得ることによって失ったもの、失うことによって得たもの

 私が十代後半に求めたものは「栄光」の道。
 それが成らないのなら「団欒」の道がほしいと思った。
 どちらかが成就すればいいと願った。

 栄光ある社会的成功者になれなければ、つつましい家庭を築いて家族愛の団欒を得たいと欲した。
 どちらかをなんとしてもかなえたかった。どちらもかなえられないなどとは信じられなかった。
 右や左か、白か黒かしか、考えられなかったし、それ以外の選択肢もまったく想定できなかったし、したくもなかった。
 自分の人生で、両方とも手に入らないなどということは許せなかった。

 栄光とは、すなわちそこから得られる利得であり、団欒とは、すなわち私的な快楽と安心である。
 つづめていえば、「世俗的な利益と快楽」のどれかを確実に手に入れたかったのだ。
 しかし、それらがかなわないことに落胆し、生きる意味さえ失いうつ病にまでなったが、いまそれらの失意を省みる。

 私は見えなかったのだ。世俗的な栄光や団欒を得た人々が、それとひきかえに失っているものを。
 世俗的な成功を相応の努力によって獲得し栄誉を得た人々が、それとひきかえに失っているものを。
 世俗的な利益を得るかわりに失うもの、家庭の団欒をつくる努力と成果とひきかえに損じるものを。

 栄光のスポットライトを浴びているものは、スポットライトの当たっていない場所の暗さを忘れる。
 家庭の団欒の温かさを得たものは、孤独の寒気に震える者たちがいることを忘れる。

 私の魂はきっと、スポットライトの当たらない場所におもむき、孤独の寒さに震える人たちの間にいることを選んだのだろう。
 ゆえに、私の人生には「栄光」も「団欒」もない。
 私はたぶん、栄光なき世界、団欒なき世界に生き、同じような人たちの間で、「栄光」よりも「団欒」よりも大事なことを獲得するために生まれてきたのだろう。

「栄光」よりも「団欒」よりも大事なもの。それが何であるかは、まだ言葉にすることができない。
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Commented at 2015-01-25 00:49
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 心炎 at 2015-02-04 00:12 x
非公開コメントの方へ。コメントありがとうございます。ご返事遅れてすみません。ACにならざるをえない辛い境遇であること、自分のことのように感じさせていただきました。苦しいでしょうけれど、決して自分はひとりではないと信じて、わずかでも希望を絶やさずに生きていってくださいね。また、いつでもコメントしてくださいね。
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by ecdysis | 2014-11-26 01:25 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(2)