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カテゴリ:メンタルヘルス( 86 )

 18歳の私は、道理も天地の理法も知らなかった。家族もそうだった。世間体や評判や噂ばかりを気にして、それを超える道理を知らなかった。
 自分がなにものでどうすべきかも、人として何が大切かも、国家や民族や祖先の歴史や業績や訓戒も知らなかった。
 人の心を豊かに幸せにする方法も原則も知らなかった。

 そして、いま「18歳の私は何も知らなかったのです」と叫ぶ。
 これが、釈迦のいう「無明」(普遍の真理や倫理道徳に関する無知)に生きたもののありようだ。「私は、それを知らなかったのです」と、無明の一端を自覚した者は叫ぶ。「それをあのとき知っていれば、教えてもらえていれば、理解できていれば、あんなことにはならなかったのに」と痛恨の念を起こす。
 だが、そのとき、それに無知で、それを理解できなかったのも因縁の道理のあることで、ほかに選択肢はなかった。私の場合はそうだった。

 無明は、生まれつき目の見えない人が、色や形を目で見ることができないように、真理が見えない状態をさす。生まれつき耳の聞こえない人が、まわりの音や声を聞くことができないように、真理を聞くことができない状態をいう。
 このように、無明は万人にとって、苦しみの原因として、必然で不可避である。

 永遠の命以外のものを求め続けるとどうなるかを、私はこの40年間でたっぷり体験させてもらった。
 おのれの無明を自覚せずに、自分の意志と力で、願いを実現しようとすることは、はじめはよくても永続せずに挫折する。幸運にめぐまれてうまくいっても、家庭や対人関係に大きな問題が生じて安心できなくなる。

 無明の第一は、自分が天地自然の日月大地とそれを司る神々と目に見えない世界によって生かされ支えられていて、それなくして一時も生存できないという事実を知ることがない。
 第二は、自分の執着する色欲やそのほかの欲が渇愛であることを知らない。
 第三は、自分が執着している分だけ、もともとある良心と内なる神仏による知覚と認識力が閉ざされていることを知らない。

 その執着を手放せば、これまで見たことも感じたことも予想もしなかった素晴らしい感覚と世界を広く認識する喜びが得られる。しかし、執着の対象にとらわれて、その対象にばかり喜びや快楽の感覚を集中させている間は、真実のあるがままの世界は閉ざされている。ほかに見るべき望ましい喜びの対象となる世界があるのに、それに気づかない。その状態のまま「これしかない」と握りしめて手放さないのが、無明の現れとしての執着のありようである。

 高校・浪人時代、私の救いは肉体の性の快楽だった。それ以外はなかったし探そうとも思わなかった。
 最高にかわいくて魅力的な恋人を得て睦まじくすれば、直ちに癒しと幸福が訪れるだろうと信じていた。
 しかし、それは妄想にすぎなかった。そのかわいい恋人を得て、自慢してみんなにうらやましがられれば、劣等感は補償され、無力感にひしがれた心は、有力感によって元気になると信じた。恋人ひとりを得るだけで、それが万能薬になると疑うことなく信じたのだ。当時の私には、それしか有効な薬に思えるものがなかった。
 私は彼女らのイメージをはげしくむさぼった。それは人身獣面のごとくであった。
 私は、ひどい孤独の状態にあり、それは親や祖先の人達の孤独をも受け継いだものだからだ。

 私が、魅力を感じて一緒になりたいと欲した女性の数はあれこれたくさんいるが、ひとりも伴侶にできなかったので完全な敗北である。
 このような私の愛欲妄想は、まさに「迷いの生存」の象徴だ。愚かなことに、性愛というものを真理真実への愛と混同して、性愛には人を高め魂を恒久的に救う力があると、私は若年時代から致命的な誤解を正しいと信じ込んできた。
 いまは、その幻想に気づいた。エロス(男女の愛)はエロスでしかない。アガペー(神・真理・善・徳への愛)になりかわるのは無理だ。フィリア(友愛)でもストルゲー(家族愛)でもだめだ。

 性愛に人を救う力があるという思い込みはまちがいだとわかった。もしそうなら、離婚はありえず、児童虐待もないはずだ。心を病んだ人間も、恋愛や結婚によって治るはずだ。だが、そのような事実が一般的に存在するとはきいたことがない。子供ができて落ち着いたという話はきくが、恋愛や結婚によって自分や配偶者や家族のもともと病んだ心が治ったという話はきいたことがない。

 そもそも私は、セックスに過大なものを求めてきた。セックスの興奮と快楽の効用は私が期待したような過大なものでは決してなかった。それは迷いの苦しみを与えるだけで救いも癒しもあたえなかった。快楽への興奮と刺激と期待が、それに似て非なる惑わしを起こしただけだった。恋や性交に期待したよいことは予想の十分の一でしかなく、恐れた悪いことは予想の十倍もあった。

 恋愛も結婚も、生き方の病を直す薬にはなりえない。恋愛という執着は苦しみと悩みの源であって、人を苦しみと痛みから救う甘美な薬ではない。肉体の一時的な性の快楽も人を救うものではない。相手への依存も救いにはならず、新たな悩みの原因になるだけだ。

 私は無益な実験を40年にわたって繰り返し、鉛が黄金になることはないという当然の結果を思い知っただけだった。錬金術師の愚かさを発揮しただけだった。恋が人を救うという妄想は完全にうちくだかれた。健康な家庭は、健康な男女が一緒になってできるのであって、病んだ男女がいっしょになっても、あるいはどちらかが病的であっても、専門家や自助団体などの第三者の手助けがなければ、病的な家庭ができるだけだ。だから、私が健康な家庭の幸福を得たいと願ったのも、まったくもって無知による迷いと妄想であった。それは夢という言葉で美化しても、迷いの夢でしかなかった。

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by ecdysis | 2019-03-24 03:57 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

自分の「心」に気づく時

 釈迦は、悟りも迷いも、「心」からくると詳しく解説している。
 それらの言葉は、座禅をはじめて仏教書を本格的に読みだして2年になるが、これまで字面で読むだけで、ほとんど実感には遠かった。

 最近まで、「自分の心を知っているつもりになっていただけで、実は未知の領域のまま蓋をして否認してきた」という事実にさえ気づかなかった.
では、私はこれまで、どのように自分の心を認識してきたか。
 もっとも中心にあるのは「あるべき自分の心」と「あってはならない自分の心」の二つの部屋を持っているということ。
 これは、「有ることを知っていて人にも話せて認めることのできる心・感情」と「有るのを知ることさえ否定し人にも話さず認めることのできない心・感情」とも言える。

 自分の心の否認は、言い換えれば「自己の欠点や問題点の否認と認知能力の凍結・麻痺」ということになる。
 あるがままの自分の心と感情は、私のひどい家庭の中では、現わすことも感じることも否定すべき「恐ろしい忌むべきもの」だった。

 けれども、そのように「有ってよい心」と「有ってはならない心」とわけても、有るものは有る。
 それは、たとえば部屋に有る物を「快適な物」と「不快な物」とにわけて、前者は日常的に必要なものとして使い、後者は「ないことにして部屋の隅に放置」という対処をしているのと同じだ。不快な物は、そもそも部屋の外に出すべきなのだが、まず「不快な物が室内に有って積まれている」という事実を認めることからはじめねばならない。「有るものを有ると認めること」がまず、最初に為すべきことなのだから、我ながら驚かざるをえない。
 道元禅師の「眼横鼻直(がんのうびちょく)」の教えの通り、「目が横にふたつ、鼻が縦にまっすぐについていること」さえ、ふだんは当たり前のこととして意識にもせず、気づくこともないように、改めて気づけば、その事実が驚きをもって受け止められるようになる。

 私の心にも同じことがいえて、有るがままに見ることをしてこなかったがために、否認し無いことにしてきた心を、ここにきて急に自覚せざるをえなくなってきた。

 私は、これまで見たくない自分の醜い感情、あってはならない悪い心を、「何かのまちがいで起こったが、もともと自分のものではないので、見なくてよい心」にして、不要な心の箱に入れて蓋をしたつもりだった。
 しかし、それらは、私の蓋をしたつもりが、ただの思いこみであることを証明するだけだった。実際は、蓋をされたわけではなく、常に私の中に起こって、隠したり見ないふりをするだけだった。見ないふりということは、外にも内にも現れ見えていたということだ。まったく見えなければ、見ないふりなどする必要がない。

 しかし、自分に不都合だからといって、心に有るものを無いとすることは、自分の心と人格全体に対する高慢であり冒涜でさえあった。そのことにようやく気づいた。自分の心の無視という、自分自身への高慢な姿勢に、これまで気づかなかったのだ。

 そもそも、酒を飲んで女性とつきあっていたころ、私には自分でも情けないと思う気持が心の奥にあって、それに苦しんでいた。
 それは、女性に依存して養ってもらいたいという、実に恥ずかしい依存欲求がうずくのを感じて、「これはあっちゃならない感情だ、なにかのまちがいだ。おれはこんなダメ男じゃないはずだ」と否定した。現実的にはダメ男だったのだが、そう自分でうめいていた。

 依存症と経済的不安と恐れとさまざまな気持が錯綜して、そういう精神状態になったのだと理解していたが、それはもっと根深いものであることがわかってきた。

 思い返せば、私は18歳のときに「よき父、よき夫になりたい」という願望をもち、それにふさわしい精神を持ちたいと思い続けてきた。それは、いまだ実現されないことであったが、あらかじめの矜持、プライドとなって、そのような女性への経済的依存をともなう依存を否認するのに役立っていた。よき家庭人たりえたいという願望によって、私は自分のおろかさや醜さや罪悪を否認することができた。私は私の心のうち、陰にまわしてしまった暗い幼稚な心を、立派な長男になるという願望によって否認し、あってはならない心として見ないことにした。

 その夢のおかげで、私は自分を支え有力感を持つことができた。「今はこうだけれど、いつかはきっと、ちゃんとした家庭をつくるんだ」という夢の前に、私は自分の心のうちで、人に見せていい心と、否認して隠すべき心を仕分けしてしまった。そして、自分の卑しい暗い心を「善き家庭人になるためには不要な邪魔者」としてすべて蓋をしたつもりだった。

 だが、そのプライドの原動力の夢はいつまでも実現されす、むしろ実現できない可能性が日々に増し、私は自分のいやな醜いみっともない心と、少しずつ向き合わざるをえなくなって、それでも蓋をしようと格闘し続けた。

 私の暗い醜い卑しい心は、それでもそのひとつひとつに正しく対面して、大半を受け入れてきたとはいいがたい
 以前、自分の激しい嫉妬心に気づいて苦しんだのは、その最初の対面といえたが、まだまだ対面すべき「自分の暗い心」がたくさんあると最近気づいてきた。

 釈迦の教えを学ぶまで、私には「見ていい心」と「見てはならない心」と分けていることも気づかず、「見てはならない心」は「あってはならない心」で「なかったことになった心」だった。

 しかし、繰り返すが、あるものはある。そのことを、釈尊が教えてくださった。

「立派な家庭人」になる夢に挫折したとき、私は鬱病を発症しはじめ、それまでの蓋をしていた感情をおさえつけていることができなくなった。すでに激越な憎悪の問題は、19歳のときに一応の解決をみたが、それ以外の嫉妬や怒りや貪りの問題は、「なかったことにした」ため、まったく手つかずであった。

 その結果、中年になってから酒の力を借りて人と論争し、ぶつかりあい、攻撃し罵倒し、怒り狂った。自分をだましたカルト教団へも怒りにまかせて訴訟問題寸前になるまで、徹底的な批判を繰り返した。それは、まるで酒を飲んで怒り狂う父や祖父のようだった。彼らは腕力による暴力をふるったが、私は筆の暴力、言葉の暴力をふるった。怒りをぶちまけたという点では、なんの違いもない。その結果、暴力的な人脈が、一時的にだが、できたこともあった。

 酒乱の父や祖父を見て、怒りはよくないから、怒らないようにしようと生きてきたつもりだった。だが、それは蓋をして我慢しただけだった。怒ることのない優しい穏やかなパパになりたかったはずなのに、現実は酒乱一族を証明するご乱行だった。

 そして、いま「女性に養われたい」という、みじめな弱い臆病に見える心の正体が、「貪り」の現れであることが、やっと自覚できた。
 これは、愛する女性を物質的・精神的に「むさぼる」行為なのだ。「怠惰」とか「寄生(パラサイト)」とかいわれるが、本質は「貪欲・貪り」にほかならない。貪りは「もっとくれ」「もっとよこせ」「もっと恵んでくれ」しかいわない心だ。お返しすることも知らず、他者に与えることも知らない。以下の旧約聖書の一節を思い出す。

旧約聖書 「箴言」30章15節
 蛭(ひる)の娘はふたり。その名は「与えよ」と「与えよ」

 私の生家の祖父母は、まさにそういう人たちだった。私は確かに彼らの孫だ。彼らの心を、わたしも生きている。彼らと同じか似たカルマの流れのただ中に生きている。

 なんと不健全で醜く悪意を帯びた異常な心を持ったまま生きてきてしまったことか。それでもこれが、私の心なのだ。

 低俗で幼稚で妄想的な病的に過敏な私の心よ、あらゆる苦しみと喜怒哀楽と目をそむけたい情けない感情ばかりをつくりだす私の心よ。

 しかしながら、怒らなければ怒りの恐ろしさはわからず、貪らなければ貪りの恐ろしさはわからず、愚かさを現わさなければ愚かさの恐ろしさはわからない。愛さなければ愛の尊さはわからず、奉仕しなければ奉仕の尊さはわからず、智慧を現わさなければ智慧の尊さはわからない。
 サン・テグジュペリは、『人間の土地』の中で、「人は、人間の働きをしてみて、はじめて人間の苦悩を知る」と書いている。
 これが自分なりの人間の働きの結果だとしても、自分の心を、自分のものだと全面的に認めて知るために、なんと多くのまわり道をしてきたことか。

 それでも、自分で自分を否認否定しなくてよくなった不思議な喜びと安堵がある。隠して背負っていた否認された心の頭陀袋をやっと背中から降ろした気分だ。

 その袋を開けて、その悪臭と不潔さに満ちた心をとりだし、洗ってゆかねばならない。

 本当に、私は自分の心を知らなかったのだ。否認という自分でつくった防壁をこわして、内にある心をとりもどす。
 それは、否認して、存在しないことになっていた、もう一人の私自身との再会である。
 私は、その自分の心に告げよう。
「お帰り、暗くて愚かな私よ。今まで無視してきて、本当にすまなかった。これからは、ともに生きていこう。きみがどんなありさまであっても、私はきみを愛している」

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by ecdysis | 2019-02-28 17:08 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

回復には「喜び」が必須

 罰や非難や批判や悪評や恥辱を恐れて、その恐れを動機として、「まじめに」しているのは本当の「まじめさ」だろうか。
 もちろん、私も含めて多くの人たちは、大なり小なり、自分や家族や知人たちに罰や悪評や恥がくわえられることを「恐れ」て生活している。

 それは、しかし、恐れという鞭で駆り立てられる家畜みたいなものではないかと思える。
 そういう「恐れの鞭」を自分に加えて叱咤するのは、本当に良い生き方といえるのだろうか。
「恐れ」を動機にまじめにしてきた自分は、「恐れ」がなくなると、今度は虚脱して、だらけてふんばりがきかない。
 また、「恐れ」を動機に、完璧にしようと努力してきたが、完璧にはとてもできない事実を知り、逆に「恐れ」だけが宙に浮いて無意味になる。

 鞭打たれなくなった家畜は、好き勝手に散歩して草を食いに行ったり獲物を追いかけにいく生来の行動をとる。そうしないで元の場所に戻って首輪やくびきをつけられるのを待っている家畜は、馴らされきって、もはや自前の行動がとれない、一種、病的な状態となる。鞭打たれることに慣れきって鞭打たれないと働く気にも生きている気にもなれないという状態だ。

 権利とか義務とか責任とかいうのも、「それをやらねば恥」という「恐れ」を根底とした理念である。
 もし、本当に生活の心配や恐れを放棄して、自分自身の真実に純粋に忠実に生きようと思ったら、出家者になるか、さまざまな芸事のスペシャリストになるなど、自己実現の道を多くの人々が選ぶはずだ。

 よく自己実現を「夢を追いかける」という言葉で表現する。自己実現はすなわち何かといえば、「自己表現の喜び」という「喜び」に生きるということだ。だから、恐れに追われる生き方をしている人たちから見れば、「夢を実現した」人たちは、「自己実現」の「喜び」に生きている人たちだから、憧れと羨望の的ともなりファン心理ともなる。

 つまり、今自分がやっていることに、喜びや充実感や楽しみがなく、ただ恐れだけを動機として生き続けることは、人としてあるべき姿ではないといえるだろう。ACや依存症や心を病む人々は、そのことをもっとも深刻に残酷に体現している存在といえる。

 たとえば、薬物依存症者が薬を使い続けると、ひどい被害妄想に陥り、薬物をやめてもときどき強迫的フラッシュバックが起きるように、根底的な「恐れ」があると、いつまでも自分を鞭打つことになる。

 眼前の現実から、私も酒や恋愛で逃げてきたが、「逃げる」とかならず「追いかけられる妄想」が生じる。現実にだれかから何かから追われているわけではないのに、「追われている感覚」が生じて「さらに逃げなければ」という恐れが強化され、さらに依存症状が進行する。

 こうして見ていくと「恐れ」を打ち消すのは「喜び」だけなのだとわかる。まるで「不運」「不幸」を「幸運」「幸福」が打ち消すように、100%ではないにしろ「恐怖」は「喜び」によって打ち消される。

 その喜びを「歓喜」といってもいい。神社仏閣の祭礼・参詣・縁日や、遊園地や映画や、さまざまな芸能人のコンサートなどのイベントやプロスポーツの応援などで、私たちは「歓喜」する。それで生きるちからをもらって、恐れを動機とした日常生活の不健康さを補償している。

「よろこび」とはかくも重要で、健康に生きるために必須な魂の栄養素なのだとわかる。
「恐れ」のために生き続けてきた私のような人が、「喜び」のために生き方を変えられるように、神様、どうか私を励まし、どんな小さなことにも喜べる人間にしてください。恐れの生き方を続けさせようとする「敵(サタン)」の誘惑と悪だくみからお救いください。

 恐れは苦である。苦痛は恐れを産む。肉体の苦痛は恐怖を起こし、その恐怖は心に苦を産む。苦痛がとらわれを産む。とらわれは心に苦を産む。恐れは苦痛の原因であり結果である。恐れと苦痛は因果の関係にある。苦痛を与える家族とそれを恐れ苦しむ私は、苦痛を因とし家族と私を縁として恐れという果を形作った。その逆のパターンで「恐れ」を「喜び」に、「苦痛」を「快楽」に置き換えても同等の因果が導き出される。

 特記すべきは以下。ACの恐れは劇的な苦痛の体験によって生じた。それを打ち消すのは劇的な喜びとは限らない。むしろ、穏やかでささやかな喜びの集積によって癒され救われる。凍った心を溶かすのは溶岩や熱水ではない。春の日差しと温かい風にほかならない。

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by ecdysis | 2019-02-12 04:30 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 なぜ、いまさら祖母の狂気を思い返すかというと、実は若い頃から、ときおり狂気の小さな衝動が起きる。それはつねに妄想であって現実には起こさないが、自分で思い浮かべて自分でぞっとする加害妄想で原因がわからなかった。私は酒をやめて15年たったが、今でも以下のような妄想が瞬間的にわいてぞっとすることがある。
 もしそれらの妄想のひとつでも実行していたら、いまこうしていられるはずはない。実際に行使したことはまったくない。
 自分の中で時々起こる、こうした自分の意志に反する突発的な衝動性の小さな狂った妄想を列記する。

・電車のホームで人を突き落とす。あるいは自分が電車に飛び込む。
・冷たいものや熱いものを人の素肌に押しつける。
・幼児や乳児を逆さづりにして振り回す。
・通りすがりの異性に痴漢行為を働く。
・刃物で自分を傷つけるか他人を傷つける。
・マンションのベランダから通行人のいる地上へものを投げ落とす。
 
 いずれも犯罪で、狂った行動だ。なぜこのような自分でも忌まわしい妄想が起こるのか、身震いしながら長い間謎だった。
 しかし、この狂気は、一種のフラッシュバックではないかと思い当たる。気も狂いそうな恐怖と衝撃を私は幼少年期に幾度か味わった。そのトラウマは深刻だったし、いまだにすべてが癒えたとは言えない。気の狂った祖母と住んでいたのだから、狂った心があってもおかしくはないが、恐ろしすぎる。
 だからこそ、そのときの気も狂わんばかりの子供の意識が、私の心に作用して何事かを伝えようとしているのだと思える。

 おそらく、うわ~と泣いて言葉にならない恐れと苦痛と絶望と嘆きの叫びをあげているのだろう。
 私は、それを聞いて、そこにいるということを見つめる。否認は決してしないし、あってはいけないとも、いてはいけないとも決して想わない。
 私は気も狂いそうに怖かったときの自分を思い返し、その涙と苦痛と叫びをあるがままに受け入れる。おそらく、その必死な狂気の声が残って響き続けているのだと想うが、それも自分であると認めて生きていくのはもちろんだ。
 私と、その子供は同じ素材、たとえばひとつのお餅の上に生じた大小ふたつのふくらみのようなものだ。だから、両者が手をつないで歩いたとしても、それは親子でも兄弟姉妹でもない。私は、その幼子の分身であるし、その子は私の分身なのだ。私は、彼であり、彼は私なのだ。だから、自分の内なる子供に対して、今の自分が親になれないというのは当然のことで、親子以上の関係性を有しているというのが正しい。

 いまあげた私の狂気の妄想は、ひとつひとつが、祖母の母をひどい目に遭わせたいという虐待者の悪意が現れたものだとすると、関連性があることがわかる。自分か他者を傷つけるという妄想も、のちに祖母が自殺したことを考え合わせると、やはり祖母の影響があるのだと思える。

 これらは、「祖母への恐怖」という一語で総括されそうだ。幼児期の私が迫害者である祖母、虐待者である母の二重の攻勢を受けながら、だれにも助けを呼べずにいた苦しみと、「だれか助けて!」と叫びたかった心が、異常な狂気のような妄想の形で現わされているのだ。

 その「恐怖」の病は、祖父に虐待された祖母と、姑である祖母に虐待された母と、母から虐待され。また父からも直接間接に肉体的精神的な虐待を受けた私という世代連鎖をなしている。

「恐怖」を動機とする行動は、かえって悪い事態を招くという事実を学んではいるが、心をひりつかせるトラウマによる「恐怖」の火は、まだ私の中で消え去ってはいない。その「恐れの火」を吹き消さねばならないのだ。

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by ecdysis | 2019-02-09 00:54 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 私のこの病というべき恐怖の根源の大きなひとつには、凶暴な精神障害者だった祖母とのかかわりにあったことは間違いない。
 妄想性の過敏さをともなう人格障害者だった祖母は、アル中の夫である祖父と嫁である母への憎悪と被害妄想に満ち溢れていた。日常的に粗暴で気の狂った言動で、私や弟妹や母を常に怯えさせてきた存在だった。

 しかし、私が成人するまで長年にわたって家族であった祖母から、自分の予想をはるかに超える深刻な悪影響があったのではないかと気づきはじめた。無自覚のうちに、彼女の「病的な心」を受け取ってしまったのではないかと、最近、とても気になっている。
 自分が恐れて憎み嫌った家族から、その家族のネガティブな言動を、知らずにとりこんでコピーしてしまう現象が起こっていたようだ。まるで病原性ウィルスのような「精神的感染」現象が起こるということに気づいた。

 親が依存症でACになり、やがて同じ依存症を発症した子供たちは、最初は「親のようにはなりたくない」とだれもが思っていたはずだ。ところが、そのように意志するものの、実際には親と同じような大人になってしまう。
 意志だけでは親と同じになることを避けることはできない。私もそれを思い知った。

 祖母の精神状態がいかであったかは、私自身が18歳のころにまったく同じ精神に異常をきたしたのでよくわかるし、それゆえに一時は殺害を決意するほど憎んだ祖母を許すこともできた。その経緯はすでに、このブログでも記した。
 しかし、許す許さないの次元とは別に、彼女と同じ屋根の下で暮らすことによって受け取ってしまった悪影響の吟味は、この三十年間してこなかった。それを分析し、しっかり表現する時期がきたのかもしれない。

 ふりかえれば、幼稚園時代にいじめられていた恐怖が、人生最初の恐怖体験として大きく映るが、実はすでに三~四歳のころ、かなり強いストレスを感じていたことが、想い起こされる。
 当時の一枚の写真がある。母の膝の上に抱かれてミルキーの箱を片手につかみ、父と三人で撮った写真があるが、母に抱かれた私は泣きべそをかくような顔をして、まったく幸せそうではない。
 おそらく妹が生まれてまもなくで、「ちゃんとしたおにいちゃんになりなさい」という、母の私への支配的子育てが開始されてまもなくだ。
 母の前に正座させられ、「これからは、かあちゃんのことを、かあちゃんではなく、おかあさんと呼びなさい」と一方的に慣れ親しんだ母の呼び名の廃止宣告されたころだ。困惑し母親に素直に甘えることができなくなったと感じたできごとだった。 
 その一方的な宣告には三歳時の私は大いに不満で怒りを覚えているし、手足をばたつかせて叫びだしたい気持ちになっている。ひとことでいうと「ふざけるな」という怒りだったと思う。

 また、被害妄想の強い人格障害だった祖母への恐れも、私に伝染していったようだ。祖母は、同居する若い息子夫婦の稼いだ金銭を搾取していて、どんなささやかな贅沢も楽しみも許さなかった。
そのため、母から以前、聞かされたが、2歳のころの私に、お菓子を買ってあげるのも、祖父母の目を盗むように気をつかって、私にこっそりとくれたのだという。祖母にそれを知られると無駄金を使ったと叱られるので、母は私に「いいかい、お菓子をもらったって、だれにもないしょにするんだよ」と、私に命じたのだという。
 しかし、子供の私には母のいうことが理解できなかったらしく、お菓子をもらってうれしかったのか、翌日、祖母のいる前で「かあちゃん、きのうお菓子をもらって食べなかったもんね~」とあどけなく告げて、母をあわてさせ祖母を怒らせたという。

 同じように、3歳ぐらいのとき、祖父に庭先のものかげに呼ばれ、「さあ、はやくこれを吸って食え」と卵の先端につまようじの先大の穴をあけた一個の鶏卵を差し出された。
 半世紀前の東北の片田舎では、卵は、牛乳・バナナなども同じだが、今では想像もつかないほど貴重な食品だった。なにしろ、農家が鶏を飼って生んだ卵を、一個単位で納入してその代金を農協の個人の預金通帳に積み立てる「たまご貯金」という名目の口座が当たり前だった時代のことだ。もちろん、私の生家でも鶏卵は現金収入の手段のひとつだったらしく、祖母が卵を自家消費することを嫌って目を光らせていた。当時は乳牛も飼っており、生乳の缶を集荷所に持っていく父たちの姿をおぼろげに覚えている。
 刺激すると面倒な祖母の目を盗んで、祖父が孫かわいさに、卵をこっそり一個失敬して、食べさせてくれたのだ。
 そのとき、祖父も私にこういって卵を渡した。
「早く食え、ばあちゃんにみつかんないようにな。卵もらったっていっちゃだめだぞ」と、また幼児に口止めである。
 家族として当然の愛情表現の食べ物をもらって、なぜ口止めされねばならないのか。なぜ、素直にありがとうといわせてくれなかったのかと、今の私なら抗議するところだ。

 この時点で、すでに両親も祖父も、祖母の人格障害に巻き込まれて、私もその病理に巻き込まれて、人からものをもらうことや、してもらうことに、素直に感謝できず、罪悪感や秘密のもどかしさをともなうようになっていたのだと思う。
 そのとき、祖父からもらった卵の黄身の甘さは、いまだに記憶に残っている。おいしい卵だった。
 このように、家族全員から恐れられた祖母を、私も妹も、のちには弟も恐れるようになった。その恐れは、恨みになり、憎しみにもなった。

 祖母には、以下のような病気の言動があった。
 まず猜疑心。たとえば身の回りものがなくなると、根拠もなく家族のだれかがとって隠したことを疑う。また、わざとなくしたふりをして、母にいいがかりをつけることもたびたびあった。
 罪のないもの、正しいものを、ひきずり落とし、無傷のものを傷つけたいサディズム。清らかなもの美しいものを、その清さと美しさのゆえに憎み呪う。自分が持てないと思ったものを持っていると感じた相手を激しく嫉妬して憎む。
 自分は不当に嫌われており、家族がいつも自分について陰口をいっているという妄想を持っていた。

 他人の悪意や反感には極度に敏感で、即座に暴言を吐いて罵り、ひどい場合は暴力をふるったり唾を吐きかけたりした。
 家族以外の赤の他人への外面だけは非常によかった。列車や旅館でゆきずりに出会う人たちには、家の中では想像もできないほどの快活な善人を演じる。その出会った人たちがみな、「こんなおばあさんなら、うちにもいてほしい」というほど、陽気で愉快で人のいいお婆さんに変身する。しかし、家に戻ったり、身内になったり、入院先で同室になったりした人たちには、気の狂った鬼婆である。

 おそらく本人も原因がわからなかったと思うが、いつも不機嫌でいつも怒りっぽく、手負いの獣のようだった。私たち家族は、本当に腫物にさわるように恐れながら暮らしていた。祖母が温泉に宿泊湯治にいったり旅行にいって家をあけるときは、本当にほっとしたものだ。
 もちろん、祖母が戻ると、彼女はすぐに自分がいない間に、家族が自分の悪口をいって自分をのけものにして楽しいことをしたのではと、疑惑の探索をはじめるので、祖母が帰宅すると家じゅうが緊張していた。

 うつ病も持っていたらしく、入浴することが少なく臭かった。母が嫁にくるずっと前に肋膜炎の大手術をしたが、それは夫である祖父が酔って自分を蹴飛ばしたからだと何度も被害者であることを訴えていた。私が高校生になって祖母に反抗して突き飛ばすと「孫にまでいじめられる」と自己憐憫の涙を流すこともあり、深刻な病的自己憐憫の持ち主だった。

 これらの祖母と同様の行為、もしくは精神態度や妄想を私も受け継いでいるのではないかと気になる。実際に小学校五年のときに、人を疑う私の悪い癖を、母方の祖母に指摘されていたほどだ。

 もちろん、そんな祖母を恐怖しながら冷や汗をかきながら仕えていた母の恐怖をも、私は受け取り、そんな母のストレスのはけ口のように、私自身が母から虐待された。だから、私は祖母と母の二世代の狂気とストレスをまともに受け取って育ったのだ。
 その逃げ場のない「恐怖の家」を、なんの心の麻痺も逃避も依存もなしに生き延びることは不可能だった。

 そういう環境で、まずアルコールが苦手だった母が、飲酒による快感への逃避を覚え、私が中学校2年のときには、キッチンドリンカーになっていた。私や弟が同様になることも不可避だった。
 こうした環境下で、アルコール依存症になり、引きこもり・うつ病・被害妄想・誇大妄想・パニック障害・対人恐怖・女性依存・抜毛症など、一通りの症状を経験してきた。

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by ecdysis | 2019-02-09 00:47 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 母親からの虐待や祖母・祖父への恐怖や幼稚園でのいじめで、小学校低学年のころまでの私にとって、世界は恐怖そのものだった。出口のないお化け屋敷にいるようなもので、すでに幼児性の抑うつを発症していたとわかる。

 そんな中で、私が安心してかかわれる相手は、3歳下の妹だけだった。妹という自分より弱い相手とかかわるときのみ、安心できるという人間関係の構図が、すでにそのときつくられたのだとわかる。

 六歳のとき、父母と妹と四人で県内の港町に引っ越しアパート暮らしをはじめた。父は首都圏に出稼ぎにでかけて、母子で三人暮らしだった。そのころ、兄だからという理由で、妹の面倒をみるよう言われて、母が私たち兄妹だけを残してひとりで買い物にでかけて、私はひどい孤立感を味わった。あのときは母が帰ってくるのを待ちかねて、妹の手をひいて母をさがして外に出て、迷子になって大泣きした。近所の見知らぬおじさんおばさんに助けられて、あとで母に引き合わせてくれたからよかったものの、幼い子供二人をおいてひとりで買い物へいくかねと、今の私なら当時の母に文句をいいたいところである。その後、やはり子供時代に妹と二人で孤立感を味わう場面があり、私は自分が寂しいときに、自分が面倒をみるべき弱い立場の相手と一緒にいるというシチュエーションに適応してしまったのだろう。

 こうした自分の「自分より弱いものへの傾倒」は、大人になると「自分より弱いものに引きつけられる」というACの特徴となって現れるのを自覚した。脳内に、トラウマと恐怖と有力感の回路ができてしまったのだ。

 私は、病的な女性とばかりかかわってきたと何度か書いてきたが、それもそのはずで、すでにアルコール依存を発症するほどのACである私が、「安心できる自分より弱い相手」を選ぶとすれば、それは「自分よりも重症のACの女性」しかいないではないか。
 すなわち、私の異性関係の基本は、この「自分より弱い相手に安心を感じる」という感覚そのものに問題があると見えてきた。
 これは、別の言い方をすれば「自分の方が優位である場合に安心感を覚える」という「相手への有力感」にほかならない。つまり、「相手への有力感」と「安心感」がイコールで結ばれているのは、不健康なことなのだとわかる。

 なぜなら、本当の安心感は、自他の比較の必要はなく、自分が無力で弱くても大丈夫であるという、他に自分を全面的にゆだねている気持を基本とするからだ。
「自分の方が優位でなければ安心できない」というのは、本当の安心感ではない。それは条件付きの安心感であるがために、決して身も心もリラックスできる安心感には至れない。
 大切なのは「自他の優劣」という比較競争ではなく、「自他の平等対等」という家族内で体験すべきだった健康な関係性なのだ。
 私はアルコール依存の自助団体に通い、そこの人々とつきあいを続けることで、「対等な人間関係」を初めて実感するようになった。

 自分より弱いものに安心を感じるということは、逆に自分と対等か優れた相手には、恐れと不安を感じるということだ。それが、対等か自分より優れた相手への嫉妬や非難や中傷や攻撃などに変形された悪意として発現する。しかし、その場合、わたしもそうだが、恐怖を感じる相手への恐怖を自覚することはほとんどない。ただ、恐怖は、その相手への過敏な非難や嫉妬やネガティブな評価という感情で現れる。しかも、その非難・嫉妬・否定的評価が、内なる子供の恐怖が変形して現れているという自覚もほとんどない。

 さらに、その内なる子供の恐怖は、あくまで主観によるもので、客観的に恐怖すべきものかどうかは問題ではない。内なる子供が「こわい。いじめられる。痛めつけられる」という脅威を感じたら、もうそこで恐怖による感情行動が発動してしまう。

 深刻な恐怖に打ちのめされた子供の私は、「自分より劣ったもの相手なら安心である」という体験によって、自分から見て自分の方が優れていると思う相手ばかりを友人に選んだ。一時期、近所の友達が全員女子だったこともあるほどだ。

 その一方で自分が有力になっていく方法を探した。自分が有力になれば、その分、自分より劣った相手の数が増える。それは、自分にとっての安全圏の拡大を意味し、安全圏の拡大は恐怖を遠ざけることになる。

 相手より優位に立つ方法は、私の場合は学校の成績をよくすることだった。恐怖から逃れるために、学校の図書室で貸し出す本の読書を好んだ。その結果、知識が増えて、ほかの児童生徒より理科や社会のテストの結果がよくなり、有力感が増したため授業でも積極的に手を上げるようになり、教諭の覚えもめでたくなり、私の学校での安全圏拡大はひとまずうまくいったけれど、家に帰れば相変わらず、そこは恐怖と脅えに支配された場所でしかなかった。むしろ、学校で安全圏が拡大するのと反比例して、家庭の状況は悪化していった。

 いわゆる「家ではいい子、学校では優等生であること」が唯一の保身だった。しかし、高校が進学校だったため、私はもはや優等生ではいられなくなった。私を支える「安全圏」が消失した。私は、もはや自分には価値がないと感じ、ひどい劣等感にさいなまれ、優等生であることで否認してきた自分の生い立ちのひどさを見ざるをえなくなり、16歳のときにフラッシュバックが起こって精神的に壊滅状態になった。その先にアルコールが手をのばせばすぐそこにあり、母と同じく生きる苦しみを泥酔することによってまぎらわせ麻痺させることを覚えた。

 私の短気ないらだちや怒りっぽさや妬み深さも、「恐怖」が関与している。アルコール依存症の症状であると同時に、それは同じ病気だった祖父の心であり、粗暴で理不尽な言動を重ねた人格障害の祖母の心でもあったと気づく。
 これは、とても生きづらく苦しい感情生活だ。ささいな他人の言動に責めと裁きの憤りを発し、自分よりすぐれた言動や業績をあげている人間を見ると、むらむらと妬みの心が湧いて不愉快になる。心の狭さというものは、他人を不愉快にさせるのはもちろん、本人にとっても苦しみでしかない。心の狭い人は、その心の狭さによって本人がいちばん苦しんでいるのだ。

 釈迦やキリストの教えや神道・儒教の学びをする一方で、こうした幼児的で病的な感情に苦しめられる。これは、私が祖父母におびえ恐れ苦しめられた生い立ちのうちに、彼らから刷り込まれ、また無自覚のうちに学んで習得してきたことだとわかる。

 つまり、私は心の病み方も傷つき方も、心の狂い方も、祖父母から学んだということだ。

 その学んだ心の病み方の根底にあるのは、「恐れ」だ。屈辱を受けること、排斥されること、孤立させられること、笑い物になること、挽回しようのないどん底の恥のただ中に置かれること、責めと裁きに追いつめられること。それらを何よりも恐れていたことがわかる。
 それらの「恐れ」は、実はアルコール依存症の祖父が、酔って自分の住む村落と近隣の人々に迷惑をかけた結果、こうむった非難と蔑視の経験のはずである。根拠も理由もなく、責めや裁きを健康な人々が下すことはない。

 祖父がアルコール依存症になったのは、親である曾祖父が酔って日本刀をふりまわす酒乱だったことにある。その幼児期の救いようのない強烈な恐怖のトラウマ体験があったからだと推測できる。自分の生存が極度に脅かされるという恐怖の体験がトラウマとなり、そこからアルコール依存症や、十五歳ごろから売春宿に入り浸るなど性依存症に陥ったと考えられる。アルコール依存のあげく三十三歳で死んだ私の弟も、父親を極度に恐れ憎んだまま死んでいった。
 祖父も、トラウマと依存症が発症して進行するプロセスで祖母と結婚し、五人の子を育てなければならなかったのだから、そのストレスは筆舌に尽くしがたかっただろう。

 人間として非常に不健康な人格形成をおこない、心の病気を発症している祖父のような男が、ちゃんとした家庭を営むのは無理だ。あるいは、私の父親は明らかな発達障害なので、祖父もそうだったのかもしれない。

 ゆえに、私の怒りや妬みの問題は、実は私自身のみならず、親や祖父母たちにもあった問題であるとみなせる。
 人は対等な会話においてこそ孤独を癒す。対等でない支配・被支配の関係は孤独しか生まない。アルコール依存症による典型的な症状である自我肥大は、孤独感・孤立感を産んで、ひとつもいいことはない。加えて、特有の「わたしは正しい、みんな従え」という気持ちも救いようのない孤独を生む。曾祖父も祖父も父も母も弟も私も叔父叔母も、全員がその「酔いの孤独感」に打ちのめされて死んでいったのだ。

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by ecdysis | 2019-02-09 00:32 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 渇愛について、重複になりますが、非常に重要だと考えますので、再度、よりくわしく書いておきたいと思います。
 釈迦の話した原初の説法に近いといわれる経典は、古代インドのパーリ語で書かれたものだといいます。いわゆる南伝または上座部(テーラワーダ)あるいは小乗と呼ばれる流れの仏教の経典です。その中に「渇愛」とその解決法について釈迦が詳しく説いたくだりの経典があります。

 仏教では「初転法輪経(しょてんぽうりんきょう)」と呼ばれ、初転法輪とは、悟りを開いて最初に五人の弟子に説法し教えた内容のことです。
 釈迦の説法による「森羅万象の普遍の法」の開示は、法輪と呼ばれます。釈迦の法は、あたかも天界の王・帝釈天の乗る車の車輪のように、教えの車が他の土地の人々に走り転がって広がり、あるいは弟子や子孫に転がって教えを轍のように残して伝わるとしたものです。

 ちなみに、釈迦が悟りを開いた菩提樹の場所と、初説法しようと決めたかつての同行者たる五人の修行者たちとの間は250キロも離れていたといいます(『仏教百話』増谷文雄/ちくま文庫より)。現代の日本にあてはめると、東京から出たとして、西は浜松、北は福島あたりまでの距離です。現在のような通信手段のない時代に、釈迦がどうやって五人の居場所を知ったか、霊覚としかいいようがありませんが、とにかく250キロをてくてく歩いてお釈迦様が悟りの初の教えを授けにおもむかれたというのは、まことに感動的です。

 この釈迦の最初の説法を、法輪を初めて転がしたという意味で「初転法輪」と名付けています。
 その中に「渇愛」が「苦」の原因であると最初から説かれています。その「渇愛」(「愛欲」や「妄執」と訳すものもあります)は、次の意味と特徴を持つといいます。

「渇愛」は、パーリ語で「タンハー」といいますが、これは「渇き」「満たされない」「欲しがる」の原義を持つ言葉だそうです。欲求・欲望・要求・充足への願望をかねた言葉だそうです。

 すなわち、自分が欲望・欲求・願望を持つことを、あたかも渇いたものが水を欲しがるように愛してやまないから「渇愛」と表現しているのです。「渇きの状態を愛している」「欲望のある状態を好んでいる」ということのようです。私なりには「無自覚な強欲」と名付けたいところです。私は「渇愛の奴隷」であることが見えてきました。外見はいかであれ、みな各自の我欲(渇愛)と霊的・求道的な事柄についての無知(無明)の奴隷なのでしょう、

 自分中心の欲望・願望・要求は、渇愛ですが、それには三つの特徴があるといいます。
 ひとつは、渇きを愛するという状態は、欲望・欲求・願望が、水面に湧く泡のように、次々と個人の心にいくつも新しく生まれ、またくりかえしくりかえし起こって終わりがないということです。あれがほしい、これがほしい、ああなりたい、こうなりたい、こうしたい、ああしたい、こうであればいい、自分の思うとおりにしたい・・・などなどの想いは、すべて「渇愛」です。文字通り、渇きは水を飲めばいったんは収まりますが、また時間がたてば渇きがやってきます。渇きは毎日やってきて、しかも生きている限りとぎれることがありませんし飽きることもありません。そんな渇きと水を愛してやまないように、繰り返される欲望を愛してやまず飽きないのが渇愛の特徴です。

 二つには、欲望・欲求・願望を満たすことに喜びと快楽を覚え、足るを知らないことも渇愛です。さかのぼれば、欲望・欲求・願望を抱き感じる状態そのものに、喜びを覚え楽しみ愛していることになります。欲望を感じて、それが満たされない状態は、もともと苦しいことのはずです。それなのに、その苦しみは、欲望が満たされたときに味わうだろう喜びの予想と期待で麻痺させられてしまいます。そして、「どうしてもほしい」「こうであるべきだ」「なんとしても想う通りにしたい」という執着に変わってゆきます。アルコールや薬物やギャンブルなどの依存症は、まさにこの渇愛の特徴が病的に強化されて発現していると言えます。

 三つ目は、自分の欲望・欲求・願望の質と量に関係なく、それを喜び、そのひとつひとつを気に入り、自分にとって大事であると信じるのが渇愛です。また、そのような、快楽を求める自分を喜ばしい大切なものと思っています。
 つまり、人は苦の原因とも知らずに、自分の渇愛を喜び気に入り、楽しみ快楽を覚えて、限りなくさまざまな欲望・欲求・願望を抱き続け、生みだしながら生きていることになります。

 この渇愛は、また以下の三つの欲望として、それぞれに、あるいは三つ同時に、日常的に絶え間なく切り目なく現れます。
 ひとつは、五感の欲です。眼耳鼻舌身の欲です。自分の見るもの聞くもの嗅ぐもの味わうもの触るものにおいて、刺激を受け続け、快楽を覚え続けたいという欲求です。

 これは、直接に肉体に関することだけではありません。いい衣食住を手に入れたい、名誉名声を得たいなども、これらの欲求に含まれます。なぜなら、名誉欲・名声欲には、人々の羨み賞賛する顔を見たいという眼の欲、人々の賞賛する声を聞きたいという耳の欲がともなうからです。また、仏教では人に共通の欲望を「五欲」(食欲・性欲・金銭欲・名誉欲・睡眠欲)としていますが、それもふくまれます。この「五欲」は生きて家庭や社会を維持するのに不可欠ですが、適切な程度を超えると人を病ませるものとなります。

 ふたつめは、生存欲。生きたいという欲。自分の生きやすい都合のいい条件を獲得したいという欲です。「自分さえ生きられればよい」「自分さえよければよい」という欲。

 みっつめは、破壊欲と訳されていますが、私は排除欲・排他欲とみなすのがよいのではないかと思います。
 自分の生存を脅かすものは排除して滅ぼしたい欲。転じて、嫌いなものや厭なものを排斥して無いものにしたい欲。自分の思うとおりにならない人や事や物を消してしまいたい欲。この欲が強まって自分に向けられると自殺になるといいます。都合の悪いことは無かったことにしたい否認・否定の欲望です。

 私の場合、情欲を、渇愛の現れと認識し、格闘しています。格闘して情欲そのものを喜ぶ自分を自覚し、一時的にでも退けると、そのときだけですが、そこから名状しがたい深い悲しみのもやのようなものが、自分の中に沸き起こってきました。
 私の渇愛の向こう、渇愛の層の下には悲しみがあると気づきました。何か魂の悲しみのような、静かだが確かに深くきりのない悲哀が湧いてくるのです。

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by ecdysis | 2019-01-28 02:20 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 生きる上での苦しみを「煩悩」といいますが、これは釈迦の教えでは「無明」と「渇愛(愛欲/渇望ともいう)」の二大原因によるといいます。
「無明」とは、道徳・倫理・神仏・聖なる原理への無知・無自覚・無視のまま生きる状態です。「渇愛」は、欲望・愛欲・執着・むさぼり・偏愛を持つこととそれを疑うこともなく楽しみ期待する生き方です。

 この二つの煩悩の素を野放しにしている状態を、仏教では「放逸」といい、「修行を怠り怠けること」をも意味します。 
 この「無明」と「渇愛」は、人として生きる上でだれもが避けられない大変な問題であり、放置すれば、あらゆる人間が心身を病んで狂ってしまうとわかります。逆に「無明」と「渇愛」をなくせば、あらゆる人間が悟りを得られるといいます。釈尊(お釈迦様を尊んでいう言い方)の言葉を学んでいくと、そういうことになるようです。

 これを自分と、生まれた家庭にあてはめてみましょう。私の生家は、道徳的・倫理的・情緒的に無惨で惑乱したものでした。私が、ひどいACになったのも、各家族の「無明」と「渇愛」がまったく自覚もされず、野放しにされて、正しく修正されることがなかったからだと分かります。

 特に「渇愛」の問題は、非常に大きいものがあります。

「渇愛(タンハー)」とは「愛着と愛執の対象に激しく渇く」という意味で、「刺激に渇く」ともいえるでしょう。欲望と貪りの根源です。サンスクリット原語では「願い・欲望」の意味もあるといいます。「渇愛」は「無明(トリシュナ)」を原因とし、両者はわかちがたく絡み合っています。「渇愛と無明」が、この現世の人々に、煩悩をあまた生み続け、輪廻転生を繰り返させるというのです。この世の一切の現象が、そもそも苦(ドゥッカ=迷い)の原因・結果・連鎖以外のなにものでもないからです。

「渇愛」について釈迦は、悟ってから最初の説法の時(初転法輪)より、詳説しています。
 それには「五欲の渇愛」「生存欲の渇愛」「排他欲の渇愛」の三種があるといいます。すなわち、「目耳鼻舌触の五つの肉体欲の渇愛」「生きたいという生存欲の渇愛」「気に入らないものは排除したいという渇愛」ということになります。排他欲の中には、自分の思うとおりにならないものは見たくない、破壊したいという欲も含まれ、これを自分に向けると自殺になるといいます。
 しかも、渇愛は全体として、五感や生存欲や排他欲に関して、喜びと快楽を感じることが特徴だといいます。その特徴こそ、渇愛の証拠だと釈迦は説いたとのことです。そして、それらが執着となり、苦の原因となり、この悩み苦しみのやむことのない現世に、繰り返し輪廻転生させる因縁となると説きました。
 ならば、私がこの世で執着し楽しみとし愛着して手放すまいとしたものごと自体が、苦の原因ということになります。

 仏教では、苦を三種類(三苦)に分ける説があります。ひとつは、苦痛苦悩そのものである「苦苦(くく)」、一時的な喜びや快楽はあるが、それが永続せず終わってしまい戻ってこないことを憂い苦しむ「壊苦(えく)」、自分の心身・言動・環境のすべてが変わってゆき元には戻せないことを憂い苦しむ「行苦(ぎょうく)」の三つです。
 生きる苦痛を忘れ、幸福と満足を得るために是が非でも手に入れたいと願望したことこそが、現世で苦しみをつくりだし、なおかつ、来世もこの世に、今回と同様の悲惨な家庭環境に私の魂を生まれさせる原因となるということです。
 つまり、現世で自分に都合のいい、自分の思う通りになる出来事や生き方に、喜びと快楽を覚え、それの追求と実現に執着すればするほど渇愛が深くなるのです。思う通りにならないのが当たり前のこの世では、思うとおりにしたい、願った通りになれと念じれば念じるほど、あらゆることに苦しみが増え、来世もまた同様の思うとおりにならない苦しみを強く感じる人生を送らねばならなくなるというのです。

 自己中心を動機とする快楽、好み、愛好、嗜好、苦痛、嫌悪、排他心、怒りは、無常による変化を受け入れられない無知である「無明」から起こります。好み愛するものといえども、みな思う通りに続かず終わり、また変わってしまいます。嫌いな厭(いや)なものも絶えず現れるので、苦しみを生みます。好きなものは好きなもので、嫌いなものは嫌いなもので、どちらも100%思うとおりにはなりません。それによる不満や怒りや憎悪や恨みや苛立ち、悲しみ苦しみが、来世に生まれ変わらせる原動力となります。それがカルマです。
 つまり、私が激しく恋人を求め幸福な性交と結婚を念願したことについていえば、それが実現してもしなくても、どちらも来世に同じような苦しい人生が待っていることになります。
 今世、その願望を手放さないで、実現できなかったとすれば、それを恨み呪って自分の運命を憎んだまま死ぬことになるとします。その未練と恨みが、来世に同じ試練を与える人生に生まれ変わらせます。反対に、理想の恋愛や結婚ができたとしたら、今度はそれに溺れ、妻子に執着し、とらわれて支配しようとし、想うとおりにならない苦しみを味わい、こんなはずではなかったと恨み、愛する家族のゆえに嘆き悲しみ怒ることにもなります。そうした嘆きと怒りをもったまま死ねば、やはり来世は今世同様の苦しい試練を味わう人生に生まれ変わることになります。

 この順逆両方の快楽も苦痛も、念願への執着ごと捨て去って、強く念願することも恨むこともない、「中道」を歩まなければ、どちらにいっても苦しい試練の待つ来世に生まれ変わることになります。
 渇愛から離れるには、「中道」を正しく歩み身につけるしかないといいます。そうしなければ、またまた苦しい肉体人間の現世を歩まねばならない。

 前世・現世・来世の三世の視野でみるならば、愛して好んで喜びを覚えたものでさえ、執着となって苦をうみ、その苦がまた次の苦の輪廻の人生を生む構造があります。
 まことに「一切皆苦(この世のあらゆる現象は苦であり苦の原因)」です。「一切渇愛」と読み替えれば、まさにその通りで泣きたくなります。
 
「わが思う通りであれ」と願い念じる執着を手放さなければ、魂の平安は永久にやってはこないのでしょう。「わが意志ではなく、神・仏の御意志の通りであれ」と願い念じることが「中道」の一つの表現です。
 つまり、今の私の人生は、自身のもろもろの前世の渇愛の結果にほかなりません。私だけではない、いまどのようであっても、現世の万人がそうです。だれの人生も、今の自分はそれぞれの過去世の渇愛の集大成を生きています。
 そして私は思います。渇愛を止めたりへらしたりするのは「利他の心・ことば・おこない」であると。布施(心身言動をもって与え奉仕する)・利生(他を生かす)の心と行いこそ、渇愛を止め心の闇である無明を照らすと。

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by ecdysis | 2019-01-21 00:18 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

 私にとって、恋愛は刺激と快楽と挫折感と別離の痛みとデート代もままならないカネの心配で、いつも占められていた。カネがあれば、生活不安がある程度解決されていれば、とっくに結婚していたはずだ。

 刺激と快楽とカネの心配とで私の恋愛はいつも彩られていたが、そこに安らぎも落ち着きも、ついぞ降り立つことはなかった。愛する人を思い出して刺激を受けて自分を鼓舞して励みにすることはたくさんあったが、その人のことを考えることで落ち着きや安心を得ることはなかった。相手の女性に、カネの心配をさせないように、ちゃんとした社会人になりたかったが、それもできずじまいだった。

 父が会社を倒産させて、母や私たちを借金で苦しめたようなことだけは、相手に味わわせるまいと願ったが、それも実現できなかった。
 妻となる人に、経済的に苦労させてはならないという責任感は強かったが、原家族へのとらわれも強すぎて、現実の経済能力が追いつかなかった。

 自分は、現実社会での経済能力において、ダメな男だと心痛をいつもかかえていた。母が父のつくった借金で苦しむ姿を、私は見すぎていた。妻となる人よりも、まず母と弟のためにカネを稼がねばならなかった。その共依存による経済的消耗と精神的疲労がどれほど重圧だったかは、断酒してうつ病になったことからもわかる。

 いまになって、途方もなく無理をしたと思う。

 あげくに、弟も母も先に逝ってしまった。私は、一番助けたかった家族を助けられなかった。少なくとも、現世的には無理だった。

 ゆえにこそ、彼らが死後の霊人になってからの冥福を祈り、自分なりの追善供養を日々おこなっている。
 人の霊魂は永遠不滅なのだから、先に死んだからといって、彼らが死後もずっと不幸なままということはない。地道にささやかでも追善供養を積み重ねていけば、彼らが今度生まれかわってくるときには、はるかにましな環境に生を享けられるはずだと信じる。

 変えられない死という事実を、いつまでも悲しみ嘆くだけでは、自己憐憫にひたって自分を傷つけるのと一緒だ。だからこそ、日々、仏壇にお茶や水をお供えし、お線香を立て、お彼岸やお盆には手料理や菓子果物・花をお供えする追善供養を絶やさないようにしている。他者への小さな親切や、道端のゴミを拾うようなささやかな善行を絶やさないことも大事な供養である。

 そして、母や弟よりももっと不幸で見捨てられて死んだ無縁仏の諸霊にも、量は少ないが同じように毎日のように供養の茶と水と食物を捧げている。

 それら無縁仏の中には、かなりの高率でACやアルコール依存症だった人々がいるはずだ。はるかな昔から、それこそ何千何万という数かもしれない。その一部なりとも供養してさしあげることで、母と弟の供養、また祖父母やそれより前の祖先たちの霊の供養もできると信じている。

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by ecdysis | 2018-11-16 02:42 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(1)

 4月1日から4月2日の深夜にかけて起こったこと。

 キリスト研究のための資料として、シェモネ・エスレ(十八祈祷・アミダーの祈り)の日本語訳を読んだら、第一項目を目にしたとたんに感動が突き上げてきて、声をあげて泣いてしまった。
 そして、2千年前にキリストがガリラヤ湖のほとりで一人で祈っていたのは、ユダヤ人が一日に三度唱えるというこの祈りに違いないと感じた。ユダヤ人が日常的に唱える、旧約聖書「申命記」の祈り(シェマの祈り)といい「シェモネ・エスレ」という、すごい祈りの言葉が日夜唱えられていたのに、それでもユダヤ国家はローマ軍によって破滅させられた。

 祈りの言葉はすごくても、「心を尽くして祈る」という「神と民族へのまごころ」が失われ形骸化していたのだろう。神と民のためではなく、宗教者たちの多くが、人に崇められたい自己顕示欲だけで、ありがたい祈りの言葉を唱えていたために、神の御加護が得られなかった。福音書のパリサイ人らへのキリストの批判の言葉からは、そう解するほかはない。
 エルサレムの崩壊は、史実によれば、工期一世紀におよばんとするヘロデ大王のエルサレム神殿の完成のわずか一か月後であったという。そのご神意を想えば、もはや語るべき言葉を持たない。

 そのような体験の後、深夜に座禅をして寝床についた。すると、横たわる自分の頭部のレントゲン撮影のような映像が、脳裏にまざまざと浮かんだ。自分の頭蓋骨と上下の顎にならぶ整然とした歯列が見える。
 歯列と顎と頭蓋骨と喉のあたりの組織の透過映像を、私は見事なものだと感動して観察している。
 このように、見事で精緻な人体を設計されたのは、だれの意志かと思うと、それが神の御意志の表れであると感じた。 
 では、この先祖代々受け継がれる見事な人体という有機生命システムをつくられた神のご意志はいかなるものかと考えた。
 すると、そこにとてつもない神の慈愛がこめられているのを感じて、その深い広い愛情を受けたように思い、横たわりながら声をあげて泣いてしまった。

 これほどに見事で精密で完璧な有機生命体を無償で与えてもいいと思えるほどに、神様は人間を愛してくださっていると感じた。
 人間はじめ生き物の体は、神がどんなに生命を愛していらっしゃるかの現れであると強く感じて感激した。
 人間を深く深く強く強く愛しているからこそ、神はこの素晴らしい肉体を惜しげもなく与えてくださっている。
 あらゆる生き物の肉体は、神の、生命への「まごころこめた贈り物」なのだ。

 キリストが、自分の肉体をさして「この神殿」といったのは、そういう意味があったのだ。
 神の「まごころ」のましますところ、これことごとく「神殿」である。

 その感激のあと、別の相反するビジョンが起こった。
 神への信仰も目に見えない存在への畏敬もまったくもたない、長身の肌の浅黒い西アジア系の長身の目つきのするどい女が、斜に構えた腰掛姿で脳裏に現れた。黒髪を長くたらしてまとめた女は長い両脚を高々と組んで、わたしに皮肉交じりにこういうのだ。
「神の愛? あんたのいってることがぜんぜんわからない。そんなことがわかったからといって何が尊いの? さっぱりわからない。だいいち、そういう目に見えない存在をあがめていったい何になるのさ。人のために奉仕するとか、自己犠牲とか、ぜんぜん関心を持つ気になれない。あたしには関係ないこととしか思えない。神に従うなんていったい何の意味があるのさ」
 女はわるびれもせず、自信たっぷりにしっかりとした態度で「神への信仰なんて何の意味があるのかさっぱりわからない」といってのけた。
 この女は悪魔だろうか、私の心の中の悪の現れか、あるいは祖先の不信仰の集積の人格的表象かと疑問だった。
 のちに、この女の正体が判明した。現実にある人物の本音の心を現していることがわかったのである。

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シェモネ・エスレについて日本語訳があるサイト
http://d.hatena.ne.jp/elkoravolo/20131029/1383052696



by ecdysis | 2018-11-06 03:49 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)