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ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com


by 心炎

病的状態を自覚せずに願ったけれど

 私の小学校高学年のころの「団欒」の体験が原点とはいえ、何度か書いてきたように、私がそのことを人生で最も正しい選択肢として、目標として決意したのは18歳のときだ。

 そのときは、正しい唯一の選択に思えた。絶対に正常で普通な選択だと、確信しきっていた。

 だが、そのときの私の状態や背景は、三十年前だから病院にはいかなかったものの、いまなら間違いなく「対人・対社会恐怖」「被害妄想」「人格障害」「恋愛・女性依存」「PTSD」「ひきこもり」「アルコール依存症」「占い依存症」などと名付けられる診断がくだされただろう。これらACならだれもが呈する、異常な心理状態に、もはや燃え尽きそうなほど苦しみつづけた時期に重なる。

 つまり、当時の私は、正常で健康な人生の目標を設定できる精神状態にはなかった。そのことを、今日、やっと実感するにいたった。

 当時、願ったことや決意したことは、みななにがしかの病的な心理の果実であって、すこやかで正常なものではなかった。そのことに、まったく無自覚だったし、自分はおかしいということに気づきはしても、それが本当に深く強烈で、いつ自殺してもおかしくない、生存しているのが不思議なほどに病的だったとは思わなかった。

 私は、当時、きわめて病的で、健康で正常なことを実現する能力は無いに等しかった。
 自分の心に起こっている事実が、よく見えなかったせいだ。
 平たくいえば、狂っていた。外見はともかく、精神に異常をきたしていた。
 狂った人間は、いくら切実に自分は普通のひとになりたいとねがっても、はじまりは、まず自分の病気を治すことが先決だ。だが、当時の私は、自分がそこまで狂っているとは、とても思えなかったのだ。

 あの「団欒」の願望が、恋愛でも結婚でも、ほとんど実現しなかったのは、当たり前だった。
 その願望に取りつかれたとき、私は、精神に異常をきたし、普通ではなかったのだから。
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by ecdysis | 2009-04-29 17:27 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)