愛し合うことを知らない親たちがACを生む
2010年 03月 11日
かえりみれば、私の生まれた家は、父親は重度のACでアルコール依存症の酒乱で、祖父もひどいアルコール依存症者、祖母は人格障害者で加虐性の狂人だった。それら三人の病気が進行し続け、嫁にきた母をも巻き込んで、安心も安全も保護もないまま、混乱し続ける重篤な病んだ家族関係の中で、私は育ったのだ。
そんな家庭環境に生まれ育って、どうしてまともな家庭を自分が持てると三十年間も信じられたのか。いまさらのように不思議に思う。
絶対に無理だ。普通の結婚などできるはずもなかった。
母がそれを望み続けたからこそだが、それは私にとって不毛で徒労な悪夢のような妄想にすぎなかった。
「普通の家庭をつくれる」という思い込みの悪夢から、このごろやっとさめた気分だ。もう、人並みに家庭を持とうなどという無駄な努力はしない。もし、「普通の家族関係」を知らずに育ったこの身が、そのことを自覚しないまま結婚していたなら、生い立ちで学んだ無惨な夫婦関係や親子関係しかつくれなかったにちがいない。
父母も祖父母も、結局は愛し合う姿を見せてはくれなかった。
父母は罵り合いいがみあい、祖父母は憎み合い苦しめ合った。
結婚とは、男と女が傷つけあい苦しめ合うことだと、私は学んだ。
愛し合う男と女も、いずれは怒りと憎しみと罵り合いの関係に変わるのだという「宿命」を、どこかで私は学習してしまったのだ。
祖父も父も、配偶者を不幸にすることにはたけていたが、幸福にすることはまるでなかったし、そもそも妻を喜ばせることを知らなかった。
だからこそ、私は十九、二十歳で、キリストの言葉に触れて「愛とはなにか」を探しはじめたのだ。親たちに愛がなかったから、あるいはあったとしても、それを見せてもらえなかったから、愛に飢えた。
そうだ。私は知りたかった。「愛し合う」とはどういうことなのか。
愛し合う男女とは、どういうものなのか。わが身をもって、それを実感したいと切望した。
いまでも、探している。「愛」の実在証明を、「愛し合う」生き方を。
そんな家庭環境に生まれ育って、どうしてまともな家庭を自分が持てると三十年間も信じられたのか。いまさらのように不思議に思う。
絶対に無理だ。普通の結婚などできるはずもなかった。
母がそれを望み続けたからこそだが、それは私にとって不毛で徒労な悪夢のような妄想にすぎなかった。
「普通の家庭をつくれる」という思い込みの悪夢から、このごろやっとさめた気分だ。もう、人並みに家庭を持とうなどという無駄な努力はしない。もし、「普通の家族関係」を知らずに育ったこの身が、そのことを自覚しないまま結婚していたなら、生い立ちで学んだ無惨な夫婦関係や親子関係しかつくれなかったにちがいない。
父母も祖父母も、結局は愛し合う姿を見せてはくれなかった。
父母は罵り合いいがみあい、祖父母は憎み合い苦しめ合った。
結婚とは、男と女が傷つけあい苦しめ合うことだと、私は学んだ。
愛し合う男と女も、いずれは怒りと憎しみと罵り合いの関係に変わるのだという「宿命」を、どこかで私は学習してしまったのだ。
祖父も父も、配偶者を不幸にすることにはたけていたが、幸福にすることはまるでなかったし、そもそも妻を喜ばせることを知らなかった。
だからこそ、私は十九、二十歳で、キリストの言葉に触れて「愛とはなにか」を探しはじめたのだ。親たちに愛がなかったから、あるいはあったとしても、それを見せてもらえなかったから、愛に飢えた。
そうだ。私は知りたかった。「愛し合う」とはどういうことなのか。
愛し合う男女とは、どういうものなのか。わが身をもって、それを実感したいと切望した。
いまでも、探している。「愛」の実在証明を、「愛し合う」生き方を。
by ecdysis
| 2010-03-11 02:59
| アダルトチルドレン・依存症
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