共感と救済と愛情と

 ACは、よく自分から見て「かわいそうだと思える相手を愛する」という傾向があるといわれる。
それはひとことでいえば「共依存」なのだが、それがいちがいにいけないとは思わない。

 けれども、そういう恋愛は、えてして男女とも心に大きな傷をもったりアディクションの病をもっていたりするので、終わりをまっとうできず中途で挫折することも往々にしてある。それらは、非常に痛ましい結末を迎えることもある。たとえ別れたにしても、それぞれがサバイバルを続け、少しずつでも成長し続けていければいいのだと思う。

 私は、かつて、母の、祖母の、弟の、そしてかつて愛した女性たちへの憐れみと共感に涙し、なんとかしてあげたいと思い、ACでもあり人格障害者でもあり精神疾患の持ち主でもあり依存症でもあるその人たちを救いたかった。
 
 しかし、共感し、その人たちの苦しみや悲しみをわがことのように感じられたときがあっても、救うことはできなかった。

 共感の力に期待したほどには、救えなかった。自分が共感することと救う力があるということは別だ。私は、その人たちの「病」に対して敗北したのであり、無力を味わわざるをえなかった。私は、救いたいと願った人たちの「病」に負けた。負け続けた。そのたびに泣き嘆き苦しみ眠れぬときを過ごした。

 だが、それが「救い」という名前をかぶせた「相手を変えたいという欲」ではなかったかと思い至るとき、涙は止まる。
 なぜ、私はACなのか、なぜアルコール依存症なのか。それは、そこに見えざる神の手が働いているからだとしか思えない。ほかの人の痛ましい心の病もAC体験も、そこに神のご意志が働かれていると感じないわけにはいかない。

 私は自分の共感能力を過大に評価し、神のご意志をおもんぱからなかったのではないか。
 おのれの共感を、神のご意志の上に置いてはいなかっただろうか。
 
 だから、私は何度も繰り返し祈るしかない。

「神様、どうか私とあの人の間に、神様のご意志が成りますように。私たちのかかわりのありように、私たちの意志ではなく、神よ、あなたのご意志が成りますように。あなたのなさることは、常に正しくまちがいがありません。人間の目には不如意に見えても、あなたがお許しになられたことは、すべて正しいのです」と。



 
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Commented by 40 at 2015-04-15 18:25 x
初めてブログ拝読させて頂きました。
自分も自分の力を過大評価し、共感することで「救える」と考えていた時期がありました。
しかしながら、今になって振り返ってみると、管理者様の「救いに名をかぶせた相手を変えたいという欲」という言葉に自分の行為を置き換えた時、それが己の驕り以外のなにものでもなかった、と改めて痛感する次第です。
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by ecdysis | 2015-02-21 00:58 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(1)