって、恋愛は刺激と快楽と挫折感と別離の痛みとデート代もままならないカネの心配で、いつも占められていた。カネがあれば、生活不安がある程度解決されていれば、とっくに結婚していたはずだ。

 刺激と快楽とカネの心配とで私の恋愛はいつも彩られていたが、そこに安らぎも落ち着きも、ついぞ降り立つことはなかった。愛する人を思い出して刺激を受けて自分を鼓舞して励みにすることはたくさんあったが、その人のことを考えることで落ち着きや安心を得ることはなかった。相手の女性に、カネの心配をさせないように、ちゃんとした社会人になりたかったが、それもできずじまいだった。

 父が会社を倒産させて、母や私たちを借金で苦しめたようなことだけは、相手に味わわせるまいと願ったが、それも実現できなかった。
 妻となる人に、経済的に苦労させてはならないという責任感は強かったが、原家族へのとらわれも強すぎて、現実の経済能力が追いつかなかった。

 自分は、現実社会での経済能力において、ダメな男だと心痛をいつもかかえていた。母が父のつくった借金で苦しむ姿を、私は見すぎていた。妻となる人よりも、まず母と弟のためにカネを稼がねばならなかった。その共依存による経済的消耗と精神的疲労がどれほど重圧だったかは、断酒してうつ病になったことからもわかる。

 いまになって、途方もなく無理をしたと思う。

 あげくに、弟も母も先に逝ってしまった。私は、一番助けたかった家族を助けられなかった。少なくとも、現世的には無理だった。

 ゆえにこそ、彼らが死後の霊人になってからの冥福を祈り、自分なりの追善供養を日々おこなっている。
 人の霊魂は永遠不滅なのだから、先に死んだからといって、彼らが死後もずっと不幸なままということはない。地道にささやかでも追善供養を積み重ねていけば、彼らが今度生まれかわってくるときには、はるかにましな環境に生を享けられるはずだと信じる。

 変えられない死という事実を、いつまでも悲しみ嘆くだけでは、自己憐憫にひたって自分を傷つけるのと一緒だ。だからこそ、日々、仏壇にお茶や水をお供えし、お線香を立て、お彼岸やお盆には手料理や菓子果物・花をお供えする追善供養を絶やさないようにしている。他者への小さな親切や、道端のゴミを拾うようなささやかな善行を絶やさないことも大事な供養である。

 そして、母や弟よりももっと不幸で見捨てられて死んだ無縁仏の諸霊にも、量は少ないが同じように毎日のように供養の茶と水と食物を捧げている。

 それら無縁仏の中には、かなりの高率でACやアルコール依存症だった人々がいるはずだ。はるかな昔から、それこそ何千何万という数かもしれない。その一部なりとも供養してさしあげることで、母と弟の供養、また祖父母やそれより前の祖先たちの霊の供養もできると信じている。

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# by ecdysis | 2018-11-16 02:42 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(1)

 4月1日から4月2日の深夜にかけて起こったこと。

 キリスト研究のための資料として、シェモネ・エスレ(十八祈祷・アミダーの祈り)の日本語訳を読んだら、第一項目を目にしたとたんに感動が突き上げてきて、声をあげて泣いてしまった。
 そして、2千年前にキリストがガリラヤ湖のほとりで一人で祈っていたのは、ユダヤ人が一日に三度唱えるというこの祈りに違いないと感じた。ユダヤ人が日常的に唱える、旧約聖書「申命記」の祈り(シェマの祈り)といい「シェモネ・エスレ」という、すごい祈りの言葉が日夜唱えられていたのに、それでもユダヤ国家はローマ軍によって破滅させられた。

 祈りの言葉はすごくても、「心を尽くして祈る」という「神と民族へのまごころ」が失われ形骸化していたのだろう。神と民のためではなく、宗教者たちの多くが、人に崇められたい自己顕示欲だけで、ありがたい祈りの言葉を唱えていたために、神の御加護が得られなかった。福音書のパリサイ人らへのキリストの批判の言葉からは、そう解するほかはない。
 エルサレムの崩壊は、史実によれば、工期一世紀におよばんとするヘロデ大王のエルサレム神殿の完成のわずか一か月後であったという。そのご神意を想えば、もはや語るべき言葉を持たない。

 そのような体験の後、深夜に座禅をして寝床についた。すると、横たわる自分の頭部のレントゲン撮影のような映像が、脳裏にまざまざと浮かんだ。自分の頭蓋骨と上下の顎にならぶ整然とした歯列が見える。
 歯列と顎と頭蓋骨と喉のあたりの組織の透過映像を、私は見事なものだと感動して観察している。
 このように、見事で精緻な人体を設計されたのは、だれの意志かと思うと、それが神の御意志の表れであると感じた。 
 では、この先祖代々受け継がれる見事な人体という有機生命システムをつくられた神のご意志はいかなるものかと考えた。
 すると、そこにとてつもない神の慈愛がこめられているのを感じて、その深い広い愛情を受けたように思い、横たわりながら声をあげて泣いてしまった。

 これほどに見事で精密で完璧な有機生命体を無償で与えてもいいと思えるほどに、神様は人間を愛してくださっていると感じた。
 人間はじめ生き物の体は、神がどんなに生命を愛していらっしゃるかの現れであると強く感じて感激した。
 人間を深く深く強く強く愛しているからこそ、神はこの素晴らしい肉体を惜しげもなく与えてくださっている。
 あらゆる生き物の肉体は、神の、生命への「まごころこめた贈り物」なのだ。

 キリストが、自分の肉体をさして「この神殿」といったのは、そういう意味があったのだ。
 神の「まごころ」のましますところ、これことごとく「神殿」である。

 その感激のあと、別の相反するビジョンが起こった。
 神への信仰も目に見えない存在への畏敬もまったくもたない、長身の肌の浅黒い西アジア系の長身の目つきのするどい女が、斜に構えた腰掛姿で脳裏に現れた。黒髪を長くたらしてまとめた女は長い両脚を高々と組んで、わたしに皮肉交じりにこういうのだ。
「神の愛? あんたのいってることがぜんぜんわからない。そんなことがわかったからといって何が尊いの? さっぱりわからない。だいいち、そういう目に見えない存在をあがめていったい何になるのさ。人のために奉仕するとか、自己犠牲とか、ぜんぜん関心を持つ気になれない。あたしには関係ないこととしか思えない。神に従うなんていったい何の意味があるのさ」
 女はわるびれもせず、自信たっぷりにしっかりとした態度で「神への信仰なんて何の意味があるのかさっぱりわからない」といってのけた。
 この女は悪魔だろうか、私の心の中の悪の現れか、あるいは祖先の不信仰の集積の人格的表象かと疑問だった。
 のちに、この女の正体が判明した。現実にある人物の本音の心を現していることがわかったのである。

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シェモネ・エスレについて日本語訳があるサイト
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20131029/1383052696



# by ecdysis | 2018-11-06 03:49 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 9月23日に、スピリチュアルとしかいいようのない不思議な経験をした。私の中で大きな変化が起こっているらしい。

 晴れていたその日、買い物をしようと17時に部屋を出た。マンションの五階から、目の前を流れる荒川と河川敷で連休を楽しむ人々と、きれいな橋と高速道路と秋晴れの空を見上げた。ただ何も考えず無心に眺めていたのだが、私はなんの前触れもなく突然に、世界の実相の一端がわかり、世界を動かしている善なる意志の存在が理解され、激しい感動を覚えて我を忘れた。
 
 世界はすでに完全だった。無条件にすべてがそろい欠けているものは何もなかった。すべてが神の計画通りに、寸分の狂いも誤差も過不足もなく、あらゆるものが神の計画の通りに成就して、運行実施されているとわかったのだ。すべてに神々の慈愛がぎっしりと満ちて空虚なものはひとつもない。外見がいかであれ因縁がどうであれ、すべては神の御意志の通りに、あるべくしてあるし、その事実は過去現在未来を通じて変わらないのだ。なにごとも、どんな小事にもきちんと神の永遠の計画が絶え間なく実行に移されている。

 そう感じて、ほんの数十秒で、私はせきあげる感動に耐えられず、部屋に戻ると座り込んで号泣した。
 ありがたいのと、申し訳ないのと、うれしいのと混ざりあった感動で、西行法師ではないが、「かたじけなさに涙こぼるる」という表現がぴったりくる感覚だった。

 この世界は、まるごと永遠の御意志のもとにあり、そこから洩れているものは一つもない。永遠の御意志は、神でも仏でもハイヤーパワーでも呼び方はなんでもよい。
 この永遠の完全な世界の一部である私達も、完全な部分である。全体が完全なのだから部分も完全である。大きなダイヤの固まりを砕いても、その微粒子もダイヤであるがごとくにダイヤなのだ。
 そして、この心臓の鼓動が、私において、応分の神の永遠の計画が進行中の印だと感じた。
 
 世界はすでに完全なのに、私はそれを知らず、不完全な傷の多い世界だと思いこみ、不平と不満と改善への衝動に駆られて生きてきてしまった。なんとかせねば、どうにかせねばと焦って駆り立てられて、自分を駆り立てて生きてきた。しかし、そこまで駆けずりまわらなくとも、世界はすでに出来上がり、欠けているものなど何もなかった。
 無傷の宝玉を、傷物だ不完全だと騒いでいたのは、自分自身だけだった。世界は巨大な無傷の宝玉なのに、それの表面を電子顕微鏡でのぞき込んで「ほらこんなにでこぼこして醜い」と文句をいっていたようなものだ。「毛を吹いて傷を求む」というたとえの甚だしい事例というほかなかった。

 この世で、私達は、もともと完全な魂という姿をもっているのに、様々な人生を演じる俳優のようだ。色々な人格を演じてなりきっている。それが、この現世に生きる人の姿のたとえとして近いかもしれない。
 私達は、ドラマの収録中に記憶喪失になり、脚本上の自分の役柄を、素の自分と信じ込んで、ドラマの中を現実として「生きる」俳優のようだ。
 本来はどんなに巧みになりきって演じても、フィクションドラマの中の役は、もともとの俳優本人の姿ではない。この世で「これが自分である」「これが世の中である」という思いこみで生きている。もともとの魂が、神に似て完全であるとすれば、そういうものだとしかいいようがない。

 この日の世界の神の計画の大肯定の経験から、あらゆる終末思想は、末法思想であれハルマゲドン思想であれ、人間の思いこみにすぎないとわかった。

 世界は破滅にも終末にも向かっていない。世界を滅ぼそうとする意志は何も感じなかった。すべては、あるべくしてあり、生まれるべくして生まれ、消えるべくして消えるのだ。この見事に完成し成就された世界が、破滅や終末をその内に蔵しているなどありえない。むしろ、より完成度をあげようとしているかのように感じた。

 まちがっているのは、私という人格の「現実と信じているこの世界」への認識だ。あるがままの世界は、まるごと正しく精緻で完成されている。欠点はない。

 欠点や問題があるのは、私という意識であって世界ではない。今の人生を恐ろしい地雷原にしたのは、ほかならぬ複数の過去世の自分たちである。過去世の自分たちの、怒りと貪りと愚かさの言動と心は、人を害そうと埋めた地雷のようなものだ。
 自分の仕掛けた地雷が埋まったまま、再びこの現世に生まれ変わって、地雷を埋めたこともその場所も忘れて、私達は人生という地雷原を歩む。そして、事故災難病気被害という「地雷を踏んだ爆発」に逢う。過去世の自分が人にしたことが、現世の自分に返ってくる。それを仏教では「因果応報」という。

 釈迦やキリストや聖人覚者の教えは、因果応報の説法という形をとろうととるまいと、とにかく「過去世に埋めた地雷があることを知り、それを安全にとりのぞき、なおかつ新たな地雷を埋めることがないようにする」ための教えである。
 そのように考えれば、反省悔悟とは、過去に埋めた地雷を自分で踏んで痛い目に逢い、「地雷を埋めるようなことはすまい」と決心することだといえる。

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# by ecdysis | 2018-11-05 02:09 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(2)

 女性依存のある私は、釈迦の弟子の尼僧たちの話(『ブッダとその弟子89の物語』菅沼晃/法蔵館)を読んで、いたく心が揺さぶられている。女性は悟りを開くのが難しいと古来いわれているし、釈迦も自分の養母である叔母が、男ばかりであった僧団に、初の女性としての出家を願い出たとき、何度も断っている。
 しかし、出家したいとあきらめずに繰り返し懇請する女性たちの願いをいれて、尼僧の僧団がつくられ、女性の中からも悟りを開く偉大な出家者が続出した。

 彼女たちの中には、少なからず高級遊女として有名だった美女がおり、王侯貴族から求婚されまくったほど美貌を誇った女性たちもおり、出家した彼女らを、世俗の男たちが草庵まで追いかけて待ち伏せしてレイプしたり、あるいは王宮に拉致したりして性的暴行におよぶという悲劇もたびたび起こっている。出家したからといって世俗側からの欲望を回避するのは容易ではなかった。尼たちの中には、レイプしようとした男たちの前で自分の両眼をえぐりだし、その欲望を押しとどめたという尼僧たちもいる。それらの屈辱をのりこえて、何人もの美貌をうたわれた女性たちが、修行を積んで悟りを開いた。
 名前だけをあげても、バッダー・カピラーニー尼、マーガンディヤー尼、シリマー尼、ケーマー尼、アッダカーシー尼、アンバパーリー尼、ウッパラヴァンナー尼などがいる。

 彼女らの多くは、遊女稼業で稼ぎまくって大金持ちになっていたが、釈迦の教えに触れて、愛欲の無常と、愛欲への嫌悪とを感じ、自分が老いていって容色が衰えて見る影もなくなった無常を真実に受け止めた。
 釈迦の諸行無常と肉体は不浄物であるとの教えを、本当に悟った女性たちだったことが、経典には書いてある。

 彼女らの言葉は、男である私の愛欲深い心にも、思わぬ衝撃を与えた。

 私の愛する女性たちの顔も肉体も、みな老いてゆく。過去にかかわった女性たちは、私の心の中では当時の若く美しい姿のままだが、現実の彼女たちは老いているはずだ。面影はあるかもしれないが、再会しても驚くような変貌をしているだろう。私自身も相手にそう思わせるのはわかっているが。

 不思議にも、私は自分の老いと容色の衰えを嘆く気はしない。それよりも、彼女たちが、あるいはいま若い女性たちが、その美しい若々しい肌も色艶も、乳房も腰も脚も、数十年後には見る影もなくなるという事実に、ショックを覚える。
 若い女性の美しさや、その年代の女性だけがもつ可憐さや、いきいきとした唇や首筋の輝きは、私にとっては青年時代から憧れであり、「女性」というものへの欲望と励みと楽しみをかきたてる燃料でもあった。
 それが、無常であるなどとは実感すらできなかった。なんとなく、自分の記憶とさほど変わらないままでいるのではないかと、根拠のない妄想を抱いていただけなのを、今更ながら思い知らされた。

 私が愛してめでた女性たちの美しさが、一過性のもので、やがてはだれもが喪失していくものだと信じられるだろうか?
 結婚していれば、妻の姿にそれを見出して少しずつ受け入れていけるのだろうが、私は独身なのでそういう機会はない。
 私が好んで愛し執着した可愛さや美しさが、そのままではいられない移ろうものでしかないという事実を、私は愕然とする想いで受け止めている それでは、私が永遠なれ、不変なれと無意識に望んでいた「若い女性の美」は、いったいなんだったのだろうか?

 あえて言葉にするのも虚しいがいおう。それは、私にとって「偶像」だった。「偶像」はいつか破壊されねばならない。
 それは、激しい悲しみを私にもたらした。あれほど深く強く愛着したものが、愛欲の対象としたものが、いつまでもその姿を保ってくれはしないとはなんということだろう。ある種、狂おしいような悲嘆の感情が、涙を催させる。

 いまは若くても、その娘も、三十年もすれば、若さを保ってはいられない。一世を風靡する美貌の女優も歌手も、まったく同じだ。
 今は高齢の有名女優や歌手の若い頃の写真を調べてみれば、みな信じられないほどの美女ぞろいだったとわかる。
 時は残酷だとかいうつもりはない。万人が老化と衰えを避けることはできない。
 問題は、私が心の中で若い女性の美しさの記憶を、変わらないものとして留め続けようとすることなのだ。

 若い可愛い新人のアイドルやアダルトビデオ女優たちが、何人もデビューしては消えてゆく。彼女らの現世の存在は消えないが、彼女らの若さ美しさの魅力的な時期が消えてゆくのだ。若い女のイメージに執着しつづけて、次々に現れては消えるアイドルやAV女優を、いつまでも追い続けていられるわけもない。果てしなくきりのない生滅が繰り返されるだけだ。ビデオでも画像でも、女優はちがっても煽情的なアングルやポースや体位は同じだ。制作サイドの売るためのマニュアルは同じなのだから、アイドルやAV女優たちの消費材としての価値は短期間ですりへってしまう。
 それらの画像や動画は、幻想であり実体ではない。私は、二次元の幻影を愛して好み執着していただけで、生身の実体にはなにひとつ触れていない。

 私が楽しみにして快楽をそこからむさぼっていた対象はすべて幻だったのだ。私は、幻を楽しみ、幻を貪り、幻を励みとし、幻に期待して、幻を求めて、追いかけ続けてきたにすぎない。対象が幻なのだから、現実的に実感のある出来事は何も生まれはしなかったし現れもしなかった。

 私の異性愛は、幻だった。性欲も幻に向けた虚しい欲望だった。何も残らず何も果たされなかった。永続する関係も家庭づくりも現れなかった。それらは、はじめから「こうあってほしい」という幻影にすぎなかったからだ。

 買い物帰りに気づいた愕然とする圧倒的な事実の衝撃である。私はなかば泣きべそをかきながら、ふらふらと歩いて家路についた。
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  ウッパラヴァンナー尼


# by ecdysis | 2018-11-04 04:15 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

 ACは不幸せな子供時代を送った人が、大人になっても、その不幸せの中で身に着けた不健康な習慣や考え方や生き方を気づかないで続けているパターンをいう。
 では、健康でそこそこ幸せな子供時代を送った人達は、健全な大人になるらしいが、あいにく私もACなので実感をもってその人たちのことをコメントはできない。

 ただ、プロスポーツに夢中になったりディズニーランドやユニバーサルスタジオや各種イベントやコンサートの群衆を見る限り、「大人とはしょせん図体ばかり大きくなった子供」と定義しても、あながちまちがいではないと思う。

 仕事や職業においては常識と規則と世間体に従って「大人」を演じていても、プライベートは子供であろうと思う。もちろん、父母という立場上、「本物の子供」を養わねばならない私生活でも、子供中心の考え方をやめて、自分自身に立ち返れば、結局、子供の自分がよみがえってくるのだろうと思う。

 私が見る限り、私生活で子供っぽい趣味や口癖やコレクションなどをもっているACの人は、回復している人が多いようだ。ぬいぐるみを集めたりプラモデルやフィギュアを集めたり、アニメや特撮ヒーローに夢中になってみたり、アイドルの追っかけをやってみたり、とにかく「病的なアディクション以外の自分の好きなこと」をもっている人は回復している率が高い。(ただし、アスペルガー症候群や発達障害の人は、この限りではありません)

 たとえば、私はブートンはじめ、かわいい豚グッズを飾るのが趣味だし、ニックネームが豚を連想させる名前なので、友人からもそう呼ばれるし、一人でいるときは「ぶうぶう」とか「ぶひぶひ」「ぶーひ」とかしょっちゅうブタ語をつぶやくし、ちょっと驚くようなことがあったときには「ぶき~っ、なんじゃこりゃ~!」とか騒ぐし、ブタ語の通じる友人とは、電話で「もしもし」のかわりに「ぶひぶーひ」といいあうし、お互いあんまり調子がよくないときは、「なんか最近、ぶひだね~」とためいきまじりに挨拶するし、ちょっと閉口するようなことがあったときには「まったく、ぶひだねぇ~」とため息をつくことも多い。『はれときどきぶた』は座右のアニメになっている。

 小学校五年生のときに、祖母から気まぐれにだが、大きな熊のぬいぐるみを買ってもらって、ものすごくうれしかったのを覚えている。自分は男の子なのに、どうしてこんなにうれしいのだろうと自分でいぶかしんだほどだった。
 それだけ子供らしさを抑圧していたのだろうと、今は理解できる。
 だから、あと3年で還暦を迎えるのに、ブタ語をしゃべるような大人になってしまったのだ。別に恥ずかしいとも幼いとも思わない。
 十分に子供ができなかったのだから、これで丁度いいと思っている。

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# by ecdysis | 2018-10-04 01:17 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(2)

 御多分にもれず、私もアニメ世代なので、大好きなアニメはいくつもあるが、特定のアニメやアニメソングの一節に、どうしても内なる子供が反応して涙ぐんだり、胸が熱くなったり、しまいにはトラウマを刺激する要素が強すぎるせいで再視聴ができない回があったりする。

 筆頭は「アルプスの少女ハイジ」。フランクフルト編が再視聴できない。アルムの山でのびのび育ったハイジが、叔母の画策で都会のフランクフルトのクララの家に連れていかれる。それからの生活は、ハイジがどんどん明るさを失い、精神が崩壊してゆき、しまいにはうつ病になるさまを毎回克明に放映していた。その過程は、私たち兄妹が母の実家で祖父母と安全な暮らしができていたのに、生家に戻って酒乱とケンカと精神障碍者と暮らす地獄にいた中学時代の私にとっては、まさにリアルな現実だった。見ていて、自分のことのようにものすごく辛かった。

 今は、こうして言葉にできるが、当時はそこまで因果関係がわかっていたわけではない。ただ、ハイジがアルムの山に帰ることが決まり、列車の窓からアルプスの山が見えてきたとき、身を乗り出して腕を振り笑っているハイジの姿を見たとき、中学2年の私は思わず号泣した。
 高校時代に再放送があり、同じ回をみたが、やはり号泣した。何回みても、たぶん泣くだろう。思い出しただけで胸がつまる。
 子供がわけもわからず理不尽で不幸な目にあうアニメが、とにかく見られない。実はアニメの「フランダースの犬」もまともに見たことがない。
 私の中の子供が、ハイジやネロの姿に自分の姿を重ね合わせているので、同一化しすぎて情緒的に耐えられない。彼らの苦しむ姿は、子供の私がトラウマを追体験することにほかならない。

 だから、アニメの「赤毛のアン」も弟から勧められて、三十歳を過ぎてから見始めたが、マシューとマリラが、私の母方の祖父母と重なり、孤児院にいたアンが、マリラのもとでしつけられていくプロセスが、小学校五年のころの私自身と重なり、毎回のように涙が浮かんだ。
 あまりに共感したので、ルイス・モンゴメリの原作も松本侑子さんの素晴らしい翻訳で読んだが、原作を文字で読んでも、やはり泣いてしまう。
 それぐらい、私の児童生徒時代は、きわめて辛く苦しく、深い心の傷を刻み続けた日々だったということなのだ。
 それで、高校になってフラッシュバックを起こし、対人恐怖とパニック障害を発症し、アルコール依存症になってしまったのも無理はない。

 その高校時代の恐ろしい苦しみは、いまでも特定のアニメソングの一節を聞くと、胸苦しく刺激されて涙腺がゆるむ。
 たとえば、ガンダム世代で富野ファンでもある私は、「重戦機エルガイム」のはじめのころの主題歌の歌詞に、いたく心がゆさぶられた。
「たしかなものが、なんにもないね、どうしてぼくはここに」というくだりにくると胸がつまって歌えない。高校・浪人時代の私の苦しみを、そのままずばりと現した言葉だからだ。

 同じことは、「風の谷のナウシカ」の安田成美さんが歌っていた主題歌にもいえて「なぜ ひとは傷つけあうの」の一節にくると、胸からつきあげてくるものがある。生家では、ケンカと罵りあいと暴力ばかりだったので、「なぜ ひとは傷つけあうの」の歌詞は、子供の私の心の声そのものだった。

 あとはアニメ「南国少年パプワくん」を四十歳を過ぎてから見始めたが、その主題歌にも、ぶわ~っと涙が出る歌詞がある。
「もう なんにも しんぱい いらないよ」が、まるで私専用のアファメーションのように響いてくる。

 子供の私は、どんなにか「もうなんにも心配いらないよ」とだれかにいって欲しかったことか。そうして、大人たちからの保護と配慮が、いかになかったかをパプワくんの歌が教えてくれた。

「もうなんにも心配いらないよ」という意味の言葉は、実は般若心経にもある。
「度一切苦厄(どいっさいくやく=一切の苦しみや災いから救う)」「無有恐怖(むうくふ=恐怖はもうない)」
 苦しみと恐怖に満ちた私の原家族の体験によって、まさにこの二つの単語を実現することが、青年期から私の人生の心からの願いとなった。

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# by ecdysis | 2018-10-01 00:35 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(2)

 あまりよく知らない人たちの間にいると、心のどこかがいつも緊張して落ち着かなくなる。外見はそうは見えないかもしれないが、小学校1年生ぐらいの自分が顔を出す。その子は、まわりの人たちに「ぼくって、いいこ? だいじょうぶな子?」と、何度も何度も繰り返し聞きたがる。

 小学校一年生の初めての授業参観の日に、後ろに立っている母親が気になって気になってたまらず何度も何度も後ろを振り返ってみた記憶がある、。そのときの情動がよみがえる。母親がちゃんと自分を見てくれているかどうか、とても気になって仕方なく、何回も後ろを振り返った。その衝動をおさえられなかった。
 後から、母親が「あのとき、おまえは何度も何度も後ろをふりかえっていたよね」と述べていたから事実なのはまちがない。

 そのときの自分を振り返ってみる。とにかく、母が自分をちゃんと見守ってくれているか気になって仕方なかった。不安とかいなくなるかもとか思ったわけではない。そうではなくて、「かあちゃん、ぼく、これでいい? これでいい?」って尋ねたかったのだとわかる。

 当時は、父母が、陰険なアル中と人格障害者の祖父母から逃れて、塩釜のアパートに引っ越しており、なおかつ父が東京に出稼ぎにいっていたので、母と私と妹の三人ぐらしだった。
 その中で、母から虐待を受けていたことは、すでにこのブログで記した通り。

 今やっとわかったが、私が母に「これでいい?」と何度も振り返ったのは、激しくも切実な「承認欲求」であったとわかる。
 では、その承認とは何についての承認だったのか。
 それは「叱らないよね? ぼくをぶたないよね?」という母への恐怖からくる「安全保障」を求める承認欲求だったのだ。

 母を振り返らずにはいられなかった衝動の激しさは、母への恐怖の激しさでもあったとわかる。「こういうぼくを、たたかない? 叱らない?」と母親に確認したくて振り返っていたのだ。母が自分を叱ってひっぱたきたくなるような気持ちに、またなったらどうしようかと恐れ、そうなっていないか、必死で知りたかったのだ。教室ではなにくわぬよそ行きの顔をしてる母でも、家に帰ったらあの密室で、またののしられぶたれたりけられたりするかもしれないのだ。

 母への甘えよりも、そちらの方がはるかに強い動機だった。

 それは、同時に、なんとかして母にたたかれず叱られないためには、どうしたらいいかという子供心に生き延びるための算段を必死で探す作業のはじまりだった。
 虐待されないためには、母の気に入るような自分にならねばならなかった。母の気に入るような子供にならねばならなかった。成績のいい、従順な、母の気に障るようなことを一切しない、反抗も抵抗もしない羊のような子供にならねばならなかった。

 これは教育ではなく「調教」だ。母も自分の父母から厳しい折檻を受けたというから、そのやりかたを踏襲したのかもしれないが、虐待という暴力で自分の子供を想う通りにしようとした支配の事実は消えない。

 むろん、母自身も当時の私への態度がひどかったことを認め「かわいそうなことをした」と涙ぐんではいたが、そのことをもって私に謝罪の言葉があったわけではない。彼女にとっては「過ぎた過去への後悔」であって、そのとき受けたトラウマに私がどんなに苦しみ後遺症を負っていたかは、私も言わなかったので、それを知ることなく彼女は物故した。

 暴力であれ心理的圧力であれ、「子供をその意志を確認することなく一方的に自分の思う通りにする」行為は「支配・調教」である。「人間への教育」ではない。なかば「奴隷・家畜」への扱いだ。

 だから、子供は無意識のうちに、自我の長じる思春期に、自分が一個の人格をもった相応の待遇を受けるべき「人間」に立ち戻ろうとする。しかし、暴力や心理的圧力によって反抗期を封じられた私のような子供は、AC性が発現し、各種の依存症・嗜癖の発現という形でしか「私は人間だ!」と叫べなくなったのだ。

「私は奴隷でも家畜でもない。人間だ。これ以上、言葉や暴力で意に反する支配を加えられたくない」
と、ACは嗜癖行動を通じて訴え続けているのだ。

 しかし、その嗜癖で死ぬのは防止しなければならない。
 だから、このブログを書き続けている。

 母の気分と顔色を必死でうかがう子供の私は、母の気に入る「正解」を常に提示できる子供になることを自らに課した。
 母にほめられ認められることを欲したのは、母に喜んでもらうという子供の愛着からではなく、少なくとも母に叱られないですむから、ほめられたかったに過ぎない。

 つまり、この時点で自然な「おかあさんの喜ぶ顔がみたいから」「おかあさんが笑うと、ぼくもうれしくなるから」といった自然な「喜び」「共感」がまったくスポイルされていたことがわかる。
 だから、虐待を受けた子供というのは、親子の間のスキンシップだけでなく、人間どうしの自然な愛着や善意や共感をも感じることができずに大人になってしまうのだ。
 これがどれほど、大きな情緒的傷害であり、対人コミュニケーション能力の損失か、はかりしれないものがある。

 結局、私は弟が死んだときまで、母が困ったり嘆いたりしないために、できるかぎりの援助もし、彼女を喜ばそうと孫を抱かせてあげようとまでしたが、それはみな「調教」の結果としての「共依存」であった。
 母を喜ばそうと孫を・・・と書いたが、いま思えば、母のために結婚しようと思うことがおかしいだけでなく、すでに私の思う「母の喜び」はイコール「叱られないために母を喜ばそうとする打算」だったわけだから、二重にゆがんだ願望だったのだ。

 母が苦しみ嘆き辛い想いをするのをなんとかしようと、必死に自分のことのように共依存行動してきたが、根底には「母に虐待されないために」という「暴力」への子供の恐怖があった。母が苦しむことへの恐怖は、結局、母のそういう状態をなんとかしないと虐待されるという恐怖が動機だったと深層心理がわかる。

 そんな感情をベースに構築された親子の情愛とは、いったいどんな愛だというのだろうか。母のためにやってきたと思っていたが、実はそれは「母に虐待されないために」というきわめてネガティブな「母のため」だったのだ。これは健全な親子の情というものではない。

 お彼岸で、父母祖父母先祖代々、有縁無縁の諸霊にご供養をささげるが、母もあの世で、息子の本当の心を知って、なにがしかの自省をしてもらえればと思う。

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# by ecdysis | 2018-09-23 04:57 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(2)

 今、東京から四百キロ離れた郷里にいる父親の、本人は満足しているが、はたからは惨めとしか思えない暮らしをしている建物やその内部の光景を思い出すたびにとらわれ、こちらも惨めな沈んだ気持ちになる。みっともなく恥ずかしいのだ。父が誇りとすることを私はとうてい誇りにはできず強い恥を感じる。

 この惨めさと恥の感覚・記憶こそ、私が16歳のときに起こしたフラッシュバックの内容である。ものごころついた頃から16歳までに経験した、家庭や学校での惨めさ、屈辱、恥辱の場面が次々と浮かんで絶望に変わった。

 その内容のおもなものは次のようなものだった。私の体験した激しい虐待。気の狂った祖母の日毎の母への暴言・罵倒の絶叫・暴力。酔った父の酒乱の暴力と器物の破壊。酔ってケンカする祖父と父。いさかいの絶えない祖母の頭に、怒り狂ってポットの熱湯をざぶりと丸ごとかける父と、苦痛に絶叫する祖母。酔った父の振りかざす包丁が、もみあううちに祖父の側頭部を切り、床が血の海になる。それを背中を丸めて床にひざをつくようにしてぞうきんでふく母の姿。警察がきて父が逮捕され地方紙とローカル局で報道される。そのことで級友にさげすみの罵りを浴びせられる・・・等々、数々の無惨で悲惨な記憶の数々が、連続して現れて、私はすっかり精神のバランスを崩した。その結果、世界と祖母と神を激しく恨み憎悪するようになった。

 この経験が「フラッシュバック」という症状であることさえ、四十二歳で精神科医の診察で指摘されるまでまるで知らなかった。
 実感としては、このときから病気になったと感じるが、実際はすでに病んでおり、その発症としてフラッシュバックが起こったというのが正確なようだ。原因ではなく結果だったのだ。

 フラッシュバックと名前にすれば簡単な用語だが、その現実は非常に重くつらい。泣きたくなる恥ずかしさに打ちひしがれた記憶の数々が思い出され、身の縮む悲嘆と辱めに心が真っ黒に塗りつぶされるのだ。生まれてこなければよかった、存在をやめてしまいたい、この記憶を持っている自分自身に堪えられないと声をたてずに号泣せずにはいられなかった。

 私はフラッシュバックを起こしてからというもの、その恥と惨めさの記憶に囚われ、そこから逃れるために、酒を飲んでブラックアウトするようになった。これが、酒ではなく薬物やギャンブルでもまったくおかしくはなかった。トラウマ記憶という、ひとつの囚われから逃れるために、依存という別の囚われに逃げるという嗜癖の構図をそのまま経験したのだ。

 さらに、私の心に低い自己評価と劣等感と深刻な無力感という真っ黒な地層が形成された。それから、私が欲した世俗的な事柄は、振り返れば、みなその自分の惨めさを埋め合わせ有力感を得るためのものだった。

 たとえば、すてきな恋人やすばらしい妻や富や名声を欲望したが、それらがみな、自分の惨めさを補償してくれるように思えたからだ。
 その欲望が果たされなかったのは幸運であった。なぜなら、愛するから恋人にしたいのではない。この人ならいっしょに苦労してもいいと思ったから婚意を抱いたのではない。もし、一時の感情で一緒になって、結婚生活の途中でこの事実に気づいたとしたら、ふたりの間に、あるいは子供との間で悲劇が起こるだけだったはずだ。

 あたかも金持ちになった貧民あがりの男が、自分の妻に上流階級出身の女性を求めるようなものである。自分の惨めさを打ち消し、人に見せても恥ずかしくない名誉や富で飾り、もうだれにも恥じなくていい自分になったことを証明したかったのだ。そこに生まれるのは、相手への愛ではなく、相手を利用することであり、そのような結婚は、子供をACにせずにはおかない冷たい結婚となるはずだった。

 それらは結局、人に見せるための私の自我の欲望だ。根本的に、自分で自分の惨めさを癒す方法ではない。
 
 大事なのは、惨めさにとらわれている自分を自覚し、その惨めさと自分が同じと信じ込んでいる状態をやめることにある。

 祖父母の惨めさ、父母の惨めさ、自分の惨めさは、みな事実であった。確かに、そのときはそうだった。

 この「惨めさ」は「恥」と言い換えてもよい。恥ずかしい消え入りたい惨めさとみっともなさがトラウマとなった。

 私は、その惨めさゆえに、死を願い、消えてしまいたいと念じた。世界を憎み、神をも呪った。

 だが、かつてはそういう状態で生きている自分を残酷な生と恨んだが、今は「それでも生きのびてきた」という感慨の方が強い。

 大学時代に、親友に自分はこんなひどい環境で育ってつらいめにあってきたと告げたら、こう答えてくれた。

「でもよ、おまえ、いま生きてるじゃねーか」

 まさか、そんなことばが返ってくるとは思わなかったので、はっと、と胸をつかれた。ついで、不思議な感動に襲われて涙が出そうになった。

 言い換えれば、「いま生きていて、ここでこうして話ができてるじゃねーか」ということだった。
 感謝しろとか考えろというのではなく、たとえ過去がどんなにつらくて惨めだったとしても、今は惨めでない状態で、こうして人と会って話をして生きているじゃないか、という指摘だった。

 だから、私も自分自身に、そして過去のトラウマにとらわれているすべての人に、親愛をこめてこう言おう。

「でもよ、おまえ、いま生きてるじゃねーか」

 いま生きて、こうしてこのブログを閲覧している人たちに、「生きていてくれてありがとう」と申し上げたい。

「あんなにつらい経験をしたのに、よくいままで生きてきたね」と肩をたたきあいたい。

 私たちは、惨めさという戦場を生き延びてきたサヴァイバーなのだ。それだけは、まちがいない。

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# by ecdysis | 2018-09-02 01:45 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

 各種の依存症は、そのありようが「嗜癖(アディクション)」と呼ばれるが、私の経験からいっても、その本源は、内なる過去の傷ついた子供たちの「表現すべきときに表現できなかった子供」のトラウマ感情にあるといえる。普通なら、泣いたりわめいたり叫んだり拒んだりすべき場面で、それができなかった子供の感情だ。そのため、大人になってから、傷ついた子供の心が表に現れることを求めて、身体言語として、あるいは習慣化した現実逃避行動として、またはトラウマ記憶の回避行動として、嗜癖の形をとる。

 抑圧され忘却された内なる子供の感情が、表現しようともがいてあがいて、大人の自分を突き動かす。それが依存症の根源だというのが、私の実感だ。これはすでに精神医学の領域でも知られていて、トラウマは内なる子供の感情を繰り返し表現することで改善するし、私もそうしてきた。

もちろん、トラウマ体験を思いだし直面することが目的ではなく、そのときの感情を表現することが重要だ。
思い出すだけでは、トラウマの追体験になるだけで治療にはならない。私は16歳のときに、フラッシュバックという形でトラウマ記憶と感情が爆発的に現れはしたが、治癒できる表現までにはいたらず、酒の力を借りないと表現できない段階にとどまった。中途半端なトラウマ表現がこじれて、ひきこもりと対人恐怖・世界憎悪・被害妄想などの新しい病的状態に移行しただけだった。治癒するには、トラウマ時に出したくても出せなかった感情、泣いたりわめいたり恐怖したり怒ったりと、シラフの状態で徹底的または繰り返しておこなう表現が必要になる。

そして、それをおこなえば、孤独感からも次第に解放される。長い間、自分の胸にしまって誰にも話せないと秘密にしてきた孤独感から、表現することで解放されるのだ。実にトラウマに関する秘密ほど、人を病ませるものもない。

 私は二十歳代終わりごろから四十歳代はじめにかけて、自己の子供のころの感情を解放することを、間歇的にだがおこなってきた。自分の中で泣いている子供がいることを感じていたので、「男は泣くべからず」という世間の掟はさっさと捨ててしまった。飲酒すると泣き上戸になる自分なのは知っていたので、もともと泣きたい人間なんだから、シラフで泣いても当然だと思った。我慢したって泣きたいものは泣きたいのだから泣いてしまおうと決めた。人前で泣くのは恥ずかしいから、トラウマ記憶と感情がよみがえるときは、夜、布団をかぶって思い切り泣くことを繰り返した。また、自動車の免許をとってからは、一人でドライブしてトラウマ感情が突き上げるときは、路肩や駐車場に一時停車して、車の座席に座ったまま、号泣することも何回かあった。ただし、泣くときは、ひとつだけ「自己憐憫に陥らないようにする」ことだけ気をつけた。泣くことが自分の心の治療なのはわかっていたので、自己憐憫はその目的に反することも体験的に知っていたからだ。

しかし、私のように自己流でやるのは、今更ながらおすすめしかねる。ちゃんとした専門家に相談しないと、フラッシュバックを起こしてトラウマ再発と自己憐愍など病的状態に悪化するし、私もそうだったが、進行性のうつ病を発症することにもなる。カルト宗教や性格改造セミナーはもちろん、依存症の中間施設の職員の中にもいるようだが、きちんとした専門教育の勉強もせずに、他者のトラウマ表現をさせたりするのは非常に危険だ。自殺など命にかかわることもあるので、トラウマ表現は専門家に見てもらいながら進めるのがよい。
 繰り返すが、私のように医療の助けなしに自己流でやるのは、かなりのハードランディングでおすすめしかねる。

自己流だと、飛行機にたとえると不時着の胴体着陸でかなりあらっほい危険がともなう。専門家に頼れば空港にスムーズに着陸できる。
 私の場合は、胴体着陸をしたあげく、命からがら断酒に入り、うつ病が顕在化して、最初の1年は精神科によって、次には自助団体によって安定した治癒のプロセスに入ることができた。

 弟が死んだときは、まだアルコール問題者の自助団体に入ってまもなくだったが、初めて人前でわあわあ泣いた。恥ずかしさよりも、表現せずにはいられなかったからだ。そういう気持ちに正直になりたかった。

 自助団体の参加者でも、男性の場合、やはり人前で何度も泣いている人の方が回復率は高い。女性はおそらく「怒る」ことを人前でやる人が回復するのだろうと思う。なぜなら、私を診てくれた精神科医が「男性は泣くことを、女性は怒ることを自分に許せば回復する」といっていたからだ。男性である私は「泣く」ことで回復するのは自分で確かめられた。ゆえに、女性の場合も、その医師の言葉は正しいだろうと思うのだ。

 もちろん、「泣く」ことも「怒る」こともシラフで表現というのが大前提である。飲酒や薬物(処方薬ふくむ)や食べ吐きに「酔った」状態では治療にならない。トラウマを形成した年齢時には、飲酒も薬物も食べ吐きもしていなかったのだから、その状態にもどってからでないと治癒にはならないのである。

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# by ecdysis | 2018-08-31 16:14 | Trackback | Comments(0)

 仏教を学びはじめてから、「まとも」であるとは、どういうことかと、父母や親戚や世間一般の価値観で当然としてきた基準が大きく揺らいでいる。
 
「まとも」とは、常識的であるということか。常識という共通イメージに沿って、家庭や学校や職場や団体の規則・しきたり・世間の相場に従うことか。道徳を守るということか。協調性を大事にし、倫理的に他者に害をなさないということか。

 私は、自分のAC性による疎外感と孤独感とトラウマの中で、「ふつうになりさえすれば幸福になれる」と信じた。
 そこで思った「ふつう」とは、正確には「まとも」ということだった。
 だから「まともになれば幸福になれる」と信じたのだ。

 そして、私が願った「幸福」とは「苦痛がない」ということだった。耐えがたいほどの苦しみが一切ない状態を、私は「幸福」だと思い込んでいた。18歳のとき、「人は生まれてきたからには、幸せにならねばならない。こんな理不尽な苦しみを味わうのは本当じゃない」と思った日があったが、そこであった幸福のイメージは「苦痛というものから解放された恒常的な状態」であったことが思い起こされる。

 しかし、還暦にあと三年で達しようという今頃になって、仏教を学び、私の求めた「幸福」はどこにもだれにもなかったのだと気づかされた。釈迦は、人の自我は苦しみしか生まず、苦しみの原因であり結果であるとして「一切は皆、苦である」と教えている。

 そして、悟りをもとめる指標のひとつとして四法印を教えた。
 それは、「諸行無常」「諸法無我(自分のものである、自分だと思っているものは、実はなにもない)」「涅槃寂静(悟りの永遠の静けさの境地)」、いまあげた「一切皆苦(自我によるすべては苦を生み苦をつくり苦しみとなる)」の四つだ。

 この「一切皆苦」は、私の願った「幸福」とまっこうから衝突し、最初に目にしたとき、認められずうなずけなかった。
 人生、楽しいことも、快楽なこともあるじゃないかと思った。

 しかし、その楽しさは永続しない。宴のあとの寂しさは来る。打ち上げ花火大会の後の寂寥は苦しみではなかろうか。いつまでも続いてほしいと思っても終わりはくる。楽しい花火デートでも、混雑の中、だれかに足を踏まれたり、肘鉄をくらったりすれば、たちまち怒りと苛立ちを発して、ただちに心は我慢と忍耐の苦しみに満たされる。

 その楽しさは、自分たちだけが享楽して、近隣に迷惑をかけたりすれば、その報いは苦情や悪い噂話という苦しみとなって返ってくる。楽しさや快楽の多くは、それを体験する時と所において、だれかが場所を用意し、職業的にあるいはボランティア的に舞台を準備してくれているからこそ体験できる。遊園地でもホテルでもレストランでも居酒屋のコンパでもそうだ。

 恋愛もそうだ。楽しいデートを繰り返して結婚し子供ができれば、もはやラブラブではいられない。子供が無事に成長するか、いじめにあわないか、相手の不倫や浮気があれば苦しむし、離婚の危機も何度か訪れるし、離婚することもいまや珍しくない。
 一見、まともそうな家庭も、ふたをあければ問題だらけだ。隣の芝生は青く見え、遠くのものはきれいに見えるが近づいてみると思ったほど美しくない(遠美近醜)。

 きれいな場所は、だれかが必ず人知れないように、きれいにしてくれている。快適さは、だれかがそのために苦心して努力して陰で働いてくれているからこそ保てる。どんな家庭も、家族がいれば、妻や母やほかの家族が、毎日掃除洗濯炊事をしてくれているから、きれいに快適にさっぱりしていられる。もし、それがなかったらどんな家でもたちまちゴミ屋敷になる。そうならずに済んでいるのは、だれかが絶え間なく掃除とゴミ出しをしてくれているからだ。

 だが、そのことに気づいて感謝する人は少ない。もらったらもらいっぱなし。養ってるんだから当然だろう、カネを払っているんだから当然だろうとしか思わない。そういう心根でいると、いつか快適さやきれいさを享受する側から、提供し奉仕する側にまわされることになる。立小便の快楽を味わって申し訳ないともすまなかったとも思わなければ、いずれ自分が人の立小便の始末をさせられることになる。

 そう考えると、なにごとも楽しさの背景に苦が控えていて、快適さもあやういバランスの上に成り立っている。

 楽しい経験の最中でも、楽しめない心配事やほかの気がかりがあると楽しさ半減だし、相手やすれちがう人たちや自動車に「気にくわない」「目ざわりだ」「なんだこいつ」「ふざけんな」「じゃまなんだよ」と感じる、目障り耳障り気に障ることが絶無ということもありえない。

 100%の快適さと幸福感を求めているのに、それらは五感のどれかが不快を感じれば、たちまち苦痛になる。
 それらのどれもが、私の求めた幸福ではない。求めたものが得られない苦痛(求不得苦)から、解放されることがないという意味だけでも「一切皆苦」を認めざるを得ない。

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# by ecdysis | 2018-08-23 01:48 | Trackback | Comments(0)