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ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com


by 心炎

病的な有力感は高慢心であるということ

 自分や原家族の高慢心のことを考えているうちに、依存症の業界でいう「他者への有力感」は、言い換えれば「他者への高慢心」であると気づいた。自分の劣等感や自己評価の低さを見たくないために、自分が支配しやすい、より弱い相手や病的な異性に惹きつけられるという特徴だ。

 これは「有力感」という名前の「高慢心」が発現しているためだとわかった。つまり、他者への有力感を感じることで生き延びてきた依存症者は、自分を高慢心によって、生きる意味を感じ活性化し元気づけることをしてきたといえる。 

 自分が、ただここにいてよいという自己承認が自分でできないために、だれか自分を必要とする子供や家族や病人や弱いものがまわりにいないと、途方にくれて生きてはゆけない。自分を必要とする、自分がコントロールする側にいつも立っていられるような相手と関わっていないと、生きている気がしないのだ。

 こうした「有力感への依存」があるかどうかは、ある一定の期間を関わり続ければすぐにわかる。

 それは、自分が世話をし優位に立っていた相手が、回復して、あるいは成長して、世話焼きを必要としなくなった時に証拠が現れる。相手が自分を必要としなくなったとたん、自分が感情的になり、怒り、相手が自分を裏切ったかのように感じ、当たり散らしてケンカになる。

 男女関係でも親子関係でも、この「有力感への依存」という病的な感情で生きてきた人は、相手が成長し回復すると、たちまち後味の悪い別離をきたし、親子関係も悪くなり、孫の顔も見せてもらえないということになりやすい。そういう人たちの多くは「相手が裏切った。子供たちが私を嫌ってわかってくれない」と愚痴をいうが「自分が悪かったせいだ」と省みる人はまずいない。悪いのはみな人のせいである。ここに、「病的な有力感への依存=高慢心」である証拠が見てとれる。

 この高慢心はちょっと目をはなすと暴れて威張り出すならずもののようだ。知識を得れば、これを知っているのはおれ位だ、おれが一番知っているとうぬぼれ、気づきがあれば、これに気づいたのは、おれが初めてで、おれが一番理解していると、根拠のないことを叫びだす。まったく御しがたい。

 このような高慢心は、酔っぱらいの肥大した自我そのもので、酒や薬物やギャンブルをやらなくなっても、自我を酔わせる原因心理となる。この高慢心をもとに振る舞うときは、だれもシラフであるとはいえない。

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by ecdysis | 2018-02-11 00:25 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)