2015年 04月 09日
作文でウソつく小学生だった
私も、何度かそういう授業があった。そのたびに、定番の「そんなおとうさんがだいすきです」とか「おかあさんがだいすきです」という一文で、作文を終えていたのを思い出した。
まわりのみなも、そういう風に書いていると思っていたし、ふつうはそう書くものだと信じていたからだ。
けれども、私は父や母を「だいすきだ」などとはまったく感じられない子供だったので、そういう末尾の一文を書くたびに、自分にうそをついているしらじらしい感覚に襲われた。
「ほんとは大好きなんかじゃないよ。大好きなんて思ったことないよ。この作文はうそだよ」
と心の中でつぶやいていた。
家族を好意的に書く描写は、ほとんどうそだった。担任の教諭に悪く思われないために、そういう風に書いていただけだ。変な子供、ダメな子供と担任に思われないために、脚色がほどこされた作文だった。
たぶん、子供のころに本気で真剣に「親が大好きだ」と作文に書くことのできた人は、健全なのだろう。
私は、そうではなかった。
親のことや家庭のことで、作文にうそを書かねばならない子供は、不幸な子供だと今思う。
その子は、そうして少しずつ自分で自分にうそをつき続け、やがて自分の本音が見えない、自分の本心が見失われたアダルトチャイルドになってしまうのだ。

生き方は人それぞれです。

その通りですね。親子でも別々の人生ですから。
私は親のことを「嫌い」とは断言できないんですが、「好き」では決してないんです。とくに父親には「迷惑な人間」と思っていますが嫌悪はしていません。でも、遠ざけて距離を置いているという結果からすれば嫌っているということになるのかな。というか、「好き嫌い」の領域ではなく「恐怖」「不安」「強迫観念」とか病的心理の実害の及ぶレベルなのです。好き嫌いの印象なら実害はありませんが、そうではなかったから、大変でしたよ。

作文でウソをついていたのは私だけじゃないと、心炎さんのエントリーのお陰でほっとしました。
就職してから、会社のホームページの自己紹介に尊敬する人は?という欄があり、ほかの人は皆揃って「両親」と記入していて驚いたことがありました。私の両親はとても尊敬できるような人たちではないので、私はゆううつな気分で「マザーテレサ」と記入しました。
実は家族関係に問題を抱えている人って意外と多いんじゃないかなあ。そんな中で自分の家族について当たり障りなく書けるひとがうらやましい。