皇室はどうやって家を存続させてきたか

 2012年の6月はじめに薨去された「ヒゲの殿下」で有名な三笠宮寛仁親王殿下(みかさのみやともひとしんのうでんか)が、アルコール依存症であったことは、殿下御自身のカミングアウトで明らかになった。妃殿下も、殿下のお酒のことでは大変に悩まれ苦しまれたという記述を見た記憶がある。

 皇室のようなやんごとない御血筋でも、こうした依存症が発現するし、ご家族も苦しまれるし、家庭で起こるトラブルには皇族といえどもご苦労を免れることはできないと思い知らされる。

 だから、家柄が高貴であることが、ただちに何もかも恵まれた環境であることを意味しないとわかるし、完全無欠な方々の御一統でないこともわかる。人として生まれた以上、伊勢神宮の大神であらせられる天照大御神の御子孫と日本神話に記述された皇族の方々にしても、やはり人間であることの悩みがおありなのだと感じられる。皇族という分秒刻みの公務をこなす日本最高の「公務員」のお立場を離れれば、プライベートでは私たち一般国民と同様のご家族の問題に悩まれているのだろうと思われる。

 古事記・日本書紀に記録されただけでも歴代天皇と皇族の一族内の抗争と悲劇は、その規模と影響力の大きさを除けば、親子喧嘩・兄弟喧嘩・異母兄弟姉妹の葛藤、本家分家や跡継ぎ問題など、どこの家系でも起こる血縁ゆえのトラブルとみて取れる。ことに跡継ぎ問題などは、うちはそんなに大した家系じゃないと思われるかもしれないが、一般庶民の家系では「遺産相続問題」という形で頻繁に起こっているので無縁ではありえない。

 こうした家族や家庭の問題を歴史的に各世代で経験してきたのにも関わらず、天皇・皇族は初代の神武天皇から現代の今上陛下まで125代、古事記・日本書紀に記すところに従えば、2677年間も「皇紀」として続いてきたことになる。

 第25代の武烈天皇のときにいったん直系の系譜が途絶え、第15代の応神天皇の五世孫(五代目の子孫)である男大迹王(をほどのおおきみ)が、当時の重臣らの懇請によって第26代の天皇として立たれた。また、第118代の後桃園天皇の崩御後、跡継ぎがましまさず、第113代の東山天皇の皇子を当主として、新井白石が建言して新設した「閑院宮家」の三代目当主が、第119代光格天皇となられた。現在の皇室は、そこから続いており、継体天皇と光格天皇の場合を除けば、前代の天皇から見て五等親内の誰かに皇位が受け継がれ、何代も前の天皇のご子孫が即位されるということはなかった。ちなみに、光格天皇の御父上は、宮様でいらしたが山陰の町医者の娘・岩室磐代をめとって後の光格天皇を儲けられた。したがって、現在の皇室には、岩室氏からも民間の女性の血筋が交わっていることになる。

 つまり、どう見ても少なくとも100代近く同系で続いてきたことになる。天皇・皇室の歴史は、すなわち日本の歴史でもあるわけで、歴史の教科書に載っている歴史的大事件の数々は、天皇・皇室ぬきでは語れない。

 では、125代、もしくは100代も続いてこられた原動力は何か、といえば、答えは非常に簡潔な表現で済む。
「敬神崇祖」(けいしんすうそ)の一語に尽きる。文字通り「神々を敬い祖先先祖代々を崇める」ということだ。
 現代の私たちでいえば、神棚や神社参拝を怠らず、仏壇と墓のお参りや年忌供養をしっかり行うということ。

 具体的に皇室神事や歴代天皇への祖先崇敬の儀式のことを書くと、優に一冊の本になってしまう。

 一例だけあげれば、皇居内には「宮中三殿」という天照大御神と八百万の神々と歴代天皇の霊をお祀りする神社があり、そこには毎朝、一日も欠かさずに専属の神職(掌典)と侍従が天皇に代わって「毎朝御代拝」という儀式と拝礼を行っている。一般の家庭でいえば、毎朝、お水とお塩とお米をお供えし、燈明をつけて神棚を拝むのといっしょだ。

 これ以上の例は書かないが、とにかく少なくとも無神論や唯物主義ではありえないということだ。

 私の家系のアルコール依存症で無神論・唯物論者の父方の祖父や父たちとは、その点だけでも大違いだ。

 目に見えない神や霊的な存在の実在を認めて信じ、崇敬感謝の念を忘れず、参拝・仏事をきちんと行うのをまねることが、自分の家を滅ぼさない方法なのだと思わざるをえない。たとえ、自分の直系の子孫はいなくとも、私の甥たちや従兄弟たちの子孫が絶えることは防ぐことができると信じている。

 また、天皇・皇族は、歴代「国民の平安と繁栄」を第一義に考え、自分一身のことや自分の家系さえよければよいという考え方はほとんど見られない。一般庶民なら、「わが身わが家さえよければよい」という個人エゴ・家族エゴむき出しで周囲とトラブル続きの人たちがいたりするが、皇室にはそういうことはありえない。

 たとえば、武家政権になってから長い間、天皇・皇室は武家政権とその一党に圧伏されてメンツをつぶされ続けたが、南北朝時代を除けば、どの天皇も政権奪取のための戦争を起こしたりはしなかった。やろうと思えばできたのだが、大多数の天皇は、武家政権とぶつかるたびに「ここで対決をしてしまえば世は戦乱となり国民が苦しむことになる」という判断のもと、穏便な形での和解や譲歩を繰り返した。その意味で明治維新は、まったくもって歴史上の大転換として起こるべくして起こったというほかはない。

 聖徳太子の時代から、天皇家が仏法に深く帰依していったのも、それが争いや対決とは逆の心を持つことを勧める道であるからだし、儒教を重んじたのも理想の君主のありかたを勧める学問であるからだ。男系皇族の方々のお名前に「仁」の文字が必ず入るのはその反映だ。「仁」とは儒教で非常に大切にされる言葉のひとつで、「愛・真心・誠意・素直・正直」という五つの単語の意味を同時に含んだ概念である。

 このように「国民第一」に考え、個人や家系のエゴから離れた「利他」の精神を実践してこられたのが天皇・皇室なのだ。
 だから、「敬神崇祖」「利他行」こそ、天皇皇室が国民から愛され尊ばれて百代以上も存続してきた理由なのだとわかる。

 今上天皇・皇后両陛下が、近年相次ぐ震災や暴風雨の被災者のところへおもむかれ、手をとって励ましと慰めのお言葉をかけられている御姿にこそ、皇室伝統の「国民のための利他行」の実践が証明されている。

 さらには、昭和天皇の逸話として、食事のたびに小皿にご飯をひとつまみとって、成仏できないでいる霊たちを施餓鬼供養する「生飯(さば)」という行為を行っていたという。これは、禅宗の儀式でもあるが、私も神仙道という江戸末期の国学から伝わる神道の一派の教えでこれを知り、まねするようになった。しかし、最初は禅宗の儀式であることを知らず、ましてや昭和陛下がなさっているなど、まったく知らなかった。

 やりかたは簡単で、朝晩、ごはんをひとつまみ小皿にとって捧げもち、「先祖代々の諸霊はじめ有縁無縁の霊たちにお捧げいたします。みなさまで分けあって仲良くお召し上がりください」と祈念をこらし、お膳の隅に置いて、八百万の神に感謝してから自分の食事を食べ、終わったら小皿のものを自分の椀に戻していただくという簡単な作法である。

 この「さば」には、「自分の家の先祖の霊だけでなく、有縁の霊ばかりでなく、無縁となったさまよえる霊たちをも供養する」という霊的な意味があり、先祖代々・有縁・無縁の諸霊への利他行のひとつとして実践されている。

 おそらく、今上陛下もこれを実践されていらっしゃるであろうし、他にもさまざまな日常的な供養の利他行をなさっていると考えるのが自然だろう。こうした目に見えない存在への利他行もふくめてこそ、「利他行」といえるわけで、目に見える苦しんでいる人たちだけを助けられればよいというものではないことを、私ははからずも皇室から学ばせていただいている。


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by ecdysis | 2017-12-22 22:44 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)