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繰り返し体験して忘れてまた学びなおすことの繰り返し

 性格上の欠点があらわで非常識だったり短慮にすぎる人間を見ると、つい立腹して、ひとこといいたくなり、やりこめたくなる。
 理不尽だった祖父や祖母や父の姿を、そこに投影することを無意識に行うからだろう。
 相手を変えることはできないのに、多忙だったり疲労が強かったりすると、つい忍耐が切れて変えてやりたくなる。
「おまえなあ、そんな態度でいいとおもってんのか? たいがいにしろよ」と言いたいのを、ぐっとこらえることも多い。
 私自身が短気なので、短気な相手に反応することが多い。

 短気で短慮な人間と口論になりかけ、なんとかその場はおさめるものの、きわめて不愉快な心理状態が、そのあと半日以上も続く。
 とらわれる。怒りがおさまらず、うちまかしてやりたい衝動をこらえるのに苦労する。
 そして、落ち着くのは、相手を変えられるのは神だけであって、人間である自分のわざではありえないという、いつもの結論だ。
 人の救済は、人の為しうるわざではなく、神のみわざであることを、私は何度も繰り返し忘れては思い知らされ、おのれの慢心を繰り返し砕かれるのだろう。
 救いを求めない者を、神でさえ救うことはできない。まして、人間である私など。
 相手が人間であれ、霊魂であれ、自分は救われたいと願わない者を、どれだけ助けようとしても供養しようとしても、差し伸べる手を払いのけられるだけだ。

 どうも、この世は、「自分なりに最善の信仰を得る」ことがひとつの目標であるらしい。
 しかし、その道はきわめてけわしく困難で苦痛に満ちている。
 もっとも困難なのは、最善であるという判断が自分で下しにくく、なおかつそれを体験によって会得したとしても、今度はそれを他者に伝えるすべがないということだ。
 苦労のあげくもっとも良い方法を獲得できたとしても、結局、自分と同じ苦労をした人が相手でなければ、理解させることことも伝達することも信じさせることもできないのだ。
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by ecdysis | 2014-12-18 06:02 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)