私もほかの人も世界も変わりゆくが

 自分が自他や周囲の「変化」について、無意識の前提というか偏見に気づいたので、意識化するために書いておく。

 どうも私は、すべてが「変わりゆく」ということは、おおむね受け入れてはいるものの、「自分が思った通りに変わっていくか、そうあってほしい」という気持ちを、無意識のうちにいつも持っているようだ。

 自分も人もまわりも、変化していくのを、どこかで「こういうふうに変わっていけば望ましい」と思いこんでいる。事実は、そうはならないことの方がはるかに多い、自分自身のコントロールできる対象ではありえない。

 その願いや思いこみは、客観的に見て適切ではない。どんな変化の仕方が望ましいかなど、私に決める権利も能力も洞察力もないのだ。

 根拠のない先入見にすぎない。
 自他も世界も、変わらないままなのか、変わるのか。変わるとすれば、どう変わるか、いつ変わるか、どんなペースで変わるのか、それはだれにもわからない。

 ただ、私は、幼いものが成熟に向かい、無知が有知に、初心者がベテランに変わっていくことを信じよう。
 汚れたものは清められ、眠れるものは覚まされ、迷えるものは道を見出すことを信じよう。

 それらが、いつどのように、どんな経過で起こるかはわからない。
 ただ、それらが、私の自我の思いこみや願望や期待の範囲を無視した、コントロール不能のレベルにおいてではあっても「かならず実現し実を結ぶ」と信じよう。

 自分の思った通りにならないからといって、責め裁くのでは、親世代がやっていたことと同じだからだ。
 自分や他人の「人の意志」ではなく、人間を超えた存在と、この世を超えた世界の「意志」が成りますようにと祈るしかない。
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by ecdysis | 2012-10-17 03:39 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)