幸せの「はひふへほ」というけれど

 今日、テレビのある番組で、「幸せになるためのハヒフヘホ」として、次のようなことが語られていた。

は:派手でなくていい
 ひ:人並みでいい
 ふ:普通でいい
 へ:平凡でいい
 ほ:ほどほどでいい

 そうだ。私も、そう信じてきた。それを実現したいと願ってきた。このハヒフヘホを身につければ幸せになれると。だが、どうしたことか、身につけられなかった。頭ではわかっていた。それが大事なのだと信じることもできた。

 しかし、身につかなかった。何が正しいのか、わかっているのに、そこに近づきたいのに、実現できない。
 そんなことが、私自身に起きるとは、まさか思わなかった。

 この「はひふへほ」を知ったことで、私は自己満足してしまったのだろうか? 知っただけで、安心してしまって、結果的に怠慢だったのだろうか・・・・。この「はひふへほ」を意識するだけに終わってしまい、生き方が変わらなかったというのだろうか。

 いや、ちがう。私は、人並みも普通も平凡も、生い立ちの中で、自分のものとして体感してこなかった。言葉以前の段階で「普通」「平凡」「人並み」の感覚を持つことができなかったのだ。いってみれば「普通人のセンス」が欠落している。「平凡感覚」「人並み感覚」が、ほとんど育たなかった。

「普通」「平凡」「人並み」は、いずれも自分とは別の目指すべき目的・対象でしかなかった。
この「はひふへほ」を思いついた人は、そういう「普通人のセンス」をもっている人だろう。そういう人は、もともと「普通」「平凡」「人並み」の安心感を体験していて、不幸になりかけても、そこへ戻っていけば幸福感が得られるという意味で「はひふへほ」を言ったのだろうと思う。

 だが、私には、戻るべき「普通」「平凡」「人並み」はない。戻ったつもりでいても、そこには空虚があるばかりだ。
 普通の人たちと同じようには、決してなれないのだ。
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by ecdysis | 2009-05-03 22:57 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)