2012年 12月 24日
クルスマスの何が嫌いなのかわかった
私のクリスマスの孤独と寂しさは、いつも街中やTVから流れる何種類かの「クリスマスソング」を聞いた時に強く表れるということが。
「聖しこの夜」からはじまる、この時期限定の曲や歌を聞くと、むしょうにさびしくなって疎外感を覚える。
もし、これが年がら年じゅう不定期で流れていたなら、こうも過敏に反応しないのだろうが、いかんせん、この時期のクリスマスソングの連続は「みんな幸せ、自分だけ不幸」という自己憐憫を刺激するのでつらくなるのだ。
クリスマスや正月のめでたさをぶちこわしにする酔った父母や家族のケンカの日々を無意識に思い起こす。つまり、1年でわが家の不幸がもっともきわだったのがこの時期で、TVや町の商店などで流れるクリスマスソングは、文字どおり「不幸のBGM」だったのである。
年末の売り出しでにぎわい、商店も買い物客も活気にあふれ、おそらく彼らがその買い物から帰った先には、ケンカや酒乱や口論とは無縁な平穏な家庭があるのだろうと想像させられる。それがつらい。
私には、ケンカ口論暴力行為とは一切無縁な年末年始が必要だ。
ひとりでさびしくとも、二人でケンカするよりははるかにマシだ。
たとえ、私にいま恋人や妻がいたとしても、クリスマスや正月に、言い争いやケンカや家出をするようなことがあったらと考えると、想像しただけで絶望し地獄に落ちたような気になる。
どうか、みなが平安で穏やかな年末年始を迎えますように。
「いと高き天には栄光、神にあれ 地には平和、御心にかなう人にあれ」
(ルカによる福音書 第2章18節)