気づくことと行動すること

 自分のことについて、気づいてすぐに行動できることと、気づきはしたがそれを行動に移せるようになるまで時間のかかることとがあると、いまさらながら思う。

 絶望や悲嘆や惨めさを自覚しても、それがすぐに行動に表れるときと、そうでないときがある。
「この願望はもうだめだ」と思っても、願うことをやめられなかったり、未練がましくこだわり続けるならば、それは行動化したことにならない。あきらめがよくないというか、悪あがきというか、依存症に関係する性癖は、そう簡単には修正の行動に移せるものではない。

「もうやめよう」と思っても「やめられない」のが、病的なゆえんだ。
「欲することをやめよう」と思っても「まだ欲している」のが嗜癖の嗜癖たるゆえんだ。
「手放す」「捨てる」「切り替える」という「行動化」ができないゆえに、ずっと苦しみ続けることの、なんと多いことか。

「欲することをやめる」という、静かで決定的な意志が生まれるまで、その苦しみは去らない。
「欲しても自分のためにならないことだ」とわかるまで時間がかかるし、いさぎよく手放すまでは、もっと時間がかかる。

そして、手放してから、その代わりに別のよりよいものをつかめるということに気づくまで、寒く孤独な時間に耐えねばならないことも多い。

「手放せば、替わりに何かつかめる」と信じること。
それが「希望」だと思う。
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by ecdysis | 2012-11-11 01:19 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)