虚偽を真実と思いこんでいる裏切り

 私が「理想」や「生きがい」と信じた家庭願望は、幻想だったが、それは単なる幻想妄想というよりは、母の理想や願望を無批判に受け入れた結果の一種の「虚偽」だったと思う。

 自分にとって大切で不可欠と信じて疑わなかった、それらの願望は、結局、私を裏切ってきた。
 何度も試みても、結果は常に、おのれの思い込みとは逆の、意に反するというもおろかな裏切りだった。

 なぜ、自分が深く強く信じた願望の結果が、いつも裏切られるのか。
 長い間、不思議でならなかった。なぜだろうかと。
 しかし、最近、気付いた。自分が信じたことが「虚偽」だったからこそ、いつも裏切られるのだと。私が信じて願ったことは、とにかく信じるに足る真実ではなく、偽りだったのだ。
 
 偽りならば、どんなに信じようと願おうと、実際に正しい健康な実をむすぶことはありえない。

 裏切りは、願望だけでなく、おのれの欲望についてもそうだった。
 願望も欲望も、私を裏切る。裏切るものを信じつづけるわけにはいかない。
 私が、自分にとって生得の、あるいは人間らしいと信じた願望や欲望の数々もまた、虚偽だったというほかはない。

 虚偽なのを、それと知らずに真実と信じ込んで、裏切られ続けるのは、もうまっぴらだ。
 アディクションもまた、その「虚偽」の結果の裏切りにほかならない。
 虚偽を虚偽と認め、信じたり願ったりすることをやめれば、もう裏切られることはない。

 こうすれば幸せになれると、思いこんできた虚偽の数々よ、おまえたちはまったき裏切りものだった。深刻な願望よ、切ない欲望よ、おまえたちは裏切りものだ。
 もはや裏切られはしない。信じることも、依存することもしない。
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by ecdysis | 2011-01-06 21:53 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)