失っても、代償はある

 大事なものをなくして、人は喪失感に苦しみ、辛く悲しい鬱勃たる日々を送る。

 私もそうして苦しんできた。その嘆きは深く痛ましい。

 だが、いま想う。失ったものの代わりに、私は何かを獲得し自分を形成してきたと。
  
 獲得したと後でわかったもののほとんどは、喪失体験する前は、それを獲得しようとも、欲しいとも思わなかったものだ。

 19のとき、本気で愛した女性との関係を失った。その代わりに、私は「改心」を得た。

 24のとき、就職した有利な会社を辞めた。代わりに、文章を書く道に押し出された。

 26のとき、やはり愛した女性を失った。その代わりに、カルト宗教から脱却する道を得た。

 33のとき、恩師との関わりを失った。代わりに、自分らしさを育ててゆく道を得た。

 41のとき、実家の家屋敷を失った。代わりに長男の義務からの解放を得た。
 

 42のとき、酒を捨てた。代わりに自助会への参加を得た。

 44のとき、弟を失った。その代わりに何を得ているのかわからない。ただ、身内を不幸な失い方で亡くした人々の気持ちがわがことのようにわかるようになった。

 45のとき、母を亡くした。私は、そこから先祖や死者の霊を追悼し供養することの大切さを知るようになった。

 ざっと大きなものをあげても、このように私の人間性を形成する上で、大事なことが起きている。

 失うことは辛い。失いたくはない。
 
 だが、もし失うことがあっても、その代わりに別のものが与えられる。

 成長の糧が、必ず与えられると信じよう。
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by ecdysis | 2012-01-24 02:52 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)