否定し抹消するのではなく、変えるのだということ

 自分を変えるとはよくいうものの、私はその「変化」を、「欠点やよくないところを消さないと変えられない」と思ってきた。

 しかし、ふと気付いたのは、「過去の自分という人格や自分の一部である欠点を消す」という行為は、肉体の患部を切除するというような作業とちがい、できないし、やったとしたら大きな副作用があるのではないかということだ。

 それらは、消せないし、やみくもに消そうとしてはならないものだ。

 できることは、まさに文字通り「変えること」。欠点を欠点でない性質に変えること。「消える」というのは「変化の結果として以前の状態が現れなくなった」ということであって、「消してから変える」というものではなかったのだ。

 私たちの心は、たとえそれがどんな欠点や罪悪の源であったとしても、物のように、消したり、取り除いたり、無視したり、捨てたりはできないものなのだ。精神に対するそれらの否定の言葉は、あくまで「たとえ」であり「変化の結果」を意味するもので、変化の原因や過程にそういうことが行われるということではない。

 私たちの心についてできることは「変わること」だけだ。否定も抹消もしなくてよい。
 目に見えない大きな力とその意志に向かって「変わりたいので変えてください」と願えば、その真剣さの度合いに応じて、かならず変化がもたらされると私は信じている。
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by ecdysis | 2013-02-25 15:08 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)