過去をなつかしむことができない

 よく「あの頃はよかった」という人たちがいる。
 私は、そういうことを思ったことがない。

 ただ、きのう、ここ数年、ACの友人たちと散歩してきたときのことを思い出し、「ああ、あのときは楽しかったなあ」と、しみじみと思い出された。
 そう、「あのときは楽しかった」と点や瞬間で振り返ることはできても、「あの頃は」というような一定期間の全体を評価しなおすというのが、私はほとんどできない。
 私の人間関係には、家族からはじまって、変転きわまりないことが多かったし、はじめは楽しくても後で裏切られたり、予期せぬ齟齬が生じたりして、ハッピーエンドな結末がなかった。ふりかえれば嘆きや後悔や苦い記憶の方がまさり、素直に喜べず、思い返しても複雑な気持ちにさせられることがほとんどだった。

 おそらく、私はどこかで「完全な自分の幸福」を求めるとともに、「完全な人間関係」という幻想を持ち続けてきたのだろう。文字通り「絵にかいたような幸福」がどこかにあるという幻想を信じ込んできてしまったのだ。

 現実を受け入れるということは、不完全でそれなりでしかない自分や他人や、自分の人間関係を受け入れ許していくということなのだろう。失敗や後悔や過ちはいろいろあるが、それぞれの場合、自分なりに必死で真剣であったし、自分に嘘をついてはこなかったということはいえる。

 考えてみれば、そういう風に、自分に嘘をついてこなかったということは、嘘をつかずにすむ環境を与えられてきたということだ。自分で選択してきたように思えても、選択の余地が与えられたという事実がなければ、嘘をつくにも正直であるにも、選びようがない。

 まず与えられているという環境事実があって、自分の選択は、その次だ。
 だから、私がなつかしんで楽しく思い返すことができない時代ばかりだったということは、そういう自分や人間関係を選んできたということになる。
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Commented by riko at 2013-09-21 16:20 x
こんにちは。心炎さん、またまたご無沙汰でした。
あまりにも間が開きすぎて、何から書けば良いのやら迷います。

やっぱり今一番強く感じるのは、ACにつきまとわれているぞ我が人生、です。
過去の自分が選択したことの後始末に追われている、と言ったら語弊があるかな。貧困な言語しか持ち合わせませんが、言いたいことはお察しいただけるでしょう。(笑)

今の私の価値観で、進路も友人も恋人も選べていたなら・・・・・と、まあここだけの話だということで、書くのをお許しください。


姉と母の関係は、他者との問題や母の老い(惚け進行)等で、少しずつ変わりつつあります。今後どうなっていくかは分かりませんが、また報告します。
Commented by 心炎 at 2013-09-22 12:46 x
こんにちは。rikoさん。いろいろと格闘が続いているみたいですが、過去の自分と今の自分の価値観がちがうということは、それだけ成長されたということだと思います。その成長がすごく大切なことで、現実的に満足のいく結果がともなわなくとも、ご自分が成長したという事実の方が宝物だと思います。ゆるやかにいい方向に変化し続けることを心よりお祈りします。

また何か書きたくなったら、またいつでもどうぞ書き込んでくdさいね。
Commented by riko at 2013-09-29 16:00 x
心炎さん、ありがとうございます。
まさにいろいろなことと格闘中のわたしです。
成長は宝物。心炎さんのことばを心の中で繰り返しています。

心炎さんもご病気をされたのですね。
私はまさに今現在、帯状疱疹で苦しんでます。
痛がゆいとは良く言ったモノです。(泣)
健康の大切さを思い知らされました。
少し図々しくならなきゃと反省しています。(笑)
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by ecdysis | 2013-08-28 12:40 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(3)