孤独感から自分を守るためにとってきた行動
2012年 10月 20日
いちばん感じたくないのは、孤独感だ。
この瞬間瞬間、自分がひとりであること。肉声の対話の相手がいないこと。姿形や体温を身近に感じさせる相手がいないこと。五感でコミュニケートできる相手がそばにいないこと。
その根源が、母親やほかの大人たちとの、幼児期の機能不全家庭からの悪影響であることはわかっている。
たとえば機能不全の家庭では、暮れや正月のもっとも「家族が集まる」時期が、いちばん問題が起きるので、ACは私もそうだが、クリスマスから年始にかけていい思い出がない。それどころか、ほかの健康な家庭の家族たちとまったくちがう混乱と悲劇の記憶がぶりかえし、ほかと比較して感じる劣等感とで、いたたまれない気持ちになる。
それもこれも孤独感を覚えてしまうからだ。
その深く痛ましい自己の孤独感の歴史のはじまりから、私は無意識のうちにそれを否認し回避する手段を獲得してきた。
小学校2年のときからの読書癖、中学生の日記からはじまる文章書き、高校時代からの飲酒・喫煙・マスターベーション・占いへの耽溺など、どれをとっても「孤独感からの逃避」の意味をもたないものはない。
しかし、よりつきつめて考えれば、この「孤独感」は、「母に依存したくてもできなかった」という「依存の不完全燃焼」が大きな原因だと最近気づいた。
だから、この傷ついた幼児意識が、孤独感となり、人によってアルコールや薬物やギャンブルや摂食などの嗜癖の問題にリンクしてしまうのは、もっともなことだといえる。共依存もそうだし、他者を変えたりコントロールしたりしようとすることもそうだ。
自分の孤独感と依存心の病的な暗さと悲しさといたたまれなさを感じないためだったら、手当たり次第にいろんなものにしがみついてきたのだ。その結果として、高慢な心で自分を防護しようとしたとて、責められようはずもない。
だが、高慢な心は、結果的にみずからを滅ぼす。ACの家族や親戚で、早死にしたり自殺したり、家庭が離散したり、心の病で入院したり、ホームレスや行方不明者になったりする人が、ひとりもいないという家系は、おそらくないはずだ。
私の家系にも、3親等内で早死、自殺、入院、ホームレスに該当する人たちがいる。
これらを見て、自分を見て、どうなっているのかを認識することは非常に大事だ。
彼らと同じ道をたどらないためには、どうすればいいのか。それをしっかり把握して対策を立てなければ、家系の力動に巻き込まれて同類になる危険性がいつもある。
自分を「見る」こと。否認の欲望に負けずに、いろんな人の助けを借りたり、協力してもらったり、神様に祈りながら、自分のありようを認識しつづけること。「見る」ことを恐れていては回復はない。
ただし、「見る」ことによってトラウマがフラッシュバックして、情緒に障害がおこったり、医師や専門家から「見る」ことを止められているような人たちは、この限りではもちろんない。
自分を見ることができる人たちは、見て感じて自分の過去・現在の事実を認識することで回復してゆける。
それの継続が、やがては私自身を孤独感の寒冷から救ってくれることを信じる。
この瞬間瞬間、自分がひとりであること。肉声の対話の相手がいないこと。姿形や体温を身近に感じさせる相手がいないこと。五感でコミュニケートできる相手がそばにいないこと。
その根源が、母親やほかの大人たちとの、幼児期の機能不全家庭からの悪影響であることはわかっている。
たとえば機能不全の家庭では、暮れや正月のもっとも「家族が集まる」時期が、いちばん問題が起きるので、ACは私もそうだが、クリスマスから年始にかけていい思い出がない。それどころか、ほかの健康な家庭の家族たちとまったくちがう混乱と悲劇の記憶がぶりかえし、ほかと比較して感じる劣等感とで、いたたまれない気持ちになる。
それもこれも孤独感を覚えてしまうからだ。
その深く痛ましい自己の孤独感の歴史のはじまりから、私は無意識のうちにそれを否認し回避する手段を獲得してきた。
小学校2年のときからの読書癖、中学生の日記からはじまる文章書き、高校時代からの飲酒・喫煙・マスターベーション・占いへの耽溺など、どれをとっても「孤独感からの逃避」の意味をもたないものはない。
しかし、よりつきつめて考えれば、この「孤独感」は、「母に依存したくてもできなかった」という「依存の不完全燃焼」が大きな原因だと最近気づいた。
だから、この傷ついた幼児意識が、孤独感となり、人によってアルコールや薬物やギャンブルや摂食などの嗜癖の問題にリンクしてしまうのは、もっともなことだといえる。共依存もそうだし、他者を変えたりコントロールしたりしようとすることもそうだ。
自分の孤独感と依存心の病的な暗さと悲しさといたたまれなさを感じないためだったら、手当たり次第にいろんなものにしがみついてきたのだ。その結果として、高慢な心で自分を防護しようとしたとて、責められようはずもない。
だが、高慢な心は、結果的にみずからを滅ぼす。ACの家族や親戚で、早死にしたり自殺したり、家庭が離散したり、心の病で入院したり、ホームレスや行方不明者になったりする人が、ひとりもいないという家系は、おそらくないはずだ。
私の家系にも、3親等内で早死、自殺、入院、ホームレスに該当する人たちがいる。
これらを見て、自分を見て、どうなっているのかを認識することは非常に大事だ。
彼らと同じ道をたどらないためには、どうすればいいのか。それをしっかり把握して対策を立てなければ、家系の力動に巻き込まれて同類になる危険性がいつもある。
自分を「見る」こと。否認の欲望に負けずに、いろんな人の助けを借りたり、協力してもらったり、神様に祈りながら、自分のありようを認識しつづけること。「見る」ことを恐れていては回復はない。
ただし、「見る」ことによってトラウマがフラッシュバックして、情緒に障害がおこったり、医師や専門家から「見る」ことを止められているような人たちは、この限りではもちろんない。
自分を見ることができる人たちは、見て感じて自分の過去・現在の事実を認識することで回復してゆける。
それの継続が、やがては私自身を孤独感の寒冷から救ってくれることを信じる。
by ecdysis
| 2012-10-20 02:55
| アダルトチルドレン・依存症
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