この世に生まれ、生きるのは、なんのためか

 昨夜、寝床にもぐりこんで少しして、私の心に降りてきたことどもを記したい。

 それは、「人間は、苦しみや不如意の多い、この不完全な世界になぜ生まれてくるのか」という問いへの答えになっていた。霊的・精神的な意味において、人がこの世に生まれる理由が、次のようにふつふつと思い浮かんだ。

「この世は、

愚者が賢者になるための場所。
(無知で愚かな者が経験ある賢い者となるための場所)

無道な者が有徳な者になるための場所。

幼い者が大人になるための場所。

初心者がベテランになるための場所。

卑しい者が尊い者になるための場所。

劣った者が優れた者になるための場所。

弱い者が強い者になるための場所。

欠けた者が満たされた者となるための場所。

知らない者が知る者になるための場所。

悪者が善人になるための場所。

暗い者が明るい者になるための場所。

闇が光に変わるための場所。

有害な者が有益な者になるための場所」

そして、大事なのは、上記はあくまでも、自分が「なる」「変わる」という表現だということ。

決して「変える」「ならせる」という表現ではなく、それぞれの人間の自発性においてのみ「変わる」「なる」という言い方だ。

それぞれの人間が、「なる」「変わる」ために、この世の生を享けているのだという感覚だった。

だから、人を変えようとしたり、自分が思った通りになるように意図することは本筋ではないことになる。

それぞれが、それぞれの自己責任のうちに、よりよい方へ「変わり」「なる」ことが期待されているのだと思えてならなかった。
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by ecdysis | 2013-03-10 23:25 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)