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ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com


by 心炎

封じられた叫びの子3(小学校3年生編2)~虐待によって男性性が傷つけられた結果~

 小学校一年時の母からの虐待直後と同様、性的な妄想と行動が、小学校三年生時も発生した。やはり、ここにも「去勢のストーリーが成立する」現象が起こったとわかる。

 こうして見ていくと、虐待後に性的な行動が起こったということは、傷つけられ去勢された男性性を、取り戻そうとする補償行為を無意識的にとったのだと思う。

 平たくいえば、虐待で打ちのめされて生じた男性としての深刻な無力感をなんとかしたかった。男としての有力感を得るために、不自然なほど性的な妄想や自慰行為を行ったということになる。

 二度の親の暴力により、自分が男であることに無力感や絶望感や敗北感をもつようになったことを、今になってはっきり自覚する。

 初めての性的自慰行為の引き金になった「ひとり怪獣ごっこ」の想定自体が、自分が巨大な怪獣になって町を破壊するという、「破壊行為を通じて有力感を得る」ための遊びだった。私は幸いにして家庭内暴力をふるうことはなかったが、この「他者への破壊行為を通じた有力感の獲得」という心理は、親や配偶者や子供へのドメスティック・バイオレンスの根源にあるものだと実感されてならない。

 いずれにせよ、虐待によって傷つけられた男性性は、肉体的な性機能ではなく、心理的な能動性や対社会性な積極性などの精神機能の不全感として、これまで現れてきたとわかる。それは、健康な意味での闘争心や競争心まで忌避する「男性的行動の回避」を起こし、ふつうの少年たちが夢中になる野球やサッカーやそのほかスポーツが苦手になるという現象も引き起こしたのだろうと思う。

 このような「虐待による去勢=男性性の毀損」は、大人になったときには「生活力」すなわち「生活のために収入を得る能力」をも毀損し、夫らしくとか父親らしくという現実的な要求に対し、不安や恐怖を覚えて萎縮や逃避に走ってしまうことにもなった。

 つまり、私が結婚に希望と期待を強くもちながら、いざ実現しようとすると原因不明の恐怖に襲われてしりごみしてしまった理由の一つがここにある。

 すなわち「去勢された男性性をとりもどしたい」という有力感への渇望がまずあって、その手段として「夫や父になって男性性をとりもどす」という願望をもった。

 しかし、現実に健全な結婚のできる男は「健康な男性性を持っている」ことが前提である。結婚生活は、夫・父たる男の未熟な男性性を育てるための場ではないし、生い立ちで傷ついたそれが癒されるための場でもない。また、自分の男性性が健康になったことを証明し確認するための場でもない。

 結婚願望の真意としては健康な男性性を取り戻したいということだったが、そんな自分の願望の本質がこれまでわからなかった。ただ、なんとなく恋愛して結婚すれば自分が一人前の男であることが証明できるとしか思えなかった。

 しかし、去勢された男性性を取り戻したいというのが、願望の正体だとわかった以上、その願望を満たす手段として恋愛や結婚を想定することは、今となっては大きなあやまりであったとわかる。

 だいいち、恋愛や結婚が一人前の男性・女性であることを、必ずしも証明しないことぐらいは、私でもわかるようになった。もし、心身ともに健康な成熟した性を持つものどうしだけが結婚できているとしたら、これほど多くの離婚件数、アダルトチャイルドの誕生はなかったはずである。

 たとえ健全な結婚をした男女がいて家庭を営んでいても、彼らもまた夫や妻になっていく過程や、子育てを通じて親になっていく過程の試行錯誤で手いっぱいのはずである。その上、自分の生い立ちのトラウマがあったとしても、そこまで癒して補うことは困難だろう。

 独身の私がいうのもなんだが、自覚無自覚を問わず、ACでありながら結婚して子育てをする男女は、健全な家庭で育った男女の結婚よりも、著しく大変だろうと思う。つぎ込む労力も痛苦も試行錯誤の度合いも大きく、その上、背負わなければならないものが過重であろうと嘆息する。

 私は、結果的にこの男性性の不全感が原因で婚姻に至らなかったのだとわかったが、わかったからといってただちに男性性が健全になるというものではもちろんない。

 事実、今こうして「男性としての無力感」と書いただけで、息苦しさやめまいのような感覚が起こるのがわかる。「無力である」という事実が問題なのではなく、「無力感を覚えて何もできない男と思いこむ」のが問題なのだ。

 もともと臆病で恐れの強い子供だったのかもしれないが、そんな子がアルコール依存と人格障害と共依存で激しく荒廃した実家に育ち、親の虐待の暴力にさらされたことにより、より萎縮した怯えた子供になって男性性が表現できなくなった。そのような構図の中で病んでしまった自分の男性性を、私はどのように獲得しおおせるだろうか。

 そのための試行錯誤は、これからも続くだろう。

 それにしても、二回の虐待でもこれだけのことが私に生じた。私よりももっと激しく悲惨な虐待を繰り返し受けて生き延びた人たちは、その後の人生を、どれだけの精神的障害に苦しむことだろうか。しかも、それらは医療につながらなければ、ほとんど無自覚でただ苦しんで自他を巻き込んで悲惨さを広げることが多い。本当にその苦しみを思うだけで息づまってくる。
 虐待されて殺されてしまう子も悲惨だが、生き延びてもその後の人生を健康に生きられず、私のように、あるいはもっとひどい体験を重ね、苦しみもがき続けることになってしまう。

 同じ苦しみを持った子供として、ACとして親の虐待にさらされた人たちに、心から痛みをともなう共感を抱かずにはいられない。



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by ecdysis | 2016-09-10 00:53 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)