早すぎた犠牲

私は、幼いころから家庭の中で何を見てきたのか、何を感じてきたのか。

ふつうの人たちが一生の間、自分の家庭では直接に体験しないであろう暴力と虐待を。
ふつうの人たちが、成人してから初めて体験してやっと耐えられるような惨劇を、ものごころついた頃に。
ふつうの人たちが、およそ想像もできないような荒廃を、二桁の年齢に達する前に。

自分をあわれむことはしないが、ただもしそれが他の子供だったら、なんとかしてあげたいと思う。
わがうちに堆積し根を張る悲しみと憂いと切ない願いは消えない。
骨が折れて穴のあいたビニール傘をかぶって、つぶらな瞳で、空を見上げるその子は、焼け穴のあいたセ-ターを着て、体じゅうが傷だらけだ。

私は、今宵もその子の悲しみとともにいる。いつか、なにか、すばらしいものが天からやってくると、信じて見上げているその子の隣で。

失われた子供時代の光と心と思春期の輝きと自由な試行錯誤と、それらはいずれも早すぎる犠牲であった。
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Commented by 文太 at 2013-07-06 08:34 x
やられた分、自分自身の人生が幸せになるのが一番の復讐だと思います。
Commented by 心炎 at 2013-07-06 20:26 x
文太さん、いつもコメントありがとうございます。過去の体験を消化して、よりよい幸福につなげてゆくのが復讐というのは、その通りですね。
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by ecdysis | 2013-07-06 01:42 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(2)