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ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com


by 心炎

「自分の自分による自分のための人生」を取り戻そう

 人間には、通常、「知情意」といって知性・感情・意志がそなわっている。この三つは哲学者カントが唱えたらしいが、健康でバランスのとれた知情意によって健康な生き方が保たれることは容易に推測がつく。

 嗜癖をやめるとき、知識と分析、よくなりたいという願いと意志が必要だが、なかなかやめられないのはなぜかと悩んできた。
 嗜癖はよくないしどうなるかの知識はある、感情的にも痛みや苦しみに嫌気がさしている。やめたいという意志もある。なのになぜやめられないのかと考えたとき、やはりACは「意志」が知性と感情を結ぶものとして、うまく機能していないのではないかと感じる。
 私がかつて受診したある精神科医は、ACの人たちにこういっていた。

「みなさんは、おとなになりなさい。おとなであるということは、自分は〇〇したいというふうに、自分の欲求をきちんと表現できるということです」

 もちろん、嗜癖を続けたいとか、強迫的な行動ではなく、健康になりたいとか、自分は本当はこうなりたかったとか、本当はこうしたいとか、自分に正直に欲求表現ができるという意味だ。これが、簡潔にして要を得た「健康な意志のありよう」だと思う。

 それで、思いついたのが、かのリンカーン大統領のゲティスバーグ演説のもじりだ。リンカーンは「人民の人民による人民のための政治」といったが、ACは「自分の自分による自分のための人生」を取り戻さねばならない。「自分は〇〇をしたい」という明確な欲求をためらうことなしにはっきり他者に伝えられるためには、健康な意味での「自分」がなければ不可能だからだ。

 たとえば、私のACとしての人生は「母の自分による母のための人生」だったといえる。自分の人生が自分のものでなく、母のものであったということだ。母の願いを自分の願いとし、母の価値観を自分の価値観にすることが生き方だった。これはもちろん、振り返れば共依存そのものなのだが、母の価値観の範囲を超えたり母と違っていることを、無自覚に否認していた。もともとの自分がないということに、まったく気づかなかったのだ。

 それでも、もともとの自分の欲求や価値観を全否定しているのだから、どうしても母の生き方との違いが息苦しさや窮屈さや生きづらさとなって現れる。たとえていえば、母から「この服と靴がおまえに似合うから身につけなさい」といわれて、首まわりも足も窮屈な服と靴を、自分には最適だと信じ込んで生活するようなものだった。ゆえに、首はきつくていつも息苦しく、足もしめつけと靴擦れでいつも痛くて歩くのがつらい。

 つまり、母が私に着けるようにあてがった服も靴も、私には不似合いで窮屈だったのに、私は母を正しいと信じ込んで、そのままいいなりになっていたのだ。そこまで母に支配されていたのだし、母も息子を支配している自覚はなかったであろう。

 私は、依存症や嗜癖やうつ病を通じて、母の私への服と靴の選択と指示は間違いで、別に自分に適した服と靴があることを、まず知らねばならなかった。
 だからこそ、泣くこと怒ることなどの感情表現からはじめて、「自分の欲求をはっきり表す」ということが大事になってくる。親や家族や世間の評価に支配され、自分は本当はどんな服と靴を着けたいのか、まるでわからなくなっている。そんなACに対して、先の精神科医が「おとなになりなさい。欲求を表現しなさい」といったのは至当だ。「体は大人でも価値観が子供のままで親に支配されっぱなし」のACには、適切すぎるほど適切なアドバイスだとわかる。

 自分を取り戻さなければ、本当の健康な意味で自分を大事にすることはできない。

 最近、やっとわかったが、私のようなACは、「自分を粗末にする」という行動で、親や世間の評価に支配されている自分を維持しようとする。無意識に出てくる「親の支配に服さない自分」「親の価値観に合致しない自分」に罪悪感を感じ、自分らしい自分の発現を抑制し、封じ込めるために「自分をいじめ、痛めつけ、卑下する」のである。

 私の場合は、それがアルコール依存はじめ、さまざまな嗜癖、特に抜毛症(トリコチロマニア)に現れた。

 だから、私はもう自分を卑下しなくていいし、いじめなくていいし、自分で自分に苦痛を与えることをしなくていいと、自分を許し続けることを継続してゆく。

 好きなことは好きといい、嫌いなことは嫌いといい、やりたいことはやりたいといい、やりたくないことはやりたくないといい、異議があれば異議ありといい、疑問があれば疑問だという。そんな当たり前のことさえ、否認し否定し抑圧し、母の前で世間の前で「いい子」を演じなければならなかったのだから、病的依存や嗜癖に走らない方がどうかしている。

 ACから健康な生き方に戻すために、私は自分に向かっていう。
「自分の自分による自分のための人生を取り戻そう」

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by ecdysis | 2017-10-04 03:24 | Trackback | Comments(0)