気分変調障害(うつ病)の奥底
2008年 12月 02日
私の生家にあったのは、憎しみと恨みと妬みと絶望と、恐怖と痛苦と恥辱、自己中心のエゴが大部分だった。
愛も許しも受け容れも希望も健全さもなかった。それら、生きるために必要な良きものを、私は学べないままで育ってしまった。これは、大変なハンデだ。
恐怖に凍りつき、恥辱に身をちぢこまらせ、心を怒りと憎しみの業火に焼き続け、なおいまもACという後遺症に苦しむ。身もだえし歯がみしたくなる。だが、私は神に「なぜですか」と問うことはしない。私は、まだ生きていて生かされている。私の「なぜ」という問いは、祖父母へ、父母へ、弟へと向けられる。私の悲劇は、人がもたらしたもので、神がもたらしたものではない。
生い立ちの家族への怒りと憎しみと恨みは、私の意識の底で、深海底の熱水鉱床のように、高熱の水流をあげている。深海の水圧で、その温度は400度にもなるのに沸騰しないという。それと同じことだ。あまりにも意識の深いところに高圧でとじこめたために、私の悪意は沸騰せずに高温になるばかりで噴出しつづける。
高熱の水流は、私のとじこめられた嘆きの涙だ。もしそのすべてが開放されたなら、私はわれとわが涙の熱で、雪のように融けて消えてしまうにちがいない。
愛も許しも受け容れも希望も健全さもなかった。それら、生きるために必要な良きものを、私は学べないままで育ってしまった。これは、大変なハンデだ。
恐怖に凍りつき、恥辱に身をちぢこまらせ、心を怒りと憎しみの業火に焼き続け、なおいまもACという後遺症に苦しむ。身もだえし歯がみしたくなる。だが、私は神に「なぜですか」と問うことはしない。私は、まだ生きていて生かされている。私の「なぜ」という問いは、祖父母へ、父母へ、弟へと向けられる。私の悲劇は、人がもたらしたもので、神がもたらしたものではない。
生い立ちの家族への怒りと憎しみと恨みは、私の意識の底で、深海底の熱水鉱床のように、高熱の水流をあげている。深海の水圧で、その温度は400度にもなるのに沸騰しないという。それと同じことだ。あまりにも意識の深いところに高圧でとじこめたために、私の悪意は沸騰せずに高温になるばかりで噴出しつづける。
高熱の水流は、私のとじこめられた嘆きの涙だ。もしそのすべてが開放されたなら、私はわれとわが涙の熱で、雪のように融けて消えてしまうにちがいない。
by ecdysis
| 2008-12-02 02:08
| アダルトチルドレン・依存症
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