私たちは、ひとりひとりが、ひとつひとつの世界なのだということ

 自分のあるがままを認められるようになってくると、理由もいらず、ほかへの説明も必要なく、「自分は自分で感じていた以上に、広大で豊かな存在なのだ」と感じられる瞬間がやってくる。
 よくいわれる「オンリーワン」という感覚が、これに近いかもしれない。

 他者と比べての自分ではなく、世間の評価を気にする自分でもない、「これが素の私」と思える瞬間がやってくる。もちろん、いつもその瞬間の連続でいられるわけではないが、その感覚を知っていることは、知らないで、ただただ低い自己評価に苦しんでいた頃とはちがう自分に変わったことを意味する。

 私という個人、人格、自我は、世界に比べ、世の中に比べて、何か小さなとるにたりないような感覚を持ちがちだけれど、それもちがうのだとわかってくる。

 私の自我は、私の心は、私の存在は、それ自体で「ひとつの世界」なのだ。私という「世界」なのだ。

 だから、「世界としての私」を認めて尊重すれば、当然、「ほかの世界」である「他者」のことも尊重せずにはいられなくなる。「世界」を「地球」とか「宇宙」とか「国家」とかに置き換えてもいい。

 現実の全世界でも国家は200以上あるが、どの国家も、それがどれほど小さな国土と人口しか持っていなくとも、「国家」として主権を認められている。国境を不当に犯そうとすれば領土の侵略になるし、その国のやりかたに正規の手続きを経ないで口出しすることは内政干渉になる。

 私たちACは、親という大国に国境を侵され、領土の侵犯と主権の侵害と内政もままならないまでに「占領支配」されておとしめられた小国のようなものだった。だからこそ、レジスタンスを起こし、独立の戦いをせねばならなかったのだ。その支配された苦しみの表現がこころの病であり、レジスタンスの方法が、さまざまなアディクションであった。

 私たちは、家族の不当な支配と蹂躙に苦しめられ、戦ってきた。
 そこは戦場だったのだから、平和も安らぎもなかった。
 だからこそ、自我の独立を果たし、占領軍を領土内から追い出して境界線をしっかり保ち、平和で豊かな自分という国家を再建させなければならない。

 私たちは、ひとりひとりが世界なのだ。人間の心と体をもった世界なのだ。六十億人がいれば、その六十億人がぜんぶ異なる世界として存在している。

 だからこそ、ひとつの世界であり宇宙であるひとりひとりの個人は、尊く、かけがえがないのだ。
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by ecdysis | 2012-05-01 02:04 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)