他人に何を望もうというのか

 今日、はたと気づいた。

 私は、見る人、出会う人の多くを、知らぬ間に「ある基準」でさばいてきたのだと。
 それは、相手が過去に家庭的であったか、現在、家庭的であるか、将来、家庭的な人間になりうるかという「基準」で善悪を決めてきたと気づいて愕然としている。

 私自身が、家庭的な人間でなく、結婚もできずにきた癖に、他人様の結婚や家庭生活への適合・不適合について、頼まれもしない判断をするという、おこがましい真似をしてきたのだと。そして、「こんなんじゃあ、まともな結婚もできるまい」と、どこかで見下している自分がいるのを自覚した。

 まったくバカげたことだ。私自身ができていないことを、なぜ他人に要求するのか。いったいどんな権利があって、他人を自分のモノサシで測って良しあしを断じようというのか。
 だいいち、結婚や家庭をもつことが、万人にとって幸福なことだとは限らない。価値観の多様な現代にあっては、ほかの幸福が成就されて個人の成長につながり、社会貢献をもたらしても全然おかしくない。
 
 解っている。この「物差し」は、私の母の尺度だ。私のもともとのものではない。
「母ならばこう感じるだろう」「母ならばこう思うだろう」というAC特有の予断・推測をやってきたために、こういうことになったのだ。

 もうやめだ。関わる人々が、家庭的であろうとなかろうと、私に何の関係があるか。
 もうやめだ。その人々が、将来、結婚しようがするまいが、私に何の影響があるか。
 もうやめだ。

 終える。この思い方は、もう終える。この「さばき」は捨てる。
 余計なおせっかいだ。
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Commented by isaacpapa at 2010-10-03 03:24 x
私の長男の名付け親が貴方だという事実は不変です.彼はそれを知らず,スクスクと成長していますよ.自身のもの差しと関係なく,貴方が関わった過去の人間は貴方の影響を受け,夫々に生きているのです.
Commented by 心炎 at 2010-10-05 00:28 x
ようこそ、イサクパパ様。
もちろん、私は過去・現在の自分が他の人に与えた、また与えている影響を決して無視したことはありませんし、今後もそうです。息子さんが、すくすくと育っていらっしゃることは慶賀の至りです。

コメントくださった私の元投稿は、すでに結婚なさって安定した方々やお子さんをお持ちで健全な家庭を営んでいる方々を対象にしたものではありません。私の「裁き」は、あくまでもACや病的なアディクションを持っていて苦しんでいる人たちに対する、私の貧しい心を吐露したものです。

 私の生まれたこの国にとって、年間3万人の自殺者や、心の病にかかって就労したくともままならない人々や、家庭の問題によって非行や犯罪に走る青少年、各種依存症の人々が増加することは、精神的にも文化的にも経済的にも、大いなる損失であると考えております。

 それを少しでも食い止めるためにも、AC性の回復が必要であると、神道の考えを基本に試行錯誤している渦中にあります。
Commented by isaacpapa at 2010-10-05 03:38 x
敢えて自身を分析してみたのですが,私の場合はACの主なタイプの中では「ヒーロー」ですね.無くしていったものも多々ありだなと分析.治療の余地無しでしょうかね.
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by ecdysis | 2010-09-29 01:17 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(3)