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頑固もののACたる我(われ)よ

 今日もACのためのある自助グループのあつまりに行ってきた。

 そこで、気づいたことがある。気づくときは、いつもそうだが、ほかの人がしゃべっていることに耳を傾けているうちに、ふと自分の中からわいてくる想いが、予想外の意味と答えを運んでくる。

「私が生まれてきた目的は、結婚して家庭を成すことではない。神様は、私を別の道に導いて成功させようとなさってきたのに、私はそれにさからい続けてきた。もし、私に与えられた人生の目的が家庭の建設にあるならば、神様がとっくにそのように配慮なさっていたはず」

 そこから、軽い頭痛がはじまった。これも、自分の意識に変化が訪れ、価値観が変わっていくときによく起きる現象だ。風邪ではないから、無意識の領域から変化が起こっているのだろう。

 今回もそうだが、気づくときには、とりたてて喜びや感動などの強い感情はないことが多い。
 これまで自分の理性や知性で、いわば理屈で納得したり理解したりしようとしてきたことが、自然に素直に理解され、答えとして納得できるようになる。

 不平がましく、疑り深く、不機嫌な心で、「神よ、なぜ、あなたは私の人生にこのような状態を、お与えになるのか」と、何年もこだわり怨みがましく問いかけつづけた質問に、ある日、突然に神はお答えをくださる。

「お前は右の道を行けば幸せになる。だから右へ行きなさい」と神様がおっしゃっているのに、私はおろかしいかたくなさで「いいえ。私はそうはおもいません。母も親戚も世間の人も、左の道を行くのが幸福になる道だといっています。ですから、左へ行きます」と、神の示す道を拒みつづけてきたのだ。

 その選択の仕方において、私は神を信じていなかったのだと、いま思う。
 神の示す道より、自分の選ぶ道の方が正しいと、かたくなに信じる人間が、神を信じているとはとてもいえない。神の判断より、自分の判断を正しいと信じこむとは、私はいったいなにものだろうか?

 神が「こっちの方が、おまえには幸せだ」というのは、言いかえれば「ほかの道に迷って不幸になるのを避けてほしい」という、神の親心のあらわれだとも思う。

「神よ、御心のままになしたまえ」と、言葉にして祈ることはたやすい。
 しかし、内なる頑固な不信心者が折れて観念して、「ああ、本当に御心は、こうなのだ」とわかるまでには、時間がかかるし苦労もする。
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by ecdysis | 2009-09-20 03:33 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)