愛のランドセル~わかってほしかったから

 アダルトチルドレンの私は、大人になっても自分の生き方が、子供のころの感情や渇望によって左右され、支配されてきたことを、認める。それは、場面によって噴出する強烈な恐怖やパニック、衝動や依存、激しい愛着や妄想という形で現れた。これは、一生の間、私が向きあい、受け止め、ときに抱きしめるものだ。私は子供の自分について、あわれでみじめな恐怖と不安、そしてそれをなんとかしたいという夢を、背中にしょったランドセルにつめこんだ子供の姿を想像する。

 私は、その子を、ランドセルごと、抱き上げ、抱きしめよう。その子の恐怖も不安も、夢も希望も、欠点も長所も、ぜんぶ背負ったランドセル。それを負ったままの、その子を抱き上げよう。その子が握りしめているもの、背負っているもの、それらを手放させることなく、まるごと抱き上げ、おんぶしよう。

 なぜだろう、いま私の両頬には、キイを打ちながら、涙がこぼれている。

 その子のランドセルには、大事なものが入っている。親に見せたくても見せられなかったもの、語りたくても語れなかったもの、表現したくてもできなかったものが、入っている。何が入っているか、私にもわからないところがあるけれど、おおむね見当はつく。

 私は、家族が好きだったのだ。その好きという感情、家族への愛を表現することさえ、許されなかったことが、深い深い傷になった。いまは呆れるような父親でも、ひどい父方の祖母や祖父でも子供のころは好きだったのだ。子供がだれもが持つ、この肉親へのハートが、この子のランドセルに、恐怖や痛みや悲しみや苦しみとともにつまっている。

 私が求めてきたのは、このランドセルにつまったものを「わかってほしい。受け止めてほしい」という切実な願いだった。開けてみせたいというのではない。そのランドセルの中につまっているものを察してくれて、そしてそれを背負っているのだということを、わかってほしかったのだ。

 私はこの子を抱き上げる。ランドセルごと抱き上げる。一生の間。
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by ecdysis | 2009-04-28 10:32 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)