私はいつも代役を演じてきた

 かつて、私は母にとって、精神的に「夫」のかわりであり、弟にとって「父」のかわりだった。
 父にとっては、またキッチンドリンカーに母がなってからは、両親にとっての「親」がわりさえやる破目になった。

 ただ「長男」に生まれただけで、このありさまだ。AC家庭の典型の家で「長男」をやるというのは、こういうことなのだ。

 だから、私のその後の男女関係においても、本人どうしは意識しなくとも、無意識の領域までひろげてみれば、私は彼女たちにとって、かなりの確率で、だれかの「かわり」をやってきたように思える。

 それは、彼女たちの親だったり、兄弟だったり、配偶者だったり、してきたのだと思う。
 私は、彼女たちにとって、なんだったのだろう。結局は「代役」ではないのか。
 母にとって、私がリリーフ・ピッチャーだったように、私は恋人たちにとっても、そうであるような人間にすぎなかったのではないか。

 それは、もちろん私の側にもいえる。彼女たちを、私は意図せずして、母がわり、姉妹がわり、配偶者がわりにしてきた。

 お互いに「代役どうしの恋」を演じてきただけではないのか。
 そんな青ざめるような想いも生まれる。
 私は、相手の女性を、その人そのものとして、愛したことがどれだけあったか、今となって危惧する始末だ。「この人でなければ」「この人がこの人であるゆえに愛する」という想いを貫けたことが、どれだけあったことだろうか。

 たとえば、本当は相手の女性に「母」を求めていたのに、現われとしては恋愛の関係性をとった場合、それは「恋愛依存」というねじれた症状を露呈する。

 落雷のように恋に撃たれ、結婚を決意し、伴侶を得られて家庭を持てる人々は幸せだ。
 逆に、無意識にAC性に影響され、ねじれた関係性を自覚せずに、家庭をもった人々は、とても大変だろうと思う。

 ねじれた関係性の結果であっても、子供ができて、一定の家庭を築いてしまったら、それらをなげうって本来の自分に戻るなどということは、まず無理だろうから。

 幸いあれ。どうか、AC性をもつすべての家庭とその夫婦、親子関係に、神様の御心が幸いをおさずけになりますように。
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by ecdysis | 2008-07-18 02:02 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)