至上至高ではなかった憧れ

 家庭を持てない自分への、子供を持てない自分への、いうにいわれぬ劣等感が、その姿をあらわにした。

 私の少年時分からの気持の中では、人生で「結婚して家庭を持ち子供を育てること」は「至上至高の行為」になっていた。世間一般でも、古い考えに今ではなっているが、「結婚して初めて一人前」「子供を持って初めて一人前」という価値観を、金科玉条のように大切にしてきた。

 だから、それがどんなに不健康で不完全でひどい家庭でも、そこで結婚して子供を持っている人たちは、少なくとも自分よりは大人であり一人前であると、反射的に思いこむことをしてきた。

 その価値観がある限り、私はこれまでもそうだったように、自分がいつも半人前で、子供だと、家庭を持っている人たちの前で、内心どこか萎縮せざるをえない。自分が結婚するときまで、世間から決して一人前の社会人に見られることはなく、なにかにつけて自分を「社会の落ちこぼれ」「社会人劣等生」と卑下しなければならない。

 だが、その卑下や劣等感はもちろん、そもそもの「家庭至上主義」の価値観が、次第に私自身を呪縛して、心身ともに行動に制約をかけ、あやまった行為にすら導くようになってきた。

 だから、私は家庭と子供を持つことを「至上至善」とする価値観、私の「掟」を捨てる。
 自分で自分を害するほかない掟は手放す。それは、亡き母のものだったのだ。

 私は、これから家庭を持っている人たちに、人生の劣等生のような気持ちを抱きつつ、遠慮してものをいうことはやめる。半人前が一人前に口をきくような、自己卑下の心をもって相対するのをやめる。

 独身の私は、これから既婚者のひとたちと対等に話し、おこなうことにする。
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by ecdysis | 2011-10-15 22:21 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)