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されどACが社会から排除され阻害されるべきいわれはない

 肉体的に健康で体力と体格に優れた者が、病弱だったり虚弱な人間の苦しみを理解せず、共感に乏しいばかりでなく、自分より弱いものを積極的に虐待したり、見下したり、毛嫌いすることがある。
 弱いものの側は、それによって傷つき苦しみ、ひどい場合は自殺する。

 このとき、「異常」なのは「肉体的に健康であるもの」なのか、「虚弱であるもの」なのか。
 肉体と精神の両方の「健康」をもって「健康」とするならば、「健康」という定義がゆらぐ。

 この「肉体的」を「社会的」や「経済的」の語に置き換えてみれば、ACの対面する社会が、決して「強者と弱者との共存・共感」を達成していないことを思い知らされる。

 さらに、まわりを見渡せば、「あらゆる意味で健康な人間」「あらゆる意味で正常な人間」はおらず、「完全な健康」も「完全な正常」も存在しないし、そのような基準となるべき人間がこの世に「実在」したためしはないと思える。

 アルコール依存からの回復方法を書いた本の中には「神は人間の中に不完全な空洞をつくり、そこに満たされるべきは霊性(スピリチュアリティ)であることを気づかせようとしたのだ」とある。

 この著者がいう「不完全な空洞」は、アルコール依存であろうがACであろうが、相対的に「健康な」人たちであろうが、「万人」に存在するものだと私は考える。この「空洞」が、精神と肉体の矛盾から必然的に生じているものなのか、もともとその存在を高次の神的意識に設定されたものかは私にはわからない。

 しかし、この空洞の大きさと深さがさほどでなければ、社会生活や対人関係に支障をきたすような心の問題を起こすことが少ないということになるのだろう。いわゆる「正常」「健全」というのは、その状態を指し、逆にこの「空洞」が生い立ちの中で大きくなり深くなってしまった場合に、ACや依存症や心の病を発症し、「病気」「機能不全」を起こすのだろう。

 つまり、AC性も依存症(各種アディクション)も、自覚するしないは別にして「不完全な空洞」という万人備え付けの「因子」のゆえにあるのであり、ACが思いこむ「私が悪いからこうなった」というのは不幸な幻想にすぎないのだ。

 この「空洞」を「原罪」と言い換えるのはよろしくない。神が定めたもうたことに「罪」があるわけがないからだ。

 何がいいたいのかといえば、私もあなたも、彼らも、ACやアディクションの状態に苦しむ人たちは、「同じ条件下に生まれ育てばだれもがそうなる」という道に生まれたのだ。もちろん、個々人の個性や才能などによって多少は変わるかもしれないが、その個性や才能でさえも「同じ条件」として与えられているものならば、こと病的な症状については「だれもがそうなりうる」ものなのだ。

 生まれ持った霊的な空洞が満たされていない、という点で、健康な人とそうでない人、あるいは機能不全でない人と、機能不全である人との間に、それほど大きな差があるわけではないのだろう。

 そして、その空洞が大きいか小さいかだけが、「差」であるならば、空洞の大小を問わず、それが霊性に満たされる経験をしたもののみが、そこから解放されるということになるのだろう。
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by ecdysis | 2012-10-09 02:32 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)