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ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com


by 心炎

アイロンをかける

 私にとって、長く「アイロンがけ」は女性の仕事だった。要するに、恋人や妻がやるものだという固定観念だ。独身生活が長いので、炊事・洗濯は自分でできるが、アイロンがけはしないできた。しわになった服を着て、それをみた叔父夫婦に「そんなの着てないで、アイロンかけてくれる嫁さんをみつけなさい」と若いころにいわれた。

 女性がそばでアイロンをかけてくれると安心した。アイロンをかけてくれないと不機嫌になった。「子供みたいね」とつきあっていた女性に笑われたこともある。彼女はおかしそうに笑ったが、私はたしかに不機嫌で、なんでこれがおかしいのかと、いっそう不機嫌になった覚えがある。

 彼女は「子供みたいね」とひとことで、すべてをあらわしてくれたと、いまは思う。
 正確には「子供みたい」ではなく「子供そのもの」なのだ。
 私にとってアイロンをかける女性は「母」なのだ。だから、それは「母」の仕事であって、私のやるべきことではないと、無意識のうちに思ってきたのだろう。

 若いころから、私は「伴侶」を求めてきた。よき助け手、理解者、ともに歩いてくれる女性を求めた。だから、「いつか自分にもすばらしい助力者の女性があらわれるにちがいない」と、そればかりを期待した。

 いつも自分を助けてくれる女性の登場を、心に念願してきたわけだ。だから、自分でやるべきことややってもいいことと、未来の妻がやるべきこととの線引きさえできており、その中に「アイロンがけ」があった。将来の伴侶のために、仕事をつくっておいたつもりなのかもしれない。

 だが、その「最善の助力者」を求める心は、母を求める気持ちの変形した表れであり、女性依存が表面化した思考だった。妻を求めているつもりが、実は第二の母を病的に求めていたにすぎず、「助力者」とは「妻」ではなく「母」にほかならない。

 ひとことでいえば、マザーコンプレックスによる妄想だ。いつかだれかが助けてくれるという妄想が、ずっと私の中にあり、それをおかしなこととも思わずに、前提にして生きてきた。

「いつか妻となる女性がやってくれるだろう」と先延ばしにして、あるいは自分でやることを怠ってきた、数々のこまかい家事を、ひとりでやろう。三歳児の心を持つ、母とのスキンシップへの飢餓とともに育った私が、ひとりで生きることを前提に、アイロンをかける。

 てはじめに、ハンカチのアイロンがけだ。アイロンがけ自体は、初めてというわけではないが、「伴侶妄想」なしでおこなうのは、今日がはじめてだ。へたくそだが、しわだらけのハンカチを外へ持ち出しかねて放置しておくよりはいい。

 もうすぐ、母の一周忌がくる。

 
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by ecdysis | 2007-10-05 08:40 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)