この世に生きていることが神の慈愛の現れであるということ

 4月1日から4月2日の深夜にかけて起こったこと。

 キリスト研究のための資料として、シェモネ・エスレ(十八祈祷・アミダーの祈り)の日本語訳を読んだら、第一項目を目にしたとたんに感動が突き上げてきて、声をあげて泣いてしまった。
 そして、2千年前にキリストがガリラヤ湖のほとりで一人で祈っていたのは、ユダヤ人が一日に三度唱えるというこの祈りに違いないと感じた。ユダヤ人が日常的に唱える、旧約聖書「申命記」の祈り(シェマの祈り)といい「シェモネ・エスレ」という、すごい祈りの言葉が日夜唱えられていたのに、それでもユダヤ国家はローマ軍によって破滅させられた。

 祈りの言葉はすごくても、「心を尽くして祈る」という「神と民族へのまごころ」が失われ形骸化していたのだろう。神と民のためではなく、宗教者たちの多くが、人に崇められたい自己顕示欲だけで、ありがたい祈りの言葉を唱えていたために、神の御加護が得られなかった。福音書のパリサイ人らへのキリストの批判の言葉からは、そう解するほかはない。
 エルサレムの崩壊は、史実によれば、工期一世紀におよばんとするヘロデ大王のエルサレム神殿の完成のわずか一か月後であったという。そのご神意を想えば、もはや語るべき言葉を持たない。

 そのような体験の後、深夜に座禅をして寝床についた。すると、横たわる自分の頭部のレントゲン撮影のような映像が、脳裏にまざまざと浮かんだ。自分の頭蓋骨と上下の顎にならぶ整然とした歯列が見える。
 歯列と顎と頭蓋骨と喉のあたりの組織の透過映像を、私は見事なものだと感動して観察している。
 このように、見事で精緻な人体を設計されたのは、だれの意志かと思うと、それが神の御意志の表れであると感じた。 
 では、この先祖代々受け継がれる見事な人体という有機生命システムをつくられた神のご意志はいかなるものかと考えた。
 すると、そこにとてつもない神の慈愛がこめられているのを感じて、その深い広い愛情を受けたように思い、横たわりながら声をあげて泣いてしまった。

 これほどに見事で精密で完璧な有機生命体を無償で与えてもいいと思えるほどに、神様は人間を愛してくださっていると感じた。
 人間はじめ生き物の体は、神がどんなに生命を愛していらっしゃるかの現れであると強く感じて感激した。
 人間を深く深く強く強く愛しているからこそ、神はこの素晴らしい肉体を惜しげもなく与えてくださっている。
 あらゆる生き物の肉体は、神の、生命への「まごころこめた贈り物」なのだ。

 キリストが、自分の肉体をさして「この神殿」といったのは、そういう意味があったのだ。
 神の「まごころ」のましますところ、これことごとく「神殿」である。

 その感激のあと、別の相反するビジョンが起こった。
 神への信仰も目に見えない存在への畏敬もまったくもたない、長身の肌の浅黒い西アジア系の長身の目つきのするどい女が、斜に構えた腰掛姿で脳裏に現れた。黒髪を長くたらしてまとめた女は長い両脚を高々と組んで、わたしに皮肉交じりにこういうのだ。
「神の愛? あんたのいってることがぜんぜんわからない。そんなことがわかったからといって何が尊いの? さっぱりわからない。だいいち、そういう目に見えない存在をあがめていったい何になるのさ。人のために奉仕するとか、自己犠牲とか、ぜんぜん関心を持つ気になれない。あたしには関係ないこととしか思えない。神に従うなんていったい何の意味があるのさ」
 女はわるびれもせず、自信たっぷりにしっかりとした態度で「神への信仰なんて何の意味があるのかさっぱりわからない」といってのけた。
 この女は悪魔だろうか、私の心の中の悪の現れか、あるいは祖先の不信仰の集積の人格的表象かと疑問だった。
 のちに、この女の正体が判明した。現実にある人物の本音の心を現していることがわかったのである。

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シェモネ・エスレについて日本語訳があるサイト
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20131029/1383052696



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by ecdysis | 2018-11-06 03:49 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)