不当な自己評価の低さを埋めるための行動は実りがなかった

 母からの虐待や祖母の人格障害の悪影響によって、私は自己評価の低い人間になった。
 それは思春期には、引きこもりや被害妄想や、一種の人格障害さえ起こし、うつ病にもなっていた。

 その落ち込む気力と、とめどない無能感、非力感、虚無感は、思い出すだに恐ろしかった。

 その恐ろしい暗澹たるブラックホールにひきずりこまれないために、脱出不能な穴の底に落ちないためには、酒やロック音楽や恋愛に依存するしかなかった。それらを、今でいう「自家製抗鬱剤」のように使ったのだ。
 その「自家製抗鬱剤」の中に「家庭願望」「結婚願望」もあったのだと、今になってわかる。

 つまり、アルコールと同じように、私は恋愛も家庭への願望も、薬のように「使って」きたのだ。
 それは、健康な意味での「恋愛」でもなければ「家庭願望」でもない。
 普通の人たちが、健康に恋をし、健康に結婚するのとは異なり、私にとっては、それらは自分の病的な虚無感をやわらげ散らし、別の感情にとってかわらせる「薬」だったのだ。
 いいかえれば、そのような「病的無力感」をうずめて「有力感」を得させてくれるものだった。それが「恋愛」「結婚」へのあこがれの形をとった「妄想」だった。

 私は、自分が酒を飲むようにしか恋ができず、健康な恋愛など一生の間、縁がないかもしれないと思い始めている。酒も恋愛もいっしょで、酔っているときはいいが、やがてブラックアウトして、気がついたら悲惨なことになっている。「飲まなければよかった」「恋をしなければよかった」という、後悔する顛末は、同じではないか。酒に酔うのも、恋人との関係に酔うのも、まったく同じだ。はじめのうちはいいが、やがて泥酔して、理性も分別も失い、ぶっ倒れる。気がついたときには傷だらけで、後遺症にくるしむことになる。

 さめない酒も恋もない。だが、私は癒えない虚無感を抱いたがために、酔い続ける酒と恋愛の相手を求めてきた。そして、それがありえないことを認めることができなかった。

 シラフで生きるには辛すぎた。そのひとことに尽きる。
 別れた恋人たちの幸福を祈りながら、それでも、生きていかなければならない。
 神々が、この虚無感をうずめてくださるように祈る。
 もはや、健康であるべき感情や本能を、薬として使うようなまちがった生き方から離れられるようにと祈る。
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Commented at 2012-05-15 16:02 x
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Commented by ecdysis at 2012-06-05 02:00
非公開コメントをされた方へ。悩みながらでも、現実に進んでいる人間関係を大事にすることさえ忘れなければいいと思います。私の場合には、うまくいきそうになると名状しがたい、いてもたってもいられない恐怖に襲われて、自ら中途で関係性を終わらせざるをえなくなることが繰り返されたのです。原因は、私の内部の問題で、男性としての責任の遂行能力の問題でもあります。
Commented at 2012-06-05 20:32 x
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by ecdysis | 2012-03-23 03:18 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(3)