どうしていいかわからなかったから

 幼稚園にいっていたころから、同世代の子供たちがこわくてたまらなかった。
 さりとて大人は、自分の父母や家族をのぞけば、別の種類の生き物だった。
 
 同じ年代の子供たちは、私にとってまさに「餓鬼」であって、ほしいままに暴力をふるい、自制心や我慢や従順さとは無縁な、コントロール不能な阿修羅そのものだった。彼らの奔放なエネルギーと本能のままに行動する自由さと、自分の感情に制御をかけたり、相手をおもんぱかったりすることが全くない言動は、母による厳しい「よいこ」教育に縛られていた私にとって、まったく異質な野蛮人にほかならなかった。

 そんな私は、大人たちからの受けはよかったが、同じ子供たちの間ではいじめられっ子になってしまった。年齢はちがうが、ヤンキー集団の中にほおりこまれた、普通の高校生みたいなものだった。

 母の教えの中には、そういう理不尽な目にあったときの対処法は、何もなかった。
 いじめられても、どうしたらいいのか、わからなかった。
 だれが助けてくれるのかも、どうやって助けを求めたらいいのかもわからなかった。
 そもそも、はじめから誰も助けてはくれないと感じていたし、それは助けをもとめてはいけないという強固な自己規制がはじめにあったのだ。

 なぜ、助けを求めてはいけないと思ったのだろうか。なぜ、すべてを自力で解決せねばならないと思ったのだろうか。たぶん、私は「おとなしい良い子」という評価が、母に気に入られるもっとも確実な、ほめられる自分だと信じていたからだ。

 乱暴な自分、他者と戦う自分、抵抗や反抗する自分は、決して母に受け入れられないと信じていたのだ。母に受け入れられなければ、自分は死ぬしかない。いつでもどこでも、母の目があろうとなかろうと、私は「おとなしい良い子」でなくてはならなかった。

 それ以外に、私に選択肢はなかったのだ。

 結局、私は何か困難があるたびに、シラフである限りは(酔えば酒の勢いで他者と口論したりはしたが)、この「良い子であれ」という母の教えたまいし歌に立ち戻ってきたような気がする。

 だが、それはもう役立たない古い「心の胎盤」として、どこかへ埋めてしまおうと思う。
 成人しても、母が幼時期に私に植え付けた「期待される息子像」は私をしばり、私と母とを結ぶ、精神的なへその緒と胎盤になって、目に見えない癒着を起こしてきたのだとわかる。

 だが、私は母の望んだような息子にも人間にもなれなかったし、もともとそういう種類の人間ではないのだと、母亡きあと3年も経ってから自覚できるようになってきた。

 精神的なへその緒と胎盤はすでに無用なものであり、あれば有害なものでしかない。
 あるいは、母の私に託した価値観そのものが、彼女自身の不安と恐れと期待とが生みだした「幻想」だったのかもしれない。

 いまは、母との絆から離れて、神との絆を強めようと思っている。

 おとなしいだけではダメなんだ。必要なら闘わなくてはいけないんだ。
 子供の私は、いまやっと、そう主張するようになってきた。母に許されなかった選択肢を、私は自分に許し、さらに選択肢を増やそうと思う。
トラックバックURL : https://ecdysis.exblog.jp/tb/12960093
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by ぬこ at 2009-11-15 22:52 x
心炎様、今晩は。

私の母は私を嫌ったまま、私が、10歳の時に死にました。
心炎さんのブログを読んでいると、自分の病んでいる部分が見えて来ます。
それだけではなく、回復へ道標も見えて来ます。
いつも感謝しつつ読んでいます。
Commented by 心炎 at 2009-11-16 00:52 x
ぬこさん、こんばんは。
そうだったんですか。おかあさんが、そんなに早く亡くなられていたんですね。

私の母が亡くなって49日のころに、夢に出てきて、生前にはみせたこともない「母親らしい態度」を見せてくれました。だまって受け入れて微笑んで、私の訴えを静かに聴く母の霊は、やはり私の母親だったのだと思います。

ぬこさんのお母さんも、あの世から本来のお母さんに戻って、ぬこさんを見守っていると思います。ACの親でも、生きているときには、いろいろあって親として機能不全だったとしても、魂になれば本来の姿をとりもどして、私たち子孫を見守ってくれると、信じています。
名前
URL
削除用パスワード
by ecdysis | 2009-11-15 01:58 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(2)