共依存な喪失体験
2008年 04月 03日
弟と母を亡くしてから、ある種の虚脱が通奏低音のように、意識の奥に鳴り続けてきた。
それが、家族を亡くした人なら、だれでも経験するものなのだろうと漠然と感じてきたが、今日、ふとしたことからそのパターンを認識したような気がする。
神社へのお参りの帰りに、ふと「妻子をなくした男のように生きていこう」と思った。
なぜ、そう思ったかわからない。だが、そう思ったとき、これまでにない落ちついた気持ちが湧き出てくるのを感じる。これまでの灰色の虚脱感や虚無感、なげやりな気持ちが癒されていくのを覚えた。
どうして、結婚をしたこともない私が「妻子をなくした男のように」と思っただけで、気分がおちつくのか不思議だった。
部屋に戻ってから、それが半分は精神的な事実であったことを自覚した。
母の代理夫を精神的につとめた私にとって、母の死は妻の死のように感じる部分が、どこかにあるのかもしれない。弟も私にとっては、半分は子供のようなものだったから、彼の死はわが子の死と似たショックを与えたに違いない。
母の死についての感想が、妻を亡くした夫の感想と似ているかもしれないというのは、気持ちの悪い話であるけれど、共依存だった私にとっては、そうなるほかはなかったのだろう。弟についても同じで、生きていたときの関係性が、依存対象が亡くなってからも、喪失体験とその感情にも影響するとは・・・・・。
それが、家族を亡くした人なら、だれでも経験するものなのだろうと漠然と感じてきたが、今日、ふとしたことからそのパターンを認識したような気がする。
神社へのお参りの帰りに、ふと「妻子をなくした男のように生きていこう」と思った。
なぜ、そう思ったかわからない。だが、そう思ったとき、これまでにない落ちついた気持ちが湧き出てくるのを感じる。これまでの灰色の虚脱感や虚無感、なげやりな気持ちが癒されていくのを覚えた。
どうして、結婚をしたこともない私が「妻子をなくした男のように」と思っただけで、気分がおちつくのか不思議だった。
部屋に戻ってから、それが半分は精神的な事実であったことを自覚した。
母の代理夫を精神的につとめた私にとって、母の死は妻の死のように感じる部分が、どこかにあるのかもしれない。弟も私にとっては、半分は子供のようなものだったから、彼の死はわが子の死と似たショックを与えたに違いない。
母の死についての感想が、妻を亡くした夫の感想と似ているかもしれないというのは、気持ちの悪い話であるけれど、共依存だった私にとっては、そうなるほかはなかったのだろう。弟についても同じで、生きていたときの関係性が、依存対象が亡くなってからも、喪失体験とその感情にも影響するとは・・・・・。
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アル症のRです。
at 2008-04-04 22:09
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心炎さんは、いつか本当の兄弟愛と言うのが分かる方なのでしょうね。。落ち着きが戻って良かったです(*^_^*)
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心炎
at 2008-04-05 09:47
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Rさん、あたたかいお気遣い、ありがとうございます。
「本当の兄弟愛」・・・いい言葉ですね。
血がつながっていなくても、兄弟姉妹のように感じられる友人知人がいるなら、それはとてもうれしいことだと思います。
Rさんはじめ、ここを読んだり、投稿したりしてくださるみなさんが、そういう「兄弟姉妹」になってくださればいいなあ、と思います。
「本当の兄弟愛」・・・いい言葉ですね。
血がつながっていなくても、兄弟姉妹のように感じられる友人知人がいるなら、それはとてもうれしいことだと思います。
Rさんはじめ、ここを読んだり、投稿したりしてくださるみなさんが、そういう「兄弟姉妹」になってくださればいいなあ、と思います。
by ecdysis
| 2008-04-03 20:25
| アダルトチルドレン・依存症
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Comments(2)