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どんな人間になりたくなかったか

 今日、ふと気づいたので、備忘としてしるす。

 私は、自分はどうあるべきかということを考えられるようになってから、「こういう人間だとは思われたくない」という、はっきりした「基準」がひとつだけある。

 それは「世間知らずとはいわれたくない」ということだ。自分の実態がどうであっても、他の人から「世間知らず」といわれることを、非常に恥じる気持ちがある。それは「苦労知らず」「ぼんぼん育ち」と言い換えてもいい。

 どれも、私の「成育歴」の表現にはあてはまらないのだが、今でも「世間知らず」とは言われたくないという気持ちが強い。だれでも、そんな風に言われたくないとは思うだろうが、私の場合、どうしてそういう気持ちが強いのか、理由がわからなかった。

 もっと細かい言い方をすれば「世間知らず=思いやりがない=人の気持ちがわからない=人の痛みや苦しみに共感できない」ということになる。

 この等式で見ると、やはり「母への思い」が根底にあるようだ。

「母の痛みや苦しみに共感できない=母の気持ちがわからない=母への思いやりがない」
というのを恐れる気持ちが、「世間知らず」の一般的イメージに「翻訳」されたのではないだろうか。共依存タイプの人たちにも、この「等式」はあてはまることがあるのではないか、などと考えたりする。

 今日、もうひとつの「世間知らずと呼ばれたくない」理由がわかったような気がする。
 どのような「等式」が成立するかまではわからないが、私の中では「世間知らず」のモデルがあったのだ。

 それは、飲んだくれの祖父と、働きもせずに、日夜、母を虐待し続けた祖母だ。

 母を苦しめ、母を悩ませ、母を泣かせる、彼らこそ、私にとって「世間知らずの非常識人」の典型だったのだ。

 だから、私の「世間知らずと呼ばれたくない」という表現は、次のように正しく翻訳しなおされる。

「私は、祖父や祖母のようだと、いわれたくない」
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by ecdysis | 2007-12-17 00:45 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)