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あやまちの核心

 私の少年時代の絶望と過大な結婚への期待が、ひとつのまちがった感情の核をもっていることがわかった。

 それは「自分の生い立ちの不遇と傷を、いちどきに完全に補い埋め合わせようとしていた」ということだ。これまで、自分の願望の中心をなしてきた事柄の何がいけなかったのか、言葉にならなかったが、やっと見えてきた。

 青少年期の私は、早く、確実に、効率的に、しかも一発逆転で、それまでの苦しい体験や悩みやトラウマ、周囲の現実を変えようとし、また変えたいと願っていたのだ。

 しかし、実際には、いまとなっては、そんなに簡単なことではなかったし、問題と共存しつつ、一生かけていくようなことがらだった。 

 急いで、早く、すぐにでも特効薬が欲しかった。しかし、そんなものはなかった。
by ecdysis | 2007-09-30 07:51 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

 母はもういないけれど、私はいまこそ言う。

「かあちゃん、もっと愛してほしいよ。もっともっと話をきいてほしいよ。もっともっと、ぼくのそばにいてよ」

 もっとそばにいてほしい。ずっとそばにいてほしい。泣きたくなくなるまで。こわくなくなるまで。 

 泣いている三歳児のぼくが、ずっと母に求めてきたのは、ただそのことだけだったのだ。
by ecdysis | 2007-09-30 01:36 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

 おそらく、私の女性依存、空想癖は、一生かけて回復させてゆくしかない問題だろう。
 これは、幼年・少年期の母との関係であった「ネグレクト」という虐待の問題を避けて通ることができない。

 親の愛情のまなざしを、ちゃんと受け止められなかった環境にあって、心が芯から凍るような孤独と寂寥にさいなまれていたはずなのだ。それが、女性依存に変化して現われている。

 何が必要だったのだろうか。何があればよかったのだろうか。
 それは、安全で安定した保護だった。衣食住を提供し学校に行かせることで、あとはほおっておいても大丈夫だと、親は思わなかっただろうか。子供にもっとかまいたいと思ったとしても、人格障害の祖母と酒乱の祖父と父親に気をとられて、子供のしつけや心にまで関心を向ける暇が、母にはなかったはずだ。

 いま思うが、幼いころの私は、だれからもかばってもらえなかった。だれにも守ってもらって安心だと感じた記憶がない。いつもひとりで、いつも自分の力でなんとかしなければならなかった。どうして親に頼ったり甘えたりできなかったのか。あるいは、そうできたときもあったのかもしれないが、残念ながらその記憶がまったくない。

 母の残した日記の断片には、小学校3年の私が、家に戻ってきて「腹が減った」といきなり泣き叫びだして困りはてたと書いてある。私には、そのときの記憶がまったくない。しかし、普段はおとなしいのに、突然に発作的に泣いたりわめいたりする子供は、日常的に強いストレスにさらされている場合が多い。

 母の日記が正しいなら、私は小学校3年生で、そういう感情コントロールのできない子供だったといえる。すでに、そのころに、今日の情緒性に問題のある人間性が発現している。

「はらへったあ~」と泣きだだをこねる子供。それは赤ん坊に帰っている子供だ。
本当は泣きながら、「さびしくてたまらない。もっと愛をちょうだい」と、叫んでいたのかもしれない。
by ecdysis | 2007-09-29 23:18 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

 自助Gに通いながら、同じ病気の人たちが「助けあう」ことの大事さをしみじみと感じる。
 
 そして、アルコールだけでなく、さまざまなアディクションや精神疾患についても、なんと多くの人たちが「自分ひとりの力」で、あるいは「家族の力」で治そうとして、苦しみを深めることか。
 自分の意志や努力で治したり回復できないから「病気」なのだ。独力で、あるいはごく少数の近親者だけで改善できたら、それは病気ではないし深刻でもない。健全な人である証拠だと思う。

 アディクションには、医師や福祉などの専門家、カウンセリング、自助Gなどが必要だ。必要でないというのは、本人や家族の思い込みであって、思い込みが死につながることもある。いな、専門家に見てもらい、治療を続けているのに亡くなる人も少なくないだろう。

 できるだけ、多くの人に助けを求め、現実生活でもネットでも、うつ病やひきこもりがひどくなっていない限り、より多くの他者とかかわっていることが必要だ。
by ecdysis | 2007-09-29 22:44 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

 すでに中学1年のとき、「学級相談」の場で、私は担任の教師に「家族がケンカばかりしていてつらい」と泣いた。そのころから、なにかにすがりたい、頼りたいと気持ちが強く現われたのかもしれない。

「学級相談」というのは、担任が生徒ひとりひとりと勉強や進路や家庭などのことで個別に相談の場をもうけて面談することだ。学校の図書室の一角、書棚の裏側の小さなスペースで向き合い、私は教師に、それまでだれにも話さなかった荒れた家庭の人間関係のひどさを告白した。大人の怒声や罵声や泣き声が絶えず、毎晩のような酒乱の父親の暴力など、話しているうちに、泣くつもりはなかったのに涙がこみあげてとまらない。

 そのとき初めて、自分が、いかに大人どうしの家庭内の言葉や肉体の暴力に傷つき、苦しんでいるかを自覚した。それまでは、慣れて平気だと思っているはずだったのだ。自分が、そういう不安定ないざこざばかりの家を、なんとかしたいと強く思っているのを、最初に自覚した時だった。

 それだけのことを担任の教師に伝えたのは、その男性教師を信頼してのことだったが、無理もないことに、泣いている私に対する教師の返答は「いまは辛くても、きっといつか笑って話せるようになるから」という凡庸なものだった。

 私は、助けがほしかったのだ。いますぐに。だれかに、自分の家をなんとかしてほしかったのだ。幼い私は、教師に助けを求めたつもりだったが、月並みな慰めの言葉に、落胆をおぼえ「やっぱり、この人もわかってくれないんだ」と、涙がひあがった。それから、他人に自分の家庭のことを相談するのはやめようと思った。

 私は、学校ではめいっぱい明るく元気で、積極的な少年だったから、まさかそんなひどい家庭に育っているとは思わず、担任もおそらく困惑し、理解できなかったのだろう。

 家では父親が建設業の会社をおこし、東北新幹線の建設ブームで軌道に乗り出していた。しかし、家の中では精神障害の祖母が、毎朝毎晩、母や家族に罵声を浴びせ、怒声を放ち、被害妄想で家族に疑いをかけ、家庭をめちゃくちゃにしていた。言葉の暴力や、いまでいうモラルハラスメントを常時おこない、家庭の団欒を決して許さない状況が続いていた。

 学校で成績だけは優等生的だった私は、生徒会の役員に選ばれたが、それが苦痛でならなかった。早く家に帰りたいだけで、生徒会というものの意味も役割も責任も、まったくわからない子供にすぎなかった。まぢかに接した教師や生徒は、変わったヘンなやつだと思ったにちがいない。

 家では大人の争いの重圧、学校では生徒会のストレスで、私はしだいに追い詰められてゆき、翌年、なんのまちがいか、生徒会長に選ばれてから、それはピークにたっした。そして、抜毛症(トリコチロマニア)が発生し、髪の毛や眉毛やまつげを抜くことがやめられなくなった。
 
 のっぺらぼうの顔に、もみあげも抜いて存在しない、スズメの頭の帽子のような坊主頭の中学生だ。きわめて奇異な面貌をしていたし、当時の写真を見るとそれがよくわかる。

 学校は男子は坊主頭が「制服」だったので、抜毛による顔の変形は隠しようがなかった。それは身も縮む恥ずかしさだったが、自覚しながらもやめられなかった。私は自分が普通の顔ではない異形で、恥ずかしいグロテスクな顔をしていることがわかっていたから、恥じて恥じて、身も消えんばかりだった。体毛は、一度ぬくとはえそろうまで相当時間がかかるので、抜いたが最後、身もだえしたいような精神的苦痛になった。

 そんなとき、一人の下級生の女の子を好きになった。もちろん、自分がへんな顔の少年だとわかっていたから告白なんてしない。

 あるとき、授業でひどく眠くなって、いねむりしそうになった。
 そのとき、ふと彼女のことを考え、顔を思いうかべた。そうすると、ふしぎなことに眠気がふっとんで消えた。そうか、好きな相手のことを思い浮かべると眠気がさめるのか。

 それから、私は「好きな女性のイメージ」を精神が苦しくなるたびに濫用するようになっていった。もちろん、そのイメージの主に対して現実になにか影響を与えたわけではない。ただ、女性との関係において、常に自分のイメージや思い込みの方を優先させて、現実をみないようになっていった。気づかなかったが、恋愛に関して、過度に空想的関係しかできなくなっていったのだ。

 そうした女性イメージへの病的依存が、女性そのものへの依存に変わっていったのは論をまたない。一番の弊害は、大人の男性に必要な、心理的な要素がつちかわれなかったということだ。女性と暮らす上での自立心や責任感、家庭を守るための現実的な経済力など、大人の男性が備えていなければならないはずの人格的要素が、育たなかったのだ。
by ecdysis | 2007-09-29 10:27 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

瞬間的に死にたくなった

 少年時代の自分に戻り、風呂に入ってあわだらけになりながら、「こんな、女を守ることも、家庭を維持することもできない無能な男は、死んだほうがましではないか」と、ふと自殺しようかという念慮が働いた。

 普通の男性たちが、家族を守るためにいろいろ苦労しているのに、この自分のていたらくはなんだろうかと思った。結婚の約束を果たせなかった女性たちがくれた愛に対し、答えられなかった罪悪感が眠れなくする。その後悔と未練とともに、彼女らに報いるには、自殺しておわびするしかないのではないか、と本気で考えた。

 働かない父を、叱咤激励、憤激罵倒していた母の声や顔が明滅する。
「ダメ男」「こんなやつと結婚して失敗した」「稼がない男は出て行け」「おまえのようなものは家の旦那とはいえない」「死ね、死んでしまえ」などなど、父の会社が倒産してから、飲んで暴れて暴言を吐き散らす父に、母は怒りとののしりを与え続けてきた。

 そうだ。私がつぶさに見てきた、苦痛きわまる夫婦関係のイメージが、心の中に沈殿してはわきあがる。

 母が最後の病に倒れる直前まで、父に与えてきた悪罵を、私自身があたかも受けているかのように感じる。わかっている。これによって生じた罪悪感こそ、3年前、うつ病に私をおとしいれたものなのだ。

 母の男性観が、私を苦しめる。そして、彼女の男性観は、決して異常でもとっぴなものでもないから、なおさらのこと罪悪感になったのだ。

 小学校の時分から、父の酒と暴力の問題を中心に、父と母はいつも激しい夫婦ゲンカを繰り広げてきた。子供の私には、彼らの声が聞こえない場所がなかったので、いつも不穏で荒廃した雰囲気の中にいるしかなかった。

 それが、どれほど子供の私の心を傷つけてきたか。
 久しぶりに、父母のケンカにあけくれる悪罵と怒声といさかいの毎日を思い出した。
 いまになって泣けてくる。泣くしかない。両親が不仲であるという環境を悲しんで、私は少年に戻って、今夜も涙を流す。
by ecdysis | 2007-09-28 01:42 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

破産した夢

 まるで少年のように悲嘆が襲ってきた一日だった。

 恥ずかしくもおろかな妄想である、自分がいつかちゃんとした相手とめぐりあい、普通の家庭をもてるという期待への未練が、また崩れたからだ。

「ちゃんとした相手にめぐりあえない」ということが、「破産した夢」という言葉とともに、降ってきた。ここでも縷々つづってきたが、そういう夢を持ったのが18歳のときだから、約30年後のいま、それがまったくの破産であることを認めねばならないと苦しむ一日だった。

 私とペアになる女性はいない、という現実が、また一段、深く胸に降りてきた。 

 しかし、この夢なしには、生きてこられなかった。「ふさわしい相手がいるにちがいない」という強烈な期待があったからこそ、その出会いとその後の人生に夢を託した。本当に、それだけを人生の行動原理の中心にすえて生きてきた。いな、積極的行動はともなわなかったから、待ち続けた。すべては、自分がめぐりあえるべき人との暮らしのための準備であり、そこからこそ私の本当の幸福な人生がはじまるはずだった。

 だが、「はじまるはずだった」という確信は、なんら具体的な行動に結びつかなかった。実は「そうなってほしい」という願望の変形にすぎなかった。私の人生の唯一最大の楽しみと期待がこわれ、いかなる形でも「家庭を持つ相手とのめぐりあい」はありえないことがわかってしまったのだ。めぐりあえたとしても、それを現実にする能力が、私の側で欠落している。

  自分に縁のあるふさわしい相手とめぐりあい家庭を築くという、ごく当たり前のことが実現できなかった。ふりかえれば、その「相手探しの夢」こそ、男女関係のみならず、対人関係や生活上に起こった多くのトラブルや苦悩の原因になってきた。どれもこれも、その「夢」と「期待」ゆえに起こったことであり、それへの未練のせいでひきおこしてきたことだ。

 普通の人ならば、「いつどこで、どんな縁が生まれるか、わからないのが人生だから、そう決め付けたものではない」と、すでに結婚している親戚たちと同じことをいうだろう。だが、そういう考え方に身をゆだねてきたのに、結果は破産だった。普通の人と同じように酒をのむことが一生できないように、生涯、女性と暮らすことも永続する関係をもつこともできない人格になってしまっている。

 30年前に抱いた身の程を知らぬ夢は、普通の人には当たり前のことで、時期が来れば縁によって実現できるものだとは思う。だが、私の場合は、まったく空想に過ぎなかった。それは「夢」への依存、やさしい女性のイメージへの依存にほかならず、あまりにも荒廃した自分の心を救済するためには、少年の私にはそれしかなかったのだ。

 30年間の空想と期待が破産したあとに残されたものは、その夢を抱くようになる前の少年の私自身だ。神を意識し、祈ることを知らない少年の心だ。ひねくれて、すねて、甘えを素直を出せずに、すてばちでなげやりな虚無感に染められた自分が、うなだれて立っている。

 生い立ちへの憎悪と他者への羨望と被害妄想に苦しみ、人格障害状態の私に戻っている。ほかの幸福そうに見える人々と自分を比べ、ものおじし、恐怖し、自分は劣った人間以下の存在なのだと絶望している。ほかの人と同じレベルまで、せめてはいあがろうと思いながら、それより良い状態にはなれないのだと陰気で暗い涙を流している。

 それでも、体の半分は、少年の絶望に泣きながら、もう半分はこうして生きている。

 少年よ、わが過去の人格よ、私はきみとともにいる。きみは私とともにいる。神を知らないきみと、神に祈ることをおぼえた私とは、ともに現存している。思い切り、破産した夢のために泣くがいい。痛ましい迷える少年の心よ、流せよ、涙を。病んだ心よ、いまこそその病を認めて泣くがいい。30年間の「相手探しの実験」は失敗に終わった。

 だれも知らないこの悩み、神さまのみがご存知だ。しかし、同じ苦悩に悩む人たちがいる。少なくとも、私ひとりが苦しんでいるわけではない。その事実も認めよう。

 私は、少年の私にいう。
 きみには、なぜきみにふさわしい相手が現われないことになっているのか、その答えを与えよう。

 それは、きみがきみ自身であるために、きみがきみの唯一性を保つために、必要なことだからだ。きみは、きみ以外の人間になれないし、きみにしかやれない、きみにしか送れない人生がある。

 きみは、いまできることからはじめればいい。どんなことでもいい。いまからはじめればいい。夢見て待つばかりの人生、いない相手を必死に人恋しさのまなざしとともに探すのをやめよう。

 いないものを探すのは、もうやめる。待ってもこない人のために生きようとするのをやめる。

 私は、私の時間と私の唯一性のために生きよう。
by ecdysis | 2007-09-28 00:11 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

助けを求める女たち

 私の祖母は、ひどい酒乱の夫たる依存症の祖父から虐待され、経済的にもまったく安心させられなかったので、私の母が嫁にくるころには、粗暴で被害妄想と誇大妄想に病む人格障害者になっていた。

 そして、母を虐待し続けた。私はそれを目の前にして育った。

 その結果、私はいつも「母を助けなければ」「母を楽にしてあげなければ」と思い、常に母のことを優先させる「いいこ」になった。見かけは「いいこ」だったが、それは母が、常に全身から、声にならない悲鳴をあげていたからだ。

 「わたしを助けて」「私を救って」「私をこの苦しみから解放して」と。
 だから、私はそういう母の目に見えないSOSに、いつも反応しながら生きるようになった。

 大人になって、ひかれあう女性もまた、そういうSOSを出しているタイプの人たちが多くなった。ACによくある共依存的恋愛である。あわれみや、かわいそうさを感じることと、恋愛感情を抱くことの区別がつかない。非常にいいづらいが、「助けを求める母」が「助けを求める女」になったという形で、「マザーコンプレックス」の一環とみてもおかしくない。

 こと、ここにいたって、恋愛関係においても、私は破綻している。
「助けるために愛する」のだ。「愛するがゆえに助ける」のではない。はじめに「愛」があるのではない。はじめに「救済意識」があるのだ。傲慢であろう。不自然であろう。作為的であろう。
 これが「恋」であろうか。少なくとも健全な「恋」とはほど遠い。

 ああ、だが、母を苦しめた責任が、祖父母や父にあるように、私が助けようと愛した女性たちの苦しみの責任は、私のせいで生まれたものだろうか。
 彼女たちが、うつ病になったのは、私と出会う前だ。パニック障害になったのも、私と出会う前。それなのに、私は私のせいではないことで、彼女たちをなんとかしてあげたいと思う。

 さらに皮肉な現象が、それから起きる。彼女たちは、助けて欲しいのは自分たちなのに、逆に私を助けるようになる。いつしか、彼女たちは、私の「母」のようにふるまい、私はいつしか、「子供」のように依存してしまう。二重の共依存が進行する。

 やがて、「こんなに尽くしたのに、あなたは何も返してくれない」と恨み言をいうようになり、私は自分の非力さと幼稚さを思い知り、関係はこわれる。

 対等の健全な恋愛関係ではないからだ。「母」と「私」の関係性の再現にすぎないからだ。
 もうそんな「恋愛」しかできなくなっていたのだ。
 霊の世界にいるだろう母よ、母よ、あなたの私への期待と願望は誇大であり、息子をそんな金型にプレスするほど過大であった。
by ecdysis | 2007-09-26 00:41 | メンタルヘルス | Trackback | Comments(0)

マイ・レガシー

 今日、ある人の話をきいて、はっと思ったことがある。

 昭和三十年代前半まで、日本の地方では、お酒というものは、現代のような毎日飲めるようなものではなく、お正月や冠婚葬祭のようなごくごく限られた機会にしか飲めないものだったという。それだけ貧しかった。

 つまり、いまの私たちの祖父母が、元気に働いていたころだ。地方の田舎のおとうさんでも、「晩酌」ができるようになって一般化したのは、高度経済成長に入ってからだという。そう考えると、もっと前、終戦前や戦前の時代となれば、アルコール依存症になる機会も、かなり限られており、依存症者の数も限られていたはずだ。

 そういえば、私の記憶でもビールを近くの酒屋で買って、わりと日常的に飲めるようになったのは、昭和四十年代なかばだったはずだ。それまでは、飲み屋も居酒屋もなくて、近所の酒屋の帳場をかねたカウンターで、コップ酒を飲んだ祖父が、よくよっぱらって帰ってきたものだった。酒屋の中で赤くなってよろよろしている祖父を、みっともない恥ずかしいことだと、幼心に思ったのをいま思い出した。

 そこで思ったのは、大勢がそのようであったのに、私の生まれた家では、私の曽祖父の頃から酒乱の家系だったということだ。明治30年代生まれの祖父が幼いころにはすでに、商売をやっていた曽祖父が酔って帰宅し、暴れて日本刀をふりかざして曾祖母をおいかけまわしたというから、明治から大正にかけて、立派なアルコホーリク(アルコール依存症者)としてできあがっていたわけだ。

 曽祖父は商売上手だったらしいときいている。しかし、酒乱のために家族をおびえさせ、祖父がACになったに相違なく、すでに祖父は15歳にして、近所の本家筋の経営する売春宿にいりびたっていたという。すでに少年時代(大正時代前半)から、酒と女におぼれる(依存する)ことを覚えたのだから、祖父の成人後の結婚生活が、アルコホーリクを家長とする典型的な悲惨な家庭になったのはいうまでもない。

 やがて、昭和ひとけた代で、祖父は祖母と結婚して、昭和十年代前半に父が生まれる。そのころには、祖父は曽祖父と同じ酒乱のアルコホーリクとなっていた。やがて終戦になり、物資不足の時代に、米だけは豊かな東北の田舎のこととて、密造酒をしこんで徒歩で近隣の都市に、夜な夜なヤミの酒売りにでかけることになる。

 私の実家の地方では、当時、多かれ少なかれ、どこの家でもやっていたヤミ酒づくりだが、祖母から聞かされた思い出話では、相当にがんばって、鉄道も車もない時代に、稼ぎまくって売りまくって、田畑を買い家屋敷を立派に建てたのだという。

 しかし、家屋敷を手に入れたころの昭和二十年代末には、祖母は人格障害(たぶん妄想性+自己愛性)になり精神病院に二回入って強制退去をくりかえし、父をはじめ男の四人の兄のうち、三人までが酒乱になるというAC=アルコホーリクの家庭環境ができあがっていた。

 こんな家に嫁にきた母の人生は、まさに無残の一語につきる。
 アルコホーリクとACと人格障害で、どうしようもなくなっていた家にきてしまったのだ。
 そこで、生まれたのが私や妹や弟だ。

 こうしてみると、曽祖父の時代に酒乱になるほど酒がのめたのだし、祖父は岡場所で遊べたのだから、相当な資産家だったはずだ。祖父は密造酒で財産を作ったのだから、酒を飲みながら酒をつくり、それを妻に売り歩かせるという、まるでヤク中のヤクの売人みたいなことをしていたわけだ。

 この一族、酒の業が深いとしかいいようがない。私や弟をふくめて四代にわたるアルコホーリクとACの歴史の中で、父は会社経営を放棄して借金をつくり、祖母は高齢になってから自殺し、家屋敷は人手に渡り、弟はアルコール依存症で命を落とし、母は金の苦労のあげく脳梗塞で弟の死と同時に倒れ、寝たきり1年弱で、弟の後を追うように死去した。また、叔父のひとりは、東京へ出て酒乱の守銭奴のウソつきの冷血漢となり、しまいにはホームレスになって無銭飲食でつかまり、あとは行方知れずになっている。

 このような業を背負った家に生まれた私が、幸福な結婚や男女関係をつくれるなど、考える方がおかしかったのだ。明治時代からのアルコホーリク・ACの世代連鎖の家系なのだ。

 私も飲み続ければ、祖父や父のようになり、しまいには弟のように死ぬ。もし結婚すれば、妻となる人を、祖母や母のようにしてしまう。そうならないという保証はゼロだ。曽祖父・祖父・父と受け継がれた性格的な欠点が、彼らのアルコホーリクの原因なら、それは私にもあfり、酒を飲まなくともその弱点は存在する。

 その弱点ゆえに、私は家庭を持つことができないし、もってはいけないのだ。
 飲めばどうなるか、結婚すれば、どうなるか。それは、祖父が、祖母が、父が、母が、叔父が、弟が、命を賭して見せてくれた。

 それが、私に残された「遺産(レガシー)」である。
 
by ecdysis | 2007-09-25 00:46 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

お彼岸の想い

 今日はお彼岸の中日だ。実家に墓参りにはいけないが、この部屋にある母と弟の遺影に茶菓と線香をたむける。私もいずれおもむく遠い世界にいる彼らの永久の幸福と安らぎを念じる。また、わが祖先に、さらには有縁無縁の諸霊にも、茶菓をお供えして冥福をあわせて祈る。

 神棚に祝詞をあげるとき、神社におまいりするとき、仏前に瞑目するとき、そのときは雑念がひいてゆく。見えない世界の存在に意識を向けるとき、手傷を負った私の心も、静かなあこがれと、眠気と疲れを祓ってわいてくる澄明な感覚と、ほっとする安堵感にひたることができる。

 自分自身にも、ほかの人間にも、どうにもならないアダルト・チルドレンの心の傷と病ならば神々と祖先に祈るほかない。目に見えない存在の前でだけ、私は自分が人間であることをゆるしていただける。

 人間と人間の間では、私は自分がまともな人間であると感じることができないのだ。いつも自他を比べているからだろう。心が休まらない。ごく少数の友人たちをのぞけば、大多数の人間は、私にとって「対等な人間どうし」という同感や共感をおぼえることができない存在だ。
by ecdysis | 2007-09-23 10:49 | アダルトチルドレン・依存症 | Trackback | Comments(0)

ecdysisは「脱皮」。管理者・心炎の悲嘆と絶望、歓喜と希望のあやなす過去・現在・未来を見つめ、アダルトチルドレンより回復する為のブログ。メール:flamework52@gmail.com(exciteメールは2018/9/18をもって使用不能となりました)