2009年 11月 20日
私にとっての「家庭」
私が経験しえた唯一の「家庭」は、「絶え間ない深刻な恐怖の場」以外のなにものでもなく、子供に必要な、たやすく感じられるような「家族愛」などどこにもなかった。そこは恐怖と孤独が支配する世界であり、愛や安らぎはなかった。
だから、私は「家庭」が恐ろしい。自分が「家庭」を持つことに、激しい恐怖を感じる。
それは「家庭恐怖症・家族恐怖症」であり、高所恐怖症や閉所恐怖症のように、自分ではコントロールできないものだ。私にとっての「家族」関係とは「恐怖と依存」が主たる感情であり、家族どうしの怒りと恨みと嫉妬が交錯する場だ。愛し合い助けあうのではなく、憎みあい傷つけあうことしかしないのが、私の家族だった。
もちろん、私もひとりでいるのは、さびしくてたまらないが、そうする以外にない。
いざ家族を持とうとすると、いてもたってもいられない恐怖にとらわれる。
幸福な家庭の雰囲気を、まるで知らないで育った私が、それをこれから味わうことができるだろうか? 限りなく絶望に近い感情しかわいてこない。
神様は、こんな私にも、ちゃんとした家庭を営めるようにしてくださるだろうか?
私には、わからない。希望を持っていいかどうかもわからない。
健康な家庭を知らない私が、健康な家庭を作れるとは思えない。以前はつくれるかもしれないと思ったが、今はちがう。
まるで、神様が「おまえは家庭を持つな」とおっしゃっているかのようだ。
たぶん、それが正しい答えなのだろう。
人生は短く、なすべきことは多い。家庭を持っている時間が、私にはないのだろう。
そう言いきれる心炎さんは、凄いと思います。
私も、そんなふうに考えたいと思います。
無い物ねだりをしても、悲しいだけですものね。

「天は二物を与えず」というのが真理だとしたら、私は二物とも欲しいのです。真理に反するのに、欲しいという気持ちが消えないんです。なにもかも手に入れて、自分の不幸を嘲笑したりバカにした人たちを見返したい気持ちもあるし、何もかも手に入れなければ、自分の過去の悲惨さを埋め合わせたことにならないと、かたくなにいいはる自分がいるんですよ。

心炎さん、得られなかったものは創り上げれば良いじゃないですか(^o^)「与える愛」で愛する人を、ご自分を幸せにしてあげて欲しいです(*^_^*)
神様は乗り越えられない試練は与えないそうですし、今日一日に最善を尽くせば過去も癒されるのではないかと想う今日この頃です・・・
私が独りなのは、まだまだ感情のコントロールも出来ない、身勝手さが治らないからです(>_<)

>得られなかったものは創り上げれば良いじゃないですか
おっしゃる意味はわかりますが、「言うは易く、おこなうは難し」です。励ましをくださるお気持ちはありがたいですが、Rさんが、実際にご自分の人生において「過去がすっかり癒されて、得られなかったものを創り上げること」を、今後、現実に見せてくだされば、それが何よりの励ましになるでしょう。
>まだまだ感情のコントロールも出来ない、身勝手さが治らない
アルコール依存症に共通の問題点ですね。そういう欠点については、いくら注意してもしたりません。身勝手であるということは、別の言い方をすれば、人の気持ちがわからない、空気読めないというようなことになりがちです。自分の繊細さには敏感でも、他者の繊細さには鈍感という症状が、アルコール依存症者にはありますね。ACの場合は、自他ともに、多くのことに繊細さが発揮されるので、ある意味、もっと辛いかもしれません。
お互い、おごったりせず、仲間や友人に対して、兄貴ぶったり姉さんぶったりすることを避けて、精進して参りましょう。