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腑抜けの系譜4

 祖父と祖母は、当時としては晩婚どうしで結婚した。一女四男をもうけたが、祖父は祖母に酔って暴力をふるったりし、相当にきつかったらしい。はじめは、祖父の生家に同居して農作業に従事していたようだ。昔は、機械化農業ではないので、田植え、草取り、稲刈りなど、集落あげての多くの人手が必要だった。

 ところが、祖父は、結婚してからも、その命の糧を得る農作業に出なかったというのだ。
 祖母はもちろん、早朝からみなとともに農作業に行くが、祖父ときたら、朝寝はするし、みなで農作業をしているたんぼを眺めながら「ちくしょう~」と、何がくやしいのか歯噛みしてにらんでいたという。

 そんな祖父だから、酔うとあばれるし、金は稼がないし、祖母もほとほと困り果てて、やがて祖父に食ってかかるおきまりのパターンがはじまる。当時は、お正月などのハレの日には、貧しい家でも子供の下駄の鼻緒を新調してやるなどの、ささやかなお祝いをしたらしいが、祖父はそれさえできかねるほど働かなかった。祖母が情けなさと子供たちへのかわいそうさで半狂乱になるのも無理はない。

 そのころには、もう朝から夫婦げんかをするのは日常で、長男として生まれた父が、五歳ごろにはすでにそうだったという。朝から泣きながら、毎日幼児だった父が起きてきたのだから、すでにAC家庭になっていた。そして、その父が大きくなって母と結婚してから、今度は私の弟が、やはり幼稚園時代には朝から泣きながら目ざめ、父母のケンカが朝からあたり前だったのだから、AC家庭がしっかりと世代連鎖されてしまったのだ。

 結婚してしばらくは、祖母も住み込み奉公時代に覚えた裁縫で、子供たちの服を縫ったり、こまごましたものを作ったりして器用だったらしい。しかし、とにかく貧乏だった。やがて、一念発起して同居をやめて、数件となりの養蚕小屋を借りて別に所帯をかまえる。生前の祖母の話では、この養蚕小屋と土地は、祖父の兄が譲渡するという約束だったらしいが、のちに売るということに変えられてしまい、話がちがうので相当に恨んだという。

 そこで、祖父母は、終戦後まもないころから、二人でドブロクを密造し、早朝3時ぐらいから午前中かけて、重い一升瓶につめて売り歩いた。当時は、米づくりしか産業がない土地のこと、だれもが手を染めていたのがドブロクの密造だった。祖母は、金をかせぎたい一心で、最高記録一升瓶八本を背負って、歩いて三時間もかかる町まで売りにいったこともあったという。しかも、警察にみつかるとまずいので、まだおさなかった末子を背負ってごまかしながらだから、大変な想いで売り歩いたようだ。

 文字通りの夫婦そろっての荒稼ぎで、二人は兄から土地を買い、家を新築し、昭和三十年代に入ったころには小金持ちになっていた。家は建った、田畑も買った、ひと財産ができたけれども、そのときには祖父母の「家庭」は、もはや普通の意味での「家庭」の態をなしていなかった。「教育」とか「道徳」とか「協調性」とか、いわゆる健全な人間関係の基礎となる家庭の要素が崩壊していたのだ。

 楽な暮らしをしたい、まわりからバカにされたくないの一心で、カネ、カネ、カネとわき目もふらずに財産を築いた。が、それはあまりにも大きな犠牲をはらい、人間として大事なものを置き去りにした上での「成功」だった。

 家財産を獲得するという目標があるうちは、問題があっても、欲があるので、それにまぎらわされてよかった。だが、その目標が達成されて、目的がなくなったとき、祖父母と子供たちからなる「家庭」は、どうなっていたか?

 救いようのないアルコホーリクと人格障害と放任教育で子供たちがACになり、深刻な機能不全家庭ができあがってしまっていた。
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by ecdysis | 2008-03-16 13:42 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)