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ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com


by 心炎

神のせいではない

 煮えたぎるような嫉妬と羨望と願望の対象だった、健康な恋愛関係や結婚について、きのう歩いていてふと気づいた。
 これまで、私は、健全な人間関係や生活を求めていながら、神がそういう縁を与えてくれない運命なのだと思いこんできた。
 けれども、それは神の定めたルートではなかった。神の意志ではなかった。

 私自身が、自分の自己評価の低さにふさわしい相手や環境を選んできただけの話であると。
 つまり、神のせいではない。私がそれを選んできただけのことなのだ。

 自分の将来に絶望した16歳の少年時代の心が、そういう選択しかできなくしていたのだ。

 あのときの絶望は、今も響き続けている。絶望の音楽を、いまも演奏し続けている。おのれが口ずさむ絶望の歌にあわせて。まだ絶望ステップを踊っているのだ。

 だが、もうそろそろ演奏をやめ、踊るのをやめようと思う。絶望の踊りをやめて、希望のダンスに切り替えないといけない。
 
 私は、16歳のあの日に、この世でこんな想いをしているのは、自分だけだと、本当に苦しくて哀しくてつらくて、生きているのがみじめすぎると思った。死にたかったが死ぬのがこわかったので、生き続けただけだった。自分の生い立ちや家庭環境そのものに、心底打ちのめされ、辱められたと感じた少年の私は、その恥辱をだれかに訴えることもできずに、希望のない、ただながらえるだけの人生に踏み出したのだ。

 早すぎた濁った絶望という諦念しか、あのときはなかった。
 だが、それがACという症状を持つ人間のひとりだとわかったことから、少しずつ変わりはじめている。
「自分だけ」の世界から「自分も」の世界にぬりかわったことは大きい。

 16歳のとき、私の青春は自殺した。そして意識不明の重態を続けてきた。
 目覚めれば、もう50歳になろうとしている。

 それでもいい。復活できると信じれば、もともと与えられていたもので、よみがえらないものはない。
 そう信じよう。
 

 
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by ecdysis | 2010-05-03 11:15 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)