三十年錯誤

 私が、18歳のときに一番ほしいと思ったものは幻想だった。
 少なくとも、この世には存在せず、だれもそれを経験していないものだった。

 それなのに、少年の私は、それがこの世に存在し、しかも結婚しているだれもが日常的に体験し、ほとんどの世帯に普遍的な事柄であるにちがいないと信じた。だれもが、それを持っているのだから、自分ももって当たり前だと信じた。

 私が、有ると信じた事柄は、「完璧な家庭」すなわち「問題がひとつもない家族関係」だった。

 18歳の私には、家庭というものは、そうでなくてはならないものだった。育った家庭が、あまりにも不健全で病的で悲痛な問題だらけだったので、その反動として完璧な家庭を夢想し、それを手に入れようと心底から欲し念じたのだ。

 自分が結婚したら、良い夫、良い父親になって、水ももらさぬ健全で穏やかな家庭をつくるのだと、心に誓った。それが心の支えになり、苦しいときも、将来、味わうであろう幸福を夢想することで、使命感をもって自分をかきたてた。家庭を天国にしなければならないと思っていた。

 本当に、18歳のときから、その夢想だけが私の弱く臆病で傷つきやすい心を支えてくれた。それがあるからこそ、苦しくても自棄にならずに、「いつかきっと実現するのだ」と自己を保つことができた。それゆえ、うつ病にもならずに済んでいたし、アルコール依存も進行が遅れていた。

 だが、15年ほど前、あることで「自分は結婚できない」という可能性の高さを見ざるをえなくなってから、私は急速にアルコール依存が進み、合わせて今から思えばうつ病の緩慢な発症と進行がはじまった。信じたくないことだったし、絶対に受け入れられなかった。しかし、事実は「夢想の否定」を告げ続けた。

 私は、力強い希望を与えてくれる「完璧な家庭の夢想」に、次第に支えを求めることができなくなっていった。心をむしばむ悲嘆と失望、喪失の苦悩に、日々、生気を削り取られ、生きがいのありかがもろくも崩れていったのだ。

 支えをなくせば、そこに残るのは傷ついたアダルトチャイルドの心だけだ。
 そして、18歳の私が「理想の家庭の夢想」をつむぐことで、いったい何を本当に欲していたのか、最近、やっとわかった。

「自分の居場所」が欲しかったのだ。安全で穏やかで温かい「居場所」が欲しかった。生家に安心できる居場所がなかったから、自分でそれをつくろうとしたのだ。
どれほど、「安心で安全で穏やかな温かい場所」を欲してきたことだろう。
いつか、そんな居場所ができるに違いないと夢想する以外、当時の私にどんな生き残るすべがあっただろうか。それ以外にはなかったのだ。

 そんな私は、今夜も神につぶやく。

「神様、私の支えだった夢想はこわれました。どうか、あの夢想に替って、私を支えてくれるものをお与えください。それがなんであるか、どうかお示しください」

 無いものを無いとは知らずに有ると信じ、しかも万人が持っていると思い込み、それぐらいなら自分でもつくれるだろうと心から欲して念じた少年の絶望の涙は、いまだ乾いてはいない。
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by ecdysis | 2011-10-11 02:48 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)