自分が自分らしくあることに罪悪感を持ってきたのだ

 私は、ほかのだれともちがう私であることに、きのう気づいた。
 そして、長所であろうと短所であろうと、「他人とちがう」ことに、根深い罪悪感をもってきたことを、初めて実感した。

 私は、人とちがう。それは事実だ。どこがどのようにという説明以前に、とにかくちがっているし、それが現実だったし、これからも変わらない。

 それなのに、その事実を無視し毛嫌いし、忌避して、なんとか「ほかの人と同じであろう」と願ってきたし、そうあらねばまっとうな人間ではないと固く信じてきた。

 しかし、それはアルコール依存症者が「ほかの人と同じように飲酒ができる」のを証明したくて、涙ぐましくも無益な努力を試してきたのと、どこがちがうだろうか。

「いつかは、みなと同じになれる、大多数の中の一人になれる」という思い込みと妄想に生きてきたのだ。

 熾烈な結婚願望や理想の家庭への深い欲求もまた、「自分は人とはちがう」ことを否認したことから、より強く深刻なものとなってしまったのだ。
 
 なによりも、自分のアイデンティーが「人とちがう」ことにあったのに、その事実を否認して、罪悪感をもっていたことに気づいて、いまさらながら驚く。

 自分が自分らしくあることに、罪悪感を持ってきたのだ。
 これで生き方が苦しくならないわけがない。

 もう、人とちがう自分を否認したり、罪悪感を持ったりするのはやめよう。自分についての事実は事実と認めよう。

 私は、自分自身に語りかけよう。

 人ちがっていていい。そのことをいけないことだと思う必要はまったくない。人とちがう自分を恐れ、そういう自分では周囲から疎外されるとか、攻撃されるとか、おびえる必要もなかったのだ。

 恐れるな。罪悪感を持つな。私は私でいい。 人とちがうこと自体が、私の運命であり、おおげさにいえば天命だと思うことにした。人とちがう内面性をもった生き方をするのが、私の役目なのだ。

 神様に与えられた役目を果たそう。役目を否認し罪悪感を持ちつづけて、どこに私の安住の地があるだろうか。
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by ecdysis | 2010-02-27 03:56 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)