小さな幸福の積み重ねが健全さを大きく支える
2019年 09月 14日
今年の5月の話だけれど、生まれて初めて参詣した香取神宮の参道商店街の茶店で、厄除け草だんごを食べた。
隣に居合わせた七十歳ぐらいと四十歳ぐらいのご婦人の二人連れが一串ずつお団子を頼んで食べていた。
すると、その四十歳ぐらいのご婦人が、お団子を食べて「ああ、おいしい。しあわせだわ」と本当に気持ちがこもった声でいった。
このご婦人のことばに、はっとし、またほのぼのとさせられ、「この方は本当に幸せな方だ」とうらやましくも思った。
「しあわせ」ということが、どういうことか、自然に知っている人だと思えたからだ。
この素直で素朴な幸福感を忘れがちだから、なおさら心に響いた。
一串いくらのお団子を食べただけで、「しあわせだわ」といえる、そのご婦人の心の豊かさと幸福さに、こちらまで心が洗われるようだった。
依存症から回復してくると、こういう日常的な小さな出来事にも、感動したり幸せを感じたり感謝したりできるようになる。
かつての私のように、絶頂感や陶酔感のみを幸福感と誤解し、強い刺激と快楽だけを幸福感と思い続けるのは、きわめて不自然で不健康なことなのだと改めて思う。
小さなことに感動しありがたみを覚えることが、まともな感覚だと思える。
強い刺激と快感だけを幸福だと信じ込む人は、酒や薬やギャンブルなどの依存症への道を歩むしかない。強い刺激だけを幸福感と錯覚し続けたら心が病気になる。
by ecdysis
| 2019-09-14 01:23
| メンタルヘルス
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