人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com


by 心炎

絶対的な規範を求めてきたけれど

絶対的な規範を求めてきたけれど_c0032696_02054244.jpg


私はアルコール依存と発達障害の父親とキッチンドリンカーになってしまった母親と、自己愛性人格障害の粗暴で猜疑心・嫉妬・憎悪の固まりだった祖母といつも酔って悪態暴言をわめいていた祖父たちの間に育った。母方は祖父母はじめ皆いたって正常な人々だったが、父方の祖父母の実家は、酒と男女関係に依存の問題のあった家柄だ。数代前までの家系親族の系図を各人の問題といっしょに書き出すジェノグラムをつくれば、父方には悲惨な世代連鎖の軌跡が明白にたどれるだろう。 

 私と血のつながった五親等内には、アルコール、セックス、薬物、ギャンブルの依存をもっている人たちがいるし、不倫や女癖の悪い人もあったし、三十歳台で飲酒や薬物が原因で死んだり廃人になった人もいる。またギャンブルのあげくホームレスになり行方知れずの人もいる。全員が父方の血筋である。

 そんな家庭環境の中で育った私は、家族の狂気の影響を受け続け、それを苦痛に感じ恐れながらも、当たり前のこととして日常の情景として馴らされてきた。その狂気の磁場ともいうべき環境で磁化された心を持ったまま健康な社会に適応することは不可能である。私が、16歳の時にフラッシュバックを起こして、「こんなひどい家庭環境で育った自分はろくな人生を送れない」と絶望したのも当然だ。狂った教育という異常なプログラムを施されたのだから。大人たちの病んだ精神と日常的に接触していれば、元は健康で正常な人でも、やがては病んでしまうのだ。

 私は、こうした病んだ大人たちの憤怒と憎悪、恨みと妬みの風に吹かれ、不安と不満、絶望と恐慌の空気を呼吸して育った。どうして、長じてから狂わずにいられたであろうか。私は、彼らの無知と迷妄、愛欲と我欲をもおのれのものとして成長した。そこから抜け出すには自力ではまず不可能だった。

 私の心に吹いた無秩序で理不尽な家族の病の風は、そのままでは自殺か破滅しかもたらさないはずだった。それゆえに、私自身が生き延びて回復するために強烈に秩序と正義を欲した。変わらぬ秩序と不壊の正義のありかを探した。はじめは、結婚して家庭を営むという世間の常識に、次はカルト宗教や性格改造セミナーに、やがて新約聖書のキリストの言葉と旧約聖書に、神道に、自助団体のプログラムに、今は仏教にと探索の手は休んでいない。カルト宗教と性格改造セミナー以外は、みな日常的な学びの対象として折々気づきをいただいている。それらの和洋の伝統ある教えは、いま少しずつ私の中で融合を開始しており、普遍的な中心部が見え出しているような気さえする。

 はじめは秩序と正義の依存対象だった実母はキッチンドリンカーになって、その座から滑り落ちた。私には、新しい確かな規範が必要だった。それが、世間の常識からはじまる「規範探し」の流浪の旅の開始だった。想えば、これさえ信じていれば大丈夫という絶対的に依存しうる規範を三十年以上も探してきた。しかし、それさえ信じれば人生すべてがうまくいくなどという万能の特効薬のような教えは、正統でまっとうな宗教や神の道にはありえないことが、やっとわかった。もし、これさえ信じれば万事うまくいくと喧伝する宗教があるとすれば、それは宗教の看板を掲げた詐欺だといって差し支えないと考える。

 座禅をしてみて、諸行無常をわずかでも観じられるような気がする。生まれたものは現れ、現れたものは消え去る。森羅万象、万有万物、万人生きとし生けるものすべてが、生まれては現れ、現れてはやがてこの世から消えてゆく。絶対的な規範があるとすれば、この諸行無常と生滅の法則でないかと思う。

 

名前
URL
削除用パスワード
by ecdysis | 2017-03-31 03:07 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)