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ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com


by 心炎

封じられた叫びの子2(小学校3年生編1)

 私が親から激しい虐待を受けたのは、小学校一年のときだけでなく、小学校3年のときにもあった。そのときの体験については、幾度かすでにブログ上に投稿しているが、それについて再度ふりかえろう。

 すでに書いた精神科医の虐待についての診断「去勢のストーリーが成立する」はもちろん、その後の私に生じた異変である「性的自慰行為の発現」「抜毛症」にもつながってくることに気づいたので、その経過を記しておくことにする。

 虐待そのものは、小学校3年生の夏に起こった。今から50年近く前だ。当時、私は学校の成績がずいぶんとよくなっていたが、通信簿を見せても親はほめてもくれず、ミニカーが大流行していて、学校に同級生たちが持ってきて遊んでいるのが、ものすごく羨ましかった。しかし、両親はこづかいをちょっとしかくれないのはわかっていたし、毎日10円かそこらのこづかいがやっとなのに、一台150円とか200円のミニカーを買ってくれといっても応じてくれないのはわかりきっていた。

 とにかく泣きたいほどにミニカーが欲しかった。なにがなんでも欲しかった。その欲望の強さをはっきり覚えている。
 そんなある日、当時、東京暮らしから戻って実家に寄宿していた父方の叔父の財布が、まだ田舎では珍しかった彼のベッドの上に置き忘れてあった。それを広げてみると、お札がいっぱいつまっていた。五百円札でも目の玉が飛び出る金額だったのに、千円札と一万円札がつまった財布をみて、私は「このお金があればミニカーが買える」と思ってしまった。衝動的に、四千円をぬきとった。しかし、「もっとあればもっと欲しいものが手に入る」という欲望が膨らんで、私は叔父の財布の中にあった一万円札をも抜き取った。一万円という金額はどれぐらいの価値があるのか、まったくわからなかったし、実感がなかったが、とにかく手に入れてしまえと思ったのだ。

 そして、その金で私はおもちゃ屋でミニカーを買い好きなプラモデルを買い、ブラックチョコレートやスナック菓子を買った。盗んだ金を使っていた期間は一週間ぐらいだったと記憶する。
 よくあるパターンで、近所の友人にもおもちゃやプラモデルをおごり、結局はそこから足がついた。友人の祖父が、「こんなにおもちゃを買ってもらういわれはない」と返しに来たのだ。
 当時、私には盗み癖が出たらしく、そんなに大金を盗んだのに、それとは別に親が親戚用に用意したご祝儀袋からも500円を抜き取った。そのことがばれたのも重なり、親は大慌てしたのかもしれない。

 盗みがばれてからの、父と母からの虐待のものすごさはすでに書いたのでくどくは繰り返さないが、とにかく殴る蹴るはもちろん、全身の数十カ所にたばこの火を押しつけられて火膨れだらけになり、新聞紙の束を燃え上がらせてその上で火あぶりにされたりした。
 とどめは母親から「おまえのようなものは息子でもなんでもない、どこへでもいってしまえ」と絶叫されて、手足の肉が打撲で裂けてはぜ、鉈の刃で腕の皮膚を切られて血まみれになったまま、泣きながら家から逃げた。もちろん、後から母親が追いかけてきて連れ戻してくれたし、翌日には外科に連れていかれて手足の傷の治療をしてもらったが、心についた傷は、その後の人生を左右した後遺症をともない、とてつもなく深いものだった。

 実は、そんな親の暴力を受ける前に、叔父から盗んだ金を使いはじめてから、すでに私は罰を受けていた。良心の咎めや罪悪感という罰だ。好きなものが買えても、友人に大盤振る舞いしても、心から楽しいと思えることはまったくなかった。自分は悪いことをしているという嫌な自覚と、世界がどんよりと曇っているような感覚が気持ち悪かった。晴れ晴れとした気持ちがまったく失われ、どこにいても自責の念と、いつばれるかという恐怖でおどおどし暗い気持ちで過ごしていたのだ。

 盗みは悪いことで繰り返してはならないことだったが、両親の暴力はあきらかに不当で、特に父親の方は完全に行き過ぎたものだった。父親に対する親密さや親愛の情は、あの日をもって終わり、私は情緒的に父親を失った。それは母親に対しても同じで、少なくとも甘えていい対象ではまったくなくなった。両親は私にとって人間の皮をかぶった裁きの鬼の本性を持つ生き物として認識された。根底的な人間不信がそこで強く刻まれて、人情や愛情や寛容さや慈しみを信じない心が育った。 

 虐待を受けて数日後、私は今でもはっきり覚えているが、それまでになかった凶暴な衝動に駆られた。家の前の畑に、背の高い雑草が生い茂っており、そのただ中に分け入って、竹の棒を振り回して手当たり次第に雑草をたたき折り、薙ぎ倒した。こんことをしては草が痛いだろう、かわいそうだろうという気持ちもあったが、わき出る凶暴な衝動を抑えられなかった。

 さらに一、二週間のうちに、私は今度は自分でも訳がわからない奇行に及んだ。安全カミソリで叔父のベッドや家の座布団や枕の表面を十センチくらいずつ切り裂いていったのだ。ずたずたにするのではなく、ひとつの物にひとつだけというように、ちょっとずつ切り傷をつけていった。母親が、あちこちにできた裂け目をみて不思議がっていたのを思い出す。

 それから数ヶ月後、自分の部屋で一人遊びをしている最中に異変が起こった。学校の教材や本などを使って床の上に町をつくり、自分が怪獣になってそれを壊すという破壊の遊びの直後だった。
 そのときに、まだ小学校3年だったのに、突然に性衝動が起こった。当時、クラスメートに好きな女の子がいて、授業中、偶然にその子のスカートの中が見えたことがあり、それを思い出して欲望が起こった。
 そして、その場で下半身をうつぶせにこすりつけるようにして、生まれて初めての自慰行為をした。

 それから、思春期になるまで半年に一度くらいのペースでそんなことをしていた記憶がある。もちろん、精通以前なので射精はなく快感だけだったが、いま思えばすでに好きなものや酔わせるものへのコントロールができない病的依存がはじまっていたのだとわかる。
(小学校一年生時に続き、この虐待後に、再び性的行動が起こった事実には、非常に重要な男性性にまつわる気づきがあったので、次投稿で取り上げる)

 以上のような虐待直後からまもなくの現象以外にも、それから二年後、小学校五年の春先ぐらいに、アルコール依存の祖父と同級生の友人といっしょに郷里の北上川の河川敷に行った時に体験したことが記憶に残っている。

 そのころは、今とちがって消防法が厳しくなく、河川敷に火を放って葦の原を焼くことが許可なく可能だった。
 それで祖父が自分の畑の前の河川敷の枯れた葦原を焼こうと火をつけたのだが、私はめらめらと燃え上がるその炎に、なぜか大変なことになってしまうと深刻な恐慌を覚え、同級生にも手伝わせて、燃え上がろうとする炎を必死で踏み消した。
 祖父は笑っていたが、私は自分でも驚くほどのパニッック状態に陥ってしまった。
 そのとき、必死で燃える葦を踏み消す自分の姿と、足の下の白い枯れ葦の葉と黒い灰に、私は名状しがたい既視感を覚えた。この火と恐慌には見覚えがあると感じていた。

 あとで、それは小学校三年の虐待時に、父親に火あぶりにされたときに、燃え上がる新聞紙を足で必死に踏み消した体験の再現であると気づいた。

 つまり、二年経っても父親に火あぶりにされた悲惨な体験が、生々しい記憶として留まっていたのだ。それが、祖父のつけた河川敷の葦原の炎で無意識のうちに思い出されて恐慌というフラッシュバックを起こしたのだ。

 そのフラッシュバックが起こったのと、ほぼ同時期に私は自宅で、大切にしてくれた教諭から読書感想文の課題を受けて苦しみ、その読書中に眉毛を抜いて顔をのっぺらぼうにしたことに気付き、鏡の前で恐ろしい思いをした。初めての抜毛症(トリコチロマニア)の発症だった。それから中学、高校にかけて、受験や家庭内のいざこざのストレスで抜毛症はさらに激しくなっていった。

 こうした虐待という親の暴力に踏みにじられた心理外傷のフラッシュバックが、高校二年のとき最大最悪のフラッシュバックで病的状態になる前に、もう一度あった。中学二年の終わりのことだ。
 当時、まったく自信も覚悟もないまま生徒会長になってしまった私は、仙台で全県の生徒会の生徒たちを集めた宿泊研修オリエンテーションに参加させられた。

 そのプログラムで、研修中に組まされたグループごとに寸劇をやることになった。そこで私は乞食の役を振られた。衣装や姿づくりは、即席にやればよかったが、私は模造紙や新聞紙やダンボールを使い、リーダー役のボランティアの大学生に「そこまでやらなくていい」といわれるほどボロボロの格好をした。

 自分が惨めで落ちぶれきった乞食の格好をしているのを自覚したとき、不思議な感情に支配された。自分の内側から、理由のわからない安堵と悲しみと痛みのまじった感情がわき起こり、涙が出そうになった。乞食役のボロボロで傷だらけの見捨てられた姿は、内奥の虐待された子供の姿そのものだと感じたからだ。

 私は、だれかに自分がどんなにひどい虐待を受けて、どれほど無惨に傷ついたかを伝えたかったのだ。こんなに自分は傷ついて苦しんでいる人間なのだと表現し訴えたかった。その叫びを、乞食役を演じることで、はからずも一部なりとも表現できた。それによって、予期しない機会ながらも自分の本当の姿を表し、伝え得た安堵と悲しみと不思議な涙ぐましい喜びの情動に打たれたのだ。



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by ecdysis | 2016-09-10 00:44 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)